件の少女改め、カナヲが蝶屋敷で暮らし始めて数日。
最初こそぎこちなかった彼女も、胡蝶姉妹やアオイ、凛の尽力により、徐々にここでの生活に慣れてきている様子だ。特に、アオイとは歳が近いこともあってか、妹ができたみたいに甲斐甲斐しく面倒を見ていた。
そんな中、
「閃の呼吸 弐の型 疾風」
超屋敷の庭に設けられたカカシに、木刀を構えた凛が肉薄する。その踏み込みたるや、凛の姿が消えると同時に一陣の風が吹き抜け、瞬く間に深く地面に突き刺されたカカシの支柱をへし折り、高々と吹き飛ばしていた。
だが凜は止まらない。背後で高々と打ち上げられたカカシに向き直ると、木刀を再び鞘に想定した左手に収める。
直後、
思い切り地を踏みしめると、落ち行くカカシへ向かって跳躍、肉薄。
「全集中…」
体内に酸素を満遍なく行き渡らせ、筋肉を爆発的に躍動させる。実戦さながらに、その手に力を込め、型を繰り出す。
「閃の呼吸 肆の型 紅葉斬り」
落ち行くカカシとすれ違いざまに抜刀。
カカシは更に跳ね飛ばされ、高々と天を舞い、蝶屋敷の庭にグッサリと突き刺さった。
高々と跳躍していた凛も、高所からの着地とは思えない程に軽々と着地し、ふぅ、と一息入れる。
そんな彼女を目で追う、一対の眼。
「………。(パチパチ)」
カナヲである。
普段と変わらぬ表情に見えて、目を少し丸めている。加えて拍手をしているのを見るに、凛の剣戟に感銘と共に驚いているらしく、その目に僅かながらキラキラとしている。。
「カナヲ…剣術に興味があるの?」
そんな凛の問に、カナヲはやや思案し、コクリと頷くに至る。今となっては廃刀令が敷かれている中、刀を振るう自分たちが珍しいのかもしれない。
しかし…
今自分たちが刀を振るう理由。
それは悪鬼滅殺の為。命のやり取り。
そんな死地に、何も知らぬ少女を引き込む事を躊躇った。
「…まぁ無手の護身術程度なら…。」
丁度、八葉一刀流の捌之型は、刀を手放したときのための型である。刀を握らずとも、己の身を守る手立てとして身に付けるのもありかもしれない。
「カナヲ、刀はまだ危ないから、素手の護身術から身につけよう、ね?」
「うん。」
そんなこんなで、凛の指導の元、全集中の呼吸とともに、カナヲの身に捌ノ型である『破甲拳』が刻まれることになる。
これが功を奏すかどうか、それは女神エイドスや御仏のみぞ知る。しかし…
(…まぁ、鬼に女の子しか狙わないやつなんていないだろうし、あくまでも暴漢から身を守る目的でいいかな。)
人それを、フラグと言う。
翌日
新品同様に張りが付いた隊士服に袖を通し、白銀の日輪刀を刀袋に収めると、これから向かうべき任務に備えて体を解す。
天気は上々、気分も上々。数日の骨休めの成果か、幾分身体が軽く感じられた。
「じゃ、行ってくる。」
蝶屋敷の玄関で、凛は出立の為に別れを交わす。
見送るのはアオイとしのぶ、カナエは御館様からの呼び出しとかで早朝から留守にしている。
そして…
「………。」
ぎゅぅ…と無言で凛の腰にしがみつくのはカナヲだった。その仕草はまるで、自分の大好きな人との別れを惜しむ子供そのもの。顔も若干膨れっ面になっており、思えば最初の頃に比べて積極的で、そして感情表現も豊かになってきているのは明らかだった。
「だめでしょカナヲ。凛さんが困惑してるわ。」
そんなカナヲを優しく宥め、嗜めるしのぶ。だがカナヲは頑として離れない。
「カナヲ。」
自身の隊士服を握るカナヲの手をそっと解き、その手を包み込むように握って、凛はしゃがみ込んだ。
名を呼ばれたカナヲはその大きく見開いた目でじっと凛を見つめる。
「少し出かけてくるけど、何かお土産を買ってくるよ。なにがいい?」
お土産
そんな言葉を聞いたことが無いカナヲは意味がわからず、ただ首を傾げるだけ。
これは言葉の選択ミスかと凛は苦笑いを浮かべる。
「ん〜…じゃあカナヲが好きになりそうな物でも見繕ってくるよ。だから、いい子で待っててほしい。カナヲはいい子だから、出来るよね?」
もとが男かどうか疑わしいまでに愛情を込めて、それこそ男を振り向かせかねない優しい笑顔で、凛はカナヲの頭を撫でながら問う。
いい子
そんな言葉を向けられて、カナヲは諦めとともに意を決して、コクリと小さく頷く。
カナヲがわかってくれたことに嬉しさを覚えながら立ち上がる凛。彼女のその隊士服を、カナヲはもう掴もうとはしない。
「私には生姜の佃煮をお願いしますね、凛さん。」
「…へ?」
「アオイや姐さん達にもお土産、期待していますね?」
一応カナヲだけの予定だったのだが、いつの間にやら便乗され、しかも拒否できない雰囲気が構築されていた。元凶たるしのぶは、『断るなんて野暮なことしませんよね?』と言わんばかりに笑顔で圧をかけてきているため始末が悪い。というかこの前カナヲの件でかなり散財してしまっているので、金欠であることはしのぶもわかっているはずなのに。いや、確信犯なのだろうか。
だが、しのぶの言ではないが、ここで断れば無作法というものだ。しばらくは節制を決意し、凛は頷くしかなかった。
「じゃあ、行ってくる。」
そう出立する凛の背中は、現代で言う家庭で娘や妻の尻に敷かれる中年サラリーマンのように寂れたものだったという。
さて、
凛が女性の尻に敷かれている最中。
その父親であり、まさしく妻の尻に敷かれに敷かれている譲治郎もまた、鬼殺隊としての任務についていた。
それならば特に何ら変わりない内容だろうが、今回は違った。
友人の男の息子。彼が鬼殺隊隊士として譲治郎の任務に同行させてほしいとせがんで来たのだ。
それを二つ返事で返せば、傍から見れば任務は『まるでピクニックだな』と揶揄されかねない。
だが友人の家は、『代々鬼殺隊の名家であり、柱を輩出してきた血族』であるため、そのような生易しい覚悟で任務に望むものでないことは譲治郎は重々承知していた。
「しかし…。あ奴も少しは前を向き始めたということか。息子の成長を願うのは、親として当然の願いではあるがな。」
一時は酒に溺れ、柱とは思えぬ体たらくではあった。それは自身の子供にすら当たり散らすという、親としてあるまじきもの。だが、『とある経緯』をへて、その気持ちを持ち上げつつあるようだ。
「さて…任務はこの村の先にある廃寺にいると思われる鬼だな。複数体という報告も上がっている故に、人手がほしいのも確かだが…。」
さて、と、その件の合同任務につく友人の息子を探す。
鎹鴉によれば、この先の飯屋で待ち合わせて……
「うまい!」
突如、まるで衝撃波のような一撃が譲治郎を穿つ。
吹き上げられる砂塵、カラカラと踊る瓦。鬼の血鬼術かと思われたが、その声の主を見つければ、その是非は明白だった。
「うまい!!」
「うまい!!!」
「うまい!!!!」
そこにいたのは、ひたすらに飯を頬張る一人の青年。その髪は炎を彷彿とさせる焔色で、大きく見開かれた目はひたすらに正面を見つめて離さない。
「ふむ、探す手間が省けたか。」
「うまい!!」
「おい。」
「うまい!!」
「聞いていないのか?」
「うまい!!」
「杏寿郎君!!」
「うま…む!?」
食べるのに夢中で、譲治郎の声も届かず、大声で話しかけてようやく彼の存在に気付いた杏寿郎と呼ばれた青年は、その箸を止めた。
「これはこれは!譲治郎殿!」
「杏寿郎君、飯に感動するなとは言わんが、大声でうまいと連呼するのは頂けんな。」
「む!よろしくなかったでしょうか!」
「君一人で飯を食っている訳ではない。周囲を見たまえ。」
杏寿郎が大きく見開かれた目で周囲を見渡せば、店に来ていた客の誰もがその声量に驚き、彼から距離をとった席へと移っていた。その声量は、全集中の呼吸のための強靭な肺活量からくるものだろうが、力の無駄遣いである。
「はっはっはっ!よもやよもや!俺としたことが!鬼殺隊として不甲斐なし!穴があったら入りたい!」
「どこを見て話しているんだ、こっちを見て話したまえよ。」
その大きな目には何が見えているのか、譲治郎の上方に目を向けて笑う杏寿郎。
「しかし譲治郎殿、料理というものは、うまいと食べることこそ、作り手への賛辞であると考えております!」
「…む、まぁその心意気は良いものではあるが…。」
この大声を出す真っ直ぐな男こそ、譲治郎の友人であり、現炎柱である煉獄愼寿郎の息子、煉獄杏寿郎である。
その血統の通り、その赤き炎刀から振るわれる刃、そして収めし呼吸は『炎』。
「譲治郎殿も、任務の前には腹拵えをされてはいかがか?昔から腹が減っては戦はできぬ!と申します故!」
「…まぁ確かに一理あるか。…大将!」
「はいよ!」
「麻婆豆腐、辛さマシマシで!」
「まぁぼぉ?そんなもん、うちにゃないよ!」
「よもや!?未だあの味は日の本に浸透していないと…!?」
「む!譲治郎殿!そのまぁぼぉ豆腐…とやら!非常にそそられる響きと感じます!」
「そうか!君もそう感じるか!今度私がご馳走しよう!一度食べれば君も虜となろう!」
杏寿郎が心ではなく、身体を燃やす日は近い。