目が覚めると、そこは自分の部屋ではなくて本丸だった。襖は小さく開かれて、外からの風が心地よく入り込んで来ていた。外はもう明るくなっているらしくて、部屋には柔らかくあたたかい光が差し込んでいる。多分、まだ明け方くらいなのだと思う。
私はさっきみたいに畳の上に寝ていなくて、布団の中にいた。きっと、誰かが敷いてくれた布団に寝かされたのだろう。
「目が覚めましたか」
布団をめくってゆっくり起き上がると、離れた場所から優しい声が聞こえた。そちらに視線を向けると、蜻蛉切がいつもと同じように背中をピンと伸ばして座っていた。
どう答えればいいのかわからず黙っていると、蜻蛉切は小さく頭を下げてから私の側に近付き座り直す。
「先程、また眠ってしまわれたのですが、そのままではよくないと思い、勝手ながら布団に寝かせ直しました」
「うん……ありがとう」
「陸奥守吉行の手入れも終わっております。食事も無事……あ、いや食べ過ぎるほど食べておりました。しかし、大事を取って、まだ手入れ部屋でおとなしくするよう言ってあります」
「わかった」
「本人はもうすっかり良くなったと言って、部屋を飛び出さんばかりの勢いですが……」
「吉行くんらしいね」
想像して思わず笑みを浮かべてしまった。すると、そんな私を見て蜻蛉切が安堵の表情を浮かべたのがわかった。
私が見つめているのに気付くと、蜻蛉切はまた小さく頭を下げた。
「申し訳ございません。ようやく、笑みを浮かべてくださったと思うと安心して……」
「ううん。あの……たくさん心配かけて、ごめんね」
「我々が主のことを心配するのは当然のことです」
「うん……」
蜻蛉切の声と言葉は、いつもと同じように優しいものだった。
「これから、吉行くんの顔を見に行って来る」
「そうしてやってください。きっと喜びます」
「うん。あ……あと……」
そこまで言った途端、空腹を告げる音がお腹から聞こえた。恥ずかしさで思わず言葉が止まってしまう。
「燭台切が、主に食事を用意すると言っていました。手入れ部屋に運ぶよう伝えておきます」
「……うん。ありがとう」
「布団は片付けておきます。そのままにしておいてください」
「うん。本当にありがとう」
頷いて布団から出ると立ち上がり、蜻蛉切にお礼を言うと手入れ部屋に向かった。
本丸の廊下をゆっくり歩きながら、視線を少し外に向けてみる。日はゆっくり登り始めて、周囲を明るく照らしていた。どうやら、随分長く眠ってしまっていたらしい。それなのに、蜻蛉切はずっと側に居てくれたんだろうか。それなら、もう少し丁寧にお礼を言えば良かった……そんなことを思いながら歩いていると、手入れ部屋の前に辿り着く。
私は普段、あまり手入れ部屋に入ることはない。そこは、みんなが傷を癒す場所で、私が入ってもできることは少ないと思っている。だから、普段は近付くこともほとんどない。だけど、今はここに陸奥守がいる。
「吉行くん……入るよ」
小さく深呼吸をしてから、そっと部屋の襖に手をかけて声をかけながら開いてみる。
「おー! 主かー!」
私が襖を開いて中を見ると、拍子抜けするほど明るい声と笑顔で陸奥守は返事をした。なんだか一気に安心して、全身から力が抜けそうになってしまう。そんな私に陸奥守はすぐ気付き、這うような格好で近付き、下から私の顔を覗き込んだ。
「なんじゃ、どうした?」
「元気そうで、安心して……うん。良かった」
「はっはっは! しっかと手入れしてもらったからのう!」
「そうみたいだね」
手入れ部屋の中に入って、陸奥守と並んで座る。まだ、この本丸に彼しかいなかった頃、よくこうやって座って、こんのすけを膝に抱いて一緒に話をした。何をしたらいいのかわからなかった、この先どんな出会いがあるかもわからなかった頃、たくさん話をした。
彼は、こんのすけに言われて私が最初に選んだ刀だ。まさか、人の形になるとは思わず驚いたけれど、人好きのする笑顔とその明るさは私が抱いていた不安な思いをすぐに取り払ってくれた。それに、彼との出会いは思いがけず新しい友ができたようでとても嬉しかった。
だけど今は、何を言い出せばいいのかわからない。そう思っていると、陸奥守は不思議そうに私を見つめる。
「主、元気ないのう」
「うん……あの、言わないといけないことがあって……あと、吉行くんに謝りたくて……」
「なんじゃ? 特別なんもないじゃろ。むしろ、謝るんはわしの方じゃ」
「なんで?」
「わしがもっと強けりゃ、あんな怪我なんかせんかった。すまん……心配させたのう」
そう言った陸奥守は頭を下げてから、真剣な目で私を見つめた。その目は、いつもの夢を語るキラキラした目と違っていた。
「もう主を心配させることはせんし、あない怪我もせん! 絶対じゃ!」
「うん。私も、もっとみんなの強さを信じる。みんなが怪我したからって、あんな風に倒れてられないから」
「おう。その意気じゃ」
その真剣な目を見つめ返して私が頷き答えると、陸奥守はいつもの人好きのする笑顔を浮かべた。その表情に安心して、私もようやく笑みを浮かべられた気がした。
「もっと、強くならないといけないね」
「ああ、そうじゃな」
「みんなもだけど、私ももっと……みんなが、今より安心して戦いに行けるように……」
それは、みんなが死と隣合わせになる場所に送り出す覚悟を持つこと。それは、とても怖いことだけど……みんながその覚悟を持っているのに、私がそうできていないなら何も意味がない。だから、私はもっと強くならないといけない。
でも、そんな風に私が思っていると、陸奥守はまるで何もかもお見通しというみたいに、背中をそっと撫でてきた。
「吉行くん……?」
「急がんでええ……ゆっくりじゃ」
「あ……」
「わしも急がん。でも、強くなる」
「うん」
優しい掌の感触に、優しい言葉に、自分が気負っていたことに気付く。そして、自分が気付いていなかったことを、陸奥守が気付いていたことが嬉しかった。
「主、陸奥守君……失礼するよ」
「お? 燭台切じゃ」
ふたりで話していると、少しだけ開いていた襖が更に開かれ燭台切がやって来た。燭台切は私たちを見つめて安心したような表情を浮かべる。きっと、彼にもたくさん心配をかけてしまったんだろう。
「蜻蛉切君が、主が起きてこっちに来たって教えてくれたからね。食事を持って来たんだ……食べられそうかい」
「うん、大丈夫。お腹減った」
そう聞く燭台切の手には、何かが乗ったお盆が持たれていて、そこから美味しそうなにおいが辿って来ていた。それだけで、ほんの少しお腹が鳴って、それを聞いた燭台切は微笑みを浮かべる。
「食欲があって良かった。でも、一晩食べてなかったから、食べやすいものだよ……たまご雑炊なんだけど平気?」
燭台切が目の前にしゃがみ、そっとお盆を置いた。その上には、一人用の小さな土鍋があった。燭台切が土鍋の蓋を開けると小さな湯気が立ち上り、中には美味しそうなたまご雑炊が入っていた。たまごだけじゃなくて、食べやすいように小さく刻んだ野菜もたくさん入っていて、燭台切の心遣いがよくわかる。でも、それ以外に竹で編まれた小さなお弁当箱も置いてあった。こっちはなんだろう。
「えー。主ばっかええのー。わしも喰いたい」
「吉行くん、寝起きでたくさん食べたんじゃないの?」
「あはは。そう言われると思って、陸奥守君にはおにぎりを作って来たよ。こっちは君の」
そう言った燭台切はお弁当箱を開ける。中には綺麗に形作られたおにぎりが三つ入っていた。それを見つめる陸奥守の目が嬉しそうにキラキラ輝く。
「おおー! さっすが気が利くのう!!」
「ふたりでゆっくり食べてね。ああ、後片付けは……」
「あとで吉行くんとふたりでする」
「お? ああ、そうじゃの。作ってもらったんじゃから、片付けぐらいはせんと」
「そうかい? それじゃあ、食べ終わった後は頼んだよ。それから、主……」
「ん?」
立ち上がった燭台切はさっきまでの微笑みじゃなかった。そこにあるのは、真剣な表情。
「こんのすけが、話があると」
「……わかった」
その話が何か、聞くまでもなかった。それは陸奥守も同じようで、私たちは一気に表情が引き締まるのを感じた。けれど、まるでそんな私たちをなだめるように、燭台切は優しい笑みを浮かべた。
「でもまあ、今は食べることが大事かな。食べ終わって、後片付けも済ませたらこんのすけと話せばいいんじゃない」
「そうだね……そうする」
「そうじゃのう。腹が減ってはなんとやらじゃ!」
「陸奥守君は食べ過ぎないように気を付けて」
「大丈夫じゃ!」
「それじゃあ、また後でね」
そう言って燭台切は手入れ部屋を出て行った。また後で……その言葉は、きっと出撃前に会おうということなのだろう。彼等は戦うためにここにいるのだから、それは当たり前だ。
でも、その時はまだ、今じゃない。まだ少し猶予はある。
「よし、食べる。食べて片付けて、それから色々考える」
「そうじゃな。んじゃあ……いただきまーす!」
「いただきます」
陸奥守と一緒に手を合わせ、ふたりで食事をとり始める。燭台切の作ってくれたたまご雑炊は、本人と同じように優しい味がした。