咬物語   作:宇佐見仇

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鬼物語の裏話
鬼神さまの昔話


第神話 しのぶオーガ

 

 むかしむかし。

 遠く遠くのそのまたむかし。

 東の島国のあるところに、美しい神様がおりました。

 美しい鬼の神様が奉られておりました。

 絢爛豪華な羽衣を身にまとい、純金を糸にしたかのごとく輝く美髪を足元にまで伸ばし、その肌は白磁のように滑らかに透き通っておりました。一方で天狗のように高い鼻、犬のように鋭い牙、鮮やかな紅色に染まった瞳は怪物のそれでした。

 あまりに常人離れした外見と人間離れした神々しさから、美しき鬼の姿を目にした者は、誰もが瞬く間もなく心を奪われ、自然と頭を垂れたといいます。

 美しき鬼の神は豊饒の神として、その地の人々に崇められておりました。それというのも、鬼の神はあるとき天空より舞い降りると、長い間日照りに苦しんでいた彼の地に雨を降らして大いなる恵みを与え、多くの村と集落を救ったからです。近隣の村の住人はその奇跡を讃え、また再び飢饉が訪れぬよう、毎年、その年に採れた一番出来のいい作物を鬼の神様に献上しておりました。供物として奉げておりました。

 さて、ここだけのお話を一つ。実は、鬼の神様が降臨した地には、かつて一つの湖と一つの小さな村が存在していたのですが、鬼の神様が降ってきたときの衝撃でそのどちらもバラバラに吹き飛んでしまいました。壊れて砕けて裂けて千切れて割れて弾けて、木っ端微塵に散ってしまいました。湖の水は雨となって地域一帯に降り注ぎ、やがて水が集まり、新たな湖として生まれ変わりました。しかし村は、家屋や畑、家畜や水車、そこに住んでいた人々はそういう具合には行きません。一度壊れたらそれっきり。鬼の神様が村一つを消し飛ばしたことは紛れもない事実なのです。

 不幸中の幸いは、村の住人が丸ごと、一家郎党親戚一同一網打尽に消し飛んだお陰で、残された遺族が一人も生じなかったことでしょう。中途半端に生き残りが発生することもなく、村の関係者は全員綺麗に消えてくれたので、災の元凶たる鬼が救世主として彼の地に居座っても、文句を言う輩は誰一人としていませんでした。

 さてと本番はここから。ここだけの話はここからなのです。

 生活圏が狭い範囲で閉じていた当時の村々でしたが、わずかにも近隣同士の交流はございました。消えた村は地殻ごと吹き飛びましたが、細々とした繋がりは残っており、周りの村々の村長などは村が消し飛んだことやそれを仕出かしたのが、天より降臨した美しき鬼神であることは認知しておりました。村長らはそれをしかと把握した上で、破壊の罪を言及せず、消えた村のことを忘れることにしました。

 始めから、そんな村などなかったことにしました。

 もちろん、当の鬼神様が恐ろしかったのもあるでしょう。誰が神様に文句を言えますでしょうか。誰が神様を責め、罰を与えることができますでしょうか。それに鬼の神様は、数十人の命は奪ったかもしれませんが、降雨によって数百人の命を救っていたのです。その恩恵を受け取った村の村長らが、沈黙を選んだのもむべなるかな。こうして鬼神の罪は、村長らの墓場まで持っていかれることになりました。

 さて、豊饒を支える神として、すっかり彼の地に根付いた鬼神ですが、彼女は奉られている間、村や豊作のために何かをしていたわけではありませんでした。むしろ何もしていませんでした。毎日ゴロゴロして、食べては寝て、食べては寝てのそれはそれは自堕落な生活を送っていました。ただ『神』として君臨していただけです。しかしまあ、それはそれで神らしい在り方ではあります。積極的に動かなくても、ただそこに存在しているだけで人々は救われた気になるのが神様なのですから。

 むしろ何かしていた方が、周りにとって迷惑だったかもしれません。何せ鬼神は神様である前に鬼でしたし、鬼になる前はいくつもの国をその美しさで滅ぼしてきたお姫様でありました。万が一にでも彼女が自発的に動いた日には、綿埃がそよ風に飛ばされるが如く、地域の村々は吹っ飛んでいたでしょう。

 自堕落で傲慢で、そして高貴な鬼神様は村民らにそれは大層に奉られ、年に一度はささやかながら祭が開かれ、鬼神様に供物が捧げられました。困窮した時代でありましたし、大食いの鬼神からすると大した量ではありませんでしたが、何もしなくとも食事が運ばれてくるというのはありがたいもの。鬼神は毎年毎年送られる供物を人々の目の前でぺろりとたいらげ、感謝の意と次年の豊穣を約束しました。豊饒のために実際に何かをするわけではありませんが、こういうと人間が喜ぶことを知っていたのです。舌先三寸の口約束、リップサービスとはまさにこのこと。

 鬼神のお陰で一時的には飢饉を免れた彼の地でしたが、それでもまだ日々の暮らしは厳しく、数年も経てば鬼神が起こした気候変容も元に戻ってしまいました。枯れた地には野生動物も寄り着きませんから、当然、その地で捕れる鳥や魚の数は少ないです。そんな中、毎年鬼神に捧げるために穀物を用意していた村の住人らでしたが、ある年、鬼神が「草ばっかりで飽きた」と仰りました。「たまには肉が食いたいのう」と。

 この注文に住人らは頭を抱えて悩んだ、かと思えば実際はそんなことはなく、次の年から鬼神の要望通りの“肉”が供物に加わり、鬼神様は喜びました。それから毎年の祭で供物として“肉”が捧げられるようになりました。

 ええ、勘のいい読者諸兄の方ならすでにお気づきのことでしょう。供物に加わった“肉”とは人間のことです。

 何のことはない、つまり生贄です。

生娘の中から選ばれた乙女が神にその身を捧げる、その時代、どこでも行われていた神聖な儀式。人柱という言い方もあります。飢饉に瀕していた時代背景を鑑みるに、口減らしの意味合いもあったことでしょう。

 少し話を逸れますが、生贄が行われる際に、決まって器量のいい若い娘が選ばれるのはなぜでしょうか。宗教的、オカルト的な意味合いが挟まる場合もありますが、生物的にもっと単純な理由で説明を付けることができます。老若男女の区分で考えてみましょう。男が生贄に選ばれにくいのは、筋力のある男は労働力になるからです。老人が生贄に選ばれにくいのは、経験と知識を蓄え、そして病気や怪我に倒れずに長生きしてきた老人は共同体の存続に役立つからです。何が原因でいつ死ぬか分からない時代、老人というのは老人というだけで価値がありました。それを生贄にするなんて勿体ない、ということでしょう。すると男でもなく、老人でもない者を生贄にするのが最もローリスクという結論になります。

 美醜の基準で地味な娘よりも美しい娘が生贄にされやすいのは、あるいは人口統制の意味があったのかも分かりません。美しいとそれだけ異性を惹きつけ、すると子孫を残しやすい。しかし、困窮した時代や環境では多すぎる子供は邪魔でしかありません。多く産んで多く生き残らせるのも、より多くの子孫を増やそうとするのも生物の戦略、生存本能なのかもしれませんが、人間の子供は獣のように、放っておいても育つ代物ではありません。将来労働力になるからとしても、先行投資できる数にも限りはあるでしょう。子育ては簡単にはできません。育てられないなら産まない方がいい、そんな選択肢をしたとしても、誰がそれを責められましょうか。美しいことは罪ではありませんが、人口統制したい環境下では邪魔になりましょう。器量の言い若い娘が生贄に選ばれるのは、こういった理由からだったのです。

 

 と、まあ。

 

 うだうだとそれっぽい理屈を連ねさせていただきましたが、これらには一切の根拠がない上に、まともに寝ていない脳みその普通じゃないテンションで書いているため、まったく信用なさらないで下さい。雑談の寝言の痴れ事、すなわち戯れ言でございます。だいたい、現実の生贄には、若くて強い戦士を生贄に捧げる文化の国もありますし、労働力にならない老人からさっさと生贄に捧げることもあったでしょうし、子供を沢山産むことはやはり一定の正しさはあるでしょう。口減らしや人売り、奉公の文化などはありましたが、古い時代に人口統制を行うことはまずありえなかったでしょう。つまり、先に述べた生贄の選択の論はどこかしこに穴が開いている節穴の論理だったということです。ちっとも当てになりません。くれぐれも他人に言い触らしたりしてはいけませんやらないで下さいお願いします。論破されて恥を掻くのはあなた自身ですよ? 忠告はしました。

 物語に戻りましょう。

 鬼神は毎年、生贄を食べました。頭からばりばりと、爪先までボリボリと、血肉を啜り、人骨を噛み砕き、心臓を丸呑みし、人を食らいました。そこに躊躇いはなく、矛盾もありません。『彼女』は神であり鬼。不死の化け物であり怪異。人とはあらゆる常識が異なります。むしろ、食べものを食べて何が悪い、と不遜な態度。堂々としたものです。そして、何よりも人々は納得し、光栄に思いながら生贄を捧げておりました。神という立場に掛かれば、ただ人を食らうだけの食事でも、立派な祭事になり得ます。なり得てしまいます。少なくともその時代、その地域、その状況下では、人食いは罪ではありませんでした。TPOに則った行動でした。

 しかし、食事が豪華になったからと言って、鬼神が豊作のために働いたかといえばそんなことはなく、これまで通り、自堕落に過ごしました。気候が安定して豊作だった年もあれば、雨が一滴も降らず大地が枯れ果てた年もありました。それでも人々は変わらずに祭を行い、生贄を捧げ続けました。

 その甲斐あってか、一度は滅びかけた村々は半世紀もの間存続し、しかし、その甲斐虚しく、一世紀も持たずに日照りに襲われて滅んでしまいました。鬼神様がそのことに気が付いたのはすべての村が滅んでから数年後のことでした。人と獣の区別を付けず、一日と一ヶ月を同じくらいに感じている無頓着な鬼神様にしてみれば、それでも早かった方でしょう。

 この事実を、鬼神様は特に気にしませんでした。足元をうろちょろと這い回っていた蟻んこたちがいなくなったとしか思わず、この地に留まり続けていた理由がなくなっただけのことでした。これからは好きなところに行き、好きなように食事しよう、などと今後の計画を思い巡らせている始末でして。元々は観光目的でこの国に来たのが鬼神様です。 

 少し弁護しますと、村が消える、すなわち廃村というのは別段珍しい出来事ではありません。星の数ほど産まれて、星の数ほど滅びる。そんな自然の摂理の渦の中を踊る、泡沫の一つでしかありません。しかし、鬼神様を崇めるこの地域の村が滅んだ経緯には、ユニークな点がありました。それは、村の人口が少なくなってきてからも、鬼神様へ生贄を捧げていたということです。すべての村が滅びる寸前まで鬼神に生贄を捧げ、最後の生き残りとなった巫女もまた、その身を鬼神様に捧げました。どうか私を食べてください。私を食らい、人々をお救いください、と。

 そうして村は完全に滅んだのです。

 まるで集団自決かのような凄まじい行動ですが、抗えない窮地に追いやられた人々が、超越的な存在に縋るのは決しておかしなことではありません。むしろ絶望的な状況だからこそ、己のすべてを捧げてまで、数少ない生き残りの命を懸けてまで、神の奇跡を求めるのでしょう。藁にも縋る思い。敬虔な信心がも

たらす御業です。惜しむらくは縋りついた神が、自堕落で傲慢な鬼神だったことでしょう。もし鬼神が村の窮地に気付いたとしても、何らかのアクションを起こしたかどうかは怪しいものです。ましてや、人を救うなど夢のまた夢です。

 鬼神は死者に恨まれても仕方がないかもしれません。だけど、罪があるかと言えば、彼女に罪はありません。鬼神は最初から最後まで傍観者でいただけです。悪意もなければ善意もない。何十年も生贄を食らい、助けを求める声を無視したかもしれませんが、その件で怒っていいのは当事者たちだけです。当の村が滅んでしまっている以上、赤の他人が口を挟むのはお門違い。

 しかし、ところ変われば見方変わり、時代移れば感情も移ろいます。

 村がなくなったことにやっと気付き、これからどうしようかと考えていた鬼神の前に、ある訪問者が現われました。それは都から来た怪異の専門家で、鬼神を討伐しに来た剣士でした。怪異殺し。剣士はそう呼ばれておりました。

 村が滅んでから、都ではある噂が流れるようになりました。

 ある山奥の湖に、人食いの鬼が棲み付いている、と。

 数百年生きている化け物で、恐ろしい力を持っている。その地の住人を食らい尽くし、満腹になって今は眠っているが、その内、都に降りてくるだろう、と。

 そして、ゆえに、鬼退治の刺客が送り込まれたのです。

 都では飢饉で村が滅んだのではなく、鬼が村を滅ぼしたことになっていました。蚊帳の外から見たら、鬼神と村の関係はそう目に映ったということです。年に一度の祭で捧げられる生贄も、遠くの目には鬼が脅迫して生贄を出させていた、と思われていました。勝手な噂でしたが、かと言って、誤解とも言い切れない微妙なラインです。鬼神が人を食うことも、生贄があったことも、村が滅んだことも紛れもない事実ですので。

 鬼神は誤解を解こうとはせずに、怪異殺しの剣士を迎え入れました。誤解を解かなかったのは単に面倒くさかったからです。

 そして二人は殺し合いました。

 鬼神と怪異殺しは死闘を繰り広げました。

 何十、何百と殺し合い、それから紆余曲折あり、二人は怪異退治を協力するパートナー関係になりました。どうしてそうなったのかは、資料が足りないので分かりません。何かいいことでもあったんですかね? 恐らくあったんでしょう。お互いに全力を出せる相手に初めて遭えたとか、死闘が二人の孤独感を埋めたとか、共通の敵が現われたとか、まあ、そんな感じのが。しかしけれど、あってもなくても同じことです。結局結末は変わりません。

 初代怪異殺し・死屍累生死郎は太陽の下で焼身自殺し、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードはそのことを四百年間悔やみ続け、眷属を一人も作りませんでした。何百人も食ってきた悪鬼が、一人の戦友の死を嘆いて、この話は幕を閉じます。鬼神が吸血鬼に戻り、四百年ぶりにこの地を訪れてからの物語は、講談社BOXより刊行している物語シリーズ(著・西尾維新)を参照してください。

 さてさて。

 さてしてすてせてそて。

 鬼神が神様であることに失敗し、誰も救えなかった物語でしたが、ここから得られる教訓などはありません。歴史に残すまでもない、歴史書に記すまでもない、過去の事象の走り書き。ただ残酷な現実が語られただけで、歴史を見渡せば、特に残酷とも言えない、よくあるエピソードの一つです。

 あえて苦言を呈すのならば、流されるような生き方をしていたら危ないってことでしょう。案外、周りに流されていても生きていられる平和な時代だからこそ、大事にしたい教えかもしれないですね。選択の自由と、選択したことへの責任。

 鬼神は選択しませんでした。最後まで当事者意識はなく、何も選ばなかったから、ああいう具合になってしまったし、事が終わってしまったあとでも後悔を感じなかったのでしょう。無関係者は後悔を感じることすらできないのです。しかし、何を選ばずとも生きていけるのは強者の特権ですね。ただそこにいるだけで惨劇を引き起こせるとは。

 こんな風にはなってはいけない。鬼から何かを学ぼうとしてはいけない。

 そんな反面教師のお話でした。ちゃんちゃん。

 

 …………ん? 

 何ですか、みなさん、きょとんとして。

 話が違う? 事実と異なっている?

『くらやみ』はどうしたのかって? 村人は『くらやみ』に食べられてしまい、キスショットも『くらやみ』に襲われたから逃げたんじゃなかったのかって? そこで肉体の大半を食べられて手首だけになってしまった死屍累生死郎を助けるために、吸血して眷属にしたのではなかったのかと? 鬼物語を読み直してこいエセ西尾維新信者? 

 あっはっは。なるほどなるほど。実に面白い意見です。

 ですが、その反論には二つばかり間違いがあります。

 一つは、この昔話は地方に残されていた伝承を編纂した、創作物の類でありまして、過去の事実を証明するものではないということです。世の中には歴史書には残されない逸話や伝承のこぼれ話が存在しています。これは、その一つである鬼神の伝承をアレンジしたものでして、つまり、事実と異なっていようが関係ない、ということです。『くらやみ』についての伝承が何かしら残っていれば、また異なった筋書きに仕上がっていたでしょうが、伝承に残っているのは飢饉の時代に鬼神が現われて、村人全員が消えてしまった、というあらすじだけです。まともな歴史学者なら、寒波か伝染病を鬼神に例えているのだろう、と解釈するでしょう。怪異を知っている人からしても、鬼の怪異が村人を食い尽くしたのだ、と考えるところです。

 そもそも、鬼神に食われようが『くらやみ』に飲まれようが、人間からしたらどちらも同じこと。理不尽な現象によって大勢の人間が消えたという事実には変わりがないのですから。そしてその事実すらも、後世の歴史では飢饉で死んだことになるでしょう。

 そして二つ目の間違いは、あれが事実とは限らない、ということです。

 鬼物語にて忍野忍が話した思い出は、果たしてどこまでが正しいのでしょうか? 記憶力に乏しく、人間の区別も怪異の見分けも付けられない、傲慢たる怪異の王であるところの旧キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード、忍野忍があの場で話した内容をどこまで鵜呑みにしていいものでしょうか。

『くらやみ』が村人を飲み込んだという説明にも疑問が残ります。『くらやみ』は世界のルールから外れたもの、存在の嘘を吐いているものを飲み込んで消し去る法則らしいですが、村人たちは鬼を神様として崇めていただけで、ルールから外れたわけでも、嘘を吐いたわけでもないように思えます。普通なら村人なんか無視して、真っ先にキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの前に現れるべきではないか。それなのになぜ先に村人たちから狙ったのか……。

 もちろん、『くらやみ』に追われているあの状況で、忍野忍が出まかせを喋ったとは思いませんし、『くらやみ』も死屍累生死郎もその後の物語で出てきて掻き回していったから、ある程度は事実に沿っていることは確かだと言えます。ただ、一人の証言だけで『歴史の事実』を決定するわけにはいきません。それは歴史の改竄という危険を孕んでいます。まあ、もう一人の証人だった死屍累生死郎がすでに忍野忍に取り込まれて消えてしまっている以上、裏付けのしようがありませんが。

 多方面からの意見を取り入れたいところですが、人間サイドの解釈はやはりこの昔話の内容のようになるでしょう。鬼神が村人を全員食べてしまったのだ、と。

これを裏付ける証拠は当然ありませんが、特に否定する必要性もありません。

鬼が人を食った。鬼は人を食う。誰もが納得する筋書きです。

 ところ変われば見方変わり、角度違えばもはや別物。

 事実は一つでも、そこから生じる解釈や感情は人の数だけあります。そのどれもが嘘ではなく、後世に語り継がれていった幾つかが『正しい歴史』になる。一つの物語が正しいか間違っているかなんて、あとになってようやく結論を出すことができるのです。

 とまあ。

あらかじめ想定しうる反論に対する反論を前もって陰険に並び立てたところで、いよいよ語り部の役目にもお暇をいただき、神話に幕を下ろすといたします。

 それでは、読者の皆々様。

 縁が合ったら、またお会いしましょう。

 とっぴんぱらりのぷう。

 

 

 

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