演奏が始まる少し前、笛吹と灯魂は市長室にいた。
案の定、市政はストップしていた。
そこで笛吹は機械を再起動させて職員の再雇用を始めていた。
それと、市役所の再建も。シティーズスカイライン感覚でやれるのだ。
「・・・忙しいですね」
「まあ、仕方ないさ。こういうことはやっておかないと」
神浜市のリソースを簡単に自分たちのものにすることができるからだ。
それに、スクリーンで各勢力の動向を監視することだって可能になる。
その監視機能も笛吹の修理で復活しそうであった。
「机の中は・・・帳簿?」
灯魂は大量の帳簿を発見した。それも複式簿記の。
市長であった氷河によって書かれたものであろう。
複式簿記の読み方を灯魂は知っていた。
だからこそ、おぞましき『清算の日』が近づいているとわかってしまった。
少なくとも、氷河は必死にそれと戦っていたことも帳簿からわかった。
「・・・ソウルジェムが濁るよりも、
「えっ?」
視点を大東学院に戻そう(震え声)。大東学院に一人の男子生徒が訪れていた。
たまたま忘れ物を取りに来ていたのだ。
名字や詳しい名前はわかっていない。
ただ、ギンちゃんと呼ばれている生徒であることは確かだ。
そう、安名メルに構っていたあの男子生徒のことだ。
幸いだったのは、学院内に彼と修也しかいなかったことだろうか?
「・・・ピアノ?」
旋律が響き始めたのは、教室内で探し物をしていた時だった。
別に急ぎでもないし、少し聞きに行こうと思った。
それに、肝心の忘れ物は家に持ち帰っていたのもちょうど思い出したから。
(・・・誰が演奏してんだ?まさか、修也の奴か?)
そのまさかであった。彼は帰ってきていたのだ。
しかし、どこか彼を包む雰囲気は異様であった。
「・・・ギンちゃんか。ただいま」
「お帰りっと・・・なんか様子おかしいんだけど?」
「・・・俺のいない間にたくさんの人が行ってしまったからかな」
話ながらも、彼は正確な演奏をしていた。
ギンは違和感を感じた。修也が楽譜無しで演奏をしていたからだ。
それに、今までのただ正確なだけの演奏ではなく、心がこもってもいたのだ。
「なあ、俺のいない間にどれくらいの人が死んでしまったんだ?」
「・・・かなりの数だな。
・・・まず、メルが死んでしまった。
なんか二木市の女子校生が殺されていた事件もあるし・・・。
お前の友達二人くらい死んじゃったし・・・。
その前には東の女子校生が変な事故で死んで、行方不明も多かった。
・・・俺の知っている子も何人か死んでしまったし、行方不明にもなってる。」
「安積はぐむという高校生がその中にいるんじゃないか?」
「・・・ああ、その通りだ」
「やっぱりか。何となくそんな予感がしてたんだ」
悲しげな旋律は音楽室を満たしていた。
すると、不思議なことが起こった。
五線譜が鍵盤から実体化して浮遊し始めたのだ。
修也が鍵盤を弾くたびに、五線譜が出現して宙を舞い始める。
とても幻覚には見えなかった。触れてみると、少し柔らかい感覚が伝わった。
「・・・それで、どうしてピアノを?」
「・・・さっきまではわからなかった。
でも、ようやくわかった。
俺が弾き続けるのは、過ぎ去った何かを心に留めるためなんだって・・・」
ピアノが急にひび割れたと思ったら、次の瞬間には元通りになっていた。
いや、それどころか大きくなって鍵盤も増えつつあった。
それに応じて、修也の腕の数でさえも増えていた。
四本、八本、十本・・・。
「お、おい・・・」
「安心してくれ、お前に迷惑をかけるつもりはないさ。
いや、確かに迷惑かもな。俺みたいなのが延々とピアノを弾いていたら。
だったら、お前たちに何かしてあげないと・・・。
それでプラマイゼロになってくれるはずだから・・・」
「そ、そういう問題じゃなくて・・・」
悲しげな旋律に、調和に満ちた旋律が加わった。
その旋律を聞いていると、何だか自分たちが忘れていた何かを思い出せそうであった。
それは誇りや信頼、というべきなのだろうか?
忘れていたというよりかは、すっかり縮小していた心だった。
それがあってこそ、人間は人間でいられたというのに。
「・・・この街の人間は、すっかり個を失ってしまっていたんだ」
修也は演奏を続けながら語り始めた。
「よく考えてみるんだ。西の人達は俺たちを嫌う必要はないし、
東に住むお前たちも別に劣等感を持つ必要なんてないんだ。
大事なのは、個を持つということなんだ。
・・・氷河という奴もそれをわかってくれていたらよかったのに」
「ひょ・・・えっ、誰だよ?」
「神浜市の記憶が楽譜になって俺の頭の中に入り込んでくるんだ。
幸せな記憶も、悲しい記憶も、全てが俺にとっては楽譜になってくれるんだ」
五線譜は音楽室を飛び出して、神浜市の空を漂い始めた。
「・・・これこそが俺の能力の神髄だったんだ。
俺の能力はただ楽譜通りに演奏ができるというだけだけど・・・。
大事な何かを楽譜にして、それを伝えることができるんだ・・・」
悲しい旋律と、調和に満ちた旋律が、ギンの心に沁み込んでいく。
前に向かって歩ける。この旋律を聞いた大東区の者たちは誰もがそう思った。
でも、一つだけ問題があった。
「・・・ごめん、やっぱ演奏を止めてくれないか?
別に嫌なわけじゃないんだ。ただ・・・ただ・・・!」
「・・・わかるよ。お前の心が、楽譜になって伝わってくるんだ。
心配しなくていいさ、こんな姿になっても俺は俺なんだ。
胸を張って、そう言えるさ」
「違う・・・違うんだよ・・・!」
ギンはそういうのを望んでいなかった。
ただ、修也に普通の人間として生きてほしかった。
一人だけ仲間外れなんて寂しいではないか。
「・・・言ったろ。俺は過ぎ去ってしまっものを留めるために演奏しているって」
すると、ギンの目の前に一つの光景が広がった。
それは五人が一緒にラーメン士郎でラーメンを食べている光景だった。
照星、令、修也、ギン・・・。そして、見知らぬ青年。
彼らだけではない。多くの少女たちが、そこで楽しそうに食事をしていた。
彼は悟った。修也は演奏をすることで、この光景を作り出しているのだと。
それはもう、二度と手に入らない素晴らしいものであった。
「でもさ、どうしようもないじゃないか・・・。
アイツらがお前がずっとこんなことをするのを望んでいるのか?
俺にはそうは思えないよ・・・」
「・・・どうしてそんなに俺に構うんだ?」
「・・・そんなの」
「友達だからに決まっている、そうですよね?」
突如としてドアが現れ、一人の青年がそこから現れた。
さっき幻覚に現れた見知らぬ青年と同じ顔だった。
ギンは悟った。この青年も修也と同じ、いやそれ以上に深い傷を負っているのだと。
そして、さっきの光景は青年が思い描いていた夢であったということも。