咬物語   作:宇佐見仇

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第神話 なでこナーガ

 

「あっ、貝木さんだ! 詐欺師の貝木泥舟さんだ! 中学生相手におまじないを売りさばいて小金を巻き上げるタイプの詐欺師の貝木さんだ! おーい! 貝木さーん!」

 甲高い女の声を聞いた貝木泥舟ではない俺は、すぐさま走って逃げるなどという分かりやすい真似はせずに、通勤中のサラリーマンのようにちょうど来たバスに乗り込んでやり過ごした。

 他人の振りをして逃げた。

 詐欺師である俺の名前を街中で大声で呼びつけるような無作法な知り合いはいないし、そもそも俺に知り合いはいない。百歩譲って顔見知りがいるとしても、俺に好意的な声を掛けてくる輩は皆無だ。もしあり得るとしたら、悪意を隠して近づいてくる復讐者か、人間の皮をかぶった『何か』だ。どちらにしてもろくな相手じゃあない。三十六計逃げるに限る。

 バスが発車するタイミングで、ふところにある携帯電話が着信音を鳴らした。取り出して画面を見てみると、知らない番号からの着信だった。なので着信拒否をし、携帯の電源を落とし、SIMカードを抜き取って真っ二つに折った。他に四つの携帯を持っているから、一つくらい使えなくなっても困ることはない。これでもう不審な電話が掛かってくる心配は排除されたが、念には念を入れて、電話が掛かってきた携帯携帯を近くの座席に座っている高校生の通学バッグの中に放り込んだ。これで危険は去った。

 俺は予定を重視する。予定調和を注視する。予定外に飛び込んでくるものは、大概は不幸を腹中に抱えているものだ。とかく詐欺師などと誰の恨みを買っているかも覚え切れない(覚える気もない)生業に身を浸していると、危険や不幸には必要以上に敏感になる。黒猫は視界にも入れたくないし、数字の四と九はあまり好きじゃあない。ジンクスもあれはあれで馬鹿にはできないということだ。雑誌の巻末に載っている週間星座占いの結果に一喜一憂している詐欺師など、日本中探しても俺くらいなものだろう。

 もっとも、俺は自分の誕生日など忘れているので、星座占いの結果などどうでもいいし、一度も読んだことはないわけだが。星座占いの結果に一喜一憂しているというのは、つまり嘘だ。俺は占いもおまじないも信じていない。信じているのは金くらいだ。

 一時間ほどバスに揺られてから停留所に降りると、停留所のベンチに千石がいた。

 千石撫子が嬉しそうに、俺を待ち構えていた。

「あっ。貝木さん、本当に戻ってきた」

「…………」

 千石撫子。

 蛇に絡み付かれ、蛇の神に憑かれた少女。

 現在は詐欺師に唆され、漫画家の道を歩んでいる引き篭もりだ。

 顔は千石撫子のものだが、あいつはこんなに明るく笑う奴だったろうか? 卑屈なところが抜けて、随分とたくましくなった印象だ。清々しいほどのベリーショートに芋くさいジャージ。初期に比べて、キャラ崩壊も甚だしい。たぶん千石の偽者だろう。

 偽者にせよ何にせよ、台詞からして一時間前に俺のことを呼びつけた奴はこいつに違いない。しかし、なぜ俺の降りるバス停が分かった?

 こっちの心を読んだか、沈黙を嫌ったか、千石は勝手に種明かしを始めた。

「臥煙さんに教えてもらったんだ。『貝木は予定が狂うことを嫌う奴だから、逃げてもどうせ待っていれば元のところに戻ってくる』って」

「…………」

 確かに、俺が飛び乗ったのは市内巡回バスだ。

 適当に時間を稼いで、向こうが探索を諦めるのを期待した――

 ――が、向こうに一枚上を行かれたか。

 どうやらこの偽千石のバックには、忌々しい元先輩、臥煙伊豆子が付いているようだ。さっきの不審な着信も、臥煙伊豆子に俺の連絡先を聞いて掛けてきたのだろう。そういえば最近、千石が怪異の専門家を目指し出した、みたいな噂を小耳に挟んだことがあった。臥煙伊豆子とのパイプがあるということは、そうなるとこの千石は本物の千石である可能性が浮上してきたわけだが、本物でも偽者でも俺にとって迷惑な存在であることには変わりはない。

 千石が俺の顔を見上げてくる。

「えっと……? 貝木さん、もしかして私のこと忘れちゃった?」

「貝木? いいえ、人違いですよ。私は石塚徹です」

「誰それ」

 俺も知らん。「私の姓名ですよ。普通すぎて逆に覚えにくいと言われます」

「髭似合わないね。それって付け髭?」

「失礼ですがお嬢さん、私はこれから行くところがあるので失礼します」

 俺は千石に背を向けて、明後日の方向に歩き出した。

 慌てて千石が付いてくる。

「あっ、待って待って。今日は臥煙さんの紹介で来たんだよ。『貝木の仕事ぶりを近くで見せてもらいな。撫子ちゃんに足りないものが分かるはずだ』って」

 そう言ったのと同時、どっかで監視しているかのようなタイミングで俺の携帯に電話が掛かってきた。携帯の画面には登録した覚えのない臥煙伊豆湖の名前が表示されている。こちらが着信ボタンを押すまでもなく、勝手に電話が繋がり、スピーカー通話設定に切り替わった携帯から臥煙伊豆子の声が流れてきた。

『ってわけだ貝木。一日だけでいいから、お前の仕事の作法を教えてやりな。ああ、これはお願いじゃなくて命令だからね。もちろん講習代は払う。じゃあよろしく頼むよ』

 一方的にまくし立てて、通話が切れた。

 俺はとりあえず臥煙伊豆湖に乗っ取られた携帯を遠くの河川敷にオーバースローで投げ捨て、付け髭を剥がしてから、ぽつんと立っている千石に振り返った。

「千石。お前に教えてやることはもうない。免許皆伝だ。お前はすでに立派な専門家だ。好きなところに行って、好きに生きるがいい。じゃあな」

「ちょ、待って待ってよ! まだ何にも教わってないよ」

「お前は優秀な奴だ千石。お前みたいな出来のいい奴は初めて見た。本物の天才だ。俺みたいな紛い物に頼らずとも、ニセモノのテクニックを学ばずとも、きっと一流になれる。いや絶対になれる。俺が保証しよう。むしろ俺が関わったばかりに、お前の才能を濁らせてしまうのが恐ろしいよ。お前も将来のインタビューで『自分を育ててくれたのは詐欺師です』、なんて自己紹介するのは嫌だろう?」

「でも、私を助けてくれたのは詐欺師さんだよ」

「…………」

「私はまだ右も左も分からない未熟者だけど、それだけは事実だって胸を張って言える。詐欺師の貝木さんは私の命の恩人だって」

「……チッ」

 俺は舌打ちを鳴らす。

 逃げるタイミングを失ってしまった。

 いいや、元よりあの厄介な先輩に大学時代に目を付けられてしまった時点で、逃げ場などこの世のどこにもないのだろう。それこそ地獄に逃げるしか。相手の無知に付け込んで仕事をする俺みたいな輩からすると、全知である臥煙伊豆湖はひたすら天敵だ。煙に巻いて逃げようとすれば、霧に呑まれて追い込まれるのはこちらの方。だから渋々仕方なく、手下の真似事を続けているのだ。

 ここで意地を張っても一銭にもならない。金にならずとも身の安全を買ったと考えれば、そう高くはない買い物だ。

 ――と、自分に言い聞かせる。

 そうでも思わなきゃ、やっていられるか。ガキのお守りなんて。

「付いてこい」

 俺はそれだけ言って、歩きを再開した。

 

       ●

 

「効率よく人を騙すには、宗教だ」

 ファミレスのボックス席。注文を取りに来た店員が帰るなり、俺はさっそくレクチャーを始めた。取り急ぎ忙しいわけじゃないが、不測の事態がいつ飛び込んでくるかも分からない家業――いつ包丁で刺されるかも分からない業に身を浸しているので、面倒事はさっさと済ませておきたい。そうでなくとも常に身軽でいたい性分だ。簡単なレクチャーで千石が満足してくれれば、それで今回の俺はお役御免となるだろう。

 のん気な顔でドリンクバーのジュースを味わっていた千石は小首を傾げた。

「それって新興宗教のことを言っているの?」

「いいや、新興宗教は目立つが、特にそれに限った話じゃあない。宗教というのは人を騙すのに最適だ。騙すにはまず相手に信じてもらわなくてはならない――信じさせなくてはいけない。相手を騙し、価値を巻き上げる。それは宗教も詐欺も普通の商売も一緒だ。宗教の原理や構造、存在意義を理解すれば、お前はどんな奴でも騙せる立派な詐欺師になれるだろう」

「別に私、詐欺師になりたいわけじゃないんだけど……」

「専門家になりたいなら、同じことだ。臥煙伊豆湖のような埒外な存在を見ていると分からなくなるが、言っておくが、怪異の専門家というのは俺や忍野の奴みたいな方がスタンダードだからな。とかく煙に巻き、人を騙し、怪異を欺く。臥煙伊豆湖が俺に期待しているのは、恐らく『そういう』胡散臭さについてだろう」

「胡散臭いのは否定しないんだね……」

「お前もその内、胡散臭くなる」

「ちょっとそれは……」

 千石が気もそぞろに目を逸らす。誰だって不審人物になれと言われたら拒否感を覚えるだろう。しかし、専門家になり、表の世界と裏の異界を行き来するようになるというのは『そういう』ことだ。清廉潔白のままでいたい人間は、そもそもの話この業界に向いていない。歪んだことが嫌いな暴力陰陽師のあの女でさえ、自分の手を汚すことには一切の躊躇いがない。

 千石は視線を戻すと、意思の固まった顔付きで頷いた。

「うん、まあ……いいよ。人の目を騙すのは、私も得意だから。可愛い子ぶるのも漫画を描くのも、見ている人を騙すってことだもんね。だったらこんなところでまごついていられない」

「そうか」

 配膳に来たファミレスの店員が、モーニングのスクランブルエッグのセットと季節のパフェを俺たちの前に置いていく。店員が立ち去ってから、俺は目の前の置かれたスクランブルエッグのセットと千石の前に置かれたパフェを交換し、ロングスプーンを手に取った。

「お前のおごりだ。遠慮なく食べろ」

「えっ! 私のおごりなの?! この店に連れてきたのも注文したのも全部貝木さんだよね! 私の意見も聞かずに」

「安心しろ。パフェ代くらいは払ってやる」

「それって当たり前のことじゃないかな……」

 千石は落胆しながら自分の財布の中身を確認する。どうやら持ち合わせが足りたらしく、ほっとした顔でモーニングのスクランブルエッグに手を付け始めた。

 少しして、千石の方から話を戻してきた。

「それで宗教の何を学ぶの?」

「ギミックだ」

「ギミック?」

「テクニック、理屈、構造、スキル、カラクリ、トリック、ノウハウ。言い方は何でもいい。宗教を成立させる方法を身に付けろ。千石。お前が宗教を立ち上げるとして、何が最低限必要か、分かるか?」

 唐突に聞かれ、千石は答えに詰まる。

「え? うーん……、信者さん?」

「信者は結果だな。すでに信者がいるのなら宗教は成立している」

「じゃあ……。お金? 活動資金的な」

「金はあって困るものじゃないが、なくても困らない。こと宗教においては清貧さが売りになることもあるしな。いいか、宗教に必要なのは、もっと根本的な存在だ」

 ヒントを与えてやると、千石は三度目にして答えに辿り着いた。

「あっ。そうか、神様だね?」

「そうだ。神、すなわち信仰対象がなくては、どんな宗教も成り立たない。逆に神さえいれば、どんなものでも宗教と言える。新興宗教も科学信仰もちっぽけなおまじないも、立派な宗教だ。では千石。神様であったことのあるお前に聞くが、神とは何だ?」

 千石は再び回答に詰まった。

「えっと……神様ってのは……、偉くて、力のある存在?」

「力のある存在、か。そいつはなかなか悪くない回答だ。大きな力は他の力を引き付ける。力のあるところには金も権力も集中する。やがてそこから国や宗教が生じるだろう。神には力が求められる。より細かく言うなら、他にはない神秘的な力だ。神は希少でなくてはならないし、正体があやふやでなくてはいけない。だから原子力は決して神にはなれないし、怪異は神に向いている」

「うーん、なるほど……」

 神妙に頷く千石。神であった経験から色々と思うところがあるのだろう。だからこそ千石に分かりやすく、このテーマから始めたのもあるが。

 さて、と俺は指を鳴らす。

「『神』の条件を理解したところで、ここからが本題だ。これまでああだこうだと偉そうに言ってきたが、俺は神をまったく信じていない。神を信じるという行為は尊重するが、神の存在は否定するし、愚弄する。軽視し、何だそれはと笑い飛ばす。いいか千石。『神とは何か』の俺の答えを教えてやる。神とは単なる被造物だ。人が誰かを騙すために造り上げた、祭り上げた空っぽな象徴。それが『神』だ。……これはお前の場合にも当てはまるな。普通の中学生だったお前が、あの神社の神様になったのは、誰かがお前を祭り上げたからだ。決してお前に特別な力があったわけじゃない。ちょうどよかっただけだ。誰でもよかったんだ。恋にうつつを抜かしている中学生でも――道端に落ちている蛇の抜け殻でも」

 いいか、千石。

 この構造をよく覚えておけ。

「神を造ったのは人間だ。そして、神を造れるのは人間だけだ。全知全能の神も八百万の神もどっかの誰かが造ったものであることには変わりはない。人間が単なる自然災害や突然変異の動物をありがたがって、大袈裟に持ち上げる。そうやって神が産まれ、宗教が生まれる。専門家になるなら、神を造れるようになれ」

「む、難しそうな課題だね」

「越えられない奴は一生掛かっても乗り越えられない壁だ。だがまあ、この辺はお前にとっちゃ難しいことじゃないだろう。紙で語り、神を騙る漫画家のお前にはな」

「……何というかこう、煽りがすごいね。やる気は出るけど」

「やる気なんか出すな。金を出せ金を」

「お金はそんなにないんです……」

 しゅんと縮こまる千石。でも、と呟く。

「でも勝手に神様を造ったりしても大丈夫なの? 怪異のバランス的に」

「うっかり成功しなければ問題ない。俺がおもちゃみたいなのばかり使っているのは、それしか扱わないのは万が一にも成功して、本物を呼び起こさないためだよ。成功するのは一度で十分だ」

 俺たちは過去に、一度だけ神を造ろうとしたことがあった。

 俺たちは――ある大学のある民俗学研究サークルに所属していたメンバーは、それぞれの知識と経験を活かして、一体の神を製造しようとした。百年間使われた死体に憑いた神、憑喪神を人為的に造ろうとした。幸か不幸か、その試みは成功して、一体の憑喪神がこの世に誕生し――そして、俺たちのその後の人生は定まってしまった。神造りに挑んだことを後悔している奴はきっと一人もいないだろう。だが、もう一度、本物の神を造ろうとする愚か者は一人もいない。邪道の専門家手折正弦でさえ、折り紙の式神で自重している。

 本物を造るのは一度で十分。

 つまりはそういう話である。

 講義がひと段落した俺は、次の議題に進んだ。

「さて、専門的なことは教えたが、せっかくだから一般教養も持って帰れ」

「な、なに教養って。私、勉強は苦手なんだよ。教養を強要するつもり?!」

 やかましい。

 千石が身の危険を察知して身構えるが、俺は容赦をせずに追い立てる。こればかりは棄権させる気はさらさらない。

「千石。苦手はしなくてもいい理由にはならないぞ。知識が足らないと死ぬという事実を最近のガキは知らないからそんな甘っちょろいことが言える。ただでさえ同年代より勉強が遅れているお前は、少々無理やりにでも勉強に勤しむべきだ」

「意外とスパルタ式……。分かった、分かったよ。小言は実の親で十分だってば。それでなに? せっかく教えてくれる一般教養っていうのは」

 つまらなかったら怒るんだよ、と教わる立場のくせに尊大なことを言う千石。こいつ、まだ甘え気質なところが抜けてないな。しかし挑発の相手が、巧みな話術も求められる詐欺師なのだから、あながち間違った言い草でもない。詐欺師の話がつまらなかったら、そいつは廃業すべきだ。

 いいだろう、その挑発に乗ってやる。舌先三寸の二枚舌で、世間知らずの中学生を勉強させてやろうじゃないか。

「俺はさっき人が神を造ると言ったが、その中でも蛇という生き物はよく神のモチーフに選ばれていた。人類は遠い昔から蛇に特別な恐れを抱いていたわけだな。恐れは畏敬でありすなわち信仰。蛇と神の結びつきは強い」

 蛇。

 爬虫綱有鱗目へビ亜目。

 毒と牙と鱗を持つ、獰猛な捕食者。

 不死の象徴、災いの化身とも崇められる、神々しい生き物。

 千石は警戒を和らげるように感心した。

「へえー。蛇の神様というと、ヤマタノオロチとか?」

「日本だとそれが一番有名だろう。世界中には蛇のかたちをした神や怪物が大量に存在する。インド神話のナーガとヴリトラ、北欧神話の巨大蛇ミドガルズオルム。ギリシャ神話には台風の語源である魔神テュポーンが登場する。世界最大の宗教であるキリスト教において、イブを唆して禁断の果実を食わせたのも蛇だったし、ドラゴンも大蛇と見なすことができる。特に水神、破壊神のイメージには蛇が用いられやすく、災いをもたらす神のほとんどが蛇の姿をしていたり、身体の一部が蛇だったりする。これは少々面白い話でな。悪役はとりあえず蛇の姿にしておけという共通認識があったわけだ。国や文化が違っていても、そのルールは共通していた」

「そのついでか知らないけど、ゲームとかじゃあ色んな属性がくっ付きやすいよね。毒とか石化とか、不死とか永遠性とか」

「畏怖の念が一人歩きしたかたちだな。髪が蛇は、メデューサだったか」俺は千石撫子の黒髪ベリーショートを見ながら続ける。「白蛇は金運の象徴とされている。毒、不死、石化、金運。過剰設定のオンパレード。ゲームでなくとも最強格の一角だ。なぜ蛇がこれほど過剰に嫌われ、持ち上げられているか、分かるか千石?」

 千石は勢いよく挙手した。

「はい! 分かりません」

「素直に馬鹿だなお前は。百回馬鹿と言っても足りないほど馬鹿だな。頼むから馬鹿丸出しで喋らないでくれ喋るな馬鹿。馬鹿が移るだろう」

「す、すごいシンプルに罵倒が飛んできた! 撫子ショック!」

 憤慨ばかりに立ち上がる千石に、俺は白々しい視線を向ける。

「まあいい。馬鹿は馬鹿なりに利用価値がある。そういう意味ではむしろ好ましいぞ。せいぜいそのまま馬鹿のままに育って、俺の小遣いの足しになれ」

「んんんんーー! そんなに馬鹿馬鹿言わないでよ! 撫子アグリ!」

「アグリは農業だ。同意するという意味の英単語もあるが、自分が馬鹿であることに同意したかったのか?」

「違うもん。農業の意味で使ったんだよ。撫子農業だよ!」

「農業を始めてどうする。無闇に強がるな。ヒントは、もう一つのアグリの意味だ」

「あ、アグリ? ……えとえと、スペルは? 英語でなんて書くの?」

「U・G・L・Y」俺はゆっくり唱えてやる。

「ゆーじーえるわい……」妖しげな発音で呟き、放心する千石。唐突に目の色を輝かせ、思い付きを叫ぶ。「分かった! GLAYだ! 私も何曲か知っているよ。名曲揃いだよね」

「アグリだっつってんだろ阿呆がアナグラムじゃねえんだよそうだとしてもUの代わりにAを持って来てんじゃねえ。uglyの意味が分からないなら正直にそう言え」

「素直に言ったら怒ったくせに……」

 小声でいじける千石。さっきのは何も考えずに言ったからだ。

「Uglyの意味は、醜い、だ。蛇が恐れられるのもその姿が醜いからだ」

「醜い、から?」

 千石はピンと来てない風に鸚鵡返しする。

「そうだ。蛇は、自分より大きな獲物を丸呑みする。咬み付くが噛み砕きはしない。『蛇は一寸にして人を呑む』とも言われている。まあ、これは『呑む』の意味が違うし、実際の蛇は獲物を絞め殺して、骨を砕いてから飲み込むわけだがな」

「えー? 蛇ってそんなに怖いかな。ちょろちょろしてて可愛くない?」

「その可愛い蛇どもを素手でとっ捕まえて、彫刻刀でぶつ切りにして、釘で木に打ち付けていた奴は言うことが違うな。動物愛好家の俺には、とても真似できん」

「……醜くて怖いのは、私の方だっていうオチ?」

「調子に乗るな。俺からすりゃ、お前も噂に踊らされているガキの一人だよ」

 醜くてみっともない、よくいる人間の一人だ。

 生物の蛇には醜いも美しいも介在しない。蛇の外観に美醜の評価を下したのは人間であり、結局のところ人間が蛇を忌避するのは、その肢体に己の醜さを見てしまったからである。鏡の語源は一説には蛇の目だと言われている。蛇の眼差しは、人の心の奥底を鮮明に暴き出してくれるだろう。蛇を見て、そこに写った己の醜さに恐怖しているのだから、まったくもって救いがない、滑稽な話だ。

 ふん、と鼻を鳴らし、俺は千円札をテーブルの上に置いて立ち上がる。

「講義は終わりだ。まあ、せいぜい努力して一流の詐欺師になることだな」

「いや、だから、詐欺師になりたいわけじゃないんだけど……」

 俺は千石に背中を向けて、さっさと立ち去った。俺の方法論の基礎は教えた。さらに実践的なことまで教えろというなら、別料金をもらわなければやってられない。ここから先、千石がどれほど伸びるかはこいつの器量に寄る。生憎、そこまで面倒を見てやる義理はない。忍野風に言うなら、人は一人で勝手に育つだけ、だ。一人で勝手に騙されたりもするがな。

 勝手に助かり、勝手に自滅する。

 ただの詐欺と宗教の決定的に異なる点を挙げるとしたら、詐欺は損害を与えるだけであることに対し、宗教はときおり本当に人を救うことがあるという点だろう。騙す側が適当にでっち上げた嘘が、信者の歪んだ思い込みで奇跡的に本物になってしまうこともある。

 世に溢れている神なんてものは、そんな具合に偶然、成り立ってしまったものばかりだ。

 プロとアマチュアの差は、意図的にその『奇跡』を起こせるか否かにある。

 千石撫子は、さて、どちらだろう。

 それを見定めるのが楽しみじゃないと言ったら嘘になる。

 まあ、つまりは嘘だ。

 若者の未来が楽しみなどと、教師じゃあるまいし。

 

 

 

 




撫子と貝木の組み合わせ、けっこう好きなんですよね。
お互いに遠慮なく話せるところとか。

本編(扇物語)で撫子と貝木が合流したときなんかは、もううきうきしましたよ。また撫子主人公で出ませんかねー。
出ないですかそうですか。
あ、はい。
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