昔から、「ヒーロー」に憧れていた。
戦隊、仮面ライダー、ウルトラマン。見逃さない為にも、毎週日曜日は早起きが鉄則だ。
ヒーローは良い。テレビの中で戦う彼らは、いつだって僕に足りないモノを教えてくれた。
仲間を見捨てない。
最後まで諦めない。
勇気を持って挑み続ける。
そんなヒーローに、僕はなりたかったんだ。足踏みしてるだけで進めない、臆病な自分を辞めたかった。
でも僕は、ヒーローになれなかった。
ヒーロー達がテレビから飛び出してくる事はなく、弱い僕はいつまで経っても弱いままだった。
昔から、友達はいなかった。
親が転勤族だからとかそう言うのじゃなくて、きっとそう言う性格だったんだと思う。
でも、別にそれでも良かったんだ。
転校を繰り返しても、その度にクラスに溶け込む程度のコミュニケーション能力はあった。
いてもいなくても変わらない、そんな空気みたいな立ち位置で僕は安心していたのだ。
だってもし友達が出来たら、どこかで必ず訪れる別れが辛くなると思うから。
────ほんの半年前までは、そうやって馬鹿みたいに思考を停止していた。
そう、忘れもしない半年前の事である。
毎度のように、親の都合である村落に引っ越した僕は、その土地の異様な空気に圧倒された。
確かに、「郷に入っては郷に従う」と言う言葉の通り地域特有の風習はどこにだって存在する。
一見異常に見えてもそこには必ず合理性を超えた理由があり、例え納得出来なくともそれを受け入れる事が地域に馴染む第一歩だと僕は考えていたのだ。
だが。
だが、あまりにもこの村は異常だった。
だって、女の子──糸矢准が暴力を振るわれていた。
教室で、廊下で、体育館で、通学路で、思い付く限りありとあらゆる場所で痛めつけられていた。
誰も止めようとしなかった。
寧ろ嬉々として加わる者さえいた。
幼い僕は、激しい義憤に駆られた。
あの時の僕は彼女と会話した事すらなかったし彼女もきっと僕を認識していなかったと思うが、そんな事は関係なかった。
ヒーローは弱い者虐めを許さない。
だから僕も、虐めを見て見ぬ振りするつもりはない──そうやって粋がっていた。
でも、僕が取った行動はヒーローからは程遠い、稚拙で卑怯で許しがたいモノだった。
『アイツは、糸矢は皆に虐められてるんです。何とか助けてあげて下さいよ!』
『そうねぇ……』
一言に纏めてしまえば、チクったのだ。
子供1人で出来る事なんて高が知れているし、僕1人が庇った所で諸共に潰されるだけなのだ。
だから、大人を味方にして虐めを止める。虎の威を借る狐だとしても、これが最短最速の手段だと思っていたから躊躇わずに実行した。
だが────
『糸矢さん?あの子は仕方ないわ』
『君こそあんな子供とつるんじゃいけないよ』
最初、何を言っているのか理解出来なかったし、今でもあのおぞましい言葉は耳にこびりついて離れない。
虐めは良くないんじゃないのか。
親って言うのは、子供に対して手本になるんじゃないのか。
そう思っていた。信じていた。
でも誰一人として、相手にしてくれなかった。
あの村は、狂気が支配している。
そして恐らく今でも「そう」なのだろう。
要するに、想像以上に現実は非情で、僕はとことん無力だったのだ。
ありふれた話だった。
私が欲しいものはいつだって変わらない。
誰かの特別になりたい。勿論良い意味で。
誰かに愛されたい。例え偽りでも。
きっと普通の人なら人生のどこかで経験する筈の事を、私はまだ知らない。
愛されないのだ、私は。
何か悪い事をした訳じゃないのに。
他の人と、何にも変わらないのに。
あの頃からずっと、世界の全てが私を迫害する。
それが嫌で嫌で仕方無くて、でも逃げ出す事も出来ない。
嫌な人生だった。
──だが、たった1度だけ。
1度だけならあったかもしれない。
それが『特別』と言って良いのかは分からないが。
それが愛する事なのか分からないが。
それはあの頃──忘れもしない、一夏の夢だった。
その日も、何も変わらない1日だった。
朝起床した所で、食卓に置いてあるのはカップ麺1つだ。
私は料理がお世辞にも上手ではないからこれを食べるしかない。
こんな物しか置いていかないという事は、やはり両親共に家にいないらしい。
見知らぬ男との不倫に溺れ滅多に家に帰って来ない母と、それを知っているのかいないのか、どちらにせよ仕事に没頭して家庭を省みない父なのだから仕方ない。
もうとっくの昔に諦めた事だ。
そもそもからして、学校になど行きたくはない。
だが行かなければ殴られる、蹴られる。
唯一の安息の地が汚される。
だから行くしかない。
嫌でも、苦しくても、それしかないのだ。
物足りない朝食を終え小学校へと足を向ければ、すれ違う同級生からの聞くに堪えない罵倒と投石の嵐が私を襲う。
これもまた普段通りの光景だった。
一体どういう経緯で知ったのか私には分からないが、この高知の小さな村では私の母の不倫は周知の事実となっていた。
周囲の子供達は揃って私を責めた。
曰く「淫売の子」、「死んだ方が良い」、「醜い女の子」。マトモに聞くだけ無駄な罵詈雑言を浴びせられ、遂に「無視する」と言う最適解に至ったのは2年程前だっただろうか。
兎に角、日常的に私への虐めが行われていた訳だが、大人達がこれを止める事はなかった。
誰もが見てみぬ振りをし、ともすれば加担する事さえあった。
学校の先生も、交番の警官も、そして両親さえも私を見捨てたのだ。
普通ならば辞典でしか見ない「村八分」と言う言葉を、その身を以て経験していた。
「……今日も、か」
ランドセルを盾に投石を凌ぎ学校に辿り着いた私は下駄箱を開けて、またしても溜め息を吐いた。
上履きがズタズタに引き裂かれている。最早何度目か数えるのも飽きる程受けた行為である。
今日もスリッパで1日を過ごすしかないらしい。
そして、スリッパを借りるには教員室へ行くしかない。
それはつまり教師からも謂れの無い叱責を受けなければいけない事を意味していて、また少し足取りが重くなった。
それでも今日を凌げば、土日の2日間は家に篭れる。
親とも村の人達とも顔を会わせず、外界との接触を絶ってひたすらゲームに没頭出来るのだ。
後少し頑張れ、私。
放課後になれば、速やかに帰宅──と言う訳でもない。
大体の場合、学校を出る前に何人かに絡まれて殴る蹴るの暴行を受けるのだ。酷い時には階段から突き落とされたり、服や教科書を燃やされたりする時もある。
しかし私には耐え忍ぶ以外の選択肢は与えられない。
抵抗すればもっと酷い目に遭うのも、幾度となく経験済みだった。
「チッ、つまんねーの。帰ろうぜ」
「……」
どうやら、今日は普段よりは楽らしい。
泥やら汚れやらにまみれた体を何とか起こし、呼吸を調える。
執拗な迄に腹部ばかり狙うのも質が悪い。
この村には私の味方など1人も居ないが、もし外部からやって来た人間がそれを見れば大事になる事は間違いない。
だから彼らは顔や手など、露出した部分を避けて暴力を振るう。
そう。この村に、私の「味方」は誰1人いないのだ。
「……大丈夫?」
「ええ」
──そして物陰からひょっこり顔を出した「彼」に、私は当たり障りの無い返事をした。
「痛いけど、我慢して」
「彼」が手に持った消毒液を、私の膝────恐らく地面に引き摺り倒された時に擦りむいた傷にかける。鋭い痛みが走ったが、グッと堪えて声を抑える。
間髪入れずにハンカチが血を拭い取り、ペタリと絆創膏が貼り付けらる。
血を滲ませ続ける傷は、あっと言う間に肌色の膜で覆い隠された。
「ありがとう……」
「いいよ、別に」
いつも通り、ぶっきらぼうで具体性を欠いた返答である。
「彼」は半年程前にこの地域に引っ越して来た少年だ。
両親の仕事の都合上転勤が多いらしく、昨年の冬と言う変なタイミングで転校してきたのもそれが原因のようだ。
さして目立った部分は無く寧ろ影が薄い事が特徴とも言える彼は、恐ろしい程のスピードで学校に適応したようだった。
なので今年のクラス替えで同じクラスになっても私は全く気づかなかったし、知っていたとしても関わりなど出来る筈も無い。
「今日も手酷くやられたな」
「普段よりは、マシだった……」
「そう言う事じゃない」
彼は──簡単に言えば、中立だ。
この村にいると言う事は、当然彼は私がどういう立場にあるのか理解している筈だ。
ところが彼は何故か村の人達に加担せず、遠巻きに傍観するばかりだった。
その上一通り暴力が通過すれば、無言で私の手当までしてくれるのだからいよいよ何を考えているのか分からない。
そんな事が繰り返し続き、気付けば3ヶ月も経っていた。
あまりに不審に思えたので1度問い質してみたが、返ってきたのは
『別に、味方する訳じゃない』
と言う無愛想な一言だった。
全く以て考えている事は分からないが、当人がそう言うのだからきっと何か裏があるのだろう。
同級生達に言われて渋々やっているのか、下心めいた何かがあるのか。
ムスっとした表情を崩さぬままテキパキと治療を終えた彼は、私に箱が入ったビニール袋を押し付けると、気だるげに立ち上がった。
「その湿布、替えのだから」
「……うん」
「帰ったら貼り替えろよ」
「待っ──」
「じゃ、帰るから」
言いたい事だけ言って、彼は返事もマトモに聞かずに走り去ってしまった。
これもまたいつもの事なのだが、本当によく分からない。
虐めに加担しない、終われば手当てだってしてくれる。
その行為に何のメリットがあるのか、私には分からない。
「何で、私を」
──助けてくれるんだろう。
心の奥底から湧き出た疑問を上手く表現出来ず、もどかしい思いを指先に込めて膝にピッタリと貼り付いた絆創膏をつつく。
当然返事が返ってくる事はない。
「────なんで」
自分にも制御出来ない「何か」を抱えたまま、「彼」が貼ってくれたその絆創膏に意味の無い問いを続けた。
1時間程前から降り始めた雨は、いよいよ勢いを増して私を打ち据えていく。
とても出歩けるような天候ではないのに、何処へも行けず私は1人さ迷っていた。
家に帰りたくても、帰れない。
今日の父は余程虫の居所が悪いようで、帰って来るなり飲酒を始めた。酔った時の父は暴力的で、しかも誰の話も聞こうとしない質の悪さを兼ね備えている。
1度こうなってしまうとアルコールが抜けるまで暴走を止める手立てはない。
何が引き金になるか分からない、超特大の爆弾が本来安息の地である家に突如出現するのだ。
結果、早々に部屋に引きこもってやり過ごすと言う試みも虚しく私は傘すら持たされずに身一つで野外に放り出された。
ドジった、で済まされる話ではなかったのだ。
風雨に晒され濡れた服が、容赦なく貼り付いて私から熱を奪う。
この村の何処にも居場所が無い私には、雨を凌ぐ場所すら与えられていない。
公共施設に避難しようにも、こんなずぶ濡れでは直ぐに追い払われるに違いない。
──どうしようもなく寒い。べったりと肌に貼り付いた服の感触が、気持ち悪い。
だからだろうか、全く思考が纏まらない。
帰ったら、服を洗濯しなきゃ。それから布団に入って、いやそれよりゲーム?
そもそも屋根のある場所を探さないと、このままでは風邪を引いてしまう。
「──えぁ」
元からぐらぐらしていた視界が、一際大きく揺れる。
ビチャリ、と湿った音が近くで響いた。
「──?」
地面が傾いている。
どう考えても変で、異常だ。
そしてコンクリートと流れる雨の感触を緩慢な思考で理解して、やっと自分の状態に気付いた。
倒れているのだ、私は。
立ち上がろうと腕に力を込めて、けれども全く体が動かない。
────ひょっとして、想像以上に弱っていたのかもしれない。
暴行による傷もじくじくと痛む。
雨が冷たい。
地面が冷たい。
世界の全部が私に冷たい。
「──ぅ、く」
ああ、ひょっとしてこんな下らない事で私は死ぬのだろうか。
それは嫌だ。何の為に生きているのか分からないけど、それでも死にたくはない。
だけど瞼も徐々に重くなってくる。
まだ、何もしてないのに。
まだ────
「────糸矢?」
薄れ行く視界に、黒いスニーカーが写り込んだ。
「すみません。面会時間そろそろです」
「……分かりました」
ドアから顔を覗かせた人の良さそうな看護婦の声で、私は正気に引き戻された。
逢魔が刻の昏い光が病室に射し込んでいる。
「……ねぇ」
私の手をベットの中の掌に重ねる。
あの一夜ではあれほど助けられた温かさは、今は欠片も感じられない。
当然だ。
「あの時」彼が負った怪我は、人1人を昏睡状態にするには充分過ぎる程重いモノだったのだ。
それでも誰かと触れ合いたい、誰かに寄りかかりたいと思うのは間違いなく私の弱さだ。
「あなたは──」
一生このままでいたい、そんな浅ましい衝動を抑え込んで繋いだ手を離して顔にかかった髪を分けてやれば、少し痩せこけた彼の顔が明らかになる。
相も変わらず──彼の表情は4年前から生気を失って、そのままだ。「あの時」から止まった時間のまま、この病室にたった1人で安置されている。
「何時になったら、帰ってきてくれるの?」
見舞いに来るのは、もう私だけ。
彼に深い友人などいないし、両親が来ることは2度と無い。
それでも彼らが点滴を引っこ抜かないのは微かな希望にすがっているからであって、私もまた同じだった。
私はいつまでも彼を待ち続けるしかない。
私の、私だけのヒーローを。