それはいつも通りのことだった。時間遡行軍の動きを阻止する為、こんのすけが指定する戦場に刀剣男士を送り出す。審神者として、当たり前のこと。
だが、今日はいつもと違っていた。何故なら――。
バタバタと、慌ただしい足音が本丸に響いていた。いつもと違う緊迫感のある声も聞こえて来る。
聞こえて来る音と声に、こんのすけが会話を中断させて耳をぴくぴく動かす。そして、私もまた、一体何事だろうと顔をあげる。
「……先程の声は、出撃した者の声ですね」
「え? だって任務が終わるにはまだ早いよ」
出撃させた部隊が帰還するには早すぎる。それに何より、いつもの帰還と様子が違う。そう思っている間に、こんのすけは部屋を飛び出していた。
その姿を追いかけて廊下に出ると、そこには先程出撃したばかりの部隊の面々が揃っていた。
だが、その中の一人――部隊長だった陸奥守吉行は、燭台切光忠と蜻蛉切に抱えられ血まみれになっていた。
「……え」
二人に抱えられた陸奥守はぐったりしたまま動かない。その姿を見つめて呆然とし、ただ息を呑む。
「主、ごめん! 急いで陸奥守君を手入れ部屋に……」
「吉行くん……なんで……」
血まみれの陸奥守を見つめていると、自分の目の前が真っ赤になるような気がした。だって、こんなことは初めてだった。今まで誰も、こんな風に帰って来たことはなかった。だから、目の前の出来事が信じられなかった。
「主様! しっかりしてください、主様!」
「みんな、いつも……」
手足が震えていた。立っていることすら辛いような気がした。頭の中がぐるぐる回転して、自分が何をしていたのか、何をしようとしていたのかすらわからなくなる。
みんないつも笑顔で出撃し、そして笑顔で帰還する。出撃するというのはそういうものだと思っていた。
それはなんでもない簡単なことで、みんな難なくやっているのだと思っていた。多少の怪我はあるけれど、出掛ければそういうことはもあるだろうと。
「主殿、どうしたのです。主殿!」
「だ……だって……」
だが、事実は全く違っていた。審神者である自分が送り出す刀剣男士達は、命をかけて戦って来ていた。
何もわかっていなかった。何も気付こうとしていなかった。彼等は、ただ出掛けていただけではない。闘って来ていた。
「蜻蛉切君、こっちは任せて。主のことは頼んだよ」
「心得た」
「陸奥守君、もう少し頑張って」
「なんちゃあ……ない……」
「ああ、わかった。じゃあ、行くよ」
最初にこんのすけと出会った時、最初の刀を選んだ時、全て教えられていたはずなのに……当たり前のことに気付いていなかった。いや、目を反らしていたのかもしれない。
「……主殿!!」
「主様ー!!」
その自分の愚かさに気付いた時、蜻蛉切とこんのすけが自分を呼ぶ声がとても遠くから聞こえた気がした。
気持ちのいい風が頬に当たっている。ぼんやり目を開けると本丸の畳の上で横になっていた。開いたふすまの向こう側に大きな庭が見えている。遠くから刀剣男士達が稽古する声や、楽し気に話す声が聞こえている。そこにあるのは、いつもと同じ、何も変わらない本丸の光景だった。
だけど、その光景を見つめる目は何故だかしょぼしょぼしていて、ハッキリ開けられない。
「…………」
もしかして泣きながら眠っていたんだろうか。ぼんやりそう思いながら目を閉じると……血まみれになっていた陸奥守の姿が浮かんだ。あんな姿になった彼を見たのは初めてだ。
あれは夢ではなかった。出撃した部隊が、時間遡行軍にやられ、撤退して来た。彼は隊長だったから、誰よりも出撃経験が多かったから、きっと他の仲間を守ってああなったのだろう。
思えば最初の頃から、陸奥守は出撃後に怪我をして帰って来ることが多かった。誰よりも出撃回数が多くて、いつだって前線に立って戦っていたから当然のことだ。けれど、帰って来る陸奥守は、怪我などなんともないように振舞っていた。
考えるとまた泣きそうになってしまったけれど、無理やり目元を拭ってゆっくり起き上がる。
「もう、大丈夫なのですか?」
起き上がった私に声をかけたのは、蜻蛉切だった。彼は真っ直ぐに背中をのばし、綺麗に正座をしながらこちらを見つめていた。もしかして、ずっと側に居てくれたのかもしれない。
一瞬だけ視線を向けて、すぐに目をそらしてうなずく。
「……うん」
そんな私を、蜻蛉切が安心したように見つめている気がする。
いつもなら、私は蜻蛉切の瞳をじっと見つめて話をする。彼はいつだって優しい。穏やかに私の話を聞き、そしてゆっくりうなずき、穏やかに答えてくれる。
そんな時間が好きだったはずなのに、今は視線すら向けられず、彼の表情もはっきりわからない。
「陸奥守吉行は今、手入れ中です」
「……うん」
「あと、数時間もすれば全快するかと」
「……うん」
ただ、うなずくだけしかできない私を、蜻蛉切がじっと見つめているのはわかっていた。だけどやっぱり、視線を向けられない。
それに、蜻蛉切の視線は何もかもを見透かしているような気がして、いつものようにその瞳を見つめるのが怖かった。
「何も気に病むことではありません。我々が顕現したのは、戦う為なのです」
「…………」
私が答えないからか、蜻蛉切も何も言わない。その沈黙が怖かった。胸が痛くなった。何かを伝えなければと、そう思うのに何も言葉が出せなかった。
自分の愚かさが、未熟さが、無知さが、力のなさが、何もかもが嫌だった。彼等がこの世界に居る意味から目をそらして来たくせに、勝手に自分自身を嫌になって胸を痛めるなんて自分勝手もいいところだ。そうわかっているのに……涙があふれた。
「ごめんなさい……」
「……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
そうじゃない。違う。私が口にすべきはこんな言葉ではない。頭ではわかっているはずなのに、他の言葉が出て来ない。
「何を謝るのです」
「何も知らなかった……あなた達が、命をかけて戦っているなんて、わかっていなかった」
「それでよいのです。そのようなこと、自覚していれば貴女は我々を送り出せなかったでしょう」
「良くない。みんな死ぬかもしれないのに」
「そうですね」
「…………」
蜻蛉切は、私の言葉を否定しなかった。死なないとは言わなかった。彼等は覚悟を持って戦っているのだと、改めて気付かされた。やっぱり、私は無知で未熟で愚かなのだとわかった。
また涙があふれて止まらない。どれだけ堪えようとしても、どれだけ拭っても、涙はただボロボロとあふれ続ける。
「我々は戦い……そして、人を殺める為の存在です。それ以上でもそれ以下でもない。だから、何も気に病まないでください」
その言葉は私を慰める為のものではない。ただ事実を淡々と述べているだけのものだ。本当に何も気に病むことではないと、蜻蛉切は言っている。だけど、そんなことは……私には……。
「無理だよ……」
「何故です」
「だって、今のあなた達は人の姿じゃない」
「そうですか」
「…………」
これ以上、何を伝えればいいのかわからなかった。それは蜻蛉切も同じなのか、何も言わなかった。そっと顔をあげ、蜻蛉切を見つめてみると、やっぱり真っ直ぐ私を見ていた。
見られているのが、見つめているのが辛くて目をそらし、もう一度畳の上にゆっくり寝転び庭を見つめた。
遠くからまだ声が聞こえていた。陸奥守があんな風になって帰って来ても、みんなもういつも通り過ごしているのだとわかる声。
庭はとても綺麗だった。そういえば、昨日誰かが掃除をしてくれていたはずだった。誰だったか……思い出そうとしたけれど、それには意味がないと気付いて思い出すのを諦めた。
もう、無理だ……昨日までの毎日と、今日はもう変わってしまった。
昨日までの彼等は、楽しく一緒に過ごすだけの存在だと何も考えずにそう思っていた。
だけど、彼等がここにいる理由はそうじゃない。刀剣男士は、戦う為の存在だ。
「主は、あまりにも優しすぎるのです」
「…………」
ぼんやり考えていると、蜻蛉切の声が聞こえた。もしかして、怒っているのかもしれない。それはそうだろう。私は審神者という存在で、彼等は刀剣男士だ。その意味をすっかり忘れていたのだから、怒られて当然だ。
そう思っていたのに……彼は私の頭をそっと撫で始めた。
まさか、そんな風にされるとは思わずに驚いていると、蜻蛉切はゆっくり私の頭を撫で続ける。
大きくてごつごつした手が、不器用そうに私を撫でていた。何故だか、その感触に胸がドキドキする。
黙ってじっとしていると、その手はゆっくり離れていった。それが少し寂しくて、思わず蜻蛉切を見つめる。
「その優しさは貴女の良きところです。ですが、もう少し我々の力を信用してください」
「…………」
「皆、もう貴女の泣き顔は見たくないのです。より強くなる為に我々も努力しますから、だから……もう、泣かないでください」
その言葉に、少し辛そうな蜻蛉切の表情に、さっきの言葉の意味がわかった。怒っていたのではなかった。心配してくれていたのだ。私が泣いたのは、自分達の力が至らなかったからだと思ってくれていたのだ。
私は、やっぱり愚かだった。自分のことばかり考えて、彼等のことまで考えられなかった。泣いている場合ではなかったのだ。そう気付いたら……また、涙があふれてきた。
「な、何故泣くのです」
「だって……だって……」
この思いを、彼等に対する気持ちを、どう言葉にすればいいのかわからない。ただ泣いて、涙をこぼすしかできない。
泣き出した私を見つめて、蜻蛉切が戸惑っているのがわかった。泣き出した意味がわからないのだろう。きちんと、説明しないといけない。そうは思っているけれど、涙があふれて止まらなくて、しばらく起き上がれそうにはなかった。
やっぱり私は……愚かな審神者だ……。
「……主? 眠ってしまったのですか?」
「…………」
「そうですか……では、ゆっくりお休みください。この蜻蛉切、貴女が目覚めるまでお側におりますゆえ……ご安心を」