共通回線に怒号が響く。
『待ちやがれぇ! このクズ狂信者ども!!』
『止まれコラ!!』
『死んでも逃さねぇぞ!』
司令所に響く怒声に柳眉を歪めた李凛は通信員へと視線を向けた。
すると、通信員もヘッドホンから耳を離し、顔を顰めている。
当然だが通信機から聞こえる音はある程度音量を絞った状態だ。にも関わらず、あれだけ響くとは、無線機の向こう側の人物は喉も裂けよとばかりに叫んでいるのだろう。
「どうかした?」
「包囲網の北側に敵戦車部隊を追撃中のBM部隊が居るようです。……どうやら、敵に呼びかけているみたいですね」
司令所内に失笑の雰囲気が満ちた。
呼びかけられて止まる敵なら苦労しない。そもそも奴らは無線を聞いてるのか。自律兵器がそんなものに容量を割くと思うのか、などなど。
司令所内の兵士達が益体も無い事を言い合う中、李凛は通信員は向けて更に問いかけた。
「その部隊の現在地は?」
すぐさま李凛の端末にレーダー探査の結果が送られる。
「五分ほど前のデータです。距離としては、我々の包囲網から距離50。敵方からはおよそ100」
「ならば、今は両陣の中間辺りか……敵は戦車部隊だったわね。それほど急接近しているという報告は受けていないけど」
李凛の訝しんだ物言いに、一瞬、司令所内が凍りつく。
戦場で彼我の距離五十メートルと言えば、紛う事なき交戦距離だ。それほどの至近距離まで近づかれたにも関わらず、接近にまるで気づかなかったならば怠慢の謗りは避けられず、制裁で済めば御の字、懲罰すらもあり得る。
李凛の疑問に適した回答、またその回答が引き起こすであろう結果を兵士達は素早く計算した。その間0.5秒。
そして兵士達は結局、今まさに李凛の目の前に居る通信員に祈るような視線を向ける。一方で、こっそりと肩を落とした通信員はおずおずと話し出した。
「その……レーダーの間違いでなければ。この敵部隊は敵陣から来たわけではないようです」
「どういう事?」
「こちらを」
先程のデータより更に遡ったレーダー探査の結果が、広くもない司令所の中央に鎮座する戦術マップに映し出された。
なにぶん故障が多いので、と言い訳を口にしながら罰を予想していた兵士達は、予想外の光景を目にした。なんと、レーダーの結果を見た瞬間、李凜は目をむいて通信員の持つマイクを引っ掴んでいた。
「CPより追撃中のBM部隊へ、今すぐ追撃を止めなさい!」
李凜が見たデータには驚くべき事が記されていた。なんと敵の戦車も追撃部隊も、包囲網の外側から現れたのだ。
もちろん、追撃部隊だけならそれも可能だろう。警備兵に見咎められても、友軍だからと無理矢理にでも通ってしまえる。だが敵の戦車部隊はそうはいかない。
普通ならまず間違いなく、警備兵と追撃部隊との間で挟み撃ちに遭うだろう。
しかし、実際にはそうなっていない。何故か、それは極めて単純な理由だった。
『何故ですか!?』
どうやら、追撃中の彼らはその事実を理解出来ていないらしい。
『あいつら、俺達の野営地を……仲間を焼き殺して』
『それだけじゃない。あいつら非武装の兵士まで、平気で撃ちやがった!!」
噛み締めるような声に、彼らの辛い経験が窺い知れる。だが、今はそんな話しを悠長に聞いている余裕は無い。なにせ、彼ら自身の命が掛かっているのだから。
「よく聞きなさい。うちの警備兵も無能ではないわ。敵が通ろうとすれば当然止める。けれど実際には敵は包囲網を通り抜けている。ならば考えられるのは、何故か手違いで包囲網に穴が開き、何故かその事に誰も気付かず。何故かレーダーはその一体を写さず、何故かセンサーは発動しなかった。そんな異常な偶然が重なり合った結果よ」
そこまで言ったとき、司令所内の兵士達が一様に同じ言葉を呟いた。
人形師。
それは昨今、前線で囁かれる戦場伝説の一種だ。
教廷が攻撃を開始する時、機械も人も襲撃直前まで誰一人その事に気付かない。
敵が巧妙に隠れているのか。無論その可能性もある。
だが、ステルスなどなら対策はしている。偽造などのアナログな手法も同じ事。
ならば、他にあり得る可能性はただ一つ。
恐るべき偶然の連続。およそ最も非現実的な可能性だ。
だからこそ、兵達は『人形師が居る』と噂する。
操り人形が己の糸に気付かないように、それを自覚する事こそ終わりの前兆であるように。
「貴方たちは敵の策に乗ってしまっているの、今すぐ引き返して」
『お言葉ですが、我々にもここで引けない理由があるのです。ここで引いては』
ザザザァーー。
李凜の言葉を遮って発せられた発言は、突如通信に混ざり始めた不快な雑音に遮られた。そして、雑音の奥から僅かな声が届く。
『殊勝な事です』
ノイズが混じり、聞き取りにくいはずのその声には、何故か心の内側に滑り込んでくるような奇妙な滑らかさがあった。
直後、追撃部隊から慌てた様子の声が届いた。
『……っエンジン損傷! 出力が下がってます!!』
『なっなんだ、どうしたんだ。何っバランサーが!』
『メインカメラがやられました! 何も見えない!』
その悲鳴とも言える通信を聞いて、李凜は即座に周囲の警備兵を救助に向かわせようとした。
だが、そんな彼女を嘲笑うように追撃部隊の反応が一つ消える。
『爆発!? 何が起こってるんだ!』
『隊長機の反応が。隊長! どうしたんですか、隊長!』
混乱する兵士達をよそにまた一つ反応が消える。
『また。CP、CP! 何が起こってるんだ!? 俺は、生きてるのか?』
「落ち着いて下さい。大丈夫ですから、警備兵を向かわせてます」
もはや、錯乱状態の兵士を少しでも落ち着けようと、出来るだけ柔らかな口調で語りかける。
一方で、近くの部隊に救出指示を出しつつ、敵の動きを知るため展開中の部隊全てに警戒を呼び掛けた。
「それで、自力脱出は出来そうですか?」
『いやそれが、機体がうんともすんとも言わないんだ。カメラも何も写らないし……うん? あぁ救助が来たらしい』
「……え?」
李凜は部下達に目を向ける。しかし、彼らは何度も首を横に振った。
『にしても戦車か、乗るのは初めてだな』
李凜が再びマイクを引っ掴んだその時、ザァーーという音と共に、最後の一機の反応が消え去っていた。
―――――
「ふぅ」
文字通り一息吐いたダンテが首を回すと、ゴキゴキと音を立てた。その音に視線を向けたシンシアが苦言を呈する。
「おまえのような凡人はそれで神経を痛める事もあるのですよ」
「ははは、つい癖でね」
そう言ってダンテは朝から付けっぱなしにしていたトランスミッターを外し、机の上に置く。
すると、おもむろにシンシアが座った彼の目の前に立った。そして、無造作に両手で顔を掴む。ダンテは一瞬、冷たい両手に身体を震わせるが、シンシアはそんな事を意に介さず、真正面からダンテの顔を覗き込んだ。
「脳に支障は無さそうね。血圧は少し高い。脈拍も僅かに乱れてる。でもまぁ正常の範囲かしら」
機体のメンテナンスの際と同じ、真剣な表情でバイタルチェックを行うシンシアだが、それを受けるダンテとしてはかなり気恥ずかしい。
「わざわざ君がチェックしなくても」
「自分の配下の管理は自分でしないと気が済まないのです。私の兵士だというなら黙って受け入れなさい」
シンシアの心掛けは配下のダンテとして嬉しい限りなのだが、やはり、絵面的にもかなり危ない状況だ。
なにせ、椅子に座るダンテに対して、シンシアが覆い被さる様にして顔を覗き込んでいる。両者の顔は互いの息が掛かるほど近く、端から見れば愛を囁き合う恋人同士のようだろう。
もっとも、普段ならシンシアが機械的にダンテの状態を確認するだけですぐに終わってしまうので、未だかつてこの行為を誰かに見咎められた事はない。ダンテが一方的にドギマギして終わるのが常だ。
だが今日は、どういう訳か確認が済んでも、シンシアは掴んだ手を離そうとしなかった。
「あーえっと、シンシア?」
「黙りなさい」
ダンテが堪らず声をかけるも、にべもなく振り払われる。
そのまま二人とも完全に黙り込んでしまい。彼らの間に微妙な空気が流れた。
そしてそのまま、随分と長い時間が過ぎた。いや、実際にはそれほど経っていないのだろうが、彼らーー少なくともダンテにとっては、何時間にも感じられた。
ようやくシンシアが口を開いた時、深々と溜め息を吐いた。
「はぁーーーーまったく、おまえはどういうつもりなのですか?」
「……どう、とは?」
シンシアは胸ぐらでも掴みそうな勢いで睨みつけてきた。
「おまえここで共和国と一戦交えるつもりなのでしょう? そのために随分と兵を集めたようですわね。分からないとでも思ったの?」
ダンテは今やこの浄化戦争における全軍指揮権を有する唯一の将軍となった。やろうと思えば本国、機械教廷の許可を得ずとも、現場判断で無茶を通せるほどだ。どうやら、それがシンシアにとっては不快感を抱かせる原因になったようだ。
「頭越しに兵を動かしたのはすまないと思っている。だが、今ここをおいて他に機会は無いと思ってのことだ」
ある程度の叱責は覚悟していた。あるいはこの密着状態から鉄拳制裁の一つでも受ける事になるかもしれない。正直に言うと、今のシンシアは紛う事なき鉄の拳を持つので出来れば勘弁したいところだが。
それでも、ダンテとしてはそれら全て甘んじて受け入れるつもりだった。しかし、彼の予想はことごとく外れる事になる。
「あらそう。まぁおまえがそこまで言うならいいでしょう」
平然と、本当に気にしていないようにシンシアは答える。むしろ、面食らったダンテの方が大きく表情を変える事になった。
「なにをしているの? 奇妙な顔をして」
「あぁいや、なんというか……」
「?……まぁ良いわ。それで、わたくしはどういう役回りなのかしら?」
シンシアにそう問われ、ダンテの動きが止まる。
「あーその事なんだが」
なんとかゆっくりと口を開き始めるが、言いづらそうな雰囲気はシンシアにも伝わり、いつのまにかダンテの顔から離していた手は、強く握りしめられていた。
「君には、前線を離れてもらう」
二人の間に再び沈黙が舞い降りる。シンシアはその機械の目で、ダンテの瞳を真っ直ぐ見つめ、ダンテも一切視線を逸らすことはしなかった。
「おまえの言う前線を離れろとは、陽動や奇襲ではなさそうですわね。つまり、こういう事かしら? おまえはわたくしに戦いの一切に参加するな、と言いたい」
「そうだ」
有無を言わさぬ口調でダンテは頷く。それを見たシンシアはまた、これ見よがしに溜め息を吐くと、ダンテの胸ぐらを掴んだ。
「いいでしょう、おまえの言う通り前線から離れて差し上げます。しかし、肝に銘じておきなさい。おまえはわたくしの兵士。わたくしが許さない限り、決して決っして! 死ぬ事は出来ません」
まるで子供のような命令にダンテは笑みを浮かべて答える。
「もちろん分かっているさ。俺は君の兵士として、決し」
その時、ダンテの言葉が途切れた。
ーーーーー
一人の教廷司祭がダンテの自室の前に立つ。
彼はテクノアイズにおける数少ないダンテ直属の部下であり、将軍直轄部隊の一員でもある。その忠誠心はある種の信仰にも等しいものがあった。
彼は一度首を回すと、身だしなみを整え、扉を叩いた。
「閣下、バモフ様とアンドレア様が到着されました」
要件を伝えた司祭だったが、ダンテの返答は無い。
普段のダンテなら指揮の最中であっても、声を掛けられればある程度は反応出来るはずだ。一切返答が無いというのはいささか奇妙。
疑問に感じた司祭はもう一度呼びかけた。だが、依然として反応は無い。
仕方なく、扉に手を掛けたその時。扉が内側から開いた。
しかし、中から出て来たのは彼の敬愛する将軍ではなく。
「これは、鋳造総監殿」
彼は出て来た人物ーーシンシアに向けて敬礼する。だが、シンシアは彼に目もくれず、足早に立ち去っていった。その様子に、司祭は微かな違和感を抱く。
もっとも、シンシアの行動が不自然なのかと言えばそうではない。鋳造総監としてテクノアイズのトップに君臨する人物が、一司祭にいちいち言葉をかけるような事はしないし、派閥の問題も少なからずある。
司祭が違和感を抱いた原因は彼女の行動ではなく、深々と頭を下げた事で見えた彼女の顔色にあった。
(鋳造総監殿の顔……赤かったが、義体の調子が悪いのか?)
疑問に感じながらも、司祭はそれ以上気にすることもなく、部屋の中に視線を向けた。
そこには椅子に深々と腰掛けた主人の姿がある。
だが、こちらも普段とは少し様子が異なっている。
何故か腰掛けたまま、口元に手を当てて天を仰ぎ見ているのだ。
「閣下? どうされたのですか?」
すると、ダンテは目を細める。おそらくだが、笑ったのだろう。そして誰にともなくそっと呟いた。
「まったく、良い女だよ君は」
今回はちょっとした挑戦というか、遊びというかで、実際の戦場から離れた場所を視点として戦場の描写をしてみたのですが、如何だったでしょう?
臨場感が伝われば良いのですが、自分でやっててもなかなか難しいものですね