時は流れ、明治35年。
6歳になった凛は、家の庭先でその手に携えた木刀を構え、大きく息を吸う。
一意専心
意識は総ては振るう刃に集め、自身が前世で修めた流派を思い出す。
「弐の型 疾風!」
以前はその名の如く、疾き風の如き踏み込みで間合いを詰めて一閃する速攻の型。その速さはかなりの物だったと自負もある。
だが齢6歳という幼さは、筋力の不足もあってか、せいぜい以前における普通の踏み込み程度しか出せない。
加えて…
「はぁ…はぁ……!やっぱり…1~2発で…限界か…!」
膝に手を着き、大きく肩で呼吸をしながら額から伝う汗を拭う。
肉体的な地力が以前と全く違うため、流派である八葉一刀流の型を連発できないでいた。
「フフフ…娘よ。精が出るな。」
「親父…。」
「違うだろう凛よ。父上だろう?母にもそう厳命されたハズだが?」
「ぐぬ……ち、父上…。」
「フフフ…それで良い。」
凛は前世でのように譲治郎を『親父』呼びして居たところ、母である千代にそれはもうこっぴどく叱られた。
曰く、
「女児としてのお淑やかさに欠ける」
とのことで、それはそれは凛にとってトラウマとなっていた。床に正座させられ、こんこんと女子の何たるかを、それはもう夜通しと感じるほどに長い説教だった。
「しかしその歳で、速度が足りぬとは言え弐の型を放てるとは…やはり天賦の才と言うものか。」
「いや…俺はただ他の子と違ってズルをしているだけさ。天賦の才なんて、俺はそんなにたいそうなものじゃない。」
凛は前世の『八葉一刀流免許皆伝の剣聖 リィン・シュバルツァー』の記憶を持って生を受けている。
20年近くという研鑽の日々の思い出は、脳髄にしっかりと刻み込まれており、身体の動かし方や、知識としての技術を既に習得しているのだ。
身体能力から来る力不足は否めないものの、どうすれば力強く、速く、確実に刃を振るえるかを知っている凛は、同じ歳の子供と比べて大きなアドバンテージを得ていた。
「凛よ。自身の呼びを気を付けた方が良いぞ。今、俺と言ったな?」
「あ……ぅ…、や、やっぱり慣れないんだよ…。」
「慣れろ。でなければ、千代から雷が落ちることになるぞ。」
「…善処する。…所でおや…いや、父上。『黒』について新しい情報はないのか?」
「うむ…今回の任でも方々を回ってはみたが…真新しい情報は得られなかったな。」
譲治郎の任…それは鬼を狩る組織のもの。
通称『鬼殺隊』
世に蔓延る鬼を人知れず狩る、政府非公認の組織だ。譲治郎はその隊士の中でも、最上位の柱とも行かないが、階級では最上位の
その任務の傍ら、譲治郎は『黒』の情報を求めて、日本各地を駆けずり回っていた。
が、その結果は芳しくなく、徒労に終える物ばかりであった。鬼殺隊としての任を経ての仕事で言えばその限りではないのだが。
「奴のことだ。恐らくはお前達と戦った事による消耗を癒すべく、何処ぞに息を潜めて居るのだろう。あそこまで弱めたのだ。今しばらくは動き出すまい。」
「そうだといいけどな…。」
「ふむ…凛よ。物事には慎重に捉えすぎるのは如何なものかと思うぞ。少しは前向きに考えるのも必要だ。」
「…わかった。善処する。」
「わかれば宜しい。…奴が復活するまでの時に猶予があるならば1つ、来る戦いに備えて、お前に教えておく技能がある。」
「技能?」
「うむ、我等鬼殺隊が強靭な肉体を持つ鬼と渡り合うために用いている、身体能力を高める呼吸法…その名も『全集中の呼吸』」
「全…集中?」
譲治郎曰く、呼吸器官や血流器官を活性化させ、瞬間的に身体能力を強化する特殊な呼吸法だと言う。
鬼の強靭且つ弱点である頸を強化した身体能力で、特殊な鉱石を用いた刀で斬り落とすことが可能となる。
「これを会得すれば、お前は更に上を…。」
「父上…。」
つらつらと得意気に話す譲治郎に、凛は申し訳なさそうに怖ず怖ずと手を上げる。
「多分私…似たようなの…出来ると思う。」
「なん……だと……」
唖然とする譲治郎を余所に、てちてちと彼から距離を取った凛は、目を閉じてゆっくり、ゆっくりと息を吸い込む。
「コォォォォ…!」
全身の血管1本1本…その隅々に酸素を行き渡らせるように意識を集中。
自身の中にある『それ』をあるがままに受け入れる。
自身の身体に、異物である何かが巡るのがわかる。
だかそれを拒まず、万物を受け入れる。天然自然の真理。
それこそ…
「神気…合一…ッ!!」
瞬間、周囲の空気が爆ぜた。
まるで凛を中心とした竜巻のように、砂埃が舞い上がり、
草木はその葉を大きく揺らし、
譲治郎の肌をピリピリと刺す。
そして、力の発動を示すように、前世の
(ほう、これは…『鬼』の力…!)
前世でリィンがギリアスから移植された心臓に宿していた『黒』の力の一片であり、異能。『黒』の贄として選ばれたリィンの一種の副作用。その力はその名の通り、この世界における鬼の力と謙遜ないほどに身体能力を高められる。
だがあくまでもそれは前世でリィンの身体のことであり、今の凛は紛れもなく何の変哲も無い、前世の記憶があるだけの人間。鬼の力を持つことはないはず。
「なぜ…鬼の力が使えるのだ?今のお前は…」
「あぁ、普通の人間のはず…。でも、身体の奥底で、感じるんだ…黒の力を。」
ぎゅっと…以前の鬼の力の根幹であった心臓…それを確かめるように、凛は自身の胸を掴む。
以前のような痣はない。
だが確かに、自身の深い深い奥底にそれは確かに感じる。
それは自身を蝕もうと虎視眈々と狙っているのか、
それとも…
それを確かめる術は今はない。
流石に鬼の力の解放に慣れているとは言え、肉体的な負担は6歳児の身体には少々大きいようで、以前のように長時間の解放は出来ず、程なくして元の艶やかな黒髪に戻る。
「ふぅ…。」
「やはり長時間は無理なのだな。無茶はするな。」
「あぁ…、でも何とか元々の位には使いこなしてみせるよ。」
「そうではない。その力は黒の因子に身体を委ねることで、身体能力の向上を図っているに過ぎん。いつ、何時お前の精神が浸食し、蝕まれるかわからんのだ。乱発はやめておいた方が良い。…何せ今のお前の心臓は、何の変哲のない、普通の臓器なのだ。以前とは全く同じように行くわけではないのだぞ。」
「…善処するよ。」
「それは、あまり当てにならん返事の仕方ではないか。」
呆れる今のギリアス…もとい、譲治郎の精神には、前世のような黒からの浸食はない。以前の彼ならば、自身の目的…黒の殲滅のために、自分自身は元より、実子たるリィンですら贄として、駒として扱う、正に二つ名の鉄血に相応しい考えを通していただろう。
だが今の彼は、唯々前世で喪われた自身の子供との掛け替えのない時間…それを取り戻すかのように、リィン=凛との掛け替えのないやり取りに、忘れかけていた家族との幸福を噛み締めていた。だからこそ、凛に対して心配性=やや親バカと化しつつあるわけだが。
「ならば、全集中の呼吸…それを八葉一刀流に活かせるよう、そして鬼の力に依存せぬように鍛練を積め。それは必ずやお前の切り札となろう。」
「そうだな…確かに神気合一を頼みにし過ぎるのも考えようか。わかった、父上の言うとおりにするよ。」
「フフフ…ならば1つ、親子の触れ合いとして稽古を付けてやろう。」
その後、互いに服がボロボロになるまで呼吸法と剣術の鍛練を積んだ2人は、一家のヒエラルキートップに立つ千代による、それはそれは恐ろしい折檻を受けたという。
その時の譲治郎…鬼殺隊でも柱に並ぶとされる大の男の彼とは思えぬ程に小さく、尻に敷かれた男の鏡のようだったと、後に凛は語る。