「俺は皆を守ると決めた。だから――今は、俺のことは気にすんな」
勝たなければならない。だが勝てるかどうかの瀬戸際だ。二人でようやく互角に持ち込める化物を相手にして気にしている暇などない。
箒が力強く頷くと、一夏は深く呼吸を吐いた。
(頼むぜ、白式!)
イグニッションブーストで一息に距離を詰める。お互いの射程圏内に入った。
黒武者の右腕が動く。合わせて、捌く。左手の刺突を躱し、雪片弐型で左腕を狙った。エネルギーの減少は著しいが、まだ持つ。逆手に持ち替えた右腕が潜り込んで防がれた。
右膝が動くその瞬間に、一夏は逆に押し込む。片足で重心を保とうとするには二人分の体は無理があると踏んだ。だが、背面の隠し腕が姿勢を整えてそのまま巴投げで白式が投げられる。
世界が逆転した状態から左手で体を支え、雪片弐型を振るう。狙うのは体を支える隠し腕――だが肘を屈伸させて体を浮かせた霧島は今度こそ右膝のパイルバンカーを一夏に叩き込んで紅椿の接近を防いだ。
『今のは、少々肝が冷えました……』
「なら、こういうのはどうだ!」
展開装甲である背部の二基を切り離し、エネルギーソードを形成したまま至近距離で放つと同時に両脚からも攻める。一度、二度と防いだそれも間近で放たれる空裂のエネルギー攻撃は防ぎきれなかったのかたたらを踏んだ。押し込み、一夏が黒武者を斬り、弾き飛ばす。それでどうにか、といった様子だ。
「思った以上にエネルギーを奪われたな」
「まだいける」
『なるほど。いい連携ですね。こちらも相当量、持って行かれましたよ』
「……化物め」
忌々しそうに箒が呟く。涼しい顔をして起き上がり、隔壁を持ち上げていた。二人の間へ割って入り、すぐさま白式へ肉薄する。空中での機動力はOAシステムに頼らなければならないが、それでも異常なまでの加速性能は直角的な角度での方向転換を可能としていた。
隠し腕で機体を捕縛すると海面ギリギリまで急速落下してから蹴り飛ばし、一夏を叩きつける。それを足場にして紅椿を相手に丁々発止。
『二度も同じ手が効くとでも?』
「しまっ――!」
納刀からの間もない抜刀、全方位へ向けた『裂空』は切り離した背部のビットも迎撃して紅椿を吹き飛ばした。六閃・立花の鯉口を鳴らし、着地するとすぐさま一夏が飛んでくる。振り返ることなく回し蹴りと正拳で殴り飛ばし、霧島は残心。
『ISが如何に高性能であろうと、活かすも殺すも自分次第……生殺与奪の権は己に有り。等と、言わなくてももう分かっているでしょう?』
「ああ。身に染みて分かってるつもりだぜ、黒武者……!」
その性能を完全に殺しに来ているのが黒武者であるというのに、どう活かせというのか。
空では亡霊を追って狂犬が、それを止めようと専用機達が縦横無尽に軌跡を描く。
亡霊の回避性能は飛躍的な上昇を見せていた。それだけでなく防御行動も取るようになっており、これ以上の成長はまずい。一撃必殺の頼みの綱であるフェンリル。もしくは、リリウスを直撃させるにしても速すぎる。
『セシリア、大丈夫?』
「ええ。大丈夫ですわ」
『ならいいの』
何処かよそよそしく話を区切り、ヴォルフへ狙いを定めるルナリアはグレイファントムの妨害に舌打ちした。本当に、何処までも余計な真似を――引金を引くが空を穿つだけで掠りもしない。
「ルナリアさんこそ、大丈夫ですの?」
『大丈夫』
鈴音が何か怒りを露わにしているが、大方ヴォルフの迷惑に頭に来ているようだ。グレイファントムの軌道はヴォルフの後を追尾するように動いている所為で、変に動かれると狙いが逸れる。ただでさえ当てにくい敵だというのに。
相手はこちらのことなどお構いなしに笑いながらグレイファントムと鬼ごっこに興じている。起動から間もなく攻撃を集中させていたことと、断続的ながら攻撃を当てているおかげでもうじきシールドエネルギーが尽きそうなところまできている。撃墜は目前だった。異常なまでの成長速度と回避性能は確かに末恐ろしい敵だが、それまでと言える。まだ近接攻撃に対する対処がまだまだ甘く、接近した鈴音の強力な一撃を無防備に食らっていた。
「残量が一割を切ったぞ! もうじきだ!」
「あと少し、なのにぃ! うろちょろともう!」
《危険域突入:第二種展開可能武装廃棄》
《危険域突入:武装構築高速化開始》
そのメッセージはヴォルフの愛機にも送信されている。それはつまり、自分も対象としてみなされているということだ。しかし、どうにも視界が定まらない。妙な息苦しさを覚え、胸を押さえる。
体が限界を訴えていた。だがそれでも手を伸ばすのは三本目。これが正真正銘、最後の薬物投入になるだろう。
「へ、へっへっ……ざまぁみやがれ、ルナリア。俺を殺すのはお前じゃねぇ、俺の戦場だ! 俺が望んで、俺が作り上げた戦場が、俺の最期だ。お前じゃねぇ! お前に、俺は殺せなかったなぁ、えぇ!?」
体が壊れてもいい。心が蝕まれようと、魂が地獄に果てようともはや構わない。この戦場の空気が、ただ追い求めたそれだけが自分を迎え入れてくれるというのなら、何一つ慰みのない生涯も赦せる。だが人間だけは許さない。
最後の一本を打ち込んで、ヴォルフは意識を手放しそうになるがそれを飲み込み、吐き出さまいと堪えて吠えた。
「俺が求めた、テメェだ!」
トライクの車輪が空を滑る。前進して、亡霊へと迫った。風を切り、拳を握りしめて狂犬は戦場を駆ける。光球の暴風をシールド任せに突っ切り、正面から殴りつけた。手刀が風防を掠め、ヘルメットが割れる。交差するように離れていったヴォルフが高笑いとともにヘルメットを投げ捨てて吐血した。尋常ではない量の血を吐き出しながら、それでもまだ笑っている。背筋が凍るような思いで鈴音が言葉を漏らした。
「死ぬことが……怖くないっての、アイツ……」
「ハハハ、ゲェアハハハハハ、ギャーッハッハッハッハァ! 戦場はいいなぁ! 平和なんざクソッタレだ。くそくらえってんだぁ、なぁおいっ! そうだろう、てめぇも!」
《――――――》
亡霊は答えない。言語を解する機能を有していない。だが、その無機質な身体の全てが何のために機能しているかは突き動かされる衝動が知っていた。
ヴォルフは口を押さえ、それでもまだ溢れ出る血を堪えながらサーベルを抜き、すれ違いざまに切り抜ける。エネルギータンクの残量がレッドゾーンに突入した。最後のタンクを取り出そうとする手が震え、ハンドルに叩きつけてから取り出して交換する。サーベルの柄さえも握れないほど指が動かなかった。
それでも。それでも――カス残りの人間性をかなぐり捨てて狂犬は狂ったように笑う。
人間に踊らされる道化の犬畜生の真似事ではなく、そこは彼が何よりも求めた居場所だから。
逃げ場もなく、帰る場所もなく、狂犬はただ走る。亡霊を目に据えて。追い求めた獲物がそこにいる。誰かに譲るつもりもない。例え破壊できなかったとしても、この戦場で散ることが出来るのならそれが本望。
エネルギータンクを引き抜き、トライク内部に補充されている分だけで走る。徐々に速度を緩めながらも疾走する愛機をウェアラブルコンピューターで制御して、ヴォルフは跳躍した。
グレイファントムは手刀を構えて突進している。まだ十分な容量の残っているタンクを放り、後ろ腰からマグナムリボルバーを引き抜くと発砲。指の感覚など皆無に等しくも、体がそうするように動いていた。
タンクの中身を浴びたグレイファントムがエラーコードに脳内をかき乱される。原因不明の攻撃を受けたと錯覚して動きを止めた。
「よーぉ、兄弟。戦場は楽しいぜ? 死ぬまで楽しんでけよ」
《――――》
自らの血に塗れ、それでも嗜虐的な笑みを崩さずに、ヴォルフはグレイファントムの頭部に銃口を突きつけてハンマーに左手を、トリガーに右手を添える。『危険』だと判断してエラーコードを解除し終わらない内から体が動く――。
それは同時に、左胸を突き破る手刀と、残弾を撃ち尽くし、シールドエネルギーが底を尽いた。
人間としての生体機能を破壊されても、まだその男は笑っている。震える手で左手を持ち上げて、中指を立てた。
「……ああ……テメェは最高だった……くたばれ、人類――」
《――――――――――》
言語を介さぬままに。
亡霊は、狂犬をゴミのように捨てる。
ずぶりと嫌な音を立てながら抜け落ちた体を受け止めたのは、主人が死してなおも受け止める律儀な忠犬。だが残量が尽きてすぐに失速した。
「――」
「ルナリアさん!?」
それを、ルナリアが見過ごすわけがない。落ちていくそのトライクを抱え、黒煙を上げて沈黙している艦の甲板に着地するとISを解除してヴォルフの身体を降ろした。
「…………」
どう見ても致命傷であり、何一つ助かる見込みはない。余力も、生命活動の要すら失った今では生きていけるはずがなかった。
「…………――」
その男は、まだ意識が残っている。自分の本懐を遂げたと、夢を果たしたと。至福の内に戦場を駆け抜け、極楽を満喫して兵器としての職務を全うする。だからこんなにも幸せな顔をしているのだと――吐き気がする。この男に今すぐにでも吐瀉物を浴びせてやりたいくらいに。
自分から声を奪った、余計な事をしてくれた、生きてから今の今まで忌々しい事に。どう仕返ししてやろうか。今からできることと言えば、この程度のことしかしてやれない。
「……」
「――て…………め……ル、ナ、リア………ァ…!」
私は、お前から最期の至福を奪う。戦場でなんか死なせてやらない。
心底憎んで、心底恨んで、心の底から殺してやりたいと思っていたお前の最期を奪う。望んで止まなかった至福の最期を台無しにする。
ルナリアは――ヴォルフの頭を胸元に抱き寄せて、髪を撫でた。抱き起こし、背中に手を回して抱き寄せる。
自分の声は誰にも届かない、だがそれでも。
忌々しい事に、誰よりもこの男は声にならない声を理解してくれていた。奪うだけ奪って、死んでいく。なんて、はた迷惑な――だから、ルナリアは最後に一つだけヴォルフから奪った。
(……私は、お前を戦場で殺させなんかしない。私の手に抱かれて、胸に抱かれて死んで)
事切れるその瞬間まで、ルナリアはヴォルフの身体を抱きしめる。それが手に取るように分かるからこそ、ヴォルフはか細く鼻で笑った。
「――――――――、…………」
「…………」
糸が切れたように、男は死んだ。狂犬は、息絶える。その最期の寝顔は不満そうに眉間に皺を寄せておきながら、満更でもなさそうにしていた。
最期のその時に、ヴォルフが残した言葉。
――やっぱりお前を殺しときゃよかったぜ、宿敵……。