銀河英雄伝説異聞~アムリッツァ星域会戦再考~ 作:ほうこうおんち
「やはり辞めておくべきだった、そう言いたげな顔だな」
シトレ元帥はヤン中将を見てそう語りかける。
ヤン・ウェンリーはイゼルローン要塞攻略後、辞表を提出している。
元々軍人になる気が無かったのに、父親の死によって無一文となり、無料で歴史を学ぶ為に士官学校に入ったヤンは、事あるごとに退役を口にしていた。
士官学校卒業後10年を経ていないヤンは、退役後に年金を得られない為、仕方なく現役を続けていた。
だが少将に昇進したヤンは、満額では無いが年金受給資格も得ていた為、被保護者のユリアン・ミンツと2人で生活するくらいなら問題無いだろうと退役を申し出たのだ。
イゼルローン要塞を同盟の物とした事で、帝国軍は攻め口を失った為、ここを守り続ければ約30年程度同盟領内は平和を享受出来るという計算も有った。
それを却下したのがシトレ元帥である。
その時はシトレも、イゼルローン要塞を得た事で戦争を一段落させられると考えていた。
彼がヤンの退役を認めなかったのは、単に彼の派閥を強化する為にかつての教え子を確保しておきたかっただけである。
シトレにとって政敵はロボス派ではなく、無制限な戦争を煽る国防委員長トリューニヒトの派閥である。
扇動政治家で国民人気の高いトリューニヒト議員に対する有力な駒が、「イゼルローン無血占領の英雄」「魔術師ヤン」ことヤン・ウェンリーであったのだ。
ヤンに休暇を与え、士官学校街で歴史学習をさせたのも、退役を却下した事に対する「飴」と言える。
だが、事態は2人の予測を裏切り、戦争は収束するどころか拡大しようとしている。
「私の考えが甘かったかも知れない。
イゼルローンが手に入ったら戦火は遠のくと信じていたが現実はこれだ……」
シトレが苦い顔で嘆く。
「今となっては君の辞表を却下して良かったと思っているよ」
シトレはフォークの人となりを否定した。
己の才を示すのに言論をもってする、それも他人を否定する方法で。
士官学校校長を務め、人間教育に重きを置いていたシトレは、フォークの論破癖を見てそのように評していたのだった。
フォークは成績優秀者、参謀部という狭い世界で生きて来た者に見られる論破癖を持っている。
議論に勝ちたがり、相手を不快にさせる事が多いのだ。
これこそフォークが言った「一個人への誹謗」と出来ない問題である。
参謀本部という制度を持った地球時代のドイツ帝国に始まり、自由惑星同盟に至るまで、秀才肌でかつ参謀本部から出ない人間に見られる通弊なのだ。
自分たちを高みに置き、外部の人間を軽蔑し、論理を駆使して意見を言わせず黙らせる。
そして狭い世界内でトップを狙うが、その際には揚げ足取りも盛んに行われる。
軍隊でなく民間なら「象牙の塔」と呼ばれる学者の集団、その国の最高学府から財務官僚へと進んだ学閥集団、更にはマスコミの中でも見られる。
自分たちだけが偉く、他は自分たちの議論に交ざる資格も無い。
自分たちの世界で頂点に立つ事が至上の目的となり、他人は隙有らば蹴落とす。
シトレはそういう世界の象徴としてフォークの名を挙げ、彼に限らずこういう連中を掣肘せよとヤンに言った。
(いくら何でも重過ぎる荷物だ)
ヤンはそう思うが、シトレは
「私もこれで色々と苦労もして来たのだ。
自分だけ苦労して他人がのんびり気楽に暮らすのを見るのは、愉快な気分じゃない。
君にも才能相応の苦労をして貰わんと、第一、不公平と言うものだ」
そう言って笑う。
(私は本部長と違い、自発的に買って出た苦労じゃないんだけどなぁ……)
ヤンは内心肩をすくめていた。
会議室を出たヤンを、副官フレデリカ・グリーンヒル大尉が待っていた。
「急用かい、大尉?」
「いいえ、どちらかと言うと私的な事になります」
訝るヤンに、
「父が……、ドワイト・グリーンヒル大将が提督と食事を共にしたいと申しております。
第10艦隊のウランフ提督、チェン参謀長とも同席となります」
そう告げるフレデリカ。
ヤンは「やれやれ」と頭を掻きながら、承知した。
先鋒集団を任された2人の提督が呼ばれた以上、私的と言いながら、半分公務のようなものだろうと予想がついたからだ。
「あ、ユリアン君も招いて欲しいとの事でした。
尉官に過ぎない私共々別の席になるとは思いますが」
「やれやれ、本部長と言い、総参謀長と言い、曲者だね。
私より先にユリアンの予定を押さえたんじゃないのかい?」
皮肉を言ってみたが、年少の被保護者に家事をさせている事を常々気にしていたヤンは、またご馳走させてやれるな、とも思った。
「やあ、待っていたよヤン中将。
また会えたね、ユリアン君。
済まないが今日は、娘と共に別な席で食事を楽しんで欲しい。
分かるよね?」
「はい、お気になさらないで下さい」
ユリアンは賢い少年であり、ヤンとウランフとグリーンヒル大将が居る席に同席すべきではないと理解していた。
食卓にはグリーンヒル宇宙艦隊総参謀長、ウランフ第10艦隊司令官、チェン第10艦隊参謀長、ヤン第13艦隊司令官、ムライ第13艦隊参謀長という高官が座った。
食事が運ばれて来る。
コース料理にはせず、3皿程度で食べ終え、コーヒー4杯と紅茶1杯が運ばれて来たら
「しばらく誰も近づけないで欲しい」
とグリーンヒル大将が給仕に告げた。
「さて本題だ。
これはオフレコで頼む」
「何でしょう」
「本来、こういう密室……では無いですが、こういう密談は好まないのですが」
ヤンもウランフもこそこそ密談するタイプではない。
グリーンヒル大将はそれを分かった上で招待した。
実は第5艦隊のビュコック中将も誘ったのだが、老提督は丁重に断ったと言う。
「今回の遠征計画なのだが、本当の目的は帝国から休戦を勝ち取る事なのだ」
グリーンヒル大将が苦々しく語る。
「何ですと?」
「はあ……なるほど……」
両提督が反応する。
両艦隊の参謀長も驚くが、司令官を差し置いて口を挟まない。
「イゼルローン攻略で我が国の戦意は異常に高揚している。
そのはけ口を作るのと、イゼルローン要塞を確保した上で休戦を勝ち取る為、交渉材料となる戦果を挙げる、それが本当の目的なのだ。
休戦が目的という事なら、私としても反対は出来なかった……」
グリーンヒル大将はロボス派の参謀たちの真の目的は知らない。
現時点で休戦を申し入れた場合、帝国はイゼルローン要塞返還を要求する、イゼルローン要塞が帝国に還れば、休戦破棄は帝国の都合で行える。
だから交渉材料として広大な占領地が有れば、イゼルローン要塞を確保した状態で休戦が可能だし、この場合帝国が休戦破りをしてもイゼルローン要塞で侵攻を食い止める事が出来る。
この論理をシトレ元帥もグリーンヒル大将も是としたのだった。
「これについて、今更だがどう思うかね?」
グリーンヒル大将の問いに
「話になりませんな」
とウランフ中将が即答する。
「イゼルローン攻略だけを見れば、確かに我々は帝国からダウンを奪った。
だが戦争全体で眺めてみれば、我々はアスターテでダウンを奪われている。
同じラウンドでダウン1個ずつなのだ。
決して同盟軍が帝国軍を圧倒している訳ではない。
あくまでもヤン提督が勝っただけで、全体として同盟軍は疲弊した軍である事に変わりは無い。
参謀たちはそんな現実を見ず、戦略戦術という視点でしか見ていないから、あんな絶対勝つ事を前提とした作戦を立てるのだ。
一旦統合作戦本部を出て、一般の兵卒に交じってみれば良い。
どれだけ無理をした軍か見えてくる筈だ」
ウランフの発言に他の3人も肯く。
グリーンヒルは苦い表情を更に渋くする。
その批判は自分にも、更にはシトレ統合作戦本部長にも当てはまるのだ。
「ヤン提督はどう思う?」
ウランフから話を振られたヤンは、更に救いが無い回答をする。
「いくら占領しても、何度勝利しても、帝国は休戦に応じませんよ」
ヤンは、固有名詞を覚える事は苦手だが、歴史学者志望だっただけに過去の戦役に詳しい。
ヤンはナポレオンやヒトラーのロシア侵攻を例に出し、仮に首都を落とされても戦争は終わらないと語った。
「もしも民主国家ならば、民衆の権利と財産を守る為、休戦を呼び掛けられたら応じる選択肢も有ります。
しかしかつてのロシア(ヒトラーの時はソ連だが)同様、専制国家の帝国は、皇帝が戦争を止めると言わない限り戦争をやめないでしょう。
まして首都までの侵攻どころか、1万光年程の領域を持つ帝国からして500光年くらい侵攻された程度なら痛くも痒くもないでしょう、少なくとも皇帝には」
一応作戦計画書には、補給可能な範囲での活動や、貴族領攻略によって意思決定に関わる貴族社会を揺さぶる事が書かれているが、
(そこにブラウンシュヴァイク、リッテンハイム、カストロプ、あと何だったかな、そういう公爵級の名門貴族領が無い以上、何の効果も無いだろう)
と期待出来ない。
ヤンは休戦など期待せず、イゼルローン回廊を守っていれば、今までの帝国相手ならば30年は平和を維持出来ると見ている。
最近はその予測を覆す、イゼルローン回廊を必要としない戦略が頭に浮かび、
(もしも帝国の中にそれに気づく者が居たら……)
と絶望的な想像をしていたが、それは口に出さなかった。
「両提督の意見はよく分かった。
私の判断も甘かったようだ。
残念だが、最高評議会で決定した以上、遠征自体は止められない。
私は早期撤退計画を立て、最低限の損害で終わらせるよう努力してみたいと思う」
グリーンヒル大将主催の意見交換会は、誰も楽しい気分になれないまま散会した。
これと同じ頃、ロボス派の参謀たちは祝宴を打ち上げていた。
最早コーネフ中将、ビロライネン少将の2人だけではない。
同じようにロボス元帥が制服組最高位となれるかどうかに自身の出世が掛かっていた者たちが、この遠征に期待していた。
「既に軍の広報、政府報道部も買収済みだ。
我々は帝国領に踏み込み、敵と一戦して戻ればそれだけで『開闢以来初の帝国領解放と敵地での戦闘』という成果として報道される。
フォーク准将の言い様ではないが、我々は帝国領に侵攻するだけで勝利となるのだ!」
「ですが、民間の報道機関はどうなんですか?」
「ハイネセン中央放送の緊急世論調査によると、帝国領侵攻に対して賛成71%、反対14%、どちらでもないが15%と圧倒的に賛成多数だ。
民間の方もこの調子なら、帝国への勝利を大々的に宣伝してくれるだろう」
情報担当参謀に任じられたビロライネン少将はそう言う。
「ハイネセン中央放送や同盟共同放送協会はそうでしょう。
反政府寄りのバーラト通信社やテルヌーゼンテレビジョン等はどうなります?」
「取るに足らない地方局じゃないか。
それに情報部のブロンズ中将も我々のシンパだよ。
余りに批判的なら利敵行為を理由にどうにでも出来るよ」
こういった感じでロボス派の参謀や軍官僚たちは美酒を味わっていた。
その中に作戦立案者のフォーク准将は居なかった。
彼は今、美酒を味わえる体調でなかった。
胃がキリキリ痛むし、興奮状態が続いて眠れない日もある。
作戦会議を終え、一仕事済んだ彼は、祝宴を断って官舎に戻ってベッドに横たわっていた。
一仕事終わった筈なのに、気が楽にならない。
むしろ、会議で彼に向けられた敵意や白けた視線、老提督の怒声等が頭の中を巡って出て行かない。
(理解されなくて良い、勝ちさえすればいいのだ)
そう呟きながら、今夜も眠れぬ夜を過ごしていたのだった。