国において番犬と呼ばれるのは多くいるが、こと王宮においては3つが該当する。
一つは王族を守護する近衛騎士、武勇に優れ、他の兵団と全面衝突しても拮抗すると言われるほど精強な軍団である。
もう一つは隠密集団、諜報防諜に長けた集団であり、国を陰から支える影の集団である。
最後の一つは宰相。すまし顔の黒衣を着た冷徹な犬面の女である。国の正常なる運営を司り、もしも彼女の笑い顔が出た日には、何人かの首が、文字通り飛ぶとか。
因みに、彼女の犬面は先天的ではなく、魔女に幼い頃に掛けられた呪いだとか、今の地位に上り詰めるための代償だとか、国の中枢を知ったための首輪だとか、噂が絶えない。
そんな彼女が久々に仕事に追われることなく、ゆっくりと執務室でくつろいでいると
「ヤッホー」
闖入者がノック無しで入ってくる。本来であればチクリと小言の一つでも零すところだが
「はぁ」
溜息を一つ吐き、部屋に控えていた侍女に合図を手で出す。静々と部屋を後にする侍女。
変わるようにずかずかと近寄ってくる闖入者。
「溜息吐くと幸せが逃げるよ」
「アンタが入ってきた時点でもう逃げ去った後だよ、魔女様」
「ふむ、そういう考え方もあるか」
「それでわざわざ私の執務室まで来て、何の御用で」
「……くつろぎに」
「滅多に図書室から出ないアンタが?用事があれば使い魔に来いって言わせて来るのに?」
「ふぅー……黒狼の宰相は手厳しいね、さて侍女が茶菓子を持ってくる前に、本題を話そう。君のそれの解決方法を姫様経由で依頼されていてね。どうするか聞きに来たんだよ」
「解決、ね。要らぬ世話と言いたいところだが、姫様の好奇心にも困ったものだ」
「愛じゃない?」
「彼女が私を愛する?冗談は私の顔だけにして欲しいものだよ。そして答えはノーだ。この姿でも政務は滞りなく終わる、むしろこの顔のおかげで助かってる部分の方が大きい。そして今更姿を変えてそれこそ君が言う、姫様の愛がなくなったら、君、責任、取れるの?」
ザワッと宰相の毛が立つ。丁寧な言葉の奥底に憤怒というか、仄暗い感情が見え隠れしている。
ソレに魔女は
「ん~、噛まれるのは勘弁」
「こっちも不味そうな魔女の血肉はごめんだよ、意思の確認は取れたんだ、さっさと侍女が持ってきたお茶でも飲んで、図書室に帰ってくれ」
その言葉が終わった瞬間、扉がノックされ、侍女がワゴンカートを押して入ってくる。
乗っているのは一口で済みそうなクッキーやマカロンなどの茶請けと、湯気御立てる紅茶とコーヒーだった。
「ちなみにどちらがどちらだい」
「見てわかるだろう、自分がコーヒーだよ、それともコーヒーの方が良かったかい」
「いや、これ以上犬の尾を踏むことは避けたかったからね、じゃあ、戴いてくよ」
そう言いながら、スイッと手を振ると、紅茶を含む茶請けのほとんどを宙に浮かし、出ていった。
あとにはコーヒーと少々残った茶請けとそれを運んできた侍女しか残らなかった。
「はぁ~」
溜息を吐きながらも、椅子に深くもたれかかる黒井しば。侍女はチラリとみた後、接客スペースの机の上にワゴンの上のものを並べながら
「よろしかったのですか」
「姿を戻す件なら断ったよ」
「いえ、そちらではなく」
ためらうように言葉を選ぶ侍女だったが、いつの間にか黒井は接客スペースまで来ており、おもむろに侍女の前に座ると
「本当にイタズラにも困ったものだ、君もどうだ、休みのはずなのに熱心に私に付き合ってくれてる侍女君」
「宰相様のお誘いでしたら光栄です」
そう言って侍女も席に着き、その日の執務室はそれだけだった。
図書館にて
魔女が入っていき、司書のいるべきスペースまで浮かしていた紅茶と茶請けを魔女の前にそっと置いた。
「お疲れさま、それで、お願いは聴いてもらえ……無かったみたいだね~」
司書スペースの魔女は入ってきた自分とうり二つの、ただしふくれっ面の魔女にそう声をかける。
「好奇心だって、愛なんかじゃないって言われた」
「ふむ、でもそういうけど、君のそれは愛とは違うんじゃない」
「……そうかも、でも残念ね、しばの本当の姿ってみてみたかったのに」
「あまり突っつくと君でも噛まれるんじゃないかな、王女様」
そう司書スペースの魔女が言いながら指を鳴らすと、ふくれっ面から戻った魔女が縮尺が小さくなった。
幼子、と言えるか、少女というのか、別れる年頃の姿の女の子になった。
「あぁ~、もうちょっとあの身体楽しみたかったのに」
「ん~、質量を持った幻術魔法だけど、自分の身体を好き勝手する王女様はあんまり、見たくないかな。あとで宰相が激怒顔で突入してきても困るし」
「?」
「彼女の感覚を騙すにはまだまだだったようだね、ほら」
そう言いながら、魔女は手元に来ていた茶請けの下に紛れていた一枚のカードを引っ張り出した。
毒味は済ませてありますので、ご心配なくお食べください
そう綺麗な筆跡で書かれていた。