正式に第一部隊の隊員になってから実に一週間が経とうとしていたが、やはり聖奈はコウタのことを覚えていないのかもしれない。
「はあ……」
新人区画の自動販売機横のソファに腰掛け、コウタは溜息を吐いた。両手でさっき買ったばかりの缶ジュースを転がした。もうひとつ、溜息。
俺ってば、ケッコー繊細だったのね。
神機使いになって、ガラッと生活が変わった。慣れない環境と、殆どが初対面の人間(それも、極東の神機使い達は良くも悪くも皆、個性的な人たちばかりと来ている。至って平凡な自分とは大違い)ばかりの中で、見知った顔があるというのは些かホッとする物はあるのだが。気にかけているのは自分ばかりで、聖奈の方は気にも止めていない(ように見える。少なくともコウタには)というのは結構、傷付く。これじゃあまるで、恋する乙女だ。
コウタは缶を開けた。プシッと小さく炭酸の抜ける音がした。
あの新入り、新型の方。なんでも地下の墓場に入り浸りらしいぞ。
と、他の神機使い達がひそひそと言っていた。その言葉通り、最近の聖奈は地下にある墓所に足繁く通っている。一度、理由を尋ねてみたが、昼寝するのに丁度いい。と、素っ気無く返されてそれきりだった。
話しかけてもダンマリだし、何考えてんのかワカンネーよな。
新型サマだしな。きっと俺達のことを馬鹿にしてんのさ。
だとしたらムカつくな。一回、先輩として教えてやらなくちゃな。色々と。
その、「色々」の部分には多分に悪意の色が含まれていた。
言っていたのはどれもこれも、余り評価の良いとは言い難い先輩達だった。どこにでも、はみだし者というのはいる物である。
外部居住区で、不良少年達を相手に頑なに一匹狼を貫き通していた聖奈であるから、あの先輩達が、仮にその『色々』とやらを御教授しようが涼しい顔でやり過ごすのに違いない。
それに、聖奈は喧嘩が滅法強いのだ(まァこれは、一匹狼のセオリーともいえる)。
いつだったか、コウタの住む区画(外部居住区はいくつかの区画に分けられていてコウタと聖奈の住んでいた場所はE26区画だった)に一人の男が住んでいたのだけれども、協力し合わないと生きてはいけないこの世の中、ソイツはとにかく傍若無人な奴だった。他人を見下し、自分至上主義の男。子供や年寄りを脅しつけ配給を取り上げたり、若い女の子にちょっかいを出したりなんかは日常茶飯事だった。コウタ自身も、酔ったその男(そういえば、酒なんてどこで手に入れたのだろう?)に凄まれた事があった。住人の訴えもあって、見兼ねた区画長が何度か注意していたようだが、その都度、そういう態度が改められる事はなかった。コウタはそいつが嫌いだったし、もちろん殆どの住人からも嫌われていた。
そんなある日、コウタが家でテレビアニメを観ていた時。外で大人の男の悲鳴が聞こえた。
アラガミが侵入して来たのかもしれないと慌てて外に様子を見に飛び出すと、斜向かいの槙嶋家の前に人だかりが出来始めていた。近付いて、人垣の隙間から窺うと、手に角材を持った聖奈と――そして、あの嫌われ者の男が向き合っていた。もっとも、角材の先は血に染まっていて、男は尻餅をつき額からダラダラと大量の血を流していた。
聖奈は子供らしからぬ冷え切った、感情がすり抜けたような目をしていた。
対する男は、こちらは傷を押さえながら引き釣ったような、媚びたような笑みを浮かべていた。
「わ、悪かったよ。ちょっとした冗談、悪ふざけじゃないか」
そう言って、上目遣いに目の前の子供に媚びる姿にいつもの傍若無人さはなく、ただただ情けなかった。いままで自分はこんな奴を恐れていたのかと、幼心に呆れすらした。
「な、謝るよ。悪かった。これでいいよな?」
到底、謝罪とは言い難い謝罪。聖奈は再び右手に握った角材を振り上げた。飛び散った血の球が日の光を反射していたのをコウタは強烈に憶えている。グシャッという肉の潰れる音がした。角材が男の顔面に振り下ろされていた。野次馬達がざわめき身動ぎした。
「畜生、謝ってるじゃねえか! これだから売女のガキは……ぎゃああ!」
「コウタ君、子供の見るもんじゃないよ」
そう言って、近くの大人に家まで連れ帰られたからあの男がどうなったのかは知らないが、後になって聞いた話によると、どうもあの男が聖奈の叔母に対して卑猥で侮蔑的な言葉をぶつけたのが原因らしかった(余談だが、奴は聖奈と彼女を親子だと思っていたようだ)。
それからだっけ。居住区の皆が、聖奈に対してちょっと距離を置いたような接し方になったのは。
聖奈の躊躇のなさが怖いと、大人達は言っていた。
「そうだよ、ヤバイじゃん」
コウタはハッとした。まだ半分ほど残る缶の中身を一気に飲み干すと、空き缶をゴミ箱へ捨て、エレベーターに乗った。
先輩がたよりも前に聖奈に会って忠告しなければならなかった。聖奈は一切、躊躇しない。つまり、先輩がたが、話を聞き流す相手に痺れを切らし暴力による制裁に出てしまったとしたら、乱闘になるのは必至だった。コウタが知る限り、聖奈は自分から喧嘩を売るような無法者ではなかったが、売られたとあっては別だった。腕っ節が恐ろしく強く、更に躊躇をしないときたら、これほど怖い奴はいない。
エレベーターが目的の場所に着いた。ぽんと到着音が鳴って扉が開いた。
「聖奈!」
墓所に飛び込んだコウタの目に映ったのは、誰かの墓石の前に突っ立つ聖奈本人と、床に転がる3人の先輩がただった――しまった、ちょっと遅かったか。
いやはやその通り。ちょっと遅かった。伸びる先輩がたを踏まないように避けて歩き、コウタは聖奈の後ろに立った。
「喧嘩したのかよ。バレたら――っていうか、絶対コイツらツバキさんにチクるし。そしたらアンタ、懲罰房行きだぜ」
ちらとコウタに視線をくれ、聖奈はふんと鼻を鳴らした。言った。
「好きにすりゃいいさ」
言い訳はしない、という事だろうか。
聖奈は踵を返すと出口へ向かった。コウタもそれを追う。
左右に並んでエレベーターの到着を待つ間、ずっと無言であった。聖奈は元から口数が少ない方だが(なにせ、彼より彼の神機の方がお喋りなくらいだ)、人並みにはまァ、お喋りなコウタには今の無言は些か苦痛だった。
「あの、さ……」
俺、一応、幼馴染みなんだけど覚えてる? ――そう聞こうとして、しかし、躊躇した。
「何?」
「い、いや、」
言い淀み、足元を見た。
来た時同様の、ぽんという軽い音が鳴った。エレベーターが着いたらしい。顔を上げる。聖奈が乗り込んだのを確認し、自分も続こうとした。
聖奈はドア横の壁に腕組みしながら凭れ掛かっていた。
中に乗り込むコウタを眺めていた聖奈がぽつりと言った。
「……オタクさー、どっかで見た事あると思ったらさ、斜向かいのコウタだよな」
「は? え、何、今更?!」
どうやら覚えていたらしい。いや、もしかしたら忘れてたのを思い出したのか。どちらにせよ、聖奈の方からそういう話題が出たという事実に、コウタの口元には嬉しげな笑みが浮かびかかった。
「そうだよ、コウタだよ! 藤木コウタ!」
「やっぱりな。あの、近所のガキ大将に苛められて小便漏らして泣いてたコウタか」
「は!?」
聖奈が意地悪そうにニヤッと口端を釣り上げた。
確かにそんなようなこともあったかもしれないが……コウタは顔を真っ赤にした。そして、聖奈の襟元を掴んだ。
「は?! な、何でそういうことばっか覚えてんの? ちょっと、それ他の人に言うなよな! 特にヒバリさんとかリッカさんとかカノンさんとかジーナさんとか、サクヤさんとか!!」
「さあ?」
「さあ、じゃないよ!?」
コウタの余りの必至さに聖奈はくつくつと笑った。それは実に数年ぶりの穏やかな笑いだった。
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もうちょっと早くても良い
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今くらいでちょうど良い
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もっとじっくりやってほしい