俺に懐いた猫女が最高の狙撃手だった。   作:じぇのたみ

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無痛の進撃

 第1回BoB本戦、当日。

 目覚まし時計が鳴る前に止め、勢いよくベッドから起き上がる。

 数日前から食事管理をしていたおかげで、体調はすこぶるいい。

 今日のログインは、開催時刻より相当の余裕を持って行うつもりだった。

 遅刻したら洒落にならないというのもあるが、何より、VR環境に体を慣らしておかないといけない。その時間を考慮してのスケジューリングである。

 ゼクは何やらフルダイブに最適な環境の整えられたカプセルの置かれた高級ネットカフェからログインすると言っていたが、俺にはそこまでの金銭的余裕はなく、是非一緒にという誘いも、非常に残念ながら断らざるを得なかった。

 しかし、くよくよしてもいられない。今日も今日とて朝飯を食べに来るであろう朝田のために、アジの開きを焼きつつ、豆腐と油揚げの味噌汁を急ぎで作る。

 両方、調理時間が短く済む比較的手軽な料理である。

 洋食のよの字もないが、朝の台所は戦場だ。仕事でもないのにわざわざ面倒なことをやってたまるか。

 

「千晃くん、朝御飯何?」

 

 不意に扉が開き、挨拶の前に献立を聞く不届き者が訪れたのと同時に、米が炊き上がる音が鳴り響いた。

 

「おはようも言えない子には教えません」

「へー、干物ね。美味しそう」

 

 朝田は本当に信じられないことに、制服姿でキッチンに入ろうとした。制服に焼き魚の臭いを染み付けるのは自殺行為だ。

 必死に追い返し、テーブルに着いていただいた。

 一汁一菜を卓上に並べる。質素な和食は鋭利な朝日に照らされ、素朴ながらも力強いエネルギーを感じさせる。

 箸を一膳、朝田の前に置き、そのまま彼女の向かいに座った。

 

「はい、召し上がれ」

「千晃くんは?」

「ん? これ」

 

 見せびらかすように、スポーツマン向けのゼリー飲料の封を切った。パキリと小気味の良い音がする。

 

「……もしかして、それだけ?」

「え、うん」

 

 フルダイブ直前に満腹だと、VR空間での動きに違和感が出るのだ。何も絶食する訳でもなし、エナジードリンクだけで済ませる不摂生な同業達よりはよほどマシなのだが。

 

「言ってなかったっけ、ゲームの大会があるって」

「聞いてないけど……それにしたって、多少はちゃんと食べた方がいいわよ。あと、学校は?」

「仮病」

 

 飲み干した容器をゴミ箱に投げ捨てる。

 それは綺麗な放物線を描いて、ぽすんと狙った場所に着地した。

 ナイスシュート。

 

「呆れた」

 

 ため息をついた朝田はアジを一欠片取り、一口分の米と共に俺の口元へと運んできた。

 

「朝田?」

「あーん」

「朝田さん?」

「食べるまでやめないわよ」

 

 口許こそ微笑んでいるものの、その目は真剣であった。

 諦めるしかあるまいと、口を開いて朝田の箸を受け入れる。

 天日干しされることによって凝縮されたアジの旨味と甘味が、ちょっときついくらいの塩加減で口の中に広がる。そこに白米のねっとりとしたマイルドな甘味が全体を包み込み、良い具合に調和していた。

 

「うん、旨いよ。……これでいいか?」

「ええ。はい、次。あーん」

「……あの、朝田」

「あーん」

 

 何故か楽しそうな朝田を見ていると、文句を言う気にはなれず、結局、皿が空になるまで付き合わされる羽目になった。

 そんな端から見れば滑稽な食事を終えて、ログインしようとした時。

 

「応援してるからね」

 

 静かにそう告げた朝田の顔は、俺のことを見透かしている、そんな眼をしていた、気がした。

 まるで、これからどこに行くのかを知っているような。

 ゲームに詳しくない彼女がそんな表情をした事実が、どこか俺の心の中で泡のように揺れ動き、表層で波を立て、そして何もなかったかのように消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

「とまぁそんな朝であったのである」

「シスコン乙」

「なにおぅ!」

 

 グロッケン中枢、BoB本戦待合室。

 参加予定者は予定の時刻までにここに来ることになっている。まだ始まるまで時間はあるが、遅刻なんて間抜けをやりたいやつは一人もいない。

 だから早めに入室したのだが、やることがない故にひたすらゼクと駄弁っていた。

 彼のあんまりな物言いに、全身を使って抗議する。

 

「向こうがブラコンなのであろう!」

「俺から言わせりゃどっちもどっちだわ、アホ。ったく……シノンさんがいりゃあなぁ、愛想はないけど目の保養にはなったろうに」

「悪いけどあいつは今回見送りであるよ、我輩が止めたである」

 

 そう言うとゼクは、余計なことしやがって、と毒づいた。

 慣れないヘカートとG18Cで乗り込もうとするシノンを止めるのは一苦労であった。ああ言えばこう言うの見本にしたいくらいのごね方をしていたが、彼女の持つ致命的な欠点を告げると、やけにあっさりと引き下がった。一転した潔さに違和感はあるが、とりあえず参加を止められたのだから、この話を掘り下げる必要はないだろう。

 

「しかし、よくお前この場でくっちゃべる気になるよなぁ。普通気圧されるだろ」

「何にであるか?」

「見て分かれ」

 

 そう言うとゼクは、部屋全体を指すように顎をしゃくった。

 BoB決勝の控え室は、殺気に満ち静まり返っていた。周りを見てみれば、他の参加者の装備を忙しなく見回しながら小声で話している者ばかりだ。

 酒場の喧騒とは、完全な対極にあった。

 

「まぁ気の張り方を間違えているバカ共はいいとして」

「おいちょっと待て、そりゃどういう……」

 

 ここで神経を尖らせて他の参加者の装備を確認したところで、直前に変えられてしまえばそれまでだ。

 そんなことに集中力を使って、いざ戦っている最中に疲弊してしまうなんてことになれば、間抜け以外のなにものでもないだろう。となれば、適度に脱力するのが最適解だ。どうせこの場では撃ち殺されたりしないのだから。

 ゼクはそれに気付いていないようだが、説明するのも面倒なので放置することにした。

 この大会でのダークホース探しの方が、よほど重要だからだ。

 最初は目で探していたが、皆揃いも揃って迷彩服だ。聴覚に意識を集中させる。

 そうすると段々と識別出来る、ごく僅かな人数の英語話者。

 シノンの参加を止めた、唯一にして最大の原因。今のお前じゃ十中八九勝てないからやめろ、と。そう俺は彼女に言った。

 

「あいつら、マジでヤバいであるな。隙が無さすぎるのである。十中八九本職であろう」

 

 本職という言葉が出た瞬間ゼクの表情は硬直したが、すぐに冷静さを取り戻したようだ。

 

「本職っつうと……あれだな、懸念されてた、米軍人の参戦。か~っ、マジでなんで北米からの参加も可能にさせたんだよザスカーは」

 

 その点に関しては、完全に同意であった。

 そもそも銃刀法で厳しく取り締まられている日本とは違い、向こうでは庭での的当て遊び(プリンキング)も一般的だ。

 システムアシストに頼らない照準を付けられる……ただそれだけで有利になれるゲームで、日本人のみがデメリットを背負っているようなものであった。

 

「或いはPMC……傭兵、であるかな」

「傭兵ぃ?」

 

 最悪のケースを口にする。

 雑談中常に声のボリュームを抑えていたゼクが、今日初めてすっとんきょうな声を上げた。慌てて小声になるが、もう遅い。

 シンとした部屋中から尖った視線を向けられるが、軽く謝罪のジェスチャーをすると、じきに解放された。

 

「お~こわ……というか、そんなんいるのかよ、現代に」

「中東が火薬庫なのは昔から変わらないのである」

 

 個人的には、軍人よりこちらの方が恐ろしい。

 軍人ならば、ペースを乱せば手玉に取れる可能性はある。そのためのオモチャもいくつか持参してきた。

 しかし傭兵となると、話は変わってくる。

 俺ことトーレントは、あの手この手で主導権を握った後に、高めたVITとSTRでゴリ押すという、自由度に長けたなんでもありのスタイルだ。

 それは即ち、なんでもありの本職(傭兵)の下位互換であるということに他ならない。

 

「ま、BoBは個人戦のバトルロイヤルであるからな。案外漁夫れたりするかも知れんであるし、互いに気楽に頑張るであるよ~」

 

 時計は既に開始五分前を指し示している。そろそろ気持ちの切り替え時だろう。

 俺はゼクにひらひらと片手を振りながら、誰もいない隅っこに陣取ろうとした。

 

「あ、おい、待てってトール」

「む?」

「……組まない?」

 

 そんな俺を止めたのは、ゼクの弱気な提案だった。お前だって日本で指折りの腕なんだから頑張れば勝てるかも知れないだろうに、呆れたものだ。

 

「はぁ……いいであるか、ゼク。これ個人戦。いくらルールにチーミング禁止と書いてないとは言えど、暗黙の了解ってものがあるのであるからして、組むとかあり得んのであるよ」

 

 

 

 

 

 

「無理無理無理無理無理! 組もう組もう組もう組もう!」

「だぁから言ったろトール!」

 

 右も左も分からぬ森林地帯の暗がりで、俺はゼクに泣き付いた。

 完全に素の口調とトーンであった。

 BoB本戦に参加するのが三十名。最初のサテライトスキャンに写ったのが二十五名。二度目のスキャンでは八名。

 三十分で、二十二人が死んだ。

 無論名前は端末に表記されないので、それだけで判断するならば、日本人が奮戦しているという可能性は残る。

 だが、俺は実際に見てしまったのだ。自分から敵の懐に飛び込んで、ナイフで首を切られ死んでいく、顔見知りの姿を。

 常人離れした予測力と戦況把握能力が両立して、初めて為せる技だ。はっきり言って、俺の手に負える相手ではない。

 それを見た瞬間、俺はゼクに事前に無理矢理伝えられた合流場所に、全力で移動を開始した。

 足跡は勿論消した。追跡されている気配もない。だというのに、背骨が冷たい金属に変わってしまったかのような緊張感が消えない。

 深呼吸を一つして、悪友の顔を見る。軽薄ではあるが、腕も性根も一応は信頼に足る男だ。

 こいつとならば、あるいは。

 そう思うと、少しは気が楽になった。 

 

「……まさか、本場とここまでレベル差があるとは思わなかったである。ゼク、奴らの名前とビルドは判ってたりしないであるか?」

 

 そう聞いてみるも、色好い反応は帰ってこなかった。

 

「いや、俺も事前に北米の有名プレイヤーを調べはした。したが、そのうち日本サーバーで参加したのは皆予選落ちだ。その結果を見たから『日本と北米の純粋なGGOプレイヤーの腕前は変わらない、むしろ日本のプレイヤーの方が高い』って結論を出した。お前と一緒にな、トール」

「うむ。ということは……」

「まぁ、信じたくはないけど」

 

 ゼクは視線を散らして警戒をしながらも、仕方がないという風に肩を落とした。

 

「普段は仕事三昧の本職なんだろうよ」

 

 静寂。虫や鳥のいない不自然な森で、木々のざわめきだけが妙に耳に響く。

 そんな最中、突如鳴り響いたサテライトスキャンの通知音が、意識を一気に冷たい現実へと引き戻した。

 

「残りは……五人。我々を除いて、三人であるな」

 

 森林地帯の中心に陣取る自分達の方へ、全ての光点が近付いているようだった。

 今更出ていったところで、鴨のように狩られるだけだ。

 

「ここで迎え撃つしかねぇなこりゃ」

 

 ゼクも同じ結論に達したようだ。となれば、僅かな地の利を生かすために動き出すしかない。

 

「ゼク、プラズマグレネードは絶対使ったらいかんであるよ、腰にぶら下げてるといい的であるからして」

「そっちこそ、アーマー着てていいのかよ。いくら頑丈っつったって限界があるぞ」

「そこはまぁ、VIT型の魅せ所であるな」

 

 持っていたバジリスクと盾をストレージにしまい、代わりに使う銃を三丁取り出す。二丁は両の腰に装着し、残りの一丁はスリングに吊り下げた。

 万が一のお守りに、市街戦で使う予定だったプラスチック爆薬を腹部の装甲の上、ポケットの中に入れれば、準備は完了だ。

 

「じゃあ、ゼクはここから少し離れた木陰で待機。我輩は東から反時計回りに巡回するので、銃声がしたら急いで来て欲しいのである」

「了解。しくじるなよ」

「任せとけ、である」

 

 地図を見ながら歩き出す。今回のBoB会場の森林地帯は、ちょうど真円の形をしている。その都合上、どこから入ろうとゼクのいる中央に辿り着くまでの時間は変わらない。

 AGIに長けたキャラクターが全速力で走ればその限りではないが、折角の姿を隠しやすい環境で、攻め込む側がそんな自分から正体を現すような真似をするとは考え難い。

 先程のスキャンで、南以外の方角から近付いて来ていることは把握している。

 となれば、東側から近付く存在とまず鉢合わせするだろう。

 スリングに繋げられた《SRM1216》ショットガンを構えながら、ゆっくりと移動する。

 しばらくそうしていると、不意に足元が煌めいたのに気付き、全神経を注いで飛び退った。

 ワイヤートラップだ。ジャングルに仕掛けるとなれば、クレイモア地雷の類だろう。

 そして着地の瞬間を狙って、弾道予測線が蜂の巣の未来を告げる。

 けたたましい音で襲い来るライフル弾を、五体を投げ出すような形で伏せて避ける。

 間髪入れずの追撃に転がって対応するが、流石に全弾を回避することは出来ず、左肩に痺れが走ると同時にHPゲージが目に見えて削れた。

 だが、気にするほどではない。この程度で怯んではいられない。

 身を隠しリロードするギリースーツの男に冷静に照準を合わせ、姿を出すと同時に引き金を引いた。

 予測円という独特のシステムのおかげで、GGOでの平常時と変わらない心拍での適正距離における射撃は、素人だろうと確実に当たる。

 しかしそれはショットガンという武器にはあまり関係のない話だ。何せ小さな散弾をばらまくのだから、正確無比な狙いは必要ない。

 そしてその代わりに、拡散する弾丸は近距離でしか意味を為さない。誰でも知っている常識だ。

 ギリースーツもそれを知っていて、絶対的有利を取れる距離を確保して体を出した。

 保証された安全に身を委ねた、攻撃一辺倒の姿勢。

 だからこそ、その無防備な腹に巨大な一粒弾(ライフルドスラッグ)が突き刺さる。

 真紅のエフェクトを大きく散らし、慌てて岩陰に隠れるギリースーツ。

 ここは森の中だ。本職に本気で隠れられたら、見つけるのは至難である。

 だからあえて、逃がすことだけはしまいと懐に突っ込んだ。

 コッキングの代わりに、マガジンをぐるりと回転させながら。

 強引な突撃に対し、ギリースーツ野郎の目からは驚愕が伝わってくる。

 が、それも一瞬のこと。《AK-47》の引き金が即座に引かれ、確実に当たる弾丸がばらまかれた。

 しかしそんなことは関係ない。被弾を気にもせず距離を詰め、敵に遅れて俺の持つ銃から飛び出た鉛玉は、今度は散弾であった。

 強力な弾丸を二度も受け、ギリースーツの男は、撃破エフェクトと共に姿を消した。

 潤沢な装甲と体力に物を言わせた、命知らずの戦い方。

 リアルでの戦闘に慣れているならば、リアルではあり得ない戦法で攻めれば良い。

 事前に立てた作戦がうまくいったことに安堵しかけるが、俺の見たあの化け物のような男が相手ではこうはいかなかっただろう。

 警戒を保ちながら、ショットシェルをリロードする。

 ショットガンとはつくづく便利な代物で、ショットシェルに詰められる弾丸の性質の幅は、ライフルや拳銃のそれを凌駕する。リアルに存在しない弾種の存在するGGOにおいては、それが更に顕著だ。

《SRM1216》は、三本のマガジンチューブがリボルバーのシリンダーのように回転する形で一体になっている変則的な散弾銃だ。

 一本にスラグ弾を、二本目には通常のバックショット(鹿撃ち弾)を、三本目には値の張る虎の子を装填している。被弾覚悟で中距離から近距離に押し込むには、なかなか便利な一丁である。

 さて、想定よりも早く相手が済んだ都合上、こちらに向かっているであろうゼクとさっさと合流してしまうが吉だ。

 何よりも、先程から散発的に銃声が聞こえるのが気になる。音からして、拳銃だろうか。

 一対一ならまだしも、数的不利を背負ったゼクが勝てる未来は見えない。

 俺は一歩歩む度に残る足跡に目もくれず、森林の中心部に駆け出す。

 

「ゼク! 無事であるか!」

「ん? おう、何の問題もないが」

 

 茂みから出てきた優男に安堵の息をついた。

 しかし、ゼクがあの銃声に関与していないとすれば、推定本職同士がぶつかりあったことになる。

 勝手に全員が手を組んでいるだと思い込んでいたが、それは間違いなのかもしれない。

 

「ともかく、残った方が手練れであることには間違いないのである。銃声はどっちからしたのであるか」

「北だな」

 

 ゼクが言って、俺が聞いて、同時に立つ。

 

「行くである」

「おう」

 

 そして、同時に歩み出す。この先に、常識外れの強者が潜んでいる。

 そう思うと、じっとりとした緊張感が全身を包んだ。


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