Lostbelt No.5+『残滓異聞海域ブルースフィア』 ー青杯の想いー 作:ユーホー腐れ男子
その物語の始まりは終わりからでした。
行き止まりの人類史。続かなかったもの続きもの――異聞帯。
なれば、更にその続きと言えば何なのでしょう。
切除され、終わらされたその続きを更に続かせることができたのだとしたら。
これは蘇生の物語にして、最初から終わっている物語。
燃やされた彼の物語の灰を墨として、続きを無理矢理綴らせた二束三文な紙芝居。
燃え尽きはしなかった。枝は焼け焦げ、幹は二つに裂けようとも
それは彼も此れも同じように――
ギリシャ異聞帯。
それは汎人類史よりも圧倒的に秀でた、神によって統治される至高の楽園。誰もが幸福を享受出来ていた具現化した理想郷。
全ては美しく、麗しく、秀でていた。
これ以上に理想が現実化した世界があっただろうか?
いや、そも他の世界など想像しても見はしないのだから比べようもないが、比べずともこのギリシャに勝るほど素晴らしい世界を誰も想像することはできないだろう。
大神ゼウスとその盟友キリシュタリア・ヴォ―ダイムはその
偉業だ。偉大すぎてただの矮小な僕たちには意味を把握することは叶わない。
風の噂で聴いた程度のことでしかなかったけれども、それをギリシャの一臣民として喜び、誇らしく思っていた。
僕は下界に降りたことはない。追放海アトランティスも見たことはない。オリンピア=ドドーナ以外を直接見たこともない。
ただそれでも――いつか見たオリンピア・ドドーナからの世界は僕の記録にはない最高の景色だったと断言できる。
だから、あのオリュンポスが、アトランティスが、ギリシャ異聞帯が破壊されるのは間違っていたはずだ。遠い下界より、微かにでも感じられた幾億の人間たちの幸せが壊されるべき理由がどこにあっただろうか?
人理保障継続機関カルデア。
ギリシャを、ゼウス様とキリシュタリア様を殺した汎人類史の獣。
ギリシャも含め五つの世界を破壊した悪魔。
どんな奴らなのか、ドドーナにいたというのに僕には知ることがなかった。
それはどれだけ願っても仕方のないこと。
だって、僕はゼウス様にネクタールを捧げるだけの給仕係。
戦士には適さないと神が選ばれたのだから、僕は僕の役目をきちんと果たすことが最優先であった。
だから、僕にはカルデアからこの世界を守る機会さえも……王女様、エウロペ様ですら勇猛にターロスと共に戦っていたとお聞きしたけど、僕は僕でしかなかった。
戦うことを許されなかったことを嘆くのは筋違いだ。
ただ自分の身を、戦士には満たないこの貧相な体を嫌悪した。
僕は結局。
ギリシャが終わるその刹那まで何もできなかった。
ディオスクロイ様でもない僕が、剣を振るわず戦士を指揮することはできないのだから、予定運命に従ったまでだと言えばそうなのかもしれない。ギリシャの運命を左右できるほどこの細腕に力はない。
でも、もし、これはあり得なかった運命だろうけど。
僕ならゼウス様を倒してしまうような奴らにどう立ち向かっていたのだろうか?
剣を取るなんて真似はできなかっただろう、卓について必死に懇願しただろうか。大神の膝下に置かれたという称号を捨ててまでも、罪深くも僕はやれる限りの懇意をカルデアにしましていたはずだな。
けれど、やっぱりそれはあり得ないことで、一臣民のくだらない、出来の悪い空想だった。
奇跡を願ったわけじゃない。空想を抱いただけなんだ。
叶わなくてよかったんだ。
けれど、終わる直前。
空想樹が燃え上がり、アトラス様ごと斬られた時。
燃え上がり今にも死に絶えるアトラスの世界樹、ゼウス様に霊子を抜かれては生きるリソースもないのは分かっていた。
それを見て僕は初めて自分で決断した。
我らが神は失墜してしてしまったのだから、僕はある意味本当の自由を得た。守りたいものを守る自由を。
僕は役割を放棄し、蒼瓶に手をかけて、天高く自分の名を告げた。
宝具、真名解放。
――
流るるは銀河の如く。輝くは星霜の如く。
その時気づいた。僕はそう、神霊という奴だったらしい。記憶にかけられた暗天幕が剥げて、テッサリアの星空のように全てが明滅に輝きを放った。そう、僕が何者でどうしてゼウス様のおそばにおいていただけていたのかも。
最後の最後に気づくとは。何とも不甲斐ない。
僕は給仕係としての自分を捨て、思い出した本当の自分としてこのギリシャを守ろうと確信した。この絶命ギリギリ、終わってしまいそうな物語の最後のページを絶対に開かせてはなるものか、と。
神に臨まれて神霊へと至った僕だからこそ、この時のために生き残っていたのかもしれない。僕はこのギリシャの神話を再興するために、永遠と続く神の国、神の港を守るためにいたのだ。
晩鐘の鳴り響く世界で、僕の宝具から顕現した銀河の如きエーテル=ネクタールは空想樹なる存在と大気中に散らばったゼウス様の残骸を回収した。
クリロノミアのような小さなパーツはともかく、ゼウス様であった巨大な破片はカオス神によって吸い取られてしまい、奪還は叶わなかったのは残念でならない。
リソースとしてのゼウス・クリロノミアと空想樹の遺骸を注がれた僕はそれだけでも霊器の中身が満ちてしまいそうだった。大神の血なぞ注がれたこともなければ、剰え空想の楔を入れられたこともなかったのだ。体はたちまちにヒビ割れが生じていき、自分の内から何かがこぼれ出してしまいそうな恐怖がやってきた。けれども、僕は壊れない。壊れなかったのは僕が器という面で意味を持った神霊であったからだろう。
ただゼウス様の一部、空想樹を持ってしてもこの世界の復活はなせない。固定帯としての役割をなくしてしまっているのだから、滅びてしまう。
デメテル様……アフロディーテ様……彼方のマキアで召されてしまった十二の神々よ、どうぞ……僕の全てを捧げます。だから、ギリシャを、もう一度ここに……!
その時、不快な声がこだました。
「ンンンン、あなたのその内にあるのは――空想樹・マゼランッ! いけませんねぇ、持ち逃げなどとは。拙僧ですら、堅実に手ずから育てているというのに……ですが、まぁ、そのような抜け殻ではどうともできませんでしょうとも。だから、ギリシャは終わったのです」
そこに現れたのは――アルターエゴ・リンボ。
否。術を斬られた本体は逃亡した。それ以上の身代わりももう使えぬ。ならばそれは、アルターエゴという特殊クラスであったがこそできた荒業。霊基を削り、作った分身ならぬ分体。生活続命などではなく、それなるはアルターエゴ・リンボの本体でもある分け御霊であった。
「ギリシャ是にて閉幕。ルチフェロなりしサタンさまが降り立つのには丁度いい異聞帯でありました。妨害もありましたが何、些末な事ゆえ。数刻もせずにカルデアを滅ぼしましょう」
ギリシャは――終わってない。
「――おやぁ? これは大変滑稽なことを申されますなぁ。空想樹の根がなき異聞帯はすぐに剥がれ落ちる。寸暇もなく消え去るのは自明の理でしょう」
それでも、ギリシャは終わってない。
「面白い! あなたが足掻くというのならば、拙僧がお手伝いいたしましょう。ンフッ、ンフフフフフフッ! 是なるは外つ国の黒き呪なりて、あなたを手助けする祝福――急急如律令!」
足元がぐらりと揺れたかと思えば、奈落のように黒い孔へと変わってしまっていた。
「地獄界曼荼羅、もしその準備で興が乗れば、あなたをまたお呼び出しするかもしれませぬ。その日まで、あるいは永劫を、虚数の海でお過ごしください……ンンンンンッ!!」
僕は沈んでいった。
あの異性の使徒に掛けられた謎の呪いによって、不可視の海、虚数空間に落とされた。そこは時間が止まり、実数物体を融解させる別次元。
あぁ……溶け合っていく――あぁ……絶えていく。
ギリシャの滅ぶその瞬間にも立ち会えず、僕は僕としての霊基を溶かしてしまった。
ドロドロに溶け合った一つの神霊として、僕は虚数の中で長く保管されることとなる。