俺に懐いた猫女が最高の狙撃手だった。   作:じぇのたみ

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二筋の光明

 初めて出会った時は、場所が悪かった。

 最新のダンジョンの最奥部、一歩踏み出した足のせいで即死してもおかしくない極限状態。

 互いが生き残るので精一杯だった。

 だが、二度目に街で出会った時は互いに自然体で、だからこそ疑念が生まれた。

 来る日も来る日も、溶けない雪が積もるかのように、その疑念は少しずつ分厚さと嫌な冷たさを増していき、やがて思考は凍り付く。

 ずっと見ないようにしていた、逃げていたもの。

 今から、俺はそれに正面から相対するのだ。

 

「シノンは」

「朝田」

 

 呼び名を訂正してきた彼女は、さっきまで得体の知れない熱を帯びていたのが嘘だったかのような、冬の谷底もかくやという、昏く、冷たい瞳をしていた。

 

「……朝田は、何時俺がトーレントだって知ったんだ? GGOプレイヤーとすら教えてないし、そう簡単に分かるRP(ロールプレイ)だったとは思えないんだが」

「地下で出会った時は、正直言って分からなかったわ。でもあの後、ヘカートを手にずっとその日のことを考えていたの。最後に送られた言葉のついでに、ね。そうしていたら、あの時出会った重装プレイヤーの素が出た時の振る舞いが、なんとなく千晃くんに似てることに気付いたの」 

 

 なるほど、二度目に出会った時の変わりようの原因はこれか。

 彼女にとって信頼出来る人と同じ匂いを嗅ぎつけて、無意識にガードを緩めていたのだ。

 そこからはすぐに俺とトーレントを一致させる作業に入ったのだろう。

 僅かでも手がかりを掴んだら、トーレント(ゲーム内)流千晃(ゲーム外)のすり合わせをしていけば、同一人物かどうか程度のことならすぐに分かるはずだ。

 

「それに、普段の生活でそれとなくゲームの話を振ったら、千晃くんは快く答えてくれたもの。トーレントは千晃くんだって、すぐに分かったわ」

 

 確かに長時間のフルダイブから戻った時は、彼女からそれとなく仕事の調子を聞かれていた覚えがある。

 

「そういえばBoBに参加する前に朝田のくれたエール、まるで俺がそれに参加するのを知っているみたいだったな」

 

 朝田には、BoBについては一言も話していないというのに、だ。

 

「その時にはもう、確信してたもの」

 

 シャツの下から、彼女の手が滑り込んでくる。

 夏の気配も失せたというのに俺の体も朝田の手も汗ばんでいて、かなりの湿気を感じる。

 

「でも楽しくなっちゃったから、千晃くんが気付くのを待ってたの。けど、やっぱり鈍感ね。やっと気付くなんて」

 

 アミュスフィアを片手で乱雑にどけて、朝田は俺の胴に跨がり、そして覆い被さった。

 彼女の長いまつ毛が俺の目に当たってしまいそうなほどの至近距離。

 そこまで近付いてしまうと、美貌だとかそんなものは気にならず。

 よく知る人の体の形をした熱。

 どくんどくんと早刻みの心音。

 何より、硝子細工のように美しい焦げ茶色の瞳。

 瞳孔から虹彩へと広がる毛細血管はある種の規則的な紋様を描いていて、その美しさが、俺の心胆を力強く揺さぶった。

 まるで、雪の結晶のようだ、と。

 これまで幾度も彼女の瞳を氷だとか雪に例えてきたが、それはやはり、間違いではなかった。

 だが、それでも拒絶せねばならないのだ。

 おもむろに起き上がると、必然朝田も俺の上から退いて、ベッドにぺたんと座り込む。

 そして俺は、告げた。

 

「ごめん。今のお前の思いを受け入れる訳には、いかないんだ」

 

 友の助けによって、答えは得た。俺は今、助けを求める手を払い除ける。

 そして予想していた通り、みるみるうちに彼女の顔から色が抜けていくのであった。

 わなわなと震える唇から紡がれるのは、力ずくで封じ込め続けて、遂に限界に達した感情の濁流。

 

「……また気が変わったの? 一月前の焼き直しね、まるで」

 

 想像していたよりもその口調は冷静で、けれど、声が震えていた。

 だが、一月前とは決定的な違いがあった。

 俺の決意はより固く、揺るぎ無いものと化している。

 だから今度は、自分の思いの丈を余す事なく伝えられるのだ。

 

「前に言ったよな、俺が朝田の成長を邪魔してるんじゃないかって。そしてそれをお前は否定した。朝田がどう思っているかは、朝田にしか分からない。だから、俺には朝田が間違ってると言う権利はない」

「だったら……」

「だけど少なくとも、シノンの立ち姿は頼もしかったよ」

「あれは……あれは、私じゃないわ。VR(仮想現実)と現実は違う」

「違わないさ。配られたカードを手に、自分で感じて、考えて、行動する。現実と違うことなんて何も無いんだ」

 

 そうだ。自分の心を何にも侵させること無く、自分の力で自由に振る舞える。だから俺は、プロになる程までにGGOに没頭した。

 こうして改めて自分の事を見つめ直すと、どうしても避けることの出来ない感情が転がっている。

 こうまで互いに心を開いて話すことなんて、今を逃したらもう一生無いのかも知れない。

 この際だ、全て吐き出してしまえ。

 

「俺はシノンが好きだよ」

「なっ……にゃ……!?」

 

 告白の言葉に、朝田はこれまで見た事もないくらいに動転している。

 元々感情を表に出さない彼女がこうも狼狽えるのを見ると、妙な悪戯心が湧いてくるのを感じるが、今は見ないふりをする。

 

「凛々しい姿とか、獲物には容赦ない所とか、俺にちょっかいを出してくる所とか、諸々ひっくるめて全部好きだよ。これは完璧に初恋だ」

「そ……んなこと言ったって、誤魔化されりゅと思わないで!」

「誤魔化すも何も、本心だから」

「〜〜〜!」

 

 朝田は遂に言葉を捨てて、いつの間やら奪った枕に顔をうずめたまま動かなくなってしまった。

 耳は塞がっていないから、俺の言葉は多分届くだろう。

 今から言う言葉こそが、告白なんかよりもずっと大事なことだから、これだけは聞き逃してほしくなかった。

 

「だから、俺の手じゃなくヘカートを握って、自分はシノンだって言い張れるようになってくれ。お前には俺だけじゃなくてあいつもついてるんだから。それだけは絶対に忘れないで欲しい」

 

 言ってから気付いたが、最後の一言は必要なかったのかもしれない。何故なら、

 

「……そんなの、私が一番分かってるわ」

 

 彼女が歩んできた道を、彼女自身が知らないはずは無いのだ。

 たとえ見えていなかったのだとしても、存在しなかった事にはならない。

 枕から顔を離し、胸元に抱き寄せ、何もかもを曝け出す様に、彼女は語る。

 

「約束して。私がシノンになれたら、ちゃんとした形でお付き合い(・・・・・)してくれるって。こんな歪な二人の生活じゃなくて、ちゃんと恋人らしいこと、するって。約束してよ」

「ああ。約束する」

「本当に?」

「本当に」

「そう」

 

 抱えていた枕を横において、俺を見据える彼女の目には、微かに、だが確実に力強い光があった。

 

「次のBoBまで……には、ちょっと自信ないけれど、もう少ししたら、きっとあなたの心を射止めた女になって見せるから」

 

 そう告げた朝田の顔からは、荒野の女狙撃手を思わせる雰囲気が既に漂っていた。

 その後、彼女は何も言わず、脱力しきって俺の膝を勝手に枕にした。

 

「私はね、ずっと前から千晃くんの事が好きだったのよ」

「うん」

 

 中学に入った頃だったろうか、彼女から向けられるのが親愛から恋慕に変わったのは。

 

「分かってる癖に、新川さんと仲良くしちゃって、私は気が気じゃなかったんだから」

「うん」

 

 朝田には悪いが、新川との関係について俺は何も後悔していない。

 彼女は彼女できっと、今も助けを求めている。

 

「でももう、全部どうでもいいわ」

「どうして?」

「何処かの誰かさんが、進むべき道を教えてくれたから」

 

 甘えるように頭を動かす彼女の頭をそっと撫でる。目と目が合うと、朝田はリラックスしきった顔でふにゃりと笑った。

 迷走していた俺を助けてくれたゼクシード。全ての起点は彼だった。

 彼が俺を導き、俺が朝田を導いた。願わくば、その連鎖に新川も──と望むのは、きっと、贅沢なんかじゃないはずだ。

 しばらく寄り添った後、俺は朝田を彼女の自室に返した。日はとっぷりと暮れ、切れかけの蛍光灯がバチバチと怪しげな音を鳴らす廊下が、一気に俺を現実に引き戻す。

 

「じゃあ私、しばらく千晃くんの所には行かないようにするから。千晃くんの側だと……その……自分の欲に流されそうだから……」

 

 尻すぼみの言葉を残したその晩から、朝田が俺の部屋に入り浸ることは無くなった。

 一月もべったりくっついていたのが急に居なくなると、なんだか寂しさを感じてしまう。

 だがそんな感傷に浸っている場合ではない。

 一刻も早くGGOでの勘を取り戻し、第二回BoBにて、前回覇者としての威厳を示さねばならないのだから。

 まずはパッチィの店で装備を注文し、素材が必要ならダンジョンに潜り、勿論料理の鍛錬も欠かさず……

 やる事は盛り沢山だ。

 けれども、あの日、俺のベッドの彼女が座っていた場所が何となく温かい気がして、思い出す度に気恥ずかしさに頬を掻いてしまうのであった。




2ヶ月寝込んで死んでました。更新遅れた上に短くて申し訳ないです。
ここから第2回BoBの話に移っていきます。
やっと銃撃戦が書ける……

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