俺に懐いた猫女が最高の狙撃手だった。   作:じぇのたみ

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夕闇

 町の外れのボロの家屋。

 埃まみれの空間。

 使い古されたカウンターに肘をつきながら、店主はからかうような笑みを浮かべていた。

 

「秘密主義のトーレントくんがよくもまぁ派手にやったもんだなぁ。ワタシ様びっくりしたわ」

 

 そう言いながら、彼は咥えていた煙草を指で弄ぶ。少女然とした見た目とは全く噛み合わないはずの動きが、不思議と馴染んで見えるのは、機械油にまみれたラフな格好だからだろうか。

 

「我輩もあんなことになるとは思っていなかったのであるな」

「その割にはノリノリだったじゃん、カメラパフォーマンスまでしちゃってさ」

 

 弁解させて欲しい。あの時の俺は怒りが一気に快感に変換されて脳内麻薬でおかしくなっていたのだ。

 でなければ顔を晒したりなんかしない。絶対に。

 こんなことになったのだから、勿論道中は仮面と外套で変装をしていた。

 それですら、ここに来るまでに受けた期待と好奇の入り交じる視線を思い出すと、タイムスリップして優勝した時の俺を殴りたいという衝動に襲われた。

 そんな俺の痴態の話などしたくはないので、どうにか流すことにする。

 

「いやぁまぁワハハ……そんなことより」

「流したな」

「そんなことより! 見積り、どんなもんであるか」

 

 本題に入ると、電卓を叩く店主の表情は一転して苦いものとなった。

 

「ヘルメット以外の全損した防具の再作成、ショットガン用特注榴散弾の補充、特殊弾使用によって損耗したSRM1216のバレルの交換。C4も特注で、他にも取り扱いの少ないのがエトセトラ、エトセトラ、と。バジリスクが無傷で良かったな、マジで」

 

 パッチィは金が欲しくてこの店をやっている訳ではない。故に、彼の表情は大儲けの前に弛んではおらず、逆に、俺と同じような不安そうであった。

 何せ、高い金は払うのが大変だから。

 遂に金額が明らかになり、パッチィの手が止まった。

 

「……トーレントさ、これ、払えんの?」

 

 提示された金額は、俺の想定を遥かに上回る代物で、思わず絶句してしまう。

 体の力が抜けるのに抗わず、客のために一応用意されたパイプ椅子にどっかりと座り込んだ。

 

「……食費を削れば、あるいは」

「……お前、優勝商品はどうした」

「《H&K G36》ならゼクにあげたのである」

 

 優勝商品として贈呈された、先行実装品の超高性能アサルトライフルは、ゼクに直接手渡した。

 彼は俺のために死んだのだから、それぐらいはしてやらねば、バチが当たるというものだ。

 その時の彼の喜びようといったらもう、送ったこちらの方が嬉しくなるほどのものだった。

 そうして互いの奮闘を労い、後日祝勝オフ会でもやるか、とまで話が進んだのだ。

 故に、後悔の念など全くないのだが、一から話すには長過ぎるので、そこに関しては黙ることにした。

 

「バカ! お前……もう……バカ!」

 

 彼からすれば俺は、超がつくほど高額のプレミア武器をタダで譲り渡し、挙げ句の果てに支払いのために飯を抜く愚か者であった。

 それ自体は事実なので、なんとも言えない。

 不摂生発言に突然怒り出すその顔色は、彼の咥えている煙草の燃える様とそっくりだった。

 

「大体お前はいっつもそうだ、普段は意味不明なくらい用意周到、人間不信の権化みたいなくせして、いっぺん感情的になると後先考えず突っ走る! そして後からこうして頭を抱える! マジで何度目だトール!」

 

「返す言葉もないのである……」

 

 オカン、いやオトンかよ、と思わないでもないが、言っていることは全てが正論であった。

 パイプ椅子の上で正座している俺の姿はかなり間抜けだろう。

 

「はぁ……しゃーない、この前お前から買った素材をそのまま使うから仕入れ代をさっ引いて、そっから優勝祝いも兼ねてある程度……そうさな、5割引。残りはツケ、まぁお前なら払えるよな。特別だぞ?」

 

 ギザ歯を見せて笑うパッチィが、今だけは後光が差して見えた。

 

「ありがとうパッチィ母さん……」

「誰が母さんか。せめて父さんだろそこは。おら、この後はシノンの装備の最終チェックと受け渡しなんだ、さっさと出ていきな」

 

 そんなやりとりと共に、俺は文字通り店から蹴り出された。

 さて、メインの防具無しで、どうやって金を稼いだものか。

 そんなことを考えつつ表通りに踵を返す、その瞬間。丁度ケースハードゥン前に到着したのであろうシノンとばっちり目が合った。

 

「あら、奇遇ね、チャンピオン? 装備の調子はどう?」

「どうもこうも、財布をすっからかんにしてもまだ支払いが足りんのである」

「あ~……御愁傷様?」

「慰めの言葉ありがとう。では我輩はこれで」

「待って」

 

 襟首を突然捕まれて、蛙の潰れたような声が絞り出された。

 

「やっと私の装備が出来上がったの、丁度いいから見ていきなさいよ」

「あ~……拒否権は?」

「あると思うの?」

 

 シノンはにっこりと笑うと、そのまま店内に俺を引き摺っていった。

 

「あ~……なんだ、おかえり、トール」

「……た、ただいま」

 

 お気になさらず、とジェスチャーで伝えると、パッチィはなんだか哀れんでいるようだったが、すぐに仕事に取り掛かった。

 

「ほい、これが頼まれてた全身の防具と、MP7シノンカスタム、縮めてMP7SCだな」

 

 カウンターには、きっちりと畳まれたカーキがベースの衣類の上に、いくらかの装甲板。

 そして、本来のそれよりも一回り、いや、二回り大きなPDWがごとりと重厚な音を鳴らして鎮座していた。

 正規品よりもバレルが長く、マガジンも大きいような気がする。フォアグリップも折り畳み式ではなく、より頑丈な物へと取り替えられているようだ。ご丁寧に、小型のドットサイトまで付いている。

 だが、その分重量もかなり増しているだろう。全長も長くなっている。取り回しが悪くなっているのは間違いない。

 

「結局、至近距離戦特化型にするのはやめたのであるか」

「ええ。ヘカートの調整は出来ないみたいだから、この子一本である程度戦えるようにしておかないと、と思って」

 

 パッチィの腕をもってしても出来ないということは、GGO内でこの狙撃銃をカスタマイズ出来る銃鍛冶はいないということになる。

 

「ヘイ、パッチィ。それ、マジで弄れないのであるか?」

 

 どうにも気になったので詳しく聞いてみると、彼は諦念と共に肩を竦めた。

 

「そもそもほぼ全てのカスタマイズ項目がロックされてるんだよね~、これはワタシ様でもどうしようもないってのが結論。ま、高レアの銃にはままあることだし予想は出来てたさ。トールのバジリスクもそうだし」

「じゃあ……ヘカートには、発展性がないってこと?」

「その解釈はちと間違ってるかな」

 

 物騒極まりない対物ライフルの銃身を撫でながら、パッチィは持論を展開していく。

 

「そもそも発展させる必要がないんだ、その銃は。全てが規格外。魔剣ならぬ魔銃だな。だから……」

 

 鋼鉄を撫でていた指を、びっとシノンに向けた。

 

「ワタシ様が磨くんじゃなくて、君が見合うように育つのさ。それしかないね」

 

 シノンがヘカートを見つめ、俺がバジリスクを見つめる。

 そうして生まれたどことなくぎこちない妙な沈黙を、しかしパッチィは強引に二度拍手して破った。

 

「はい、銃の話はおしまい! こっからはワタシ様特製、シノン専用装甲服の御披露目の時間だよ! あ、更衣室あっちね」

 

「は、はい……」

 

 従業員スペースの一角に用意された、簡易トイレにも似た箱のような簡素な試着室に、シノンは新しい装身具を抱えて入っていった。

 衣擦れの音は聞こえないが、近くで異性が、それも美人が着替えていると思うと、ちょっと……ほんのちょっとだけ、浮き足立ってしまう。

 勿論それを見逃す店主ではなく、ニヤニヤと笑う彼の視線から逃れるために、必死に平静を装う。それが一番滑稽だと知りつつ、そうするしかなかった。

 ややあって個室から出てきた彼女の装いは一見すると変わらないようであったが、良く見れば装甲板が各所に増設され、関節はプロテクターに守られている。

 へそと太ももも防刃繊維で編まれた服に隠された。これは大変ありがたい。目のやり場に困ることが無くなった。

 色合いや雰囲気、可動性はそのままに、弱装弾程度なら真っ向から撃ち合っても勝てるであろう防御力を手にした事になる。

 

「まさに固定砲台であるな!」

 

 素直に感心していると、彼女は自信ありげに胸を張った。

 

「AGI補正下がってないから前と同じように走り回れるわよ」

「……マジで?」

 

 そんなのチートだろ、パッチィの鍛冶スキルはどうなってるんだ。

 こいついつか運営にBANされるんじゃないか、等と考えていると、ストレッチをしながら動き心地を確かめているシノンが何故かじっとりとした視線を送ってくる。

 

「あの……何か?」

 

 とんとん、と床をブーツでつつきながら彼女が発した言葉は、まさに爆弾であった。

 

「……感想は?」

「いや、それはもう言って」

「そうじゃなくて……見た目の」

 

 シノンは恥ずかしげに髪の先を弄っていて。

 パッチィは笑いを堪えながらスクショを取りまくっていて。

 俺はというと、置物になっていた。

 人はあまりにも驚くと、舌の根が硬直するのだと、俺は初めて知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ新川、俺、何て言えば良かったんだ?」

 

 図書委員会の居残り仕事が終わった学校の帰り道で、俺は後輩にそう切り出した。

 この話を繰り返ししている俺は相当煙たい自覚があるが、こいつは何を言っても曖昧に、というより、微妙に喜色を浮かべて笑うので、俺もつい口が滑ってしまうのだ。

 

「そりゃあ……似合ってるね、とか、可愛いよ、とか」

「そんなの朝田以外に言えねぇよ……」

「朝田さんには、言えるんですね」

 

 そういうと新川は、呆れたように笑った。

 陰る太陽の光が闇に溶ける夕暮れ、整然とした街並みの中にある通学路には、俺達しかいない。

 電灯も陽光も届かない、昼と夜の隙間の時間。

 顔もろくに見えない今だからこそ、聞けることがあった。

 

「……なぁ、新川。お前、出席日数もう足りないんじゃないのか?」

 

 ゆったりと動いていた足が、自然に止まる。

 そこは丁度いつもなら別れる場所で、このまま帰ったところで俺は止めるつもりはないのだが、新川はそうしなかった。

 帰路を進める代わりに、俺の顔をじっと見つめていた。

 いつも通りの、笑顔で。

 

「はい、だから、やめることにしました」

「やめっ……」

 

 言葉に詰まる。高校はゲームやスポーツとは違うのだ。そんな簡単にやめると言えるものではない。

 それを新川は、当たり前のように口にした。

 

「はい。親には、高認取って大学行くって言ったら、すんなりと。結果しか見ませんから、うちの親は」

 

 でもね、先輩。ほんとは僕は、そうするつもりはないんですよ、と。

 そう続けた。

 

「先輩とおんなじように、GGOで稼ごうと思うんです。あの砂塵と血煙にまみれた荒野で、僕は生きていく」

 

 不可能だ、という言葉を必死に飲み込む。

 俺は控えめに言って、あまり模範的な高校生ではない。

 小学校も中学校もサボりまくっていたおかげでズル休みに抵抗はないし、成績だって赤点だけはなんとか避けている、という具合だ。

 担任と一年の間だけ所属していたバスケ部の顧問、それに図書委員会の先生にそれとなくeスポーツの選手であるという旨を伝えて、後はギリギリ留年しない範囲で好き勝手GGOに没頭していた。

 俺はゼクシードとは違い情報サイトの運営等はしていないが、RMTによる利益、ゲーム系ウェブメディアからの取材、記事の寄稿等で収入を得ている。

 それらをひっくるめて、月に二十五万。それが俺の稼ぎだった。

 高校生としては破格だろう。しかし、GGOプレイヤーの収入はここが実質の天井であり、そして、一般の社会人から見れば大した額ではなかった。

 何より、GGOはいつかサービスを終了する。何故ならあそこは現実じゃなく、ザスカーという一企業の提供するサービスに過ぎないからだ。

 風が吹く。丁度夏真っ盛りの生温いそれは、新川の暗い情念の炎を更に煽るようであった。

 

「先輩の言いたいことは分かってます。楽な世界じゃない。でも僕だって、先輩ほどじゃないけど、そこそこ強いんですよ? BoBの本戦にだってもう少しで行けたんだ」

 

 新川のこれは最早会話ではない、独り言だ。

 

「そしたら、先輩と一緒にいられますよね。そうだ、朝田さんも呼んで──」

「おい、あいつは巻き込むな」

 

 じっとりとした空気とは対照的に冷え込んでいた俺の心が、今完全に凍った。

 

「あいつは毎日毎日怯えて生きているんだ。誰かが守ってやらなくちゃならないんだ。トラウマそのもので構成された世界に放り込めるような状態じゃない。新川、お前それ二度と言うなよ」

 

 今まで黙りこくっていた人間に突然捲し立てられ、新川は驚いた様子を見せたが、それはすぐに、ばつの悪そうな微笑みに覆い隠され、人差し指で頬を掻きながら、視線を逸らした。

 

「す、すみません、変なこと言って」

「いや、いいよ」

 

 しかし、なんとなく居心地は悪くなった。このまま帰れば、この気まずさも持ち帰らなければならない訳で……

 そうだ。名案を思い付いた。

 

「なぁ新川、明日は休みだろ? GGOの金策付き合ってくれないか? 装備の修理代で首回らなくて」

「ああ、C4で派手に吹っ飛ばしましたもんね。勿論いいですよ」

 

 俺も新川も、他人に心を悟られぬよう仮面を被っているという意味では同類だ。

 だからこそ分かる。明るく笑いながらそういう新川の顔に、それはついていなかった。

 

「じゃあ明日、グロッケンの噴水前で」

「おう。それじゃあな」

 

 良かった。これで気持ち良く一日を終わらせられる。

 そう思ったのも束の間。

 

「先輩」

 

 新川が呼び止める。

 

「やっぱり僕、朝田さんは先輩の言うほど弱くないと思います」

 

 その顔に、やっぱり仮面は無く。

 

「お前の思うようなヒーローでもないよ」

 

 本心の言葉に、俺も本心で返した。


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