獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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ふふ…三位になってました…(今は四位)
ありがとうございます。
感想と評価嬉しすぎる、もう投稿するしか返せるものがない!

なので投稿します☆




18,七つの功業が壱

 

 

 

 

 ――お帰りなさいませ、ユーウェイン殿下ッ!

 

 城門前に左右に別れたメイド隊が折り目正しく腰を折り、頭を下げる。

 それぞれが貴族の令嬢であり、次女や三女といった外交の道具に使われる身分の者達だ。だが貴種の血統である事もあり、見目麗しい淑女達であるのに違いはない。統率の取れた連携で数名のメイドが帰還した城主に駆け寄り、恭しく手を差し出して荷物を受け取ると、迅速に王子を中心にカーテンを掛け召し物を差し入れると着替えを手伝う。着慣れた騎士服を纏った王子は従者の世話も命じた。

 ただちに指示に従ってケイ少年の粗末な衣服を剥ぎ、面食らう少年を王子の従者に恥じぬ衣服に着せ替えさせ、身嗜みを完璧に整えあげてのける。そして控えていた騎士隊が二人を先導して城に入った。ラムレイとケイの馬を牽いて厩に連れて行くのを尻目に、ケイはどこか呆然としながら溢した。

 

「師匠……いや、殿下。殿下は本当に殿下だったようで……」

「………」

 

 人をなんだと思っていたのか。傅かれ奉仕されるのは当然だろう。父親とはまともに顔を合わせた事はないが、これでもれっきとした王家の長子なのだから。不便か便利かで言えば、便利で鬱陶しいが。

 一人にしてくれ。切実にそう思うことのなんと多いこと。しかし彼らを仕えさせられるのが王族であり、仕えさせねばならないのも王族である。我儘は言えないし、言うべきでもない。

 流石に丁寧な物腰に切り替えたケイを連れながら私室に向かいつつ、このままケイを連れて行くのもな、と思い直して指示を出す。

 

「城に着くまでに言ったな。『()』が何を計画し、着手しているのかを」

「あぁ、魔獣を家畜化する云々に関してでしたかね。目から鱗な計画で理には適っていると思います。殿下以外では捕獲も難航するでしょうから、正直軌道に乗るとは思いませんが」

「私もそう思う。だが難しいと分かっていても、何かを始めねば何も成らん。ブリテン島を取り巻く問題を解決するには、まず何を置いても食糧問題を解決しなければならない。――という訳でだ、お前はこのまま中庭に行け。魔猪の世話をしている騎士がいるはずだ、私の名を出し仕事を教わりに来たと言え。エリン、ケイを案内しろ」

 

 数歩後ろに追従していたメイドの名を呼び命じる。

 ケイは突然の事に目を白黒させるが、ユーウェインはそんな少年に囁きかけた。

 

「――俺は帰還の触れを出していない。なのにこの出迎えだ。確実に、俺の母上が待ち構えている。今のお前が会うには少々おっかない相手だろうからな、逃してやる。早く行け」

「……了解」

 

 命じると、ケイは顔を固くして頷いた。

 彼には母モルガンの事も話している。尊敬できる方だが、恐ろしいと言われる妖精であると。正直ユーウェインは怖いと思った事はないのだが、客観的な話を聞くと厄介な人という印象を受けるようだ。

 ケイは従者となって早々に目を付けられたくないと思っていたらしく、従者として挨拶すべきところを『主人に仕事を与えられた』という大義名分を持って、メイドのエリンに付いて行く。

 エリンは昔から仕えてくれているメイドだ。生真面目だが柔軟に仕事に当たる出来る女で、たしか配下の騎士ギークと夫婦だったはずである。アルトリアぐらいの年頃の娘もいるらしい。ケイほどの歳の少年には優しく接してくれるはずだ。

 

 ――そして、他のメイドや騎士は見知らぬ顔ばかりである。

 

 ユーウェインも城の人間全てを把握しているわけではない。直接話した者、仕えてくれて長い者の名と顔は一致するが、そうでない者は精々『見覚えがあるな』と思う程度だ。

 彼らはモルガンが王都から連れて来たメイド隊と騎士隊だろう。その規模から察するに、モルガンは本格的にユーウェインへ与えられた城に拠点を移しているようだ。頻繁に訪ねてきていたから、今更かと思うに留まる。

 自室に着く。音もなく前に出た、メイド隊の統率者らしき初老の男性執事が戸を開ける。ご苦労とも労えない相手だ、ユーウェインは努めて鷹揚に頷いて中に入る。……流石に清掃は行き届いているがモルガンはいない。それもそうだ、親とはいえ子の部屋にいるわけもない。

 内心胸を撫でおろし、ひとまず旅の汚れを落としてから母に謁見しよう。そう思いメイドや騎士にも渡さずにいた荷車盾を下ろし、身支度を整えようと執事に声を掛けた。

 

「水を浴びる。用意しろ」

「畏れながら、王妃様より言伝っております。殿下が荷を下ろしたのならすぐに案内せよと」

「……そうか、分かった。先導を赦す。母上の命を果たせ」

「承知致しました。では、こちらへどうぞ」

 

 完璧に礼を取り規則正しく歩む執事に付き部屋を出た。

 モルガンの取るであろう部屋は想像がつく。密室で、窓のない部屋。即ち、城の最上階だ。魔女であるモルガンの拠点とは彼女の工房であり、神殿。要塞化され、防備は万全にして完全だろう。

 気が重い。ユーウェインの対魔力は折り紙付きだが、モルガンが本気で怒っていたらその対魔力も平然と貫通してくる。折檻が待っているかもしれないなと密かに覚悟を決めた。

 なにせ、相手はあのモルガンだ。言いつけを破ったユーウェインに何もなしとは言うまい。彼女の性質を知悉するが故に覚悟も必要だ。如何なる罰であろうとも甘んじて受け入れよう。

 

 やがて辿り着いたのは、ユーウェインが予想したように城の最上階だ。その階層に脚を踏み入れた瞬間に、異界へ紛れ込んだのを察知して嘆息する。先導しようとする執事に彼は言った。

 

「ここまでで良い。下がれ」

「は……しかし、」

「下がれと言った。母上は私にお怒りだろう……巻き込まれたいのなら供を赦すが、どうする」

 

 問うと、執事は額に汗を浮かべた。熟練の執事をして、怒れるモルガンというものには恐怖を押し殺せないのだろう。しかし、流石にプロフェッショナルだ、彼は一瞬の間を空けて同行を申し出ようとする。

 苦笑してその初動を潰した。

 

「……言い換えよう。私の侵した咎だ。その報いを受けようというのに、貴様を巻き込んでは心が痛む。私のためを思って下がってくれ」

「……御意の通りに。……感謝致します、殿下」

 

 彼はプロフェッショナルだ、身の危険を感じようが下がるに下がれない。故にその顔を立ててやる必要がある。ユーウェインの気持ちを汲んだという形でなら名も知らぬ彼も下がれるというものだ。

 最敬礼をして最上階層から降っていった執事から目を切り、靴音を鳴らして冷たい空気の廊下を歩く。敷き詰められた赤い絨毯……完璧な調和を演出する工芸品の数々。磨き抜かれた壁には羽根を象った優雅な紋様が描かれ、そのどれもが微細なルーン文字で構成されている。

 全て、全てが超級の魔術礼装だ。魔力の濃度が濃い、どころではない。空気そのものが魔力。耐性のない者は、神殿の主の許しがない限り、息をするのもままならず呼吸困難に陥るだろう。

 赤い絨毯は、しかし堅かった。硬質な靴音が鳴るのはそのせいで、恐らくは大魔術の儀式工程の一つとなっているのだろう。歩んだ歩数の分だけ、何かが蓄積しているのを感じる。

 

 通路のそこかしこに亡霊、魔犬、下位の妖精の気配も感じる。通路を飾る工芸品の数々は異界を進行する中での境目。奥へ進むごとに異界の深度、強度が段階的に上がっている――恐らく安易に工芸品を破壊するか触れるかすると、最奥の異界強度が炸裂し、不埒な無礼者を圧殺する仕組みだ。

 ユーウェインはそこまで看破し、部屋の前にある銅鏡を一瞥すると、映った自分の顔が自身の表情とは違う歪んだ笑みを浮かべているのを見た。言うまでもなく、ユーウェインは真顔のままだ。品もなく笑ってなどいない。この階層に飼われている下位妖精の稚気だろう。

 こつんと指先で銅鏡を弾く。他の物には触れてはならないが、これには触れねばならない。果たして銅鏡の反対側に、それまでなかったはずの扉が出現していた。中から母の気配を感じる。

 

 意を決してノックすると、入室を許可する声が聞こえる。

 ドアノブを掴みドアを開く。中に入るとそこでモルガンが待ち構えていた。そこは寝室ではあるが、部屋の模様の一つ――他にも玉座、客間など多数の部屋の顔を持つ空間である。

 美貌を些かも衰えさせない人外の美。黒衣を纏い、黒いベールで目元を隠したモルガンは、優雅に紅茶を飲んでいた。手元の卓にはユーウェインが作り置いていたクッキーなる菓子がある。

 高級な素材を用いた、母のためだけに作った菓子だ。どうやらそれを食す程度には機嫌は悪くないらしい。ユーウェインが内心胸を撫で下ろしていると、モルガンはちらりとこちらを一瞥し、白く細い指を向けて来るなり人差し指へ魔力を充填した。

 

「………」

 

 ガンド。呪う相手を指差し、その体調を崩させるルーン魔術。

 強力な効果を発動し、物理的な破壊力も具えるガンドは『フィンの一撃』と称されるが、モルガンのそれは『フィンの一撃』とも別次元の破壊力を指先一つで発揮する。直撃すればユーウェインですら風邪をひき、彼ほどの対魔力が無い者なら灰も残らず呪い(焼き)()われるだろう。

 しかし、単調に破壊や呪いしか成せぬほど、モルガンの程度は低くない。妖精の女王は対象を微細に指定できる。果たして直撃を受けた黒衣の王子は、自らに付着していた()()の概念を灼き払われた。

 旅の中で付いた汚れ、老廃物、髪に付いた脂や、手足の爪の間に入り込んでいる垢、全て消えたのだ。一瞬にして清潔となったユーウェインに向け、モルガンは不機嫌そうに頬杖をつく。

 日光が差し込む余地のない閉鎖空間なのに明るいのは、なんらかの魔術によるものだろう。頬杖をついた所作すら気品に溢れ、白髪が揺れる。ユーウェインは彼女の五歩前まで進み立ち止まった。

 

「――五十と四。何を意味するか、そなたは分かっておろうな」

 

 おもむろに口を開いたモルガンが言うのに、ユーウェインは曖昧に頷く。

 全く分からなかった。分からなかったが、分からぬと告げるのは憚られた。

 呆れたようにモルガンは嘆息する。愛息の知ったかぶりなどお見通しであるかのように。

 怒気は無い。到って平静。欠片も妖精は腹を立てて様子を見せない。故に、幾らか気が緩んで粗末な反応をしてしまったのだ。微かに赤面したユーウェインに、モルガンは正答を突きつける。

 

「妾の元を離れていた日数よ。同時に、妾の言いつけを破ってより、過ぎ去った時間でもある」

「………」

「どうしたのだ。なにか、妾に言う事があるのではないか?」

「申し訳ありませんでした」

 

 微笑みすら浮かべての詰問に、跪いて頭を下げつつ謝罪する。

 なんと空虚な響きなのかとモルガンは笑った。くっくっく、と。典雅な風情を湛えて。

 

「イヴァン。そなた、紡ぐ言の葉を誤っておるな。自らは全く悪いと思っておらんだろうに」

「お見通しでしたか」

「馬鹿め、少しは悪()れるフリぐらいしてみせよ。怒るに怒れんではないか」

 

 手掛けた作品、最高傑作。

 恐らくこれから先、この愛息を超える子供は生まれないだろう。それ故の愛着であるが、モルガンとて人の血肉を具えた母親である。共に過ごした歳月が細やかな愛情を抱かせていた。

 ユーウェインに関してモルガンは知悉している。設計し、改造し、手塩にかけて育てたのだ。性能から嗜好、志操に至るまで完全に掌握していた。余計な調整さえ受けていなければ分からぬ事など無い。

 故に彼の知能の高さも承知している。だのに、頭がキレるはずのユーウェインにはどこか抜けているところがあった。早い話が天然で、時折り彼の全てを識っているはずのモルガンも虚を突かれる。

 

「妾の言いつけを破った事に対して、妾は怒っておらん。叱責の一つでもくれてやろうかと思っていたが、そうまで堂々とされると怒る気も失せる。だからそれはよいのだ。だがな、妾のイヴァンよ。帰ってきたならまずは言う事があろう? 幼子ですら忘れぬ道理だ」

「………? ………あぁ、そうでした。………()()()()()()()()()、母上」

「うん、それでよい」

 

 満足げに頷いたモルガンに、ユーウェインは安堵の吐息を漏らす。だが許されたと思い立ち上がろうとすると、妖精はジロリと横目に睨みつけてきた。その眼力は、物理的に黒太子の肉体を縛る。

 魔眼――ではない。内包する神格の重圧だ。ユーウェインほどの剣士が、跪いたまま動かない。ユーウェインは困ったように母を見上げた。彼の精神は、どんな英雄でも戦慄する神威を受けても小揺るぎもしていない。モルガンが授け、完全に魂魄へ定着して固着した祝福による心の不動だ。その気になれば普通に立てるだろう。軽く肩に手を置かれた程度の重圧しか感じていない。

 

「立つな、イヴァン。まだ聞かねばならん事がある。やらねばならん事も」

「それは?」

「まず訊こう。そなた、なにゆえに妾の言いつけを破り、リーリウム・ペンドラゴンを帰した」

「あなたが私の敬愛する母上だからです」

 

 臆面もなく、言い切る。即答する。するとモルガンは目をぱちくりとさせ、ん? と首を傾げた。ん〜……と、予想外の返答であったのか唸り、聞き間違いかと判断して聞き返す。

 

「今、なんと言った」

「母上を、私が、尊敬し、愛しているからです」

「………?」

「………」

「……妾を、愛している?」

「はい」

「………」

「………」

「……ではなぜ、妾の言いつけを破ったのだ……?」

 

 意味が分からぬと。言葉の意味を表面だけなぞり、理解の及んでいない頭で反駁する。

 するとユーウェインはモルガンの様子に苦笑して告げた。

 詳しく言わねば分からぬなど、母上も存外鈍いものだと思って。

 

「私には触れてはならぬ、侵してはならぬ芯があります。母上は、それに触れた。私はそれが堪らなく嫌だった。―――母上はこのブリテン島で最も勤勉に働き、最もウーサー王の跡継ぎとなるべく尽力なさっておいでだった。そして、それが成らぬと見るや、私を王にすることで国母となり、摂政として権力を握るつもりだった。違いますか?」

「……違わんな。なんだ、気づいておったのか」

「ええ。母上が私の事ならなんでもお見通しのように、私も母上の事ならお見通しです。故に私はそれでよいと思っています。至らぬ身で王冠を戴こうとは思いませぬ。多くの助けが私には要りましょう。その中に母上の力と知恵があるとないとでは大違いです。私の為そうとする事、成さねばならぬ事、共に母上の存在は欠かせません。母上は『ブリテンの王冠』だ。母上を戴く事に、私は誉れを覚えこそすれ、蟠りなど懷くことは無いでしょう」

「………、………妾が………妾が、ブリテンの………王冠、だと………?」

「世辞ではありません。私の知る限り、母上ほど偉大な御方はいない。私がそんな母上の言いつけを破った理由はただ一つです。お分かりいただけますか」

「……分からん。妾には、そなたが何を言っているのか……」

「馬鹿な。自明でしょう。偉大である親に、どうかその在り方を損なってくれるなと駄々を捏ねたのです。子の初めての我儘……哀願、どうか聞き届けていただきたい」

 

 モルガンは沈黙した。

 故に、ユーウェインは告げる。彼女はリリィが継ぐと思っている称号、ペンドラゴンの名を口にした。である以上、モルガンはこちらがあの幼女の血統を識ったと見抜いている。

 隠す意味もない。ユーウェインは直言した。

 

「貴女は、ゆくゆくは私とリリィを番わせるおつもりだった」

「………」

「ウーサー王直系の血を取り入れ、正統な王権を得るおつもりだったのでしょう。だが、私はあの娘を好ましく思いますが、其れ以上に普通の女として生きてもらいたい。その為に、速やかにブリテンを統一したいと思っています。ブリテンが纏まったなら、あの娘の血は要らない……違いますか」

「……違わん、違わんが……アレを妃とせねば、そなたのブリテン統一は二十年を超える事業となる。そなたは人の身だ、二十年は決して短い時ではあるまい。そこから先に待ち受け、途上にも立ちはだかる白き竜やヴォーティガーンとの戦いもある。そなたが生きている内に、ブリテンが救われる事は――」

「十年です。十年で、ブリテンの人と国を統一したい」

「――なんだと?」

「無茶、無理、無謀、百も承知。身を削って働き、最速、最短で統一を成す。その為に力と知恵をお貸し下さい。母上と私になら、それができるはずだ」

「…………………」

 

 妖精の女王――旧き女神の化身、受肉した神格は再び沈黙した。

 思い返すとあべこべだ。モルガンはユーウェインに、恐らくなんらかの罰則を課すつもりだった。だがユーウェインには明確に固まった目的がある。少し灸を据えてやろうとする母と、覚悟と意志を固めた子、どちらに勢いがあるかは明白で、そうである故に話の流れが逆転したのだ。

 黒衣に白髪。琥珀の瞳。人の域にない美貌……その叡智と狡知が、高速で回転している。モルガンはあらゆる情報を統合し、試算して、ポツリと呟いた。

 

「……不可能だ。そなたの言は、成らぬ。机上の空論で終わる」

「不可能だからと、挑まずしてなんとするのですか。貴女の息子は、不可能を超えられないと? そんな馬鹿な事はない。私は――何も諦めない」

「………」

 

 ――モルガンは迷った。肉を纏う神性、旧き女神である彼女の生の中で、初となる迷い。

 それは愛する我が子に、ブリテン島がどう足掻いても滅び去る運命にある事を告げるか、否か。もし知らせればどうなる。ユーウェインは不変だ、そう設計している。故に心が折れるという事はなく、ブリテン島の滅びをなんとかしようとする余り、身も心も削って、すり減らして、道半ばで死ぬだろう。

 死?

 死ぬ?

 余りに正確な予見に、とうのモルガンが恐怖した。

 ――ユーウェインが死ぬ。この未来が、途端に恐ろしくて堪らなくなる。なぜだ、ここまでユーウェインの死が恐ろしく感じた瞬間はない。今までも恐れてはいた、だが今はその比ではなかった。

 それは。その理由は。

 自分以外の誰かがモルガンを――モルガンの行いを――察していながら初めて肯定し、尊敬し、愛していると明確に告げたからだ。ただ己が愛すれば良いと考えていた魔女は、最愛の子に愛されているのだと知って恐懼してしまう。

 

 ――妾のイヴァンにだけは、絶対に知られてはならぬ。

 

 ブリテン島は近い未来に滅びる。それは間違いない。避けられない運命だ。人理とはそういうものだ。物理法則の適用は神代を殺すのだから。故に、これを避ける為に奔走してはならない。

 人理定礎が歪み、特異点と化してしまえば、抑止力が来るからだ。

 定まった運命を覆せはしない。その運命の為に死なせたくはない。故に、モルガンは決意した。彼女の中で曖昧だった、『ブリテン救済』の策が完全に形となって固まったのである。

 

「――そうまで言うなら、よかろう。妾も共に賭けてやる。そなたの挑戦に」

「母上……!」

 

 ユーウェインは歓喜した。モルガンが味方となると明言してくれたからだ。

 いや、元々味方になると勝手に決めつけていたが。喜ばしいのは、自分でも無謀だと思っている事業に、母が呆れながらも同調してくれた事。

 素直に嬉しい。ユーウェインが喜ぶのに、モルガンは思う。分かっていたつもりだったが――神の愛に、底はないらしい、と。我が事ながら苦笑してしまう。

 

 モルガンはユーウェインに告げた。

 

「愚かなイヴァン。昔から、そなたは愚かだったが……振り切れておるのならやむを得まい。止めるだけ無駄というものよ。であれば、妾からそなたに功績を立てよと命じる」

「功績ですか」

「うん。本当は妾の言いつけを破った罰として課すつもりであったが、気が変わってしまったのでな。罰ではなく、次期ウリエンス王としての仕事であると言ってやろう」

 

 まず最初に浮かんだのは、既に製造を完了しているホムンクルス。ユーウェインの友として起動し、従僕として生き、監視者として死ぬ定めを負った者。今はまだ眠っているが、最後の調整として有用な()()()を手に入れる必要があると考えていた。

 そのついでに、ユーウェインに有力で、強力で、信の置ける騎士を付けてやらねばならない。だがウリエンスにはそんな人材はいない。ユーウェインとモルガンだけが図抜けているのだ。これでは足りない。

 故に、外から持ってくる。足りない人材を掻き集める。

 モルガンは命令を待つユーウェインの目を見据え、()()()を口にした。

 

「イヴァンよ、そなたは()()()()()()()()を知っておるか?」

 

 其れはブリテンに於いて、古代から魔物――幻想種を使役すると言い伝えられる一族。

 祖に古の賢王ベオウルフを持つ彼らは、誇り高き狩人であり、特に現在の族長の長男は、太祖ベオウルフに瓜二つの力と姿を持つと言われていた。

 モルガンはこれを、当初は排除するつもりでいたが――気が変わった。アッシュトン一族をユーウェインの配下の騎士とする。その為にユーウェインを派遣するつもりになった。

 

「アッシュトン一族を王宮に招き、ウリエンスの騎士とせよ。奴らの力は必ずやそなたの助けとなるであろう。故に、成功させるまで帰る事は赦さん。よいな」

 

 モルガンの言に、ユーウェインは決然と頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Ashton(アッシュトン一族)
古代からブリテンにおいて魔物を使役すると言われている一族。
彼らはモルガンに危険視され一族皆殺しにされた。
そんな、マイナーなお話。

ベオウルフを先祖として掲げていた彼らは、当時のアーサー王に登用されそうになり、アーサー陣営の強化はさせじとモルガンが『悍ましく計り知れない、見るだけで鳥肌の立つ、竜の成り損ない(古文直訳)』を彼らの領土の中で召喚して、一族と怪物が共倒れに。
「ランスロットに勝てるかもしれない」とアーサーに言われた族長の息子は、「なぜか」戦いの前に突然病死。先祖(ベオウルフ)にとても似ていたらしいのに。モルガンさん…呪いでもしました?(震え声)

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