「なあ、八九寺。どうしてお前って噛むんだ?」
ある日の帰り道のことです。
冬の到来を感じさせる、寒々しい夕暮れの街中。
自転車を転がして並進する阿良々木さんにそんなことを聞かれました。
わたしは喉を唸らせます。ついでに言うなら、眉もしかめてやりました。
「ほう。どうして噛むとは、これまた哲学的なことを聞きますね、阿良々木さんは。なぜお前は息をするのか、なぜ心臓を動かすのか、お前は今までに食べたパンの数を覚えているのか、と訪ねられた気分です」
「最後ディオ・ブランドーになってるぞ。吸血鬼ネタはむしろ僕のだろ」
「いいえ、こればかりはわたしも譲れません。わたしも小学生のときには男子に混じって、吸血鬼ごっこに興じたものです。毎回、誰が悪の帝王を演じるかで揉めていましたね」
「やんちゃな子供時代だな……。結局どうやって決めていたんだ?」
「一番ディオの物真似が上手い人です。今でもできますよ。私は人間をやめるぞぉ、ララァ!」
「やめろ。人間はやめていいが、ララはやめてくれ。小さい方の妹のあだ名なんだ……」
「では、こよこよ」
「それは戦場ヶ原が使ってる」
「おや『戦場ヶ原』ぁ? 『ひたぎ』ではなくてですかぁ?」
「何だそのウザ絡みは。ウザすぎて逆に好きになりそうだ」
「当たり前のことを聞かれても困ります、ということです」
話を戻すと、阿良々木さんは首を傾げました。
「どういうことだ?」
「わたしは噛むために存在しているんですよ。阿良々木さんの名前を噛むことこそが、八九寺真宵の存在理由です。わたしから噛みネタを奪ったら何が残るんですか、もう」
「そこまで重要な話だったのか? いや、残るだろ。迷子の幽霊とか、その巨大なリュックサックとか、ツインテールとか、生意気な丁寧口調とか。僕の知り合いの中でも随一にキャラが立ってると思うぞ。一発で見分けが付くし」
「確かに、外見は登場初期から変わってませんし、性格もぶれてませんね。他の方々が変化しすぎなせいもありますけど。その点で言えば、わたしはすでに完成されたキャラクターと言っても過言ではありません」
「八九寺って、早口言葉は得意な方だっけ」
「斜め七十七度の並びで泣く泣く嘶くナナハン七台難なく並べて長眺めは、噛まずに言えますけど、舌足らずなので早くちて言葉は苦手でちゅね。ちちゅれい、噛みまちた」
「あざとすぎて見事だよ……」
もうお前は噛みマスターだよ。
と、阿良々木さんは惜しみなく讃えてから、ジロリと睨んできました。
「というか、やっぱり僕の名前を噛むのはわざとか」
「失礼、滑りました」
わたしは口を押さえますが、ときすでにお寿司です。
「また噛んでるぞ。ときがお寿司なら、僕らはネタか?」
「お愛想食らうほど、さび付きたくはないですね」
「同じネタを繰り返していたら飽きられるよな……」
と、若手芸人のようなことを述べる阿良々木さん。
「少し話変わるけど、舌を噛むってのは本来は危険な行為だからな」
「ええ、存じております。自殺の定番ですね」
「舌を噛んで自殺ってのは、意外と難しいらしいけどな。舌を噛み切るのが難しいとかって。まあ、舌を切断したら死ぬ危険性があるのは事実みたいだ。出血多量か、舌が喉に詰まって窒息死するか……。わざとやっててその内、本当に強めに噛んでしまったら危ないし、噛みネタもほどほどにしとおけよ」
「んんー、心配していただけると茶化しにくいですね。私たちのアニメを見た世間様が『子供が真似したらどうするの!』と抗議を入れてくるかもしれませんし、そう考えると私も年貢の納め時かもしれませんね。コンプライアンス的に」
「実際に真似をして舌を噛もうとする子供がいるか……? 台詞を真似する人は多いだろうけれど」
「ちなみに、文章上じゃ伝わってないと思いますけど、私、毎回本当に噛んでいるんですよ、舌を。リアルティを増すために。強く噛みすぎて出血することもあります」
「ボケに身体を張りすぎだろ!」
「舌噛みに限らずとも、阿良々木さんと私の絡みはセンシティブなシーンが大目ですからね。アニメじゃ包み隠さず、どころか過剰に描写していましたけれど。私が登場する回は物議を醸しかねない、際どいシーンのオンパレードです。いまだ私のヌードが披露されていないのが不思議なくらいです」
今のところ作中でヌード(セミヌード含む)を披露しているヒロインは、戦場ヶ原さん、神原さん、千石さん、羽川さん、忍さん、阿良々木火憐さん、阿良々木月日さん……。脅威のヌード率です。モンスターシーズンの登場人物まで含めると、貼交帰依さん、スーサイドマスターさん、紅孔雀さん。むむう、こうなると逆に、服を着ている方が恥ずかしく思えてきますね。着恥ずかしくなってきました。
「思うな。着恥ずかしくなるな。服をきちんと着ていることを誇りに思え」
「かろうじて全年齢指定のラインは守られているものの、今後の物語シリーズの映像化がどこまで実現できるかは危ういところですね。表現に関する規制や圧力が厳しくなっていく昨今、私のような身体を張った芸人は自然と廃れていくしかないのでしょう。世間の同調圧力や自粛ムードには屈したくありませんでしたが、それも止む得ません。コンプライアンスを尊重して、私は噛み芸を封印しましょう。コンプライアンス的に」
「コンプライアンスって言いたいだけだろ。っつうか、封印するとか仰々しく宣言したって、どうせお前のことだから、数秒後には僕の名前を噛んでいるのが目に浮かぶぜ」
「むっ、失礼ですね。私が大恩ある
「噛みまくりじゃねえか。噛み噛みじゃねえか。最後のなんて似てる雰囲気漂わせているだけで一ミリも似てねえだろ、何て読むんだその名前」
「かうしとらしゃくふれきさん」
「そこは嘘でもあららぎこよみと言えよ……」
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだ……」
「噛みまみた」
「わざとじゃない!?」
「歯に染みた」
「歯周病かな?」
オーラルケアは大事ですね。
まあ、わたしが阿良々木さんの名前を噛むのが意図的なものか無意識なものかは棚に上げるとして、こっちも相手の痛いところを攻撃します。
反撃開始です。
「わたしのこと散々言ってくれますけれど、阿良々木さんこそ、阿良々木ハーレムを否定しているくせに、男性のご友人を作らない理由を問われたらお答えできますか? まだあのモットーを貫いているんですか? かねてより散々主張しておられる謎理論、『友達は要らない。人間強度が下がるから』」
「ああ、うん……。まあ、今なら告白できるけど、正直僕、同級生から避けられてたんだよね……。そんでもって高校三年生になってから付き合いだしたのが、あの羽川と戦場ヶ原なもんだから、ますます周りから浮いちゃったところがあってさ」
「わたしとこうして話しているところも、幽霊が見えない人からしてみたら、一人で大声で喚いているやばい人、ですからね。そりゃあ誰も近寄りたいとは思いませんよ」
「だよなぁ……。こっちから向こうに話しかけても逃げられるばかりだし」
「でも、阿良々木さん、ぼっちなところに孤高を感じている部分もありますよね。浸っているというか、『群れない俺、最高にクールだぜ』みたいな」
「ウギクッ!」
急所を突くと、阿良々木さんは心臓を押さえて身悶えしました。なるほど、なかなか救いがたくこじらせていますね。思った以上に刺さってしまったみたいです。
「ちなみに、この際だからいくつか聞いてみたいんですけど、そもそも人間強度って何ですか? 人間関係から逃げているとその『人間強度』は上がるんですか? 不良と思われて腫れ物扱いされてるから友達がいないなどと仰っていましたが、じゃあ不良になる前には友達はいたんですか? あ、それとついでに、阿良々木さんが輝いていたと言われる中学校時代、黄金の正義の味方の全盛期、その頃の武勇伝もぜひとも聞かせてもらいたいです」
「ギクッ! ギョエ! ゴポゥ! お、おええええええええッッッ!」
追い討ちを掛けると、そのたびに跳ね回る阿良々木さん。
何とか起き上がった阿良々木さんは、潰れたトマトのように赤面しながら、声を震わせ、涙をこらえ、小鹿のように膝をガクガクと振るわせつつも、必死に弁明します。
「……お、男友達なら、エピソード君がいるししししぃ?」
「まあ、百歩譲っていいでしょう。他には?」
「ええと……、妹たちの恋人の、瑞鳥くんと蝋燭沢くん……」
「…………」
もうどうしようもなく阿良々木暦さんという生き物が哀れに思えてきて、これ以降、友達の話題でいじるのはやめようと反省しました。わたしは十ラウンドを戦い切ったボクサーのように座り込んで項垂れている阿良々木さんの肩を優しく叩き、呼びかけます。
「いいんですよ、阿良々木さん。もう強がらなくたって」
「……は、八九寺」
「自分の弱さを認めましょう。弱くたって良いんです。人は成長する生き物なんですから。人は噛んで含んで、噛み付いて、噛み砕くことで物事を飲み込ます。色んなものをえり好みせずに、清濁合わせてぐっと飲み込んで、そうやって成長していく。私は、阿良々木さんのそういう物事を素直に飲み込めるところは尊敬しているんですよ」
「ところ『は』ってのが気になるなあ……」
「ええい小さい男ですね! 人間強度のたかが知れます!」
せっかく褒めたのに!
正面から珍しくデレてあげたというのに!
「高校時代の友人関係を棒に振ってまで鍛え上げた阿良々木さんの人間強度はその程度ですか? いいえ、進学校で孤高に不良を突っ張って、同級生どころか教師からも一目置かれていた阿良々木さんの人間強度がそんなに弱いはずありません! 人間強度が何なのか、阿良々木さんしか知りませんけどね!」
羞恥に駆られた私が惨たらしく古傷を抉りまくると、阿良々木さんは絵に描いたように大人しくなってくれました。死体のように静かになってくれたと思ったら、自分の舌を噛み切って悶死していました。オーバーキルしちゃったみたいです。
「ぼ、僕が何をしたっていうんだ……」復活した(文字通り)阿良々木さんが立ち上がります。「よくもやってくれたな……、この恨みは、身体で支払ってもらおうかああ!」
両目を鬼のように尖らせ、口が耳元まで裂けた悪鬼羅刹と化した阿良々木さんが襲い掛かってきました。わたしは必死に逃げました。
「きゃああああああああ! 人間強度! 人間強度! 人間強度!」
「ポマードみたいに連呼するな!」
しかし、咄嗟のトラウマワードは確実に利いているようで、口割け鬼・阿良々木さんの動きは止まりました。ファイティングポーズを取っていますが、膝がメトロノームのようにガクガクと笑っている状態です。
しめしめ。しばらくはこの方法で阿良々木さんをコントロールできそうですね。この人を調子に乗らせると、本当にどんな余計なことをし出かすか分からないので、宥める方法を常に確保しておく必要があるのです。特にわたしは、街中でいつ阿良々木さんに乱暴に襲われるかも分からない恐怖に苛まされていますし。
猛獣の鎮圧に成功したわたしは、やれやれと吐息します。
「まったく……。うかうかと散歩もできませんね。阿良々木さんのごとく危険人物を野放しにしているこの町の司法機関は一体何をしているのでしょうか。正義はいずこに! 『犯罪率0パーセント! ただし警察も法律もありません』みたいな!」
「ディスるなディスるな。全力で阿良々木家を敵に回そうとするな」嗜めつつ、阿良々木さんはガシガシと頭を掻きます。どこか申し訳なさそうに。「なんつーか、あの家で不良なのは僕だけなんだよ。僕一人が独りでにドロップアウトしているに過ぎなくて、両親や妹たちは己の信じている正義を実現しているんだ。あまり悪く言わないでくれ」
「あなたの家族思いなところは好きですけど、そうやって必要以上に自分を貶めてしまうところは嫌いですね。あなたのことが嫌いですリターンズです。正義のコンプレックスが強すぎますよ。阿良々木さんがそんな風じゃ、こっちも救われた甲斐がないじゃないですか」
救い上げられた甲斐がないじゃないですか。
「それとも、わたしたちの感謝まで否定するつもりですか?」
「……できねえな。それは」
阿良々木さんは苦虫を噛み潰したように、一杯食わされたかのように苦笑しました。以前にも似たようなお叱りを受けたと思うのですが、まあ、一度の反省で改心するようでは阿良々木さんではありません。何度失敗を繰り返し、何十度反省を重ねようと、阿良々木さんは最初の頃とまったく変わらずに、誰かを助けようとするのでしょうから。他人の理不尽に臆すことなく、噛み付いていけるのです。
わたしと阿良々木さんは山道の入口、石階段の前で立ち止まりました。わたしの今のお家に到着しました。この険しくて長い階段を上っていった頂上にある神社、北白蛇神社が、神様であるわたしの現在の住まいです。
わたしは階段の前に立ち、阿良々木さんの方に会釈しました。
「送ってくださってありがとうございます。歩くペースに合わせてもらって」
「いいや、僕もお前とゆっくり話せて楽しかったよ。免許を取ってビートルを乗り回すようになってから、お前と話す機会もめっきり減っちゃったし」
「阿良々木さんも、大学で忙しかったみたいですしね。もう冬休みなんでしたっけ?」
「ああ、この間から実家に帰省している。一月の三日まではいる予定だ」
「わたしと遊ぶのもいいですけど、戦場ヶ原さんをほったらかしにしてたら怒られますよ」
「あいつとは喧嘩中だ……」
重苦しい表情で述べる阿良々木さん。おっと、地雷を踏んでしまったようです。
「僕が何をしたっていうんだ……。僕はただ命日子と二人でプールに行って、老倉の部屋に泊まって、日傘ちゃんたちのパジャマナイトパーティに女装して参加しただけなのに、ひたぎの奴ったら、『最低。不潔。見下したわ。別れましょう』って言うんだぜ。酷いと思わないか?」
「酷いのはあなたの貞操観念です」
見下して、三下り半を叩きつけるのも納得のエピソードです。
男女関係は他人が口出しすることではないですけど、阿良々木さんのこの問題は根が深そうですね。恋人として付き合っている戦場ヶ原さんより、友達として遊んでいる方々の方が幸せそうというのは、なかなかに皮肉な図です。戦場ヶ原さんに男友達ができたら、阿良々木さんも焦ったりして、反省したりするのでしょうか。何だかそれが原因で、一気に破局まで行ってしまいそうなのが怖いんですよね……。
しかししかしは、割れ鍋に綴じ蓋。何だかんだ言ってお似合いの二人ではあります。わたしは迷子の神様であって恋愛成就の神様ではありませんし、新米の神の立場から偉そうなことを言うのはこの辺にしておきましょう。
わたしは背中を向け、階段の一段目に足を乗せました。
「それでは、また」
「ああ、また遊びに来るよ」
「いつでも歓迎しますとも」
わたしは階段の上でくるりと振り返り、応えます。
「何もご用意できませんが、遊び相手とお悩み相談なら二十四時間受け付けております。道に迷ったら北白蛇神社まで!」
「ははっ、すっかり神様の風格だな」
「ええ。八九寺神話は始まったばかりです。今ならあの台詞を胸を張って言えますね」
すなわち。
「神はいた! それはわたしです!」
「そういやこの間、一ヶ月間くらい神社にいなかったけど、どこに行ってたんだ? 忍は何か知っているみたいだったけど、何も教えてくれないし」
「ええ、ちょっとばかし出雲の方に出張に行ってきました。研修旅行みたいなものです」
「ふうん、出雲って島根県だっけ。ってか、そんな遠くに外出できたのか?」
「遠い……んですかね? この町から出雲って」
「ああ……、そうだな。遠いかどうかは分からないよな……。直江津町は、邪馬台国並みに所在地が不明だから……。国内であることは確かだろうが」
「本当、どこにあるんですかねえ、この町は……」
「どこだろうなあ……」
〈おわり〉
とりあえず終了。
ご拝読ありがとうございます。
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それ以外の、心を持たない、冷血の吸血鬼のような方は、それなのに最後まで読んでくれたツンデレの吸血鬼に違いないので、私は歓喜します。
SP
チェンソーマンアニメ化やったあああ!