箱庭世界の狂信者 作:Scytheatre
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ローレ王国では今、大規模なお祭りが開かれていた。
災厄の八竜が一匹を国の英雄含む討伐部隊が打ち倒した……つまるところ、祝勝のための祭典。
【竜殺し】の称号を持つ三人の英雄と、【竜特攻】の称号を獲得した討伐隊三十余名。彼らをローレの竜騎士部隊として新設し、国の地固めを更に堅固なものとする。
それが王国の目論見であれ政策であれ、名誉なるものである事に変わりはなかった。竜を駆る者でなく、竜を狩る者達を擁す国──。
けれど今は、そんな堅苦しい呼び名は使われない。ただ祝いを、ただ勝利を。不可能とされた八竜討伐を為した英雄達に労わりと、そのために散っていった英霊達に静かな献花を。愛する者達との再会の歓びを。
色々含めて──ローレ王国は今、お祭りムード一色と言えた。
そんな、盛り上がりに包まれたローレの、少し暗がりにある裏の路地。
そこを酔いに酔い潰れた酒飲みが一人、フラフラふらりと歩いていた。酒飲みだ。あまり強くないのか、赤ら顔で千鳥足の男。右手に掴んだ酒瓶は強く握りしめているくせに、靴の片方は脱げたまま。自身が裸足である事にさえ気付いていないのだろう、お世辞にも綺麗とは言えない路地裏の地を、素足で確と踏みしめている。
そんな男の背後に一つ、人影が近づく。当然気付く素振りさえない男に人影は肉薄し、しかし何をする事も無く通り過ぎた。
だというのに、どういうことだろうか。
横を通り抜けられ、追い越された男が酒瓶を落とす。あれほど強く握っていた酒瓶はパリンと軽い音を立てて割れ、少ない中身が零れると共に、裸足の男の足へ飛来する。
けれど男は気にしない。気に、出来ない。
だらんと腕を垂らし流し、首をがくんと落として立ち尽くす。
先程までの赤ら顔はどこへやら、蒼白を通り越して土気色のその表情に、本来あるべき生気は無い。
死んでいた。魂が抜けたように。
男は立ったまま、そこにあるだけだった。もうそこには無かった。
祝勝祭の裏で起きた殺人事件。
男を発見したのが巡回騎士の一人であったのは幸いであったのだろう。民間人がこの事件を知ることは無く、ただただ祝いの会を純粋に楽しめた。騎士団だけがこの不可解な殺人事件を追う事となり──それは、犯人の目論見通りの結果を引き寄せる。
後の世においては『ローレ王国の悲劇』として知られる怪事件の、最初の一幕として語られる話である。
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さて。
巡回騎士をまとめる部隊長であるミルト・レゲィエンは、そんな一言と共に報告書へ目を通し始めた。国内を警備・警邏する巡回騎士たちは、ローレ王国の至る所に存在する。犯罪が起きていないかの確認、あるいは起きる前に阻止するための役割を有し、日毎にレポートという形で報告書をミルトに提出する。常であれば多少の怠慢も容認してしまうくらい平和なローレであるが、今回ばかりは話が違う。
無疵の殺人事件──。
仮名をそう名付けられたこの事件の手掛かりを、少しでも探さなければいけない。
新設部隊として華々しく祝われている竜騎士たちの裏、このような地道な捜査を行わなければならないのは、花形とそうでないもの達の違いという事だろう。今の所手掛かりの一つも見つかっていない怪事件。難航する未来が見える見える。
被害者は事件現場近くで中古の武器屋を営む男性。【修理士】の称号を有す50代の男で、事件当日は多量の酒を飲んでいたものとみられている。彼は旧知との酒盛りの後、風にあたってくると言い残してその場を去り、その半刻後、近くの路地裏で死亡している所が騎士によって発見された。
外傷無し。【医学者】の称号を持つ医者に見せた所、死因はアルコールでもないという。
まるで歩いている途中、突然に心臓が止まってしまった、とでもいうような状態で、突然死という言葉が当てはめられかけた。
そうでなく、殺人事件であるとされたのは、同時刻、その路地裏を黒いローブの人影が出て行くのを目撃した人間がいたから。巡回騎士部隊はこの人影が何らかのスキルを用いて殺人を行ったと見ていて、故にその足取りを追っている……のだが。
「黒いローブの人影……ローブを脱いじまやぁ誰にでもなれやぁなぁ」
溜息と共に報告書を放る。残念ながら、目撃情報は無し。【鑑定士】や【再現士】などのレア称号を持つ者に診せても死因は分からずじまい。黒いローブなど国内のどこでも売られているし、国外を見ても同じ。その質もわからないとなれば、自作の可能性だってある。【裁縫士】にまで至らずとも【手縫い士】や、【家事マスター】、【装飾家】だって作り得るだろう。
けれど諦める、という選択肢を取る事が出来ないのも事実だ。怪しい人影があって、殺人があって、それを野放しに、など。民を守る騎士として、少ないながらも矜持がある。
中古の武器を売る男の身辺調査も勿論行った。行ったが、あまり参考にならない。というのも男は天涯孤独で、知り合いも常連が幾人かいるくらい。酒盛りを行っていた旧知らは完全なアリバイが取れているので除外。となれば、ただの通り魔、という事になってしまう。
「通り魔。レアスキル保持者の通り魔ねぇ。……厄介以外のナニモンでもねぇやなぁ」
スキル、というものがある。称号の獲得時や何かしらの偉業、目標の達成。あるいはスキルを持つ者からの指導などで獲得できる、世界改変能力。そう知られたチカラだ。
例えば普通に斬りかかる。得られる結果は、防がれる、か切り伏せる事が出来る、のどちらかだろう。しかし、[斬りかかり]のスキルを使用すると、防御や往なしを完全に無視して斬撃を与えられる。無論相手側に防御系のスキルがある場合は話が別になってくるが、単純な斬り合いにおいては非常に強力なアドバンテージを得られるスキルと言って良いだろう。
スキルは発生と同時に世界を改変する。斬撃を与える、というスキルであるから、斬撃は必ず与えられる。世界がそう改変されたからだ。勿論その改変を防ぐスキルや躱すスキルも存在し、称号持ち同士の争いは世界の改変し合いになる。
これらスキルにはレアリティが存在するが、レアリティが高ければ高いほど世界改変能力が強力、という事ではない。それが影響するのはスキルレベルの方だ。レアリティは単純に"深く知られていない"というアドバンテージを持つ。レア称号にはレアスキルが付き物で、レア称号の保持者は勿論数が少ない。知らないものに対処する事、推察する事は難しい。当たり前の話だ。
今回の事件の犯人たる通り魔。これが持つだろうレアスキル。対象に外傷を与えず、命魂を奪う、という結果をもたらすスキル。
そんな強力なスキルを単なる通り魔が持っている、など。脅威にして厄介以外の何物でもない。
「ん? 誰だ?」
つらつらととりとめのない思考を回していたミルト。その思考を打ち切るようにして、部隊長室のドアをノックする音があった。
「団長、団長。大変です。リギンの奴がまた……」
名乗りもせず、用件を先に話す。礼儀を叩き込みなおさなければならないな、と思いつつ、ミルトは席を立つ。リギン。巡回騎士にとっては目の上のたん瘤……本来であれば花形の部隊に回されていそうな身体能力を持ちながら、その性格から巡回騎士の首輪を付けられている男。
粗雑で粗暴。民間人と諍いを起こす事数知れず、他の隊の騎士や冒険者とも衝突しては怪我人を量産する厄介者。とある貴族の三男という立場でありながら、親には勘当目前の扱いを受けているのだとか。
ただしその怪力には目を瞠るモノがあり、外敵から弱き者を守る、という意思はしっかりとある。他の隊との衝突にもその"弱きを守る"という信念が関係している事が多く、切り捨てるに切り捨てられない……やっぱり厄介なヤツだ。
こんな夜更けに、また何か問題を起こしたのかと、痛む額を抑えるミルト。
彼は扉の前まで行って──即座に飛び退った。
「何者だ」
腰の剣を抜き、隙の無い構えで扉を正眼に捉える。
扉をノックする音があって、用件を途中まで伝えた部下の声があって。
そこから無音だ。そんなことは有り得ない。わざわざミルトが扉を開けてからでないと最後まで喋る事の出来ない理由。そんなもの、思い当たらない。
だから問うた。部下の声のしない廊下。諍いがあれば大音量を上げるリギンの声も聞こえない。彼を止める騎士たちの声も、彼と争っているのだろう民間人や冒険者たちの声も、何も。
ミルトは緊急事態であると判断した。
故に、スキルを使用する。
「──[風斬り Lv.30]!」
呼気と共に振り抜かれた剣から、空気を切り裂く真空の刃が飛んでいく。ミルトは【精鋭剣士】。非常に高いレベルに鍛え上げられた彼のスキルは、そんじょそこらの防御系スキルでは中々に防ぎえないだろう。とはいえこれは牽制。構えを解かずに、次なるスキルを準備する。
「危ない事をするものです」
「──ッ!?」
スキルをキャンセルし、前方へ転がった。直後、先ほどまでミルトの立っていた所に雷で模られた槍が突き刺さる。スキル自体は[雷槍]という、Lv.1ながらミルトも習得しているソレに見えるが、威力が桁外れだ。軽く見積もってLv.70。あるいはそれ以上。そもそも全く別のスキル、という可能性もある。
はっきりわかることは一つ。
この
「……改めて問う。貴様、何者だ」
「主命命令により、貴方達の命魂をいただきに還しに参りました」
今だ敵影も掴めていないが、ミルトはそう言葉を発した。
巡回騎士部隊の部隊長を務めているとはいえ、その程度でしかないのがミルトだ。彼の命を狙う事に何の意味があるというのか。騎士嫌いの冒険者という線も無くはないが、これほどの力を持っているのならミルトでも知っているはずだ。冒険者のデータはすべて国に登録されているのだから。
それが無いという事は、民間人か、外国の間者か、盗賊か──件の通り魔か。
「主命……? 待て、貴方達、だと。部下たちをどうした」
「天上現実へ還しました。それが僕の務めですので」
言葉は通じる。だが、意思の疎通は出来ないと判断する。
主命だの天上だのという言葉を使う、レアスキル保持者。となれば当てはまる称号も絞れるというもの。
「【狂信者】か」
「そう見えてしまうのも、無理はないかもしれません」
パチ、と弾ける音がした。
咄嗟に剣を上空へ向け、防御姿勢を取る事が出来たミルトは褒められて然るべきだろう。その反射神経は多くの騎士たちを纏める部隊長に相応しいものである。
しかし、相手が悪かった。
「──おやすみなさいおはようございます、ミルト・レゲィエン。天上現実で皆さんがお待ちしていますよ」
雷が如き速度で飛来したのは、槍ではなくヒト──黒いローブの人影が、ミルトの横にした剣へと着地する。間違いない。目撃証言のあった黒いローブの人影だ。無疵の殺人者。
「[爆裂剣 Lv.2]!」
故にミルトは自爆技を選ぶ。本来このスキルは粗末な作りの剣や、剣に見立てた何かを用いてそれを投擲、ないしは突き刺した後に爆発させる、予備の得物がある前提での攻撃スキルだ。それ、本腰の愛剣で行う。Lv.2とはいえこの部屋を吹き飛ばす威力は持っている。当然ミルトもただでは済まないだろうが、それでこその騎士である。
──我が身可愛くて民など守れなかろうさ!
「大丈夫、怯えないでください。貴方は死ぬわけではないのだから──」
その覚悟もその意思も本物だった。
だというのに、スキルは不発に終わる。ミルトが恐怖にスキルキャンセルをした、というわけではない。
直前まで、だ。
そのほんの直前まで、ミルトには確固たる意志があり、揺るぎない決意を持っていたのに──今や。
「改めて。貴方の命魂はようやく解放されるのですよ」
今や、物言わぬヒトガタだった。
人型。肉人形。
死んでいた。
スキルが発動しなかったのは、発動する前に彼が死んでしまったから。彼は防御姿勢のまま、自らの剣を握りしめ、裂けた手のひらから血を流しながら、死んでいた。
「……これで、二十人」
黒いローブの人影は言葉を一つ落とすと、その姿を掻き消した。
あとに残されたのは、死体だけ。ミルトも、彼の部下も、問題児たるリギンも、みんな。
巡回騎士部隊の詰め所は、たった一夜で壊滅した。
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街の平和を守る巡回騎士の大半が死んだ、という事実を隠し切る事は流石に無理だった。祝勝祭に盛り上がっていた国へ水を差すような大事件の恐慌は、しかし事態の解決に乗り出した者達によって緩和される。
今まさに祝われていた三英雄と竜騎士たち、その人である。
「無疵の殺人事件。それが
「黒いローブの人影、ねぇ。情報の欠片にもなりゃしねぇ。もちっとなんなかったのかよ、死んじまった巡回の奴ら」
「彼らはしっかりと務めを果たした上での死です。それを揶揄するのは目に余りますよ、セィルド」
白い法衣に身を包んだ女性。筋骨隆々の大男。モノクルをかけた初老の男性。彼らが、彼らこそが三英雄である。此度の竜討伐にて最大戦力とされた【竜殺し】の称号を持つ英雄。他にも様々なレア称号やレアスキルを保持しており、この国における最大戦力である事は紛う方なき事実だろう。
竜騎士部隊の隊長も同席し、此度の事件のあらましを追う。
「へいへい。優等生サマはお優しいこって。んで? 【神聖術マスター】で【聖癒賢者】なお前の目からして、巡回の奴らの死因は断定出来たのかよ」
「いいえ、出来ませんでした。所持しているスキルの全てを用いましたが、何で殺されたのかさえ見当もつきません」
「ふふ、私の方も同じですよ。鑑定系や再現系、降臨術の辺りも探ってみたんですがねぇ、てんでダメと来た。これはレアスキルを超えてユニークスキルの可能性もある。正直お手上げですよ」
「ユニークスキル、ねぇ。もう掘り尽くされたと思っていたんだが、まだあったのか」
大男は自身のステータスウィンドウを開き、取得スキル一覧を眺める。ところどころが歯抜けになっていて参考になるとは思えないが、彼は納得したようにフンと鼻を鳴らし、それを閉じた。同じように彼の正面に座る初老の男性もスキル一覧を眺めているが、打って変わって凄まじい充実率だ。ほとんどの欄にスキル名が書かれていて、そのほとんどスキルレベルが高水準にまとまっている事が窺えた。
大男のウィンドウにはセィルド・アバーン。初老の男性のウィンドウにはレキ、とだけ書かれている。
「体力魂が全損している辺り、吸収系のスキルも考えられますが……」
「あん? そりゃ魔物専用スキルじゃなかったか?」
「黒いローブの人影、というだけです。人間じゃない可能性は十分にあるでしょう」
「あるいは魔族、という可能性もあるね? セィルド君、対魔族の戦闘経験は?」
「総合しても4、5回だな。記憶にある限りじゃ、不人気すぎて対抗戦にも出てこなかったからよ」
「ええ、私もそう記憶していますよ」
竜騎士部隊の隊長は同席しているとはいえ、三人の会話に口を出す事は無い。彼と三人の間には隔絶した差が存在し、彼には到底理解し得ぬ事を三人が話している、というのを理解している。ただ彼は彼でちゃんと対策を考えているし、英雄たちの話を聞き流しているわけでもない。ただ本当に、割って入る意味が無いから、こうして黙しているのだ。
「ゴードンさんはどうお考えですか?」
故に、話を振られても即座に対応可能である。
「は。私は下手人が何故巡回騎士を襲ったのかを考えておりました。彼らには失礼な話となってしまいますが、巡回騎士は戦時における戦力には成らず、国外に出る事も少ないため恨みを買い難い。国内でのトラブルにおいては矢面に立ちがちですが、彼らに恨みを持ち、尚且つ殺し切り得る民間人や冒険者を我々が把握していないとは考え難い。よってこれは、恨みつらみによる犯行ではないのではないかと」
「ほう。続けろ」
「はい。……無疵の殺人事件の犯人を無疵と仮称します。無疵は、騎士団を襲う前に中古の武器を売る老人を襲いました。路地裏という人目に付かない所で、たった一人を殺害したのです。つまりその時点では大事にしたくなかった、という事が窺えます」
「成程成程……しかし昨夜にあたって、突然大立ち回りを始めた。理由は……そうですねぇ、その武器屋の老人を手に掛けた事で
「私もそう考えました。取得したばかりのスキルを初めて使うときは、誰しも不安なもの。取り返しのつかない結果を引き起こす類のスキルであれば、試し打ちをしたくなるものです」
「……あまり、気分のいい話ではありませんね。殺人が……試し打ち、など」
法衣の女性が不快感を露にするが、反して男衆は得心の行った顔をしている。特に大男……セィルドは理解の出来る話だ、と言葉にまでした。
「それで? 結局巡回騎士を狙った理由は何だと考えてんだ」
「はい。それは、
笑みを深めたのは、初老の男性、レキだ。
「戦い得ない民間人でなく騎士を……それも、いくらか戦力の無い巡回騎士を狙ったのは、ただ殺すためであると、そう言いたいのですね?」
「巡回騎士を狙った理由が弱いから、であるのかはわかりません。ですが武器屋の老人以外の民間人から被害者が出ていない事を考えるに、戦い得る者が標的であるのは間違いないのではないでしょうか」
「それでは……冒険者たちが危険、ですね。他、あらゆる騎士たちも」
「おいおい、たった一人に全滅させられる程弱くはねぇだろ、騎士も冒険者も」
「ユニークスキルを使用する小型モンスター。ポップ位置ランダム。Lv.30の【精鋭剣士】に相対し、一撃も貰わずに之を討滅、その場から痕跡も残さずに逃げ果せる強力なステータス」
「クソモンス確定だなぁオイ」
侮るような色を見せたセィルドが、レキの並べた言葉を聞いて顔を顰める。既に伝達の文を書き始めている法衣の女性と竜騎士部隊の隊長、ゴードンを余所に、男衆は少しばかりの盛り上がりを見せていく。
「貴方ならどう対処しますか、セィルド」
「寄って殴る。……と言いてえ所だが、接触がトリガーになるってんなら考えなきゃならねぇな。[投擲]か[風弾]か……[爆裂剣]とかでも良さそうだ」
「私であれば遠距離系のスキルは充実していますから、初手最大火力で地形を歪めてしまおうかと思います」
「お前……それ、街中でやんなよ?」
「ふふふ、ご安心を。それくらいの分別はありますよ、私にも」
そんな折、ふと、法衣の女性が顔を上げた。
「ん? どうしたシュイ。何かあった──」
「[聖結界 Lv.87]」
突如彼ら四人のいる部屋に結界が敷かれる。現存するほぼすべての攻撃を防ぎきるだろうその結界が、何かを防いだ音が響き渡った。
壁に立てかけていた槍を取るゴードンと、アイテムボックスから己の得物を取り出す英雄達。直後、また何かが結界へぶち当たる音が響く。
「レキ、鑑別出来ますか?」
「残念ながら、キミの聖結界に阻まれてしまう。私の[スコープ]はまだLv.80なのですよ」
「まだ、っつぅには十分高ぇんだけどな。それで、この結界はどれくらい保つんだ?」
「あと三度が限界です。威力Sクラス……わかりづらいかとは思いますが、[光の咆哮]のLv.80程度の威力は有しています」
「レキ、[砕拳]に換算すると何LVくらいだ」
「ざっとLv.98……魔法攻撃ならもう少し下がるけれど、これくらいでしょう」
音が響く。今度は結界が撓んだ。
ごく、と唾を飲んだのはゴードンだ。
次の瞬間、聖結界が粉々に砕け散る。
「嘘っ……!?」
「先手必勝! [投擲 Lv.50]!」
見積りを軽く破られた事に動揺を隠せないシュイを横に、セィルドがスキルを使用する。先ほどアイテムボックスから取り出した大剣──とある霊山に住まう大猪が落とす魔剣である。残りまだ90本以上あるその魔剣を、セィルドは景気よく侵入者に投げつけた。
「んで[爆裂剣 Lv.33]!」
「危ない事はやめてほしいですね」
「──」
いた。そこに。
そこにいた。セィルドが剣を投げたその姿勢の、横。シュイとセィルドの中間に、黒ローブが立っていた。
セィルドの言の葉に従い、窓を突き破った魔剣が空中で爆発を起こす。
その轟音と共に──。
「セィルド!?」
彼はがっくりと膝を突き、テーブルへ倒れ伏した。
シュイとレキの目に映るセィルドのHPバーは黒一色。つまり、全損だ。
死んでいるのである。
「ッ! シュイ、飛ばします!」
「それは面倒だからやめてください」
「[緊急転移II Lv.8]!」
「あ」
瞬間、レキとシュイの姿が掻き消える。
消えた。この場から。
「あ……ひ、」
残るは、セィルドの死体と、ゴードンだけ。
災厄の八竜に対峙した時でさえ奮い立っていた心が、今や幼子のそれだ。無理もない。最強だと思っていた英雄の一人が、中でも肉体においては他の英雄さえも凌ぐと思っていたセィルドが、一撃でやられてしまったのだ。不可視の攻撃。見ることも防ぐことも適わないまま、セィルドは死んだ。
その下手人は、ゆっくりとゴードンに近づく。
彼とて隊長。死への覚悟は有している。心に根付いていた精神的支柱がぶち折れようとも、矜持くらいは残っている。。
だから、ぐ、と槍を構えた。
「貴方は……違いますNPCですね。貴方NPCに用は有りませんよ」
「な……く、き、貴様は何者だ! どうして騎士を、英雄を狙う!」
「僕は僕ですよ。そして、騎士や英雄を狙っているわけではありません。天上からの主命政府からの命令を受け、異教徒達プレイヤー方々を天上現実へ還す任務の最中である、というだけです」
「わ、私は貴様と同じ宗教を志した覚えはないぞ、狂信者め!」
「うん? ……あぁ、そう聞こえる変換されるのか……。まぁ、いいです。先も言ったように貴方NPCに用はありませんから。では、これにて失礼いたします。僕は逃げた二人を追わなければいけませんので」
言うが早いか、黒ローブの影が消える。
雲散した威圧感。息が詰まるような……、それこそ八竜の持つオーラにも似て、比べ物にならない程に寒々しいそれから解放され、ゴードンは膝を突く。けれど手に持つ槍を杖代わりにしてヨタヨタと歩き、テーブルに突っ伏すセィルドの首元へ手を伸ばした。
脈は無い。
死んでいる。
「……終わりだ」
これだけの騒ぎがあったのに、この部屋に誰も押しかけてこない。
つまりは、そういうことだろう。もう、この城には──誰も。
ゴードンはもう、項垂れるより他無かった。
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──深淵の森。
かつてにおいてはそう呼称され、今は魔物の森とされている深い深い木々の奥。
そこにある大きな大きな樹の洞の、なんとも洒落に満ちた丸い家。
そのリビングに、二人は現れた。
「……すまない、とは言っておきますよ。君はこういうの……嫌いだろうから」
「わかっているのなら、もう何も言いません。……正しい判断ではあったと思います。セィルドが倒された以上、近接距離において私達に勝ち目は無かった。これ以上の戦力喪失を恐れ、我々が離脱する、というのは何も間違っていません」
「けど、君は救いたかったのでしょう。あのゴードンって奴の事。それに、あの国の民も」
「貴方が悔いているのなら何も言いません、と言いました。……もう、昔の事を覚えている者は数える程しかいないのです。不和は好みません、レキ」
「そう、だね。ああ、そうです。その通りです。……また一人、逝ってしまいました」
「セィルドが次の生で私達の事を覚えている可能性は、ゼロに近いでしょう。今生でさえ虫食い状態の記憶だったようですから」
「悲しい事ですね。ですが、彼らの分まで、私達は憶えていなければならない。覚え続けていなければならない。あのような魔族に、私達の全てを奪われるわけにはいきません」
「はい」
そこは、かつてのギルドハウス。
内部にはスクリーンショットやペイントと行った、
デスゲーム。ログアウト不可になってしまったVRMMORPG。
死の遊戯場と化した"あの時"から千年を経た世界。
それが今だ。
「……みんなに連絡を取りましょう。対策を考えなければ」
「皆、死んでいないといいですけどね」
「笑えませんよ、それ」
無疵の殺人者。否、その殺害人数を考えれば、無疵の殺人鬼──そう呼ぶのが相応しいだろう。
アレなるものが何故騎士や英雄を狙うのか。その理由はまだ、彼らの知る由もない事であった。