物語の始まりはいつだって唐突だ。
その日もいつもの一日になるはずだった。
しかし、変化は否応なしに訪れるもの。
その変化を感じ取った国々は混乱の極みに陥った。
混乱したのは主にジュラの森周辺諸国である。
突如としてジュラの森に封印されている筈の“暴風龍”ヴェルドラがその反応を消してしまったのだ。
周辺各国は直ちに有識者による会議を開き、議論を行ったが、どの国も完全な結論には至らず、まずは調査隊を送ることになった。
そしてその変化はジュラの森周辺諸国以外の国····神国を治める魔王クレシェント=アルハーライムも勿論感知した。
とはいえ、アルハーライムが特段緊急会議をなどを行ったかと言えば全くそうではない。むしろ、神国においては日常と何ら変わらず人々は生産活動に勤しんでいた。
アルハーライムにとってもこの事態は想定外のものではあったが、だからといって今すぐにどうにかできる問題でもないし、自身やマリア、神国にとって何ら問題があるわけでもないので取り敢えず棚上げにしているというだけの話である。
「とは言え、何も動かないわけにもいかないだろう。取り敢えず、配下の諜報に特化した者を例の封印されている洞窟に調査隊として送り込もう。その時、もしかすると人間の国の調査隊と鉢会うかもしれないので、出来れば気配も消せる者を送りたい」
何時ものように宮殿で優雅にティータイムを楽しんでいたアルハーライムはマリアに向かって提案した。
「はい。私もそのようにした方が良いかと····。直ちに準備させましょうか?」
「ああ、頼む」
「了解いたしました」
マリアはにっこりと微笑むと、一瞬でその場から姿を消した。
「さて、私も久しぶりに動くとするか····」
そう言ってアルハーライムは気だるげに立ち上がり、空を見据えた。
「“暴風竜ヴェルドラ”····300年振りにその名を思い出したよ····」
そして感慨深げにヴェルドラの名を呼ぶ。
アルハーライムは嘗て、宣告の聖女として活動していた頃に、とある国を襲撃していたヴェルドラを撃退したことがある。しかし、それは戦闘によってではなく、言葉によってである。
更には銅像まで建てようとしたが、流石にそれは気恥ずかしがったアルハーライムが自ら阻止している。
ともあれ、ほんの少しではあるが、面識のあるヴェルドラが突然消えたというのもまた、アルハーライムが不思議な感慨に襲われた原因でもあった。
「あのときはこの力があるにもかかわらず····」
そう思うと今でも身震いのするほど恐ろしい存在感だった。とアルハーライムは心の中で思った。
決して勇敢に立ち向かえた訳ではなかった。震えて崩れそうになる足を無理やり立たせて、弱音を吐きそうになる口を無理やり閉じて、逃げ出したくなる衝動を必死に堪えて····そうして、辛うじて恐怖心を乗り越えて紡ぎ出した言葉の力で退けたのだ。少しでも当時のアルハーライムが気を強く持っていなければ、失神していただろう。
そう思い出せば、今でも武者震いがした。
「一応、他の魔王にも知らせておくか····」
気付いているだろうが。と自嘲気味に言った。
現在十一人居る魔王達の間ではジュラの森に対する不可侵条約が存在する。ヴェルドラという理不尽な暴力を不用意に目覚めさせないために結ばれた約束だった。
無論、現在のアルハーライムにかかればヴェルドラなど鎧袖一触なのだが、態々そうする意味もないし、ヴェルドラと敵対して良いことなど一つとして無いので、不可侵条約については少なくとも反対ではなかった。
勿論、島国である神国はジュラの森とは一切国境を接していないので、不可侵といって、勢力争いなど起きよう筈もない。そもそも、アルハーライムは自国さえ良ければそれで良いような性格なので、勢力争いには全く興味がなかった。
そういう意味では、度々小賢しい真似をしているクレイマン等はアルハーライムの反りと全く合わない。
また、原初の赤であるギィ・クリムゾンは、勢力争いには興味がないという共通点はあるものの、強い者を探しては闘いを吹っ掛けるというとんでもないバトルジャンキーであり、普段は平穏に暮らしていたいアルハーライムとは真逆の性質である。
ギィにとって、アルハーライムは嘗て無い好敵手であるので、度々彼女の元に現れては闘いを要求し、それが嫌な彼女に
ただ、一度だけギィとアルハーライムがぶつかったとき、彼女らが戦ったその周囲1キロメートルは無に帰し、結局引き分けに終わった。消耗度合いという点ではただ言葉を述べるだけのアルハーライムが少なかったが、どちらにしても誤差にすぎない。
因みに他の全ての魔王から止められた。(曰く、アルハーライムとギィが闘ったら被害が尋常じゃない。冗談抜きで世界が壊れる。)だそうだ。
「近々、私自身も赴くとしよう····」
そう言って、妖しく笑った。
◆◆◆◆
さて、そのようにして方々から目をつけられているとも露知らず、名も無きスライム改め、“リムル=テンペスト”とヴェルドラに名付けられた転生者のスライムは、あれよあれよと言う間にゴブリンの集落の守護者として奉り上げられ、牙狼族も成り行きで配下に納めてしまった。
町造りを決意し、武装国家ドワルゴンに、職人を探しに向かったリムル一行····
その頃ヴェルドラが封印されていた洞窟には複数人の影があった。
「····やはりヴェルドラはここには存在しないようです」
黒装束に身を包んだ男が魔道具である水晶に告げる。
『やはりそうか····今はそれを知れただけでも行幸だ。では、ついでにジュラの森を偵察してから帰還してくれ』
水晶を通じて発せられた声はアルハーライムのものであった。
黒装束の彼らは神国の隠密部隊。アルハーライムの命令によって洞窟の調査に来た者達だ。
「はっ。了解いたしました」
男達は身軽に洞窟を後にし、大陸中央部に大きく広がる“ジュラの大森林”の調査を開始するのだった。
◆◆◆◆
「ふむ····ゴブリンと牙狼族が共に暮らす村、か。何とも気になる報告だな」
数日後、アルハーライムは隠密部隊からの最新のジュラの森の情報が書かれた報告書をしげしげと眺めていた。
「それをスライムが治めているというのも中々愉快な話だ····やはり、私が直接行ってみる価値はあるな。····少々不可侵条約が厄介だが、まあ、侵略にいくのではないし、文書の曲解としてなんとか行けるだろうか····」
「アルハーライム様。どうしても行かれると仰るのならば、少なくともご内密にお願いしますよ」
「ああ、言われなくとも分かっているよ。···それはともかくとして、マリア。いつも言っているのだが、私と二人だけの時はそう畏まらなくて良いと言っているじゃないか」
「いえ、公私の区別はしっかりしなければ示しがつきません。仕事中ですから」
と、アルハーライムの提案をきっぱりと断った。
それも彼女らしさか···とアルハーライムは内心で感心し、上限を振り切ったマリアへの好感度がさらに上昇した。
「そういえば、各所への手配はご苦労様だったな」
「いえ、お礼を言われるような程の事では····」
「いや、私の部下でも仕事をこうも早く進めてくれるのはマリア、キミくらいなものだよ。確かに他の子達も優秀だが····キミは格別だ」
少し頬を染めて、誇らしげにマリアを褒め称えた。
「····ありがとうございます」
そういうマリアも、少々恥ずかしげで、満更でもなさそうだ。
「ん"ん"っ。それはともかく、私の留守は任せるぞ」
「はい。安心してお任せくださいませ。アルハーライム様の留守は私が必ず守り通しますので」
「フッ。そう言ってくれると心強い。私も心置きなく外に出られるというものだ。帰ってきたらまたティータイムといこう」
「はい。とびっきりの紅茶とお菓子を用意してご帰還をお待ちしております」
「頼んだ」
最後は短くそう告げ、アルハーライムは無窮の空へと飛び立っていった。