「あらあらまあまあ!」
「こ、これは…任務に出ていた間に一体何が…?」
暁葉夫妻の動乱から数刻後。
任務を終えて帰ってきた胡蝶姉妹は玄関口で二者二様の驚きを見せていた。
「………?」
無言で首を傾げるのは件の少女。
二人が玄関を開けて間もなく、彼女は緊張しながらも、
『おかえりなさい。』
と、言葉を発して出迎えたのだ。
二人からしてみれば、任務に出ていた間に何があったのかという疑問は確かにあるのだが、それはさておいても彼女の声を聞くことができるのは驚きを隠せなかった。
「こ、今度は何をやらかしたんですか凛さん!!」
凛が何かしら関わっているのだろうと勘付いたしのぶは、ずかずかと廊下を足早に抜け、凛がいるであろう縁側の部屋に踏み込んだ。件の凜はというと、縁側で日光浴を楽しみながらお茶を啜っていた。
「失礼な、今回は私は何もしてない。」
今回
しのぶの後を追うように入ってきたカナエは終始冷静で、興奮冷めやらぬ妹を諌め始める。
「まぁまぁ、しのぶ。あんまりまくし立ててたら、凛ちゃんの話を聞くこともできないでしょう?文句があるなら最後まで聞いてからでもいいし。」
「ぐぬ…!」
姉には弱いようで、歯噛みしながらもすんなり引き下がるしのぶ。
変わってカナエが前に出ると、穏やかながらも真剣な口調と表情で凛に問いかける。
「それで凛ちゃん、この子に一体何があったのか、詳しく教えてくれないかしら?流石に喋らなかった子が任務に行ってた間に喋れてたら、しのぶでも驚くわ。」
後ろで抗議の声が聞こえるが、カナエはどこ吹く風。件の少女は目をキョトンとさせている。
流石になんの説明もないのは胡蝶姉妹も混乱するのも仕方ないし、納得もしないだろう。
凛は説明していく。
少女が自身が目を離した隙に、蝶屋敷にやってきた父である譲治郎が、『ラー油と唐辛子を百年間ぐらい煮込んで合体事故のあげく、『オレ外道マーボー今後トモヨロシク』』した料理を食べさせた結果であると。
「でも変ねぇ?ラー油と唐辛子を百年間ぐらい煮込んで合体事故のあげく、『オレ外道マーボー今後トモヨロシク』を食べて心の病気が治るものなのかしら?」
「ラー油と唐辛子を百年間ぐらい煮込んで合体事故のあげく、『オレ外道マーボー今後トモヨロシク』の辛さがよっぽど堪えたんでしょ。」
「その…ラー油と唐辛子(以下省略)って…正式名称なんですか?」
「名状しがたい料理だからね、仕方ないね。それに、委員長の辛さが堪えたっていう推論は、恐らくは正解だと思う。」
凛曰く、味わったことのない、そして人体に耐え難い辛さの権化であるアレの刺激が、悲鳴という形で彼女の殻をぶち破ったのだと。もはや凶器か拷問の分類に振り分けられそうな物だが…。何にせよ、アレが彼女にとって結果的に『ショック療法』となったのだ。
「全く…父上のアレには困ったものだ…、ただでさえ、着々と鬼殺隊内部で犠牲者が増えてきているというのに…。」
ちなみに、
錆兎と義勇、そして真菰も既に麻婆の毒牙にかかっていたりする。
何も知らぬ三人に、譲治郎が労いと称して差し入れたのがアレ。なんの疑いもなく口にした彼等は、一人として例外なくその意識を飛ばした。義勇なんかは、姉が迎えに来たと後に語っており、姉に会えるのならば、今一度食べたいなどと危険な発言があったとか。
「まぁとにかく、過程は譲治郎さんのアレにしても、この子が喋れるようになって、めでたしめでたしにしましょ?ね?」
「まぁ…姉さんがそう言うなら…。」
少し腑に落ちないしのぶだが、やはり姉には弱いのか渋々納得する。
とは言え…
「………。」
先程喋ったとしても、基本的に無口…というか、胡蝶姉妹は『おかえりなさい』しか聞いていない。もとが無口なのか、それとも…
「そうだ!せっかく喋れるようになったんだし、いつまでも『この子』とか『あの子』じゃ可愛くないでしょ?名前、聞かせてほしいなぁ。」
「名前、ない。」
にべもなく、そう返された。
どうやらあの人売の言ってたことは事実だったらしい。名前という名前がなく、今の今まで生きてきたというのか。
「う〜ん…じゃあ、私達で決めちゃうっていうのはどうかしら?名前もなく生きていくなんて、寂しすぎるわ。ね?」
「それもそうですね。無いなら作ればいいわけですし。」
そんなこんなで、カナエ、しのぶ、凛、アオイによる、件の少女名付け大会(仮称)が蝶屋敷で開催されたわけである。
論議の結果だけ言えば、カナエの『カナヲ』が選ばれることとなった。
曰く、
「私のカナエの『エがヲになる』ことで『笑顔になるように』って掛けたの。」
とのこと。純粋に、今は表情に乏しくとも、ゆくゆくは笑顔が似合う女の子になって欲しいというものだろう。
そんなカナエの願いは誰にも伝わったようで、異議なく取り決められた。
カナヲ本人も理解したのか、
「カナヲ…カナヲ…」
と覚え込ませるように呟いていた。
さて、名前が決まれば次は名字だ。
それぞれの名字である『胡蝶』『神崎』『暁葉』に加え、いくつか候補を挙げて、その中からカナヲに選んでもらおうと言うことで決まった。
暁葉の名字については、凛自身辞退しようと思っていたのだが、
「お金を出したのは凛ちゃんよ?外せるわけ無いわ。」
というカナエの一声で何も言えなくなってしまった。
神崎を出したアオイは、単に
「姉妹がほしいから。」
という理由だったようである。
ともあれ、
「………。」
「これは?これじゃなくていいの?ホントにいいの!?」
自身の名字を激推しするアオイ。しかしカナヲは選んだ。その名字を。
「そう。それで良いのね?」
「………。」
言葉は出さず、ただただ頷く彼女の手にはその名字。
「栗花落…カナヲ…。確かに悪くはないかな。」
大切に、そっと、その名字が記された半紙を抱きしめる。
その表情からは少し、ほんの少しだけ喜びの色が見て取れた。
カナヲのその名が、早くも功を奏したかのように…。