Lostbelt No.5+『残滓異聞海域ブルースフィア』 ー青杯の想いー 作:ユーホー腐れ男子
我は憎悪となったのだ。
我は炎となったのだ。
『我ら』は人に寄り添った。
『我』は人の悪を教えた。
光を与え、闇を与え、黒も白も火の下に平等であることを告げた。
極寒の中でどれほど世界が白黒に移ろうとも己が火を絶やさぬように黒き神ながら施した。
神からの祝福。
神からの呪詛。
そして、いつしか人々が焼いたのは我らだった。
火にくべられていったのは我らの神話だった。
我は――その存在を宝石が割れるように欠落させられた。
キラキラと輝くこともなく、静かに灰の下に埋められる。
あぁ、なんて絶望的なのだろうか――
だからこそ、我には報復する権利があるのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ドロドロと煮えたぎる。
重力に沿って落下していく泥は火を巻き上げている。
ケイオスタイドは砕かれた黒神の霊基が回復するのを手伝っていた。
例えるならそれは膨大な血液が損傷した人体を内外問わず循環しているようで、量にモノを言わせた荒療治だ。
『なんて馬鹿げた霊器修復……! いや、そもそもイシュタルの宝具が直撃して消滅していない方がおかしいんだけど、流石神霊サーヴァントっていうべきなのかな!』
「誉めてる場合じゃないのだけれど!」
黒神は滅びず。
なお憎悪を逆巻かせる。
上空から見下ろすその行為すらもためらわれるほど彼は絶対的に殺意を孕んだ視線を飛ばしていた。
零落したる神霊とは言え、その視線は邪視のようなもので礼装とマシュの盾による加護が無ければ、呪いのように藤丸の身を蝕んだろう。
『藤丸くん。その場で英霊召喚はできるかい? 霊脈によるサポートはないけど、ストーム・ボーダーの魔力的に一騎分の召喚余裕はある!』
「じゃあ、その魔力を私に渡すことね。この私の宝具に砕けきれぬ者がいたなんていうのは女神の恥よ。もう一度、完全に復活する前に私がぶっ潰す!」
イシュタルの眼は黄金色に輝く。
ストーム・ボーダーの甲板からマアンナとともにすっと浮き上がり、再度短剣を天に向ける。
ギリシャの宇宙に金星の意が示されようとする。
絞り取られるような魔力の徴収感覚が藤丸を襲うが、それでも彼は冷や汗もかかずにしっかりと女神に信頼を託す。
『い、イシュタル!?』
「ここはイシュタルに任せよう。ストーム・ボーダーから俺に、俺からイシュタルに魔力を流すよ!」
再度金星は開かれる。
待ってましたとばかりに短剣は天を裂き、金星がその尊顔を覗かせる。
威光と神威を帯びた黄金の裂け目を見るや否や、チェルノボーグは五割修復で来たところで、獣が駆け回るようなスピードで天へと上りだした。
武人ではないのに素早い判断だ、復讐心という熱に浮かされているのに、その思考は常に冴え渡っている。片腕はまだ動かせないが足と胸の噴出口は未だ健在、これならば空中移動に事欠かない。
攻撃力より今はスピード勝負だ。
金星は黒をうち滅ぼせなかった。
しかし、これほどに我を焼き尽くした報いは受けてもらおう。
翻るは黒き神の燃ゆる逆巻髪。
大いなる冥府より大いなる天へ。
チェルノボーグは、もう一度受ける前に決着をつけるつもりだった。
黒き岩が炎を纏って宇宙を駆け上がるその姿は花火が打ちあがるが如くだった。
「――
だが、二柱の決戦の間に入り込む者がいた。
その真名解放を聞きて、誰も彼もが遥かなる
「チィッ! ライダーめ、水を差しおって」
チェルノボーグは恨めしそうに遠雷の彼方を睨みつける。
流星を纏った神代の船がそこに煌々と輝いていた。
遥かなる航路の果てから、星の海を漕いで現れたのは紛れもない――
「アルゴー船……」
藤丸は何度も見覚えのあるその船の名を、愕然としながら零した。
なぜならその船があまりに生き生きと躍動していたから。
オケアノスのときも、アトランティスのときも、船の旅路と言うのは心のどこかに躍動を齎すものだった。
磯波を超え、カモメの鳴き声と星のコンパスに従い、船長の命を聞く。
船に乗るもの全てが一体となって動く。それが船を駆るということだった。
藤丸の眼に映るアルゴーはそういう船上の躍動を体現していた。
本当に生きている。
神々しい生命体のようだった。
誰もが困惑していたが、その大船は見計らったかのようにストーム・ボーダーに遥かなる大霊峰――オリュンポスの頂上から迫ってくる。
イシュタルは気づいていた。
アルゴー船が纏っている七色の星のような光は魔力の副産物ではない。
かの船に纏わりついた流星はただの光ではなく、それぞれが英霊一騎分の魔力そのものだった。
「あれは、まずいわね……しょうがないわ! 私の許可なく空を航行した船、エレシュキガルだったら既に七度ほどキガルの刑罰を与えているでしょうね!」
即座に構えた
女神の本能があの天上を引き裂く煌々の船を狙えと警鐘を発した。
あの船は――神霊級、あれもまた神霊そのものなのだわ。
けれど、この構造はあまりに歪すぎるでしょう。
いろんなものがつぎはぎされてできたデミ・ゴッド。
或いは神を冒涜したような何かおぞましきもの。
強がりなセリフとは裏腹に、イシュタルは畏怖した。
神霊として、サーヴァントとして、あのアルゴーの在り方を許容できなかったのだ。
あの船がただの神霊、ノアの箱舟のようなものだというのなら良かったのに。
感じる気配はそれだけじゃない。
サーヴァント五十騎に相当する気配がある。
――それも全員が一等級、間違いなく距離を詰められれば最悪な事態は免れないわ!
そうだと知れたのなら、イシュタルに迷いはなかった。
金星の女神は明星を導として、かの神霊戦艦に狙いを定める。
だが、それは同時に黒き神に背中を見せることになった。
「
明け透けな背中に爆炎の拳が迫る。
「女神ィィイイ!!!」
放たれた極大の流星一射は空を裂き、かの船の衝角にぶつかった。
轟音を立て焼けつくような爆風と煙を巻き起こし、真正面からの命中を確認する。
しかし、既にイシュタルの背には黒き神の一撃が入ってしまっていた。
猛き炎は狂い、金星を夜空から撃ち落とした。
「アァ、アッ――!」
痛切な悲鳴。
気丈な女神の肉体は輝きを失いながら虚空の底へと落ちていく。
今度は彼女が見上げるのだ。
自らが守ったあの船、逆光に包まれるカルデアの灯を。
――だが!
――――金星は果てず!
いったぁ……でも、神霊崩れのあの黒神が短慮にこうしてくることくらい予想はついていたわ。
「ふぅ……ッ! イシュタルの権能、輝ける大王冠の底力を見るがいい!」
墜落していた女神は一度深く息を吐くと、すぐさま流星のように翻り、天に向かって弓船を駆る。
マアンナは肉薄したチェルノボーグを半月状の弧を描きながら撃ち落とす。
ひとまず神霊船は相手に出来る規模じゃない。いくら強い戦士だろうと、余りに質量がでかすぎる戦艦が倒せないように、アレは今のイシュタルの宝具でも倒しきることはできないだろうと踏んだのだ。
背部の一撃は中々に女神の神格を揺るがしたが、そこは対魔力Aを保有する彼女。
ただの一撃では死にはしなかった。
今は先にこっちを倒すのを優先するほかなさそうね。
輝く二等辺三角のラピスラズリに魔力を込めて、矢じりとし優雅に宙を舞って距離を取る。
アーチャークラス得意の遠距離戦で有利をとるつもりだった。
だが、そのアイディアがイシュタルにあるのならば彼女は真っ先に気づくべきだった。
いくらまだ距離のある神霊船だとしても、それが従える数十のサーヴァントの中に彼女と同じアーチャーがいることを。
山脈から下る船の先頭で、弓を引き絞る獣耳の生えた灰色の神の女が凛然と呟いた。
「メソポタミアの金星の女神。アフロディーテ神に連なる神。ふっ、中々に素晴らしいものを見せてくれる。だが、
ストームボーダーの内部ではまたもあり得ないことが観測されていた。
イシュタルの宝具が直撃したはずの謎の船の反応が消滅していないこと。それはまだ想定内だが、恐ろしいのはその無敵さだった。
減衰もせず、軽減でもなく、ただ何のダメージもなく今に姿を現す。
嵐の中から船首像が現れる。一つの欠けも、罅もなく。
夢の終わりに崩れ去ったはずの船は冥府の河より復活する。
甲板の藤丸は今にも飛び降りそうなほど体を晒して、落下していくイシュタルに令呪を向ける。
しかし、その背中を狙う魔猪の如き弓が彼の神霊船より構えられていた。
「まずい! イシュタルが!」
「先輩!」
藤丸の首を狙って矢が飛来する。
ヒュンッ!
マシュが素早く盾を展開したおかげでコンマ一秒のジャストタイミング。
飛来した黒曜石のように黒く輝く矢をラウンドシールドで弾いた。
一射にして同時に三つの矢が降り注ぎ、餓えた猪の牙のような矢が弾かれ、甲板に散る。
遥か彼方からもう二射飛来するがその一切をマシュは盾で弾き飛ばす。
憎悪の籠った一撃は不浄を退ける盾には通用しない。
盾に守られた藤丸には甲板から転げ落ちていくその呪詛の籠った獣の矢に覚えがあった。
それはあの弱者を許さぬ極寒の大地で、ヤガの反乱軍を率いた狂戦士の矢。
「まさか……」
一方管制室は船を見やり、解析する。
そして、マシュのラウンドシールドに当たった矢の魔力には該当する英霊がいた。
奇しくもそれは藤丸とマシュが予期した英霊に違いなかったのだ。
「……アタランテさん」
彼女はアルゴー船の船首に仁王立ち、かつて自分が弓兵だったことを忘却させない神の弓を携える。
もはや自分に弓兵の感覚はなく、獣の本能だけしかないはずなのに、この身はアルゴー船に乗りて弓で魔獣を狙い撃った日々を思い出させる。
思い出に、伝説に、神話に消えたこの一射を、もう一度復活のために彼女はエメラルドの瞳を見開く。
「まぁ、そうやすやすと首魁は上げさせてくれぬよな」
その言葉は重く、平然たる水面のよう。
しかし、氷点下のような冷酷さで射殺さんとする。
弓にそっと指をかけ見果てぬ宇宙を視野に入れる。
もはやその目からは何人も逃れられぬだろう。
「では、……女神からいただくとしようッ!」
右手のうちに魔力がひしゃげるように凝縮し、一本の魔物のような矢へと変わる。禍々しいそれを神聖な弓に番えて本能のままに狙う。
狙いは良好。
華麗に飛翔する金の小鳥を、1000m離れた上空から狙いを引き絞る。
古代ギリシャにおいてアポロンにも、アルテミスにも届いた訴状の矢が、金星に届かぬわけもなし。
呪え。狂え。
我らの船の征く先に、あらゆる天は遮らず!
「
船上から放たれた極大の一射は一塊に撃ち落とされる。
番えられた矢は音を置き去りにして飛んでいき、猪突猛進の風を巻き上げた。
滑り落ちる滝のような矢の雨は途中で呪いの華を咲かせ、一斉にクラスター爆弾のように散り散りに空を埋め尽くす。もう逃げ場は与えはせんと矢は憎悪とともに宣言する。
ギリシャ宇宙を覆う黒き呪いの矢の雨。
女神アルテミスから授かったその弓は引き絞れば、引き絞るほどに威力を増し、月にすら届く。
そんな超遠距離・超広範囲の宝具は、回避しようとするストーム・ボーダーの横を素通りし、全てがイシュタルへと立ち向かう。
「な、何よこれ……!?」
見上げる空に遍く落下星。
黒神を相手取りながら千から万への矢を躱すなど女神だって音を上げる。
魔力放出をし、宝石弾を弾幕状に張っても矢がいくつか落ちるだけで機能しない。
ならば自らの機動性を生かして回避を試みようとするが、全ての矢が追尾し、逃げ切ることを許さない。
「何をやっている金星の女神、お前の相手はこの我だッ!」
煮えたぎる炎の乱舞も彼女を逃がさず捉えようとする。まさに前門の虎、後門の狼。
だ、大丈夫よイシュタル。
私には女神の神核がある。神性を帯びていないあらゆる俗物の攻撃はこの霊器に何も能うることはない。
まずは眼前のコイツを処理し、矢はマアンナで蹴散らしてやれば――
それは誤算だ。
彼女にとってギリシャ世界は遠い異郷の話でしかなく、アタランテの伝説も聞き及ぶことがなかったせいだろう。彼女は矢に籠る魔性だけを見てしまった。
だが、神の弓はアルテミスの神性を帯びている。
ゆえに女神の神核を持っていたとしても、当たれば霊器を削り――
「――ガハッ、霊核に矢、がッ!?」
――霊核を撃ち砕く。
呪詛の矢が一本、胸部に刺さり、アーチャーの機動性を失ったところで追撃の矢が、足に、腕に、下腹部に、容赦なく女神を撃ち抜く。
狼の群れが偉大な獅子を狩るようなジャイアントキリング。
貪り食われた栄光の輝きは見るも無残な姿を晒した。
黄金の光は禍々しき矢の雨とともにゆっくりと落下していく。
マアンナは魔力を失い、ギリシャ宇宙の藻屑となる。
輝きは消え、復讐の炎が自らを見下すことに苛立ちを覚えても、その体は水に沈むように動かない。
「その身ではもう舞えはしないだろう。お前を焼き焦がすのは我のつもりだったのだが、ライダーめッ……せめても情けだ。静かに落ちていくがいい。夜明けに白む星の如く、な」
遠ざかっていく。
どこまでもどこまでも、手を離れて。
随分と、お早い退場になってしまったわ……
私はメソポタミアの女神なのに、こんなに早く墜落してしまうなんて弱いみたいじゃない……
続かないはずの空白の歴史。
カルデアによってそのIFもピリオドが打たれた。
なのに継続しているこの場所は果たして異聞帯とも、人類史とも呼べるのかしら。
人の根付かぬ大地でギリシャの神は何を夢見るの。
あなたたちはこの宇宙を飛んで、海を漕いで、どこへと羽ばたいているの。
そんな疑問を発することも、答えることも誰もしない。
ただ一度、彼に向かって手を翳す。
神が助けを求めるような倒錯を起こしたわけではない。
それはかの女神の最後の抵抗。
一射、ラピスラズリが青い一筋の涙となってストーム・ボーダーへと届く。
「気をつけて、藤丸――ここの神々は何か、おかしいのよ――」
黄金の光となって。
砂漠の砂が嵐に巻き上がるように。
彼女は金星の意を示し、消えていった。
「イシュタル!」
「イシュタルさん!」
一滴の黄金の雫。
青き聖杯に下る。
満たせ。
満たせ。
満たせ。
満たせ。
満たせ。
久々の更新となりました。
お待たせしました。
この小説を完結させるのが先か、FGOが終わるのが先かという岐路に絶たされつつありますが、なんとか完結させたいとは思っています。