銀河英雄伝説異聞~アムリッツァ星域会戦再考~   作:ほうこうおんち

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ヤン・ウェンリーの休日

 統合作戦本部の一室、第13艦隊地上指令室。

 ここにはフィッシャー准将、ムライ准将、パトリチェフ大佐、そしてフレデリカ・グリーンヒル中尉がデスクワークで詰めている。

 特に仕事の無いのに、「薔薇の騎士」連隊長シェーンコップ大佐もソファに座って、幕僚たちが仕事をしているのを眺めていた。

 第2艦隊所属のブラッドジョー大佐、ラオ少佐も居て、コンピュータを操作している。

 

 やにわにシェーンコップ大佐が立ち上がった。

 その途端、自動ドアが開き、大柄な黒人男性が入室する。

 

「これはこれは、元帥閣下ではありませんか。

 ようこそ第13艦隊司令部へ」

 恭しくわざとらしい礼をするシェーンコップと、起立して敬礼する幕僚たち。

 シトレ元帥は意に介していないようだが、彼の後ろにいたキャゼルヌ少将はシェーンコップの方を見て、小声で

(お前さん、なんで此処に居るんだ?)

 と質問文の形式をした批難をした。

 

「いえ、連隊司令部はリンツの奴に任せたんで、俺は暇でしてね」

「そういう問題じゃなくてだな」

「オホン」

 シトレ元帥が咳払いする。

 

「第2艦隊の解体、第13艦隊への吸収・合併、君たちには手間をかけるね」

 シトレが声をかける。

「恐縮です」

 堅苦しくムライ准将が答える。

 

 この部屋の主であるべきヤン・ウェンリー少将は居ない。

「居たって邪魔になるだけだろ」

 とキャゼルヌが毒舌を吐き、シェーンコップが同意する。

「彼は今、休暇で士官学校地区に行っている」

 シトレが話す。

「彼は歴史家志望でね、今回の御褒美で士官学校の戦史科の教官だった者に紹介状を書いたから、授業を聴きに行かせてる」

 

 ヤン・ウェンリーは元々戦史研究科にそこそこの成績で入学したのだが、彼の二年生終了時に戦史科自体が廃止された経緯があった。

 彼は奇跡と呼ばれる戦略研究科への転科をしたのであったが、

「歴史を勉強させると言って学生を募集しておきながら、途中で廃止するなんて詐欺だ」

 と今でもごねている。

 

 イゼルローン要塞攻略任務を達成した彼は今、待機中でやる事が無い。

 正確には「第13艦隊は整備、補給の後に新規兵員を訓練し、臨戦態勢で待機」なので、その司令官に仕事が無い事はないのだが、幸か不幸か第13艦隊の幕僚は事務仕事の達人揃いである。

 ヤンの友人にして先輩であるキャゼルヌが言う通り

「居ても邪魔にしかならない」

 為、どうしても司令官の署名が必要なものは「仮決定」として、そのまま進める。

 どうせ司令官が書類を見て「却下」と言う事も無いのだ。

 ヤンのものぐささよりも、幕僚たちが司令官が絶対拒否するような配属や計画を立てないし、理由が有っての事なら説得すれば済むのである。

 その為、シトレ元帥から

「久々に学生街に行って、果たせなかった戦史研究科の真似事でもして来たらどうだ」

 と言われ、キャゼルヌからも

「そろそろ思いを吹っ切って来い」

 と送り出された。

 

 ヤン・ウェンリーは自由惑星同盟きっての有名人である。

 今や「イゼルローン無血占領の英雄」「奇跡のヤン」「魔術師ヤン」の名を知らない人は少ないだろう。

 そんなヤンがアポ無しで訪問しても、断れる人はまず居ないのだが、彼は士官学校時代の校長シトレ元帥に紹介状をねだった。

 戦史研究科の教官というのは閑職である。

 一方で士官候補生たちから「先生」と呼ばれる顕職でもある。

 このような役職には、退役間近の老軍人が就く事が多い。

 ヤンは、栄達を諦めて毒気が抜けたような老教官が好きだった。

 多くの学生が試験の為にしか受講しない講義を、熱心に聴いていた。

 それだけに、偉そうにいきなり押しかけて話をしよう、なんて無礼をしたくなかった。

 シトレもその意を汲み、今では退役した当時の教官の何人かに連絡を取って、紹介状を渡して訪ねさせた。

 中にはヤンが学生当時、顔を見ただけで授業を受ける前に廃科となり、ついに学べなかった人物もいた。

 

 そんな訳で、ヤンは士官学校を含む多くの学校が集中する学生街に居た。

 軍指定の高級ホテルを手配されたのは、単にVIPだからではない。

 司令官の署名が欲しい時に、電子署名すら面倒臭がって

「今、回線の調子が悪いようだから後にしたい」

 と言って逃げるのを防ぐ為でもあった。

 

 そのホテルを出て、フラフラと学生街を歩くと、ヤンは完全に風景に溶け込んでしまう。

 その風貌や雰囲気から、とても「イゼルローンの英雄」には見えない。

 この学生街で論文も書かず、修了出来ずに留年し続ける大学院生にも見える。

 まじまじと見なければ、誰もそこに宇宙艦隊を指揮する少将、間もなく中将がいると気付かず、道行く学生たちもただ通り過ぎて行く。

 ヤンは古本を購入する。

 別に紙媒体でなくても良いのだが、ヤンは古風な紙の本が好きなのだ。

 そして、そういうものは今では学生街に行かないと、中々探し出せなくなった。

 古書店を出ると、ヤンは学生向けの安い喫茶店で紅茶を飲みながら、買ったばかりの本を読む。

 そうして時間を潰すと、約束の時間に戦史学の元教官の邸宅を訪問する。

 ここ半月ほど、彼はそういう生活をしていた。

 

 

 

「ほお、『史記 黥布列伝』かね。

 先日のアスターテ会戦との共通性を見い出そうとしているのかね?」

 元教官に尋ねられる。

「そんな大した事ではありません。

 ですが、確かにアスターテ会戦と似てるな、とは思って読んでます」

 

 アスターテ会戦は同盟軍の手痛い敗戦であった。

 三方から2万隻の帝国軍艦隊を包囲する4万隻の同盟艦隊。

 しかし帝国艦隊を指揮するローエングラム伯は、中央で守りを固めて萎縮する事なく、包囲完成前に同盟軍で最も少数の第4艦隊を撃破、次いで第6艦隊を撃破、と各個撃破してしまった。

 古代の地球でも同様の戦闘が有った。

 反乱を起こした淮南王黥布を、漢帝国の三部隊が攻撃する。

 しかし黥布は包囲が完成する前に一隊を撃破、そのまま別の一隊の背後に回って攻撃して皇子たちの大軍を敗退させたのだった。

 

「ところで私は、君にこの本をプレゼントしようと思っていてな」

 貴重である紙の、しかも漢字で書かれた本である。

「そんな貴重なものを、受け取れませんよ」

「いいのだ、君に役立てて欲しい。

 家内も倅も埃臭い本を有難がってくれなくてな」

「そうですか。

 心苦しいのですが、いただきます。

 で、この本は何ですか?

 私は残念ながら古代文字は読めないものでして」

 ヤンという姓ながら彼は漢字は全く読めない。

「『三国志 呉志 陸遜伝』だよ」

「『三国志』?

 孫子の再編集をした曹操の時代ですね?」

「……君は微妙な間違いをするね。

 注釈を入れた魏武注孫子を編纂したのだよ。

 当時も今のように、貴重な書物が散逸した時代だったからね」

「ええ、貴重な書を後世に遺してくれた事に頭が下がります。

 で、その曹操じゃなくて、陸遜の伝ですか?」

 老教官はニヤリと笑うと、

「私の勘では、遠からずその伝の有難さを実感すると思うよ」

 そう言った。

 

 

 

 ホテルに戻ると、ヤンの被保護者ユリアン・ミンツ少年が待っていた。

「少将、これ、グリーンヒル中尉からです」

 演説の原稿と思われるデータを渡されたヤンは、何の事か分からなかった。

「ユリアン、これは何だい?」

「士官学校の創立記念日の式典に出席して欲しいと、シトレ元帥から命令があったそうです。

 それで中尉が急いで挨拶の草案を纏めたそうです」

 

 シトレとキャゼルヌがただでヤンに休暇等認める筈が無かった。

 わざわざその日が重なるような日程で士官学校の在る地区に送り出したのだ。

 しかもホテルは軍の顔が利くから、当日送迎車も来る。

 ヤンは完全にハメられたのだった。

 

「相変わらず食えない親父さんだ……。

 あの人が私が喜ぶ事をする時は裏が有ると疑わねばならないのに、忘れていたよ」

 かつての校長に軽く毒を吐く。

 そして、ふと思い立って、先ほど老教官から貰った本の内容を調べてみた。

 

 ヤンは漢字は読めないが、主要な歴史書は翻訳され、データ化されている。

 そのデータの方を読めば、内容はとりあえず分かるのだ。

 

 陸遜とは、三国時代の呉の武将であった。

 彼の生涯は栄光と、最期の悲劇で彩られている。

 彼の歴史の表舞台への登場は、「男子三日会わざれば刮目して見るべし」という格言の主・呂蒙の後任としてであった。

 無名の彼の遜った態度に油断した当代の猛将関羽は、密かに復帰した呂蒙に討たれる。

 その後、関羽の死に怒った蜀漢皇帝劉備による侵攻を受けた呉は、その時もまだ無名であった陸遜を防御指揮官に抜擢。

 陸遜は蜀軍と戦わずに時を待ち、夷陵の戦いにおいて火計により撃退する。

 その後、魏軍の侵攻も石亭の戦いで撃退する。

 逆に魏に侵攻した際は、勝算の無さを察知し、僚友と共に無傷で撤退してのけた。

 

 最期の悲劇とは以下のようなものである。

 呉の皇帝孫権の後継者争いに巻き込まれたのだ。

 武将である陸遜は最前線に駐屯していた。

 しかし、その時の宰相が死亡した事で、陸遜は前線の将でありながら宰相にも任命される。

 遠く離れた任地に居る陸遜は、宰相の任に堪えなかった。

 宰相である以上、事情は分からずとも皇帝の下問には答えなければならない。

 仕方なく「皇太子を後継とすべし」という当たり前の事を答え、敵対する派閥からは恨みを買う。

 遠い任地に居て彼は、讒言や誹謗に対し打つ手が無かった。

 やがて皇帝に疑われるようになった陸遜は、任地にて憤死する。

 呉を支えた柱石としては、余りにも報われない最期であった。

 

 

「なるほどねえ」

「何がですか? 少将」

「うん、今日貰って来た本に書かれた歴史上の人物なんだけどね、自分の役柄でも無い職に任命された事と、首都から遠くに居た事で悲劇に見舞われたんだ。

 私も余り遠くには行かない方が良いと思い知ったよ。

 いや、それ以上に宮仕えはするもんじゃないね。

 シトレ校長に勝手に予定を決められるし、勝手に挨拶をしろと原稿は書かれるし、まったくもって悲劇だよ、そうは思わないかい?」

(そんなレベルの話なのかな?)

 そう思わないでもないユリアンだったが、とりあえずはヤンに同意してみせた。

 

 ヤンが陸遜の生涯から教訓を得るのは、やはりその程度のものでは収まらないのだが、その頃には内容は兎も角誰の逸話かは忘れてしまっていた。

 

 そして忘れやすい、いやそういう事にして面倒事から逃げているヤンは、式典で来賓挨拶を求められた時に

「皆さんは3日もすれば急成長する年代ですから、好きな学問に励んで下さい」

(あくまでも戦略戦術とは言わず、好きな学問、である)

 と全く原稿と違う事を話して終わったのであった。


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