かつての指揮官   作:天塚夜那

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教廷の将軍 第七話

 砂漠の夜は冷える。

 赤茶色の砂は熱を蓄えず、遮る物の無い乾風が僅かばかりの温もりも奪い去っていく。

 宏武は郷里のそれとは違った寒さの中で、胸の内に溜まった感情を深呼吸と共に吐き出す。

 眼前のハンガーに直立させた黒鉄の闘神を見上げる。己の二つ名の象徴する愛機だが、それを見つめる目には誇らしさや愛着以上にある者への怒りがあった。

 圧倒的な武力を誇る英雄の怒気は、周囲を行き交う整備兵達に無意識の内に距離を取らせるほどの力がある。

 だが、彼の怒りの矛先が向いているのは機体でも整備兵でもない。

 それは彼がこの良くも悪くも使い古した機体に乗らねばならない原因であり、このところ極東軍が煮え湯を飲まされている相手だ。

 本来の予定では今日、ここに部下達が寝食を忘れて作り上げた彼の専用機が届くはずだった。

 しかし、敵の奸計がそれを許さなかった。

 握りしめた拳が音を立て、吐き出したはずの感情が再び胸の内に溜まり出す。再び深呼吸をするが、頭の片隅には最近毎日のように味わう苦い思いが燻っている。

 昨今の教廷軍は、これまでの物量頼みの飽和戦術から方針を大きく転換し、夜襲、朝駆け、待ち伏せ、体当たり、ブービートラップなどなど。使えるものを全て使い、かき集めた戦力をより効果的に、より分散的に投入するゲリラ戦を展開し始めた。

 しかも、本格的な交戦は行わず、宏武や大規模な部隊が急行した時には蜘蛛の子を散らすように逃げ去っているのだ。

 この戦術は卑しい蛇の一噛みのように、ゆっくりと共和国軍の巨大な身を蝕んだ。更に、蝕まれている事に気付いた時には手遅れという、なんともタチの悪い蛇だ。

 散発的な襲撃によって多くの基地、野営地、集積所が被害を受けた。当然、それらを復旧する為には、多くの人員と物資を必要とする。

 しかも、補給品はほとんどが本国からの輸送に頼らざるをえない。何故なら、国土の半分近くが侵攻を受けたチュゼールには共和国に物資を提供する余裕などなく、装備の規格も異なる。

 そして、拠点に向かった補給部隊が襲われたという知らせが上層部に二の足を踏ませた。安くない金を使って送り出した補給物資が灰になったとあれば、本国の議会からどんな突き上げを喰らうか分かったものではない。

 結果、補給部隊は過剰なほど手厚い護衛の下、牛の歩みで物資を運んだ。無論、その間も散発的な襲撃は続くので、多くの部隊や拠点が被害を受け、より多くの補給を必要とした。そうして、いつしか補給品のリストは膨大なリペアパーツと医薬品、武器、弾薬で埋まり、新型BMの文言は消えていった。

 余談だが、新型の配備が見送られた要因の一つには宏武自身の過剰な武力も関わっている。既に前線で多大な戦果を挙げていた宏武に新たなBMが必要か、ということだ。

 

「師匠」

 

 凛とした声に視線を向ければ、砂漠用の四輪駆動車から颯爽と降り立つ李凛の姿があった。

 幾分か疲労の色が見える彼女は、服装も若干精彩を欠いており、パンツスーツの端々は汚れ、ネクタイもしていない。

 完璧を絵に描いたような彼女の崩れた身なりは、普段と違った新鮮な魅力を醸し出しており、周囲の男共が急に静かになる。若かりし頃の宏武なら彼らの行動に一定の理解を示しただろう。

 だが、宏武はわざとらしく咳払いをしてやり、整備兵達が李凜の胸元に向けていた視線をそれぞれの手元へと戻した。

 宏武の横に並んだ彼女は一度眼前のBMを見上げると、彼に向き直った。

 

「申し訳ありません、玄武の手配が間に合わなくて……」

「気にする事はない。実戦で使ってやれんのがあやつらに悪いと思っただけのことじゃ。それほど必要としていた訳ではないからの」

 

 そう言って肩を竦める宏武だったが、李凛から見ればそれは痩せ我慢と言わざるを得ない光景だった。

 

「そうですか……しかし、大将軍殿にも困ったものです」

 

 珍しく愚痴をこぼす李凛に、宏武の白い口元が笑みを象った。

 

「お主がそんな事を言い出すとは、珍しい事も有るものじゃ。それで、今度はどんな戯言を宣いよったのだ?」

「……なかなか面白いですよ」

 

 乾いたように笑みを浮かべる李凛だが、それでも映えるのだから美人とは大したものだ。

 

「臨戦態勢のまま待機、だそうです」

 

 李凜が意図せず吹き出してしまいそうな毒気を深呼吸と共に吐き出す。宏武も同じように溜め息を吐いた。

 戦争は盤上の遊びではない。手番の区別などあるはずも無く、敵がこちらの行動を待ってくれる事もない。そして、無策が招く犠牲はいつだって最前線の兵士達に降りかかる。

 だがどうやら、上層部にはその基本的な理解が欠如しているらしい。あるいは、分かっていても重視していないのか。

 

「まったく、何故そんな愚物の戯言なんぞ聞いてやらねばならんのじゃ」

「師匠。仮にも相手は大将軍殿ですよ」

 

 李凜の反応は諫めているようで、実質的に宏武の発言を肯定している。

 

「上層部には一人ぐらいまともなのはおらんのか」

 

 情けない、と溢して額に手を当てる宏武を取り成すように李凛は言う。

 

「張将軍は随分前線に気を配ってくださってますよ」

「……張? 聞かん名じゃな」

「ご存知有りませんでしたか。いつかの会議の際に師匠の意見を聞いてきた方なんですが。ほら、会議の後に一人だけ通信を維持していた」

 

 そこまで言うと、宏武も思い出したというように手を叩いた。

 

「そう言えばそのようなものが居たの」

「お知り合いではなかったのですね」

 

 鷹揚に返す宏武だが、それもそのはず、彼にとっては自分を師と呼ぶ人間はそれほど珍しくもない。もちろん、実際に技や知識、武人としての精神などを教えた相手なら記憶にも残るが、知らぬ間に学んでいるものまでは把握のしようがない。

 

「それで、その者がどうした?」

「よくやって下さってますよ。侵攻ルートの再選定に襲撃を受けた部隊の再編、基地の修繕と補給も。前線にも随分と人員や物資を融通してくれたようです」

 

 そう言って李凛の示した場所を見れば、偽装を施した陸上輸送艦から続々とコンテナを抱えたBMや牽引車がピストン方式で物資を運び出していた。

 それらは低めに見積もっても、基地一つ分を遥かに超えるほどだ。もっとも、今この最前線に集結している軍団にとっては、これだけあってもようやく一息つける程度に過ぎないだろうが。

 その時、宏武がこれまでの人生で、数多の女の尻を追いかけて培った慧眼が、李凛の端正な表情が僅かに陰った事を見逃さなかった。

 

「何か気になっているるようじゃな」

「えっ?」

「ふん。顔にはっきり書いておるわ。わし相手に遠慮する必要はないぞ」

 

 すると、李凜は笑みを浮かべ、周囲を一度見回してから声を潜めて話し出した。

 

「実はあの補給部隊の前に合計四回、部隊が送り出されているんです。でも、その全てが道中で教廷の無人機の襲撃を受け壊滅しました。ルートはその都度変えていましたし、護衛の増員も毎回行いました。しかし、敵はその度に現れ、護衛を上回るだけの戦力を用意していました。そこで今回は直前まで移動ルートを決めていなかったそうです。それでも襲撃は受けましたが」

「……なるほど、身中の虫か」

「おそらくは。情報が漏れたとは考えにくいので」

 

 李凜が頷くと、途端に宏武の表情も曇り始めた。だが、その目の奥には強い輝きが有る。

 宏武にとって眼前に立ち塞がる敵には微塵の恐ろしさも感じない。それはこの浄化戦争を通しても変わることはなく、教廷騎士と呼ばれる極東兵をはるかに凌駕する敵をも打ち破ることが出来た。

 だが、個人として圧倒的な武力を持つ宏武であっても目に見えない敵を倒すことは出来ない。

 その歯痒さ、そして未だ片鱗すら見せない強者への期待が彼の胸中を占める。

 

「目星は?」

 

 李凜はゆっくりと(かぶり)を振る。

 

「大将軍と幾人かは教廷残党の殲滅のために陸上艦隊を連れてこちらに向かっています。張将軍を始め、多くの将校は支援のために後方に残ってるそうです」

「ふーむ、疑い始めればきりがないな」

 

 後方に残った将校なら簡単に補給部隊の運行状況を確認する事が出来るだろう。張という将軍などは補給部隊の手配まで行っていたという。黙っていても情報が集まってくる立場だ。

 そして、後方の将校達が楽に情報を集められると言うことは、彼らの上官である大将軍なども簡単に情報を集められただろう。もっとも、彼らの大将軍への評価を考えると疑問符がつくが。

 

「仕方がない」

 

 一度溜め息を吐いた宏武は自らの愛機を見上げた。

 黒鉄の装甲は至る所に細かな傷が残っている。だが、機体が表面をどれほどの傷が覆っていても、みすぼらしさは微塵も感じず、闘神は堂々たる佇まいを崩すことはない。

 

「かくなる上は出たとこ勝負じゃな」

「申し訳ありません。師匠に何もかも任せてしまって」

 

 俯いた李凜の声は今にも消えてしまいそうなほどか細く、最前線の司令官として何も出来ない自分への怒りで握った手が震えていた。

 

「気にする必要はない。おぬしはおぬしの成すべきことをすれば良い」

 

 宏武の言葉を受けた李凜は一度深呼吸をして顔を上げる。幾分淡白だが、その切り替えの速さもまた上に立つ者の才覚なのだ。

 そして彼女は真っ直ぐ前を見つめた。だがその目は、眼前に有るどんな物でもなくこの、この砂漠の遙か彼方に居るであろう者を見つめていた。

 

「ええ。仰る通りです、師匠」


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