52Hzのシャチ ──警視庁暇係の魔法犯罪捜査録 作:逆理のシャチ
本年度も52Hzのシャチをよろしくお願いいたします。
1章__再起動、完結です。
起床した午前6時から2時間、桜田はその場から動く事が出来なかった。自身の左側でイベルカが小さな寝息をたてていたからだ。白い腹を冷やしながら、目の前に浮かばせたタブレットで現場写真をじっと見つめる。右にスライドしろ、と心の中で思えば右方向に写真が切り替わる。拡大しろ、と思えばやや不鮮明な写真が拡大される。
魔法界の写真は動く。映像とも違うそれは、現代社会において一般の雑誌や新聞などにも使われている。応用として絵を動かした絵本もある。しかしタブレットの写真は動かない。魔法の写真を電子化する技術はまだ発見されていないからだ。
すると、くぐもった小さな声。
もぞもぞとした感触を左ヒレに感じ、カメラを心の中で起動させる。画面には薄らに開いた目を擦りながら欠伸をするイベルカの姿があった。
「君は何故ここで寝ているんだ」
「昨日この
「寝癖も何も、君の髪型でどう癖がつくんだ」
寝起きで聞こえなかったのか、イベルカは無視して先程よりも大きな欠伸をした。
「壁側の棚、下から2段目の引き出しに、頭冴え薬のカプセルがあるから飲むと良い」
「………これ、モンが調合して作ったの?」
「魔法薬を勝手に調合したら犯罪。それは薬局で普通に販売されている物だよ」
イベルカはしげしげと小瓶を眺めた後、蓋を開けて1つ口に入れ、水で飲んだ。が、様子が変だ。
「ね、ねえ、この棚は他に何が入れてあったの」
「頭冴え薬のカプセル以外には………風邪薬かな」
「カゼグスリ? 風邪を治す魔法薬なの!?」
「もう手遅れだけど、イギリスでは元気爆発薬と言って………行ってしまった」
耳から煙を出し、真っ赤な顔でどこかへ駆けていった背中を桜田は呆然と見送った。
約10分後。猛然と戻ってきたイベルカに、桜田は何度も何度も何度も非難されてしまう。
………………………
………………
………
「で、モンは朝から何を見ていたのよ」
まだ耳から薄らに煙を上げるイベルカは、それが恥ずかしいらしく。手のひらで耳を軽く抑えながら上目でタブレットを覗き込んだ。フワフワと浮かぶタブレットには、川島典明が自殺した部屋の写真が表示されていた。トロフィーの黄金色が夕闇に溶け、不気味な光を纏っている。
「なんだか悔しいわね」
「なぜ悔しくなるんだ」
「ドイツ生まれボーバトン育ちの私でも、これらの賞が凄いものだって分かるわ。それなのに魔法の力をお金を盗んで、人を殺すために使う。私ならもっと良い事に使うのに」
イベルカは小さな
そして桜田はイベルカに、平和への甘えを見た。
20年近く前に消え去った闇の帝王の脅威。ヨーロッパ魔法界に訪れた数百年ぶりの平和は、魔法を悪事に利用するという事象を人々の記憶から薄れさせた。日本は連続したテロ事件により、一般社会と魔法界の
なので、魔法を用いたテロに魔法で戦った桜田はイベルカの発言を甘えだと思った。そして若干であるが、かつて抱いた理想を思い出していた。魔法の力が犯罪に使われない、という理想を。
そこへ大きな段ボール箱を抱えた会計課長の山川隆弘が通りがかった。
「山川課長、その荷物はどうされたんですか」
「さっき、退職願を出してきた」
「タイショクって事は仕事辞めるの?」
「いろいろと疲れちまってな」
「今後はどうされるおつもりで」
「ああ。世界旅行でもするかな」
「分かったわ! ドイツへ行くのね」
「………そうだな。正解だ」
「差し支えなければ、ドイツのどちらへ」
「………まあ、特には決めてない」
「そう、なの」
山川の返答に対してイベルカは目を伏せた。明らかに声のトーンが下がっていた。
別れの挨拶周りだ、と去っていく山川の背中を眺めながら、桜田は沈んだ顔のイベルカに問いた。
「
「わざとじゃないわよ。それとも法律違反だって言いたいのかしら」
「日本国憲法13条に基づくプライバシー権の侵害だとして、裁判になった事例がいくつもある。現在も結論は出ていない日本の
そう述べた桜田がチラリとイベルカを見ると、当の本人に全くその言葉は届かなかったらしい。掌から伸ばした杖先をじっと見つめている。
「あの課長さん、魔法が使えないはずよね」
「山川課長は非魔法族、一般人だ」
「私があの人の心を読んで、ドイツへ行くのが分かった途端に続きが読めなくなったの」
「そんなはずは無い。あの人に閉心術は無理だ」
「いいえ、あれは閉心術よ。というよりも初めから閉心術をかけていたのよ」
「しかし君がそれを上回る開心術をしたために、さらに閉心術のレベルを上げたと?」
「そんなわけ無いわよね」
桜田は何も答える事が出来なかった。
────────────────────────────────────────────
捜査会議が行われる会議室は、外の快晴と対象的に暗雲が立ち込めていた。
後方に座るイベルカは、前のホワイトボードが見えないと愚痴をこぼし、宙に浮かぶ桜田は会議の動向をじっと眺めた。
「次、部屋に残されていた遺書について」
「はい」
鬼龍の命令の元に捜査員達が次々と鑑識報告や捜査の進捗を述べる。
パソコンで残されていた遺書。キーボードからは川島典明以外の指紋は採取されず、これまでの事件から川島本人の手によるものだと判断された。
動機についても。川島は少額の横領を繰り返していた河本美紀を脅し、魔法を使用して多額の横領をさせていた。しかし会計課長山川隆弘が違和感を覚え、桜田により河本の犯行が明らかになった。河本によって自身の行いが暴露されるのを防ぐために、河本を両手で絞め殺した。と結論付けられた。そして川島は自らの罪に耐えきれず、自宅で首を吊り自殺。
川島が横領した金の行方など、不明な点をいくつか残したまま事件は被疑者死亡で幕を下ろす。
桜田も、犬間も、他の捜査員も悔しさを抱えながら捜査会議を終わらせようとしていた。その中でイベルカだけが腕を組み、納得の行かない表情で天井を見つめた。
「さっきのあれが気になるのか」
「さっきどころか、昨日からよ」
「昨夜、君が山川課長とした会話か」
「昔の話とか………私の父親の話をしたわ」
イベルカは沖花の名を出さずに暇係の過去に触れた。話せば桜田が傷ついてしまうという直感だ。
「君の父親………」
「ベルクス・ハインゼルトよ」
イベルカは忌々しくその名を口にした。
「やはり君の父親はドイツ魔法協会名誉理事長、ベルクス・ハインゼルトなのか」
「でも親なんかじゃないわ。私はただの養子よ。それに、あの人は表の方でも有名だけど」
「ミュンヘン工科大学の教授、ノーベル賞受賞歴を持つ原子物理学の世界的権威。だろ」
「………あんな人にノーベル賞なんて狂ってるわ」
イベルカは
「それが、引っかかるのか」
「なんだか違和感があるのよ」
「因みにどんな話をしたんだ」
「あの人の業績が凄いとかくだらない話を両方聞かされたわ。皆騙されているのよ」
桜田はいち早く、その違和感の正体に気づいた。
「山川課長は、ハインゼルト氏の“両方”の顔について君に話したのか」
「そう………だけど」
「君はドイツの魔法大臣の名を知っているか」
「当然でしょ。会ったこともあるわ」
「ならアメリカ、フランスは」
「それも新聞でよく見る名前だから分かるわよ」
「イギリスは」
「ハーマイオニー・グレンジャーでしょ、英雄の。いつか会ってみたいわ、私憧れの人なの」
「それなら日本の魔法大臣は」
「あの時に変わって今は新しい人よね。多分、名前ぐらいなら聞いた事があるけど」
「じゃあ日本の、総理大臣は?」
これまで軽快に答えてきたイベルカが初めて顔を曇らせた。ピンと伸ばした人差し指が答えを見失い、ふらふらと不安げに宙を
「ソーリダイジン? ソーリダイジンって………」
「日本の一般人側のトップだよ」
「ごめんなさい、知らないわ………」
あれだけ頻繁に変わっていれば知らなくても無理は無い。そう桜田は前置きし、現内閣総理大臣の名を教えた。それでもイベルカは釈然としない表情で腕を下ろした。全く知らなかったようだ。
「つまり、魔法族が一般人側の情報を持ち合わせていないように、一般人も魔法族の情報をそれ程知っているわけじゃない。日本の魔法大臣だって魔法族以外の知名度は決して高くない。ドイツ魔法協会名誉理事長の名前ともなれば尚更、一般人の山川課長が知っているのは不自然だ」
桜田は正しき解へ一歩ずつ近づいていった。犯人が残したあらゆる情報と、己の知る事を照らし合わせ、解への道を推理の灯りで照らす。
「イベルカ、昨日山川課長は暇係の過去について語っていたと言ったね」
イベルカは戸惑いながらも首を縦に振った。
「そして
今度は弱々しく、イベルカはそうと答えた。
「未だに警察はその事実を公表していない」
「それは………酷い事だけど、だったらどうなの」
「その情報は警察幹部と当時の関係者では僕しか知らない。残りの捜査員は全員記憶を修正されたからだ。僕には
「つまり、あの人が知っているのは変なの?」
「部長級でも無い限り、ありえない」
「じゃあ、あの人は………」
「山川課長に化けた川島典明だ」
解散し部屋を後にする捜査員達を呼び止めるために、イベルカは桜田に呪文をかけた。声を響かせる魔法、ドイツ語のソノーラスだ。その巨体全体がスピーカーのように細かく震え、鬼龍参事官や桃瀬刑事部長は思わず耳を塞いだ。桜田は出来る限り小声で、イベルカに反対呪文を命じた。
「なんだ桜田! ああ、まだキーンとする!」
「川島典明の遺体は、今どこに?」
「自宅を管轄内とする川口署だが、どうした」
その時だ。突然1人の捜査員が席を飛び出し、脱兎のごとく部屋を出ようとした。しかし瞬時に杖を構えた捜査員が放ったロープ、
「お前、昨日川島典明の死体を検視して所轄に引き渡していたよな。全部吐いてもらうぞ」
低く唸る犬間の言葉に、その捜査員は観念した。
鬼龍は緊急的に、埼玉県警察川口警察署へ安置所の川島典明の死体について問い合わせた。火葬のためにこれから運び出されるところであった。
連絡を受け、ジェラルミン製のケースを開けた川口署の警察官は驚いた事だろう。なぜなら中に入っていたのは川島典明ではない別人の体だったからだ。石のように硬直した体、携帯していた身分証には山川隆弘と書かれてあった。この異常事態の中、どこかへ逃げようとする警察官を取り押さえたところ、その男は死体安置所を管理する職員であった。以上の報告を電話口で受けた鬼龍は青ざめ桃瀬と共に、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
取調室へ連行される男、桜田は川島の所在を尋ねたが頑なに答えない。その男の瞳をイベルカは濃紺の眼で捉えた。
「………羽田空港………ミュンヘンに行くの!?」
「なっ………」
イベルカの開心術に、並大抵の魔法族は心を閉ざす事を許されない。そしてそれが一層、川島典明という魔法使いの危険性を知らしめた。
「まさか、ミュンヘンへ行くだなんて………」
「刑事部長、今すぐ羽田空港及び周辺の交通機関へ、川島の情報を伝えてください。顔を変えて出国する事は不可能、なので川島は堂々とドイツ、ミュンヘン行の便に乗るはずです」
「駄目だ」
たった3文字の迫力で桃瀬は場を凍りつかせた。
「なぜですか刑事部長。川島は河本を殺害し、自殺を狂言、身代わりにした山川課長は火葬されるところだったんですよ。なぜ、なのですか」
「では聞くが、既に失われた命とこれから失われる命、どちらが重要だ。答えろ」
そして桃瀬が懐から取り出したのは封筒に入った1通の手紙。机に叩きつけられたそれは、浮き上がると口のような形へ姿を変えた。
「桃瀬刑事部長、捜査員諸君これは警告だ」
どよめく捜査員の中にはっきりと聞こえた川島典明本人の声。魔法が込められた警告状だ。
「我々の存在は貴方達に起因する。それを不躾に追い回すのは控えた方が良い。もし、どこかで私を見たとして、杖を向けるならば10年前の惨劇は形を変えて蘇るだろう」
派手な音を立てて手紙は引き裂かれ、小さな紙片となった。10年前の惨劇、当時を知る者達の顔が一様に暗く、歪む。
「これでもまだ、追うのか」
「羽田空港でテロを起こされるには行かない、だから行くなと言うのですか」
「そうだ」
再び桃瀬は口を固く閉ざした。
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川島逮捕への道が閉ざされた捜査員達は各々の仕事へと向き合った。桜田は病院へ搬送された山川へ会いに川口市へ。そしてイベルカは、川島の共犯者と思われる男の取調を聞いていた。
「お前と川島典明、どういう関係なんだ」
犬間の問いに男は黙秘したままだ。ある程度の開心術を用いれば、聞かずとも思考を読み取れる。しかし開心術は高度な魔法であり、魔法処の通常教育課程には無い。イベルカは容易に、軽はずみに使っているが憲法問題にまで発展する難儀な力だ。そして取調室及び隣の別室には、イベルカ以外に魔法族はいない。イベルカ自身も背が低く、小窓から男の顔を見ることが出来ない。結果として誰も男の沈黙を破れずにいた。
「おい、答えろ。人が死んでんだ。今まで仲間ヅラしてふざけやがって」
仲間。その言葉に男の耳が震えたが、すぐに元の沈黙を保った。それが余計に犬間を激昂させる。
壁の向こうの隣室にまで届く衝撃音、机を力強く叩いた音だ。それでも男は態度を変えない。
今にも、数時間前まで仲間だと思っていた男へ殴りかかろうとする犬間をイベルカは呼びつけた。
「なんだよガキンチョ。遊びじゃねえんだ、見学してろよガキが」
「ねえ、私に変わって頂戴」
「なんだと? ………ナメてんのか」
「だってキョーハンシャから何も聞けていなくて、怒って殴ろうとするなんて、貴方のほうが余程ガキじゃないの。私の開心術ならさっきみたいに簡単に心を読めるわ」
「ケッ、いかにもガキらしい発想だな」
「なによ、何がいけないのよ」
「いいかガキンチョ。証拠っていうのはな、形に残る物が重要なんだよ。読唇術だか、レジ袋だか知らねえが、お前が勝手に想像したかもしれないかもものが証拠になるかよ」
しばし思案していたイベルカは、やがてにんまりと犬間を睨んだ。勝利宣言をするかのようにだ。
「アクシオ!
杖を振り高らかに詠唱するが何も飛んでこない。真実薬という言葉に焦燥の色を浮かべた男も、余裕の顔を見せ沈黙を続けた。
「………なんで何も来ないのかしら」
「おいガキ。その薬が違法だってあのシャチ警部から聞いていないのか? それにそんな便利な薬があれば毎日使ってんだよ。少なくとも
このやり取りに男が小さく息を漏らした。世間知らずの魔女と、一般人の刑事。何か滑稽なのか。再び血をたぎらせる犬間に対して、イベルカは冷静に胸ポケットから、小さな小さな瓶を取り出した。それは魔法によって縮小されていた本物の真実薬。元の大きさに戻っても小さな瓶は、午後の傾いた太陽に怪しげな輝きをまとっていた。
「とても貴重だから、出来れば自分のは使いたく無かったけど。無いなら仕方が無いわね」
「おい待て、だからその薬は違法なんだよ」
「もう遅いわ」
そう。既に小瓶の蓋は外れており、宙に浮かんだその瓶から数滴垂らされた真実薬が強引に男の口の中へ注ぎ込まれた。口に入った瞬間に別の物質に変化させられる事をイベルカは恐れていた。しかし男はそれ程優秀では無いらしく、素直に飲み込まれた真実薬は男を強制的に、素直にさせた。
「まずい………まずい………まずい………まずい………」
「全部話してもらうわよ」
「もういい、変われ。知ってる事全て話せよな」
「私はただ川島さんからの命令で、生きている川島さんを死んだ事にしただけです」
「具体的には? ………麻痺させて、体を浮かして、頃合いを見て麻痺を解いて。警視庁から家までは姿あらわしを使って、それから?」
真実薬を飲ませた上で開心術を用いるイベルカの姿に犬間は辟易した。既にこの時点で、捜査上守るべき法令を3つ程破っているからだ。
「や、山川さんにポリジュース薬を飲ませて、石化させた。そ、それから川口署の仲間に渡して、後は、後は何も知らない」
「あとは知らない、だと? てめえ同じ屋根の人間焼き殺そうとしといてよく言えるな」
「わ、わ、私も
「ねえ、なんでミュンヘンなのよ。答えなさい」
「は、初めはそういう計画だったんだ。でも、全て狂ってしまった。私も………狂いそうだ」
爛々と光る男の瞳。イベルカの本能が危険を察知するよりも早く、男はその細い腕を掴んだ。
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──埼玉県川口市某病院
病室のベッドに横たわる会計課長山川隆弘、その隣に浮かぶシャチ。桜田は体調に問題なさそうな山川の姿に安堵した。
「悪いなわざわざ来てもらって」
「いえ、ご無事で何よりです」
当初、生死不明の状態で発見された山川であったが、川口署内で取り押さえられた川島の共犯者の証言によって、石化させられていることが明らかとなった。病院へ搬送された後に、マンドレイク薬が投与され石化は解かれた。不幸中の幸いか、死体安置所内の低温下で10数時間閉じ込められていたにも関わらず、身体の硬直による若干の運動機能低下以外は目立った症状は無かった。寒さに対する何かしらの呪文がかけられていたようだ。
「何か覚えている事はありますか」
「突然廊下で捜一の若いのに声かけられたと思ったら、いきなり腕を掴まれて気づいたら狭い部屋にいたんだよ。そしたら目の前に総務部長がいてな。俺の少ない髪の毛を抜いて、何か薬を作って飲んだら、俺の姿になっていてな。驚いたよ」
「ポリジュース薬と呼ばれる、他人に姿を変える魔法薬です。課長も同じものを飲まされたかと」
「そうなんだよ。でも俺が飲んだのは、ドロドロして、汚くて、臭くて、不味い、薬だったな。そしたら、あの総務部長に俺がなってる」
ポリジュース薬は入れた髪の毛の持ち主によってその色や味が変わる。山川の意見を基に考えるならば、川島という魔法使いの性質が良く分かる。
「………それでその後、体が石みたいに固くなって、それ以外にもよく分からない呪文をかけられた。そして俺は狭い箱に入れられて一晩、朝までそのままだよ。もうすぐ火葬されるところだったんだろ? 笑っちまうよな」
「笑い事ではありませんがね」
「そういや、そっちの方では部長の共犯者が捕まったんだろ? 川口署のやつはどうなんだ」
「自分は魔法で操られていただけだと、供述しているようです。それは真実かと、ただ………」
「それは面倒だな」
「桜田さん! お電話です!」
突然息を切らして看護師が病室へ駆け込んだ。案内されるままに電話へ向かう。しかしシャチの体では普通の電話には出られないため、看護師からPHSを受け取り耳のそばへ当てた。
『桜田警部。川島の共犯者が、ガ………貴方の部下と共にどこかへ消えました。突然渦巻く影みたいなものに包まれて………申し訳無い。付近を捜索しましたが発見出来ませんでした』
「渦巻く影、姿くらまし。からその男から杖を取り上げはしなかったんですか」
『いえ、杖は確かに体から離しました』
「ならばその男は杖無しで姿くらましを?」
『魔法についてはよく分かりませんがね。何か、操られていたとか言っていましたよ』
桜田はその言葉から、共犯者が服従の呪文により操られていた事を察知した。犬間からの報告を受けた桜田はPHSをそのまま借りた。
「水上、頼みがある」
『行方知らずのお嬢ちゃん探しか?』
「話が早いな」
『庁内中大騒ぎだよ。取調べ中の被疑者が刑事1名と共に、姿くらましでどこかへ消えたからな』
「その男は服従呪文をかけられた上に、杖を所持していない。そんな精神不安定な状況で姿くらましをすれば、派手に“引っかかる”と思うのだが」
『これまで何度も奴らは姿くらまし・あらわしをしているはずだ。しかし引っかかっていないなら向こうにも協力者がいるのは分かっているだろ』
「だから、君に頼みがある」
『………本気か? 言うまでもなく違法だぞ』
「緊急事態だ構わない。NASAより楽だろ」
『時間がかかるぞ』
「川口署の刑事から無線を借りた。僕は羽田方面へ飛ぶ、川島がドイツへ飛ぶために羽田空港を利用しようとし、失敗した今。飛行機以外の方法で国外逃亡を図るはずだ。手がかりは何も無い、羽田方面にいないかもしれない、それでも分かる範囲で探すしかない、頼んだぞ」
PHSからはキーボードを叩く音だけが返った。桜田は何も言わずに通話を終了した。
………………………
………………
………
水上はこれから桜田の依頼で警察官にあるまじき行為をする。桜田はそれに報いるため、連れ去られたイベルカを探しに、川島を逮捕に空を飛ぶ。
かつて日本国内で使用された魔法は全て日本国魔法省によって全て監視及び管理されていた。現在は各省庁がそれぞれの分野の魔法を監視する。
姿くらまし及び姿あらわし、法令用語としては影移動と呼ばれている。影のように消え、影のように現れる事から名がついた。そしてこの影移動を監視しているのが国土交通省影移動監視局。そもそも日本国内において影移動は、警察等の有資格者や緊急時外では違法である。それを監視し、判断するシステムが影移動監視局には存在する。
このシステムデータは局員が管理し、川島の共犯者がこの局員に存在するためにこれまで発見できなかったのだ。そのシステムに外部からアクセスし、イベルカと消えた男が使用した影移動を見つける事。それが水上への依頼。
………………………
………………
………
太陽は雲に隠れ、それを黒い雲が塗りつぶす。風がさらに雲を集め、空気を冷やし、雨が桜田を打ちつけた。遠くで雷鳴が轟いたがすぐに雨に掻き消された。今は鋭い風が甲高く鳴る。そのどれも無視して桜田は水上からの一方に集中した。
『──52Hz、聞こえるか』
東京湾岸部は季節外れの酷い大雨だ。
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突然降り出した雨が徐々に入り込み、冷たいコンクリートの床が黒く濡れる。
暗い空間に暗い叫びが木霊する。はっきりと見えなくて良かったと思う余裕はイベルカに無かった。あるのは腕と足をどこかへ無くした男への、恐怖と哀れみと、心を支配する不安だった。その不安から逃れたいと無意識に杖を握っていた。深呼吸をすれば雨と
「ああ………腕が………足が………腕が………」
そしてようやく男へ光を向ける勇気が湧いた。
「喋っちゃだめ、じっとして」
「痛い………なんで俺だけ………腕が………」
「杖無しで、精神不安定で姿くらましするなんて馬鹿じゃないの。死ななかったのが不思議よ」
イベルカは胸ポケットからまた小さな瓶を取り出した。ツンとした香りが心を落ち着かせる。
「“ばらけ”た事無いから分からないけど、多分凄く痛むわよ。でもそれぐらい我慢しなさい」
惜しげなく傷口にハナハッカのエキスをかける。緑色の煙が暗闇に上がり、男は悲痛な呻気超えで言葉未満の声を上げた。焼けつく音と共に傷口が塞がっていく。傷は癒せても生やす力はこの薬に無いらしい。それでも男を助けようと、イベルカは瓶の中身を全て使い切った。
「ねえ、無理しなくていいから答えなさい。ここはどこなの、なぜ私を連れてきたの」
「ここは………多分東京の海沿いの、倉庫だ。私は川島さんからハインゼルトさんを、連れてくるようにと言われただけで、だけで………」
「飛行機で逃げる計画が失敗して、私をここへ連れてきたのね。つまりどっちにしても私を連れ去るのが、貴方の役目。どうやら本当みたいね、私を連れてきた理由については知らないようだし。貴方、そんな事で自分の命を危険に晒したの?」
「私だって好きでこんな事しているんじゃない。誰だって、インペリオされたらこうなるんだ」
「いいえ、間違ってるわ」
ピシャリと男を否定したイベルカの背後に雷轟が鳴る。破裂音も渦巻く影もそれに紛れた。
「自分で考えて、自分を守れば、
「それならなんで私を助けたんだ。私を無視してここから逃げられたのに、もう間に合わない」
「なに馬鹿な事言ってるの、私警察官よ。今はどうか分からないけど、貴方も同じ警察官、同じ刑事でしょ。私はまだ1週間も経っていないけど」
「違う、そうじゃなくて、逃げるべきだった」
「ちょっと、それどういう意味なの」
「流石は先生の娘だ、それに比べて」
黒い影を纏った川島典明は、捜査会議でイベルカがみた写真の姿とは全く違って見えた。
「貴方、今たくさんの刑事が貴方を探しているわ。諦めなさい、諦めて罪を償うのよ」
「こんなに立派になった姿を先生がご覧になられたら、どれほどお喜びになるだろうか」
「………貴方、あの人の何なのよ。ミュンヘンに逃げて、あの人と何をする気なのよ」
「無論、君を連れて行くんだよ。たまには親孝行でもしてみたらどうだい」
「あの人の所へ戻るなんて絶対に嫌よ」
「見た目通りの子供だ。自分にどれだけの力があり、どれだけの事が出来るのか分かっていない」
「あの人が何をする気なのか知らないわ。でも、絶対に協力しない。絶対によ」
「やれやれ、これでは先生も気苦労が絶えないだろう。私も私で、気苦労が絶えないがな」
川島は杖を取り出し男へ向けた。敵意を察知し、イベルカも杖を向けたが間に合わなかった。
「
杖先から放たれた禍々しき深緑の閃光は、イベルカの耳をかすめ男の体を貫いた。音も無く、震えもせず、一瞬の事で命が奪われた。
「私も殺すのかしら。それもあの人の命なの」
「まさか。君を殺そうとすれば、私が殺される」
「なんで、今この人を殺したのよ」
「不要になったからだ。世界中どこでも使い終わってゴミになったものは捨てるだろ」
「ゴミ? 失敗したからゴミなの?」
「そうだ。途中までは上手くやっていたが、最後の最後に跡を濁した。姿くらましには明確な意志と、強いイメージ、確固たる理由が欠かせない。その全てが不安定なまま無理に力を使うから、あの様な見るも絶えぬおぞましい姿になる」
「杖を持たず、精神を操られた状態で何が安定するのよ。私にだって出来っこないわ」
「ゴミがどこへ君を連れたのか知るのに時間がかかってしまった。君まで巻き込まれていたら、と思うと私はぞっとするよ」
革靴が床を蹴る。水溜りが踏まれ、固く伸びた腕が目の前に差し出される。杖を握る手が震えて、声も震える。同じ人間とは思えない存在だ。
「寒いのか、ならば火を起こさねば」
冷たくなった男の体に火がついた。その火はやがて全身へ広がり、塞がれた傷を容赦なく焼いた。
暗い空間が広く照らされ、悲しい温かさが小さな体にまとわりついた。
「なんで、こんな事平気で出来るのよ」
「私は君を服従させたり縛ったりしたくないんだがね、ただ私に捕まるだけでいい。燃えるゴミと違い、私の力は安定している。問題は無い」
「お言葉ですが、問題しかありません」
シャチは一直線に川島を目指した。しかしその姿は渦巻く影に消え、すぐさま背後に現れた。桜田はシャチとして仁王立ちし、川島と対峙する。
「すまない、遅くなった」
「モン! 気をつけて、そいつ………凄く危険よ」
「桜田門警部、雨の中ご苦労だ。濡れた体をそこで乾かしていくといい」
「川島典明。殺人、魔法法令違反、空路法違反容疑、及び略取誘拐未遂の現行犯で逮捕する」
「日本という国も随分と小さくなったものだ」
桜田は出来るだけ川島をこの場に引き止めようとした。魔法族の捜査員達が姿くらましを防止する結界を構成する時間を稼ぐために。
「横領した金をどこへ流したんだ」
「君のお友達がそれを調べているようだが、無駄だよ。我々はそれ程愚かじゃない」
「しかし、その“我々”の一部は瓦解し始めている。無理な服従は反動も大きい」
「そこのゴミ、いや灰も含めてそれらが我々に含まれるはずが無いだろう。ゴミか、或いはゴミの予備軍達だ。捨てられるまでは必死に働いてくれるだろう。ゴミは想像以上に数が多いものだ」
桜田の背ビレに寒気が走った。そしてこの異常な歪みに気づかなかった己を恥じた。
「一連の事件、貴方は故意にヒントを残した」
「おお、気づいてくれたか。素晴らしい」
「手袋をグラスに変えたのはなぜだ。なぜ証拠を残すような事をしたんだ」
「確かに、あの手袋さえなければ警察は私へ見向きもしなかっただろう。しかし、見向きもさせる理由が私にあった。それは自分で考えるんだな。君の部下が言った台詞を拝借させてもらった」
川島による意趣返しにイベルカは拳を握った。
「あの電話も、そのためですか」
「電話? この人から電話なんて………」
「君が初めて暇係へ来た日、河本美紀の横領が発覚した日に電話が来ただろ」
イベルカの脳裏に数日前の記憶がよぎる。
「でも、あの電話は眼鏡の声で、あれもなの?」
「正解だ。しかしなぜ気がついた?」
「1つ、いくら情報通の水上でも内々の人事情報を観察聴取当日に知るのは不可能だ。そしてもう1つ、水上は僕を“桜田”と呼ばない」
「なるほど、後者については今後機会があれば気をつける事にしよう」
無線からは結界構成の報告はまだ入らない。もしここで川島を取逃せば追うのは絶望的だ。
「貴方のような、輝かしい成績を持つ魔法使いがなぜ、このような事をしたんだ。動機は何だ」
「動機、ゴミを処分するのに理由がいるかね」
「………横領した理由だ。借金も無い貴方がこれだけの大金を横領したのはなぜだ。貴方の言う我々のためなのか、ミュンヘンには何がある、10年前の帝國ホテル事件とどんな繋がりがあるんだ」
川島がゆっくりと前に歩み出た。杖を構えるイベルカに動じもせず、不敵に笑みを浮かべている。
「そろそろ結界が張られる頃合いか」
「気づいているのに、どうして余裕なのよ」
「今回は君をつれて帰るのは諦めよう」
「本気で逃げられると思っているのか」
「心配無い、また私でなくとも我々の誰かが日本へ来る。その時はお手柔らかに頼むよ」
「
イベルカの放ったドイツ語の拘束呪文は渦に飲まれて霧散した。再び渦が同じ場所に現れる。
「古典的な魔法も扱えるのか、素晴らしい。それもあの人が教えたものか?」
「違うわ、自分で覚えたの。本当のパパとママが教えてくれた事を自分の力だけで習得したの」
「本当のパパとママ、小賢しい。偉大なる父親を持つというのに、まあ致し方あるまい」
無言で発した川島の呪文。橙と黄の光線が螺旋状に放たれた。イベルカが高位の防御魔法を詠唱し終えるよりもそれは早く、桜田は自身の白い腹を盾とし光線を受け、火花と爆音と光が散った。
花火が倉庫に鳴り響き、その向こうで川島は渦巻く黒い影に消えた。耳に痛いほどの静音が残る。
「聞こえるか水上、川島が姿くらましをした。追う事は可能か、くらまし時刻は現在時刻だ」
『反応が無い。52Hzのいる東京港付近の倉庫で姿くらましの反応を確認したのを最後として、一切の反応が無い。考えにくいが、国外だ』
「そんな………ここから姿くらましをして、ドイツのミュンヘンに姿あらわしなんて。無理よ」
「川島典明にはそれが可能なのだろう。その場合、日本国内では追跡が不可能となる」
桜田は悔しさを胸に込め、捜査員へ伝えた。
「こちら桜田。ハインゼルトを保護、川島は国外へ、ドイツへ逃亡したと思われる。作戦は失敗。繰り返す、作戦は失敗した。結界構成、終了」
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あれ程激しかった風も、雨も、雷も消え去った。
うねる東京湾と首都の街を眼下にシャチが飛ぶ。
川島を取り逃がした責を重く受け止める桜田の表情は、シャチであるが険しい。そして警察官の誇りも、刑事の自信も、目の前で奪われた命と共に傷つけられたイベルカ。風に髪をなびかせ遠くを見るが自然に視線が落ちる。
「あの課長さん、無事なのかしら」
「山川課長なら無事だ」
周りの人間をゴミと評した川島。なぜ山川の事も殺さなかったのか、死体安置所で凍死しないように魔法をかけた意図は掴めずじまいだ。
──でも。
桜田は寂しげに言った。
「課長は本当に辞めるらしい」
「なんで? 課長さんは悪い事してないでしょ」
「魔法が嫌になった。そう言っていた」
「そうなの………残念ね」
「魔法族のいない田舎に帰って、静かに農業でも始めるつもりらしい」
また、魔法界と一般社会の溝が広がったと桜田は嘆いた。桜田の理想から世界は急速に遠ざかる。
「今日もまたあの部屋に止まるの?」
「それ以外に場所が無いからな。それとも、君が泊めてくれるなら泊まるが」
「それ本気で言っているのかしら、別に私は構わないけれど、女子寮は狭いわよ」
「この話は辞めよう。僕は君が心配だ。それと、君は始末書の心配もしたほうがいい」
始末書という言葉にイベルカはピンと来ていなかった。反省文と言い直され、慌てふためいた。
「真実薬に聴取への乱入、今回の拉致。その他書く事がたくさんある。それと君が持っている魔法薬は全て提出し、合法的な物だけ渡すから」
「モンも反省する事があるんじゃないのかしら」
その一言に開心術を察知した桜田は即座に心を固く閉ざした。桜田も雄であり男で、人に言えぬ秘密や隠し事、イベルカには言わぬ腹がある。それを合う度に探られていたのでは身が持たない。
「僕の場合は始末書で済まない事が多いから問題が無い。今回のもバレたらどうなることやら」
しかしまたもイベルカは話を聞いていなかった。左手で背ビレを掴み、右手で前方を指差し、無邪気な声を上げた。身分証が無ければ子供だ。
「見てモン! 凄く綺麗よ、光の柱だわ」
地上ばかり見ていた桜田が見上げると、雨上がりの分厚い雲の隙間から帯状の光が都市のビル群に降り注いでいた。天使の
桜田は童心に喜ぶイベルカが落ちないよう、注意しつつ雲の間を加速した。
シャチと少女は光の梯子を進んでいった。
「52Hzのシャチ」用語解説
【
正式名称は
箒や飛行能力を持った
影移動、所謂姿あらわし、姿くらましもこの法律によって制限されている。また、影移動は国土交通省の管轄である。前述の動物もどきは環境省が管理している。煙突飛行やポートキーは別途の法律が適用され空路法とは異なる規制がある。