Lostbelt No.5+『残滓異聞海域ブルースフィア』 ー青杯の想いー 作:ユーホー腐れ男子
太平洋異聞残域――ブルースフィア。
異聞帯と呼ぶには決定的に必要な要素が欠けた海底の神域。
異聞帯という名称を使わなかったのはそういう意味では正しかったのかもしれない。ニュアンスは随分と違うが。
ブルースフィアの由縁ともなる青き外殻のその一枚下には世界が広がっている。
ギリシャに似た世界。
しかし、そこは太平洋でもある。大西洋に存在したかもしれない可能性が――アトランティスならば、それが太平洋でもおこりえる可能性が、物語があっても何ら不思議ではない。
その大陸、その真名を――ムー或いは■■■■という。
しかし、此度は外なる神の干渉はない。
いつか見た、誰かが夢見た虚数の夢から目覚めたのだから。
なので■■■■という海底都市の可能性は排斥された。
それは多少なりとも、救いになっただろう。
向日葵の画家は偶然にもこの未来がより荒むことを防いだのだった。
太平洋に存在し、いつの間にやら沈没していた大陸。
そう人々が夢想した可能性の塊こそ異聞残域の要石。
もちろん、ポイント・ネモの人類には到達できないという天然の概念防御も要ではあるが、さしてこの異聞残域にとっては気休めでしかない。どうせ本命は虚数の海から侵入してくるんだ。プラスの防壁の役目なんていうのはルートの絞り込みで十分。このブルースフィア内には既に人理がない。なぜならば、既にここは異聞帯としては選定されていると言って過言ではないからだ。いわば、異聞帯の表面だけを張り付けた固有結界に近しい。
問題は新しきゼウスがこの星に誕生するのを、抑止力はきっと良しとはしない。異聞帯であれば別だが、此度ここは異聞帯の一部の情報を張りぼてながら張り付けただけの世界。まだ中身が伴わないゆえに、人類史の最後の抵抗を食らいやすい。
だが、それは逆手に取りやすいものでもあった。霊脈が管理されているオリュンポス内部ではいくら抑止力がずるい手を以て召喚できても、維持はできない。だからこそ、それを逆手にとってカルデアのサーヴァントのみを許すようにした。
この異聞残域はこの星にとって毒だ。大方星はセファールのときのことでも思い出しているのだろう。
僕の力は戦闘向きではないけれども、あのギャラハッドの盾のようにサーヴァントを召喚するだけの能力はある。杯の神霊なれば、あのカルデアの真似事ぐらい十分に、十全にこなせるとも。
神に再臨していただくには工程と材料が必要だ、そのために奴らを寵愛する神霊の力を持ったサーヴァントを使うのだ。
カルデアは来る。
カルデアと異星の神。
どちらも警戒することに越したことはない――
山頂の神殿――オリンピア=ドドーナ。
大きく開けた中央議会。そこには三体のサーヴァント。
黒のアベンジャー、青のライダー、そして――英霊イアソン。
イアソンに関しては正常な状態ではない。その前身は紫色のヒビが幾つも雷のように刻まれており、加えてその全身を霊薬ネクタールが覆っている。彼はわざわざカルデアから強制逆霊子召喚されたサーヴァントの一体だった。
「我らの敵はカルデアだ。だが、その排除は今や通過点でしかない。カルデアしか汎人類史の様々な神々の縁を持つのはカルデア以外にはおらん。我らが行う儀式に必要不可欠なのは奴らで、我らが真に敵対するのは異星の神なのだ」
アベンジャーは他所から取り寄せたアジア風の絨毯の上で、胡坐をかきながら幼い姿の青のライダーに忠告する。
逆に青のライダーは主神ゼウスのいた席の隣に立っていた。
座ればいい、とアベンジャーが言ったこともあったが、どうしてもその場所から離れがたいのだとか。
アベンジャーからしてみれば、一切理解できない行為であったが、それもまた子供故かと適当に流していた。
「了解していることだ。僕もその儀式を完成させるために呼ばれた一騎にすぎないのだから。カルデアは憎いが、それ以上に異星の神などと獣の霊基を持って、世界を超越しようとするアレの方が気にくわない。ゼウス神の猿真似でしかないではないか……」
青のライダーはそう言って、主神の席を悲しげに見つめる。
彼が見つめるのはそこに居たはずの主神。ゼウス。
遠い昔のことのように、青い瞳に映るその幻想は風化しつつ、滞留し続けているのだ。
神霊たるアベンジャーとしてみれば、なんとも哀れなことか、と黙しながら言わざる終えなかった。
「汝らが主神ゼウス――この度の戦いで、我も決めねばならぬことができそうだ。いずれ、ギリシャより昇陽する世界の中に組み入れてもらうか、或いはこのまま朽ちるべきか」
入れ替わり立ち替わり。
この自分はきっとこの場で朽ちるだろう。
さて、それでいい。
平安京で喫した敗北。撃ち込まれる刹那の前に、膨張したハイ・サーヴァント霊器の一部を使って、いつぞやの魔人柱の如く逃げ出したこの身。
虚数の海で奴と再邂逅し、再鋳造されたこの身ではどれだけ青杯からの魔力供給があろうともいずれひび割れた器のように破裂するだろう。だが、その前に奴らを焼き尽くし滅ぼさなくては気が済まない。新たな霊基を拝領し、最早自身の神話体系を捨て去って、新たなギリシャの黄金時代の一柱になろうか。
「……そう、君が計画通りに動くのなら、君は儀式の生贄になるかもしれないだろう。だから、アヴェンジャー。確認だけど、君は神として返り咲ければいいのかい?」
「神としての復権が我が願いよ。そのために元来の威信を捨てて、新たなる神として人々に救いを与えるのもいいだろう。悪神、冥界神としての地位なぞ、最早灰となったのだから。――青杯との契約は済ませている。この我は必ず死ぬ、その後のことはその後の我に任せる」
「そう。僕は君の事情をよく知らないけど、仇なさないのならそれで良いよ。好きにして。僕もカルデアを抹殺することには賛成だしね……でも、本当に成功するの?
「ことさえうまく運べばな。カルデアから呼んだサーヴァントはほぼほぼ我が術とお前の霊基干渉でこちらの世界に馴染ませた。一騎だけその術を掻い潜った者がいるのは懸念すべきかもしれんが、概ね順調。後は儀式を遂行させろ」
「うん……イアソンの完成を急ぐよ」
振り返り、件のイアソンの苦悶に満ちた顔を見つめる青のライダー。
純粋にして残酷。ギリシャの神の典型のように我が思うままに人の処遇を決める。いくらイアソンが様々な神の寵愛に恵まれたからといえども、ここでは青のライダーの思うがままだった。
神とはそういうものである。特に青のライダーの無垢なる少年性の中に内包された性格からしてこのような凄惨がなされるのは必至のことであっただろう。
「ヒハハハッ! お前は本当に趣味が悪いぞ?」
アベンジャーは笑う。
イアソン、しかしてライダーのサーヴァントと呼ぶにはあまりにもアベンジャーの前身であるリンボのようなツギハギな霊器だったのだ。
彼の者の霊器の中身は混沌。
おぞましい蠱毒の坩堝である。
「臨時とはいえ、僕はギリシャの代表なんだ。ギリシャのサーヴァントを使うべきなのは当たり前だろう?」
「とはいえ、とはいえだぞ? まさか、一つの霊基に数体の英霊を押し込むとは、聖杯ありきのむごたらしい所業よなぁ」
「異聞帯の願いは人類史から排斥されないこと、僕の願いは神話時代の復権。異なるギリシャを思うが、僕は神代ギリシャの復権を望む。それゆえに僕はこの身を大罪に賭すのだ。ならば、どんなルール違反を犯してでも勝つとも。一度罪過に呑まれしからには……」
末恐ろしい覚悟とでもいうのだろうか。アヴェンジャーからしてみれば戦う能がないと宣うこのライダーも十分に戦士に足りえる。どころか、英霊としての側面を強く押されたこのサーヴァントには神霊としての精神があまりない。ゆえにそこに高潔さはなく、戦士ではないはずなのに護国の戦士よりも惨たらしい所業を成す。
遥か昔に天に抱え込まれ、自らの役割を得てなお、天の切先となれなかったことを悔いるせいか。
悔みとはかくも生前の自分とはかけ離れたものにしてしまう。と、アヴェンジャーは自分の言えた義理ではないなと感じながら思った。彼らはベクトルや性格は違えど悔恨を根に持つところが、あり方として似ていたのだ。
「子供らしい狂気と愚かさ、お前は我を飽きさせんな。霊基を好きなように歪められるサーヴァントの中でもそれに特化したお前だからこそ許される所業、存分にその権能と凶暴を振るうといい」
ニタニタと笑ってあぐらの姿勢をさらに崩して、絨毯の上に寝転がるアベンジャー。その視線だけはずっと青のライダーと囚われたイアソンの方に向け続け、早く壊れるところを見たがっていた。
あれはギリシャの切り札だ。
ヘラクレス、アキレウス、ペルセウス。
英雄すら凌ぐ大英雄。その凄まじさは時に神すら恐怖させ、凌駕した。
だが、それは純正たる英雄譚であればそうだ。
生前であっても彼らの強さを凌げるサーヴァントは少なかっただろう。
だが、法外な手を使えばその限りではない。
市井の民に聖剣を使えば、兵隊に宝具を使えば、英雄に神造兵器を使えば――つまり、過剰な強さをぶつければ塵一つすらなく殺せることもあるだろう。(アトランティスで示された例があるので確実とは言えないが)
だが、正にイアソンはここでいう過剰な強さを持つ兵器に換装させられつつあった。
ゆっくりと、戦艦を建造するようにゆっくりと。
「イアソン……僕の時代より少し未来の人よ、あなたに剣は似つかわしくない。乗るべき船にその身を任せ、多くの英霊とともにあなたは海の大波を退け、馳せた。幾多の困難を、仲間と神々の力を受けた伝説を今ここに示すがいい。ギリシャの海の上、霊基を戴冠し、我らがギリシャに勝利を齎せ! ――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に!」
エーテル=ネクタールの中のイアソン。
奪われようとする真名をイアソンとする英霊は彼の呼び声に応えて、目を見開いた。
だが、何もかも遅かったのだ。
注がれてしまったからにはもう、満たされるほかあるまい。
そして、すぐに彼を見ては怒りと絶望と恐怖が混ぜ込まれた顔をして、必死に液中で慟哭する。
「ご……ろぜ……も、ごろぜッ! ……グァァァアッ!!」
全身の紫のひび割れがより光だし、イアソンは変生していく。
セイバーのクラス霊器などは粉々に砕かれ、霊体となる。
霊核だけが霧散せずにその液中に残り、新たな霊器を再構築させていく。
「死にはしない、殺されはしない。あなたの霊基は無限に壊れながら、治っている。その苦痛がどんなものかなど想像はしたくないけど……早く狂ってしまいなさい、イアソン。いえ、複合神霊■■■■■■」
粉々になった体がつなぎ合わされていき、元の姿からまた別の霊器になった姿が少しずつ現界する。
全身を造り替えられ、縫い合わされるその想像を絶する霊器凌辱はインド異聞帯でのアシュヴァッターマンの受けたそれを超えるだろう。
恐怖。絶望。苦痛。恥辱。快楽。苦悶。堕落。忘我。蒙昧。憤怒。狂気。
イアソンは変わる。
理性など、思い残すことも消し潰された。
カルデアのイアソンは消えた。
そこにいるのはテセウスの船如く全てを入れ替えられたイアソンを引き継いだだけの何者か。
ライダー。
エーテルの水槽を爆発させ、その濡れた五体を地に伏せる。
そして、生まれたての赤子のように、その身に宿る絶望を咆哮した。
「あぁ……ァァァァアアーーーー!!」