銀河英雄伝説異聞~アムリッツァ星域会戦再考~ 作:ほうこうおんち
自由惑星同盟軍先鋒部隊、第10艦隊と第13艦隊の進む先に敵は居なかった。
行けども行けども敵艦隊どころか、警戒部隊、惑星守備隊、更には貴族領の私兵すら現れなかった。
「全く大したものだ、ローエングラム伯は……」
ヤンは溜息を吐く。
ヤンはフォークの作戦の裏を理解している。
帝国軍は誇りを重んじる。
裏を返せば、恥をかかせれば釣り出す事が可能な、合理よりも感情で動く傾向がある軍隊なのだ。
第二次ティアマト会戦において、現帝国軍宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥の父親は、同盟軍アッシュビー提督の為に憤死した伯父の名を出し、
「仇を討った者には恩賞は思いのままに与えよう!」
と部下に言ったという。
こういう軍隊なのだから、これまで神聖不可侵とされた帝国領が侵攻されたら、直ちに迎撃に来るものと考えて良かった。
少なくともこれまでは。
ヤンは、ローエングラム伯の艦隊は、同盟軍の攻勢限界まで出て来ないと見ていたが、一方でプライドだけは高く、戦略を解さない貴族が私兵をもって抵抗する、あるいは門閥貴族でもないローエングラム伯の命令を無視して暴発する警備部隊や駐留部隊は居るだろうと見ていた。
(もし居たなら、いっそ負けてやり、それで戦線を乱して撤退させても良かった。
少数の敵に負けても戦死者を出さないようには出来るし、私の大層な虚名を剥がす絶好の機会だしね。
私が責任を問われたなら、降格でも退役でも喜んで受けたものを)
だが、帝国軍は一切姿を現さない。
クラインゲルト子爵等、逃げるのを潔しとしない地方貴族は確かに居たが、彼等は降伏して戦おうとしなかった。
(まったく、大した統率力だ)
ヤンは敵将への評価を更に高めていく。
ローエングラム伯は、今回初めて戦役全体の指揮を執る。
アスターテ会戦では遠征軍の総司令官ではあったが、どこに侵攻せよという意思決定はもっと上、帝国三長官(軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官)がしていたのだろう。
それ以前は全体の指揮権が無い、艦隊の一司令官に過ぎなかった。
ヤンにしても、同盟軍情報部にしても、情報部が情報を買うフェザーン自治領やフェザーン商人にしても、ローエングラム伯の能力は未知数だった。
だから、侵攻してみて初めて得られた情報が有った。
ローエングラム伯は焦土作戦を平然と実行出来る冷淡さを持っている。
ローエングラム伯は一切の命令違反をさせない統率力を持っている。
門地も無く政治的に強くないと思われたローエングラム伯だが、後方の雑音を無視して自身の作戦を遂行出来る力を持っている。
理解が進むにつれ、絶望的な未来しか見えなくなるヤンであった。
先鋒の第10艦隊は、当初目標のイゼルローン回廊から500光年進んだ宙域に達した。
上下左右を守る艦隊も予定の星系に到着。
艦隊間を結ぶ警備隊も配置についた。
この間、約30の有人恒星系を含む200の恒星系と5000万の民間人を「解放」した。
僅か1ヶ月の事である。
(早過ぎる……)
第10艦隊のウランフ中将はそう思う。
抵抗が全く無い為、余りにも早く深入りしたように思えてならない。
戸惑っているのは遠征軍総司令部もである。
作戦立案者のフォーク准将にしたら、第一段階として想定していたケースはほとんど使われる事無く、最初の目的を達成してしまった為、第二段階の作戦を立案しなければならなくなった。
本来ならどこかで抵抗を受け、どこかの部隊は足が止まり、帝国軍と睨み合いが発生する、そういう状況を踏まえて第二段階の作戦を立てる。
それも時間にして3ヶ月から半年はかかると考えていた。
1ヶ月で目標としていた全恒星系の占領が終わるとは、全くの想定外である。
「次に何をしたら良い?」
という問い合わせに答える為にも、フォークと作戦参謀たちは第二段階の作戦立案を急いだ。
「5000万人の180日分の食料と200種の食用植物種子、40の人造蛋白製造プラント、60の水耕プラントだと?」
後方主任参謀に任じられ、補給の一切を担うキャゼルヌ少将は、宣撫班からの要求を統合した結果出て来た数値に愕然としていた。
「俺は3000万将兵に飯を食わせる計画は立てた。
俺の能力の及ぶ限りの全力でだ。
まさか総軍よりも多い居候を抱えるなんて、思ってもいなかったよ」
彼もまた計画書を書き直す。
この後、この2人は何度も何度も計画書を書き直し続ける事になる。
勤勉ゆえに招いたオーバーワークだが、毒舌という形で発散出来るキャゼルヌに対し、フォークの場合は内に籠った。
イゼルローンの総司令部で、他に忙しく仕事をしているのはグリーンヒル総参謀長である。
フォークの纏めた作戦指示書、キャゼルヌが修正した補給計画書を精査するだけでなく、彼は後方の政治家たちに状況を纏めて報告し、次の指示を仰いでいる。
要は「早く帝国に何らかの交渉を持ち掛けろ、こちらは最初の目標を達成したぞ」と言うものだったが、政治家は彼の悲観的観測より更に低質であった。
「こちらから働きかける事はない」
と言うのだ。
つまり、言い出した側が譲歩するのが政治上の駆け引きであり、有利に交渉するなら帝国側から言って来るのを待つ、という態度である。
ハイネセンに残るシトレ元帥と、イゼルローンから遠隔で依頼するグリーンヒル大将は、ジョアン・レベロ財務委員長、ホアン・ルイ人的資源委員長という「良識派」を通じて、遠征を一区切りさせる政治判断を求める。
彼等は分からないようだが、ジョアン・レベロ議員の場合は逆効果を呼んでいた。
彼もヤン・ウェンリーと同じように物事を悲観的に見る癖がある。
「このままでは遠征軍の為に国が食い潰される」
「軍に対し掣肘をかけるのが政府の仕事であり、何時までも好きに国外に置いておくのはどうかと思う」
「敵は人民を武器に使っている。
我々は彼等に食糧を与え続け、やがて自分の食卓からもパンを失うであろう」
こういう事を聞かせられる相手はうんざりする。
軍に至っては、自分たちの崇高な戦争を、まるで浪費のように言われ、反感を持つ。
やがて
「議員は余りに悲観的過ぎる。
目的達成の為には、多少の国力消費はやむを得ないではないか」
と返されて癇癪を起し
「これが多少か!
貴殿は国庫を食い潰し、何ひとつ行政が動かなくならないと気付かないのか!
ああ、そうか、君のような名士が飢える事は無いものな。
飢えはまず貧民から始まり、王侯貴族が飢えるというのは有り得ない訳だ」
こんな事を言って、かえって相手を怒らせてしまう。
これに対し、ホアン・ルイは柔軟である。
より「政治家」であったと言える。
彼は戦争を望む「扇動政治家」で有りながら、国民人気は高く、今回の遠征計画には反対票を投じたヨブ・トリューニヒト国防委員長に接触する。
「今、広大な占領地を得たままで帝国に休戦を呼び掛ければ、勝ち逃げが出来る。
どうせ休戦なんて長続きしないんだ。
株式投資で言えば、今が売り時で、後は値下がりすると思うね。
どうだい、一回利益確定してから、再戦に備えるっていうのは」
こんな言い方をされたトリューニヒトは
「先生は面白い事を仰る。
確かに一理有りますな」
と笑って答える一方で、
「軍を預かる私が、軍の不利益になる事は出来ない。
軍から正式な依頼が無いと無理だ。
そうでは無いかね、ルイ先生」
と腹の底を見せない。
確かに、軍が頼むなら国防委員長だ。
軍が何も言って来ない以上、国防委員長が進行中の作戦を止めるよう最高評議会に言う事も出来ない。
「……という事で、軍から正式に頼めないかね。
君とトリューニヒトが対立してるのは分かる。
でも、そんな事言ってる場合じゃないんだろ」
シトレに告げるホアン・ルイ。
シトレも分かっているのだが、彼には総参謀長からの報告は届くが、総司令官ロボスからの連絡が一切無いのだ。
それこそ手続き上必要な書類がたった1枚無く、動こうにも動けない状態であった。
「ロボスめ、一体何をしているのだ?」
結論から言うと、ロボス元帥は何もしていなかった。
朝起きて、取り巻きに囲まれ食事をし、総司令部に顔を出すが、昼食後には昼寝をし、17時には勤務を切り上げて退出、また取り巻きに囲まれて夕食を摂って寝る。
グリーンヒルもフォークもキャゼルヌも、総司令部に居て、尚且つ目覚めている時間に報告を上げなければならない。
その僅かな時間、ロボスは副官から首都で起きているゴシップを聞いたり、帝国に関する裏付けの取れない噂話を聞いたりして時間を浪費している。
そんな中で重要な報告を聞くのだが、最近のロボスは都合の良い話ばかり聞きたがり、悲観的な報告には露骨に不快さを隠さなくなった。
高度な判断を要する案件にも、一番楽な決断をする。
そして、「ですが……」を許さない。
癇癪を起こしてしまう。
キャゼルヌから補給計画の変更の報告が上がる。
「そうか、それで良い」
と答える。
キャゼルヌは続けて言う。
「確かに今は良いでしょう。
ですが、この先更に要求が過大になる事が予想されます。
その時は……」
「その時はその時だ。
今は儂が良いと言った事だけをしていれば良い。
貴官は補給について最善を尽くせばそれで良い。
余計な口出しは無用!」
と言葉を遮って怒り出す始末である。
キャゼルヌは人目を憚りはするが、
「あのボケ老人が!」
と毒を吐いて発散する。
似たように、意見は言うなと止められたグリーンヒルは、毒を吐かない代わりに、
(あの方は、本当にボケてしまったのではないか?)
と疑問を持ち始めた。
(昔、と言っても二、三年前はあのような態度では無かった。
もっと聡明で寛大な軍人だった。
でなければ宇宙艦隊司令長官になどなれなかった……)
そして、ふとした疑念が頭をよぎった。
(まさか、この遠征計画は痴呆化が進むロボス元帥に最後の手柄を立てさせる為に立案されたものか?)
だが、フォーク准将の生真面目で融通が利かない性格を知るグリーンヒルは、その考えを捨てる。
コーネフ中将、ビロライネン少将がグリーンヒル大将の疑念を知ったら脂汗を流したであろう。
だが、グリーンヒル大将に気づかれたとか以前に、イゼルローンに来てからのロボス元帥の老醜は加速している。
このままでは、医官に問い合わせて痴呆症について調べる者も出かねない。
彼等は示し合わせて、総司令官に要塞視察や後方基地激励等の用事を入れて、人前に出さないようにした。
他のロボス派副官、参謀、その他軍官僚も一体となって総司令官を人前から遠ざけた。
彼等の保身行動の為、遠征軍の意思決定は遅くなっていく。