獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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お待たせしました。
難産回。同時に繋ぎの回。
無視するわけにも、放っておくわけにもいかないお話です。





19,騎士道の種

 

 

 

 

 折角帰って来たのに、一日と待たず追い出されてしまった。しかも、今度は一人だ。

 

 だがユーウェインに悲観は無い。寧ろ前途が拓けた気分だ。実際に拓けたのかと言われるとそうでもないが、モルガンが協力的な姿勢を見せてくれたのは百万の味方を得たに等しい心強さである。

 ケイには悪いが、ユーウェインから彼に教えられるのは料理と騎士の技能、剣技だけである。しかし今は騎士としての必修項目の他に、(まつりごと)の体験学習をさせたいと思いモルガンに預けた。

 彼に自らの持ち得る技を授けるのは帰った後になるだろう。

 ケイに知識も授けるのがエクター卿との約束だが、自分の知識など大した事はない。どうせなら今後に役立つ国政を学ばせた方がよく、その適任は自分ではないのは明白だ。

 

 故に気楽な一人旅。守る者のいない身軽な旅路は心も軽い。完成を見た旅装も実に馴染む。

 

 背には荷車盾、盾として使うなど言語道断なる携帯保管庫。

 同じく細身の曲剣も背負っている。

 綺麗好きなユーウェインの要望でモルガンに作製してもらった魔術礼装、衛生的な不浄を払う黒衣の騎士服『高貴なる者の衣(ロイヤルブランド)』を纏い、暑寒より身体を守る外套(マント)を上に羽織った出で立ちだ。

 同様に馬具にもルーンが刻まれ、愛馬ラムレイも暑寒より守られている。

 ラムレイは堕ちた旧神インデフとの死闘を経て、身に宿す神秘を覚醒させていた。短期間であれば神馬の如く空を駆けられる。速力や持久力もまた大幅に向上し、以前はユーウェインの方が速かったが、現在では日輪の下にいる主人よりも倍近く疾く駆けられるようになっていた。

 

 馬蹄は健脚を誇示し雪原を行く。積もった雪が舞い、土が抉れて轍となる。

 

 魔境ブリテンは草原地帯が多いが、広漠とした大地は実態との乖離が著しく現れていた。というのもブリテン島にはまだ物理法則が適用されていない為、実際の版図よりも広くなっているのだ。

 その主な原因は世界中から神秘が枯れていき、神秘に生きる者にとっての最後の聖地ブリテンへ、世界各地から幻想種や妖精(神霊)、魔術師などが集まり各々の領域を定めて異界を作っている事だ。

 人里を離れて進めば起源も知れぬ異界に迷い込むなど日常茶飯事。そして異界を抜けた途端に別の異界に迷い込む事も有り得て、縄張り争いの結果か、主を欠いた異界も各地に散見される。

 

 異界は、別世界だ。あらゆる法則が異なっている。故に領域強度によって、その異界の広さは異なっていて――たった今ラムレイが駆け抜けた異界は、一つの城程度の版図しかなかった。

 恐らく主が去ったか、人か魔に屠られたのだろう。今に消滅する間際といったところで、やる気はないがユーウェインの些少な魔力放出にも耐えられそうにない。放っておけば消えるものを、わざわざ壊そうとは思わないが、しかし僅かに気に掛かる。

 

(今の異界は……)

 

 異界は基本的に人を囚えない。異界の主は人の通過を赦し、努めて無視するものだ。

 何故なら人に構うのは面倒であるし、仮に害し弄ぼうものなら人は大挙して押し寄せるか、人に味方する精霊や魔術師の付託を受け侵攻してくるからだ。人同士の戦争やらに関わらぬのはその為であり、人は人以外の敵が現れれば、容易く結託してしまうと彼らは知っている。

 無論、全ての幻想種、妖精らが人の通過を看過するわけではない。

 中には悪戯程度にからかい稚気を見せるもの、人を戯れに食うもの、明確に敵意を持つものもいる。だがそれらとて表沙汰にならぬように気を遣うものだ。なんせ神秘は枯れるが定め、ほぼ全ての幻想種はいずれ世界の裏側――星の内海に去る運命である。世界の表にいられる余生を棒に振りたがる者はいない。後先を考えぬ短慮なものを除いて。

 

 しかしユーウェインはその定めを知らずとも、今の異界に違和感を覚えた。近隣で妖精、幻想種が人に討たれたという報せはない。人は己の功績を誇示したがるものだ、強大な異界の主を討ったのなら必ず喧伝する。それがないという事は、アレは人に討たれたのではなく、自らの領土を捨てたか――他の幻想種に攻め落とされたかの二択となる。

 

(……いや)

 

 考えずとも良い。今は余所事を考えている暇はない。

 

 母より与えられし大任、アッシュトン一族なる者の登用。これが最優先事項だ。彼らは魔獣、ひいては幻想種を操れるという……まさに今のユーウェインが喉から手を出すほど欲する者達である。

 彼らはブリテン人勢力の外、アングロ・サクソン人の七王国を挟んだ海岸沿いにある国、オークニーの秘境に住んでいるらしい。故にアングロ・サクソン人の国を通過する必要があり、彼らの元へ訪れるついでにモルガンに言付かっている雑事も果たさねばならない。

 

 オークニーの王、ロット。ウリエンスの同盟国であり、モルガンの子がいる地だ。モルガンとロット王の関係には思うところがないと言えば嘘になるが、個人的に異父兄弟達には関心がある。

 母が言うにはロット王は善人であり、ユーウェインが訪ねてきたなら含むものもなく歓迎するだろうとの事だった。二人は完全に割り切った関係で、違う男の子供である自分に隔意はないのだろう。

 ロット王に挨拶して顔を繋ぐ。これも大事な仕事だ。そのついでに異父兄弟達の顔も見ていこうと思う。オークニーの秘境に住む例の一族の正確な所在地を、ロット王に聞くのが本題であるが、モルガンの子という一点だけで異父兄弟へ大いに関心があった。

 

 とはいえ一直線にオークニーを目指せるわけではない。国境線上にはアングロ・サクソン人の王国がある。それらを素通りするのは極めてリスキーであると言わざるを得ない。

 如何にしてアングル人、サクソン人、ジュート人を避け、特にピクト人に関わらずに通り抜けるかが肝要となる。人里を避けるのは当然として、一箇所に留まらず移動し続けるのが大事だろう。

 

 愛馬の健脚と持久力の底上げによって、最低限の休息を挟むだけで良くなったのは幸いだ。片道半月程度で済む。往復で一ヶ月だ。

 

 ユーウェインは半年以内に帰るつもりだが、焦らずとも一年掛けても良いとモルガンは言っていた。十年で事を成そうと望んでも、最初から最後まで全力で走り続けられる道理はない――最初の三年は緩やかに準備を整えるべきであり、本格的に始動するのは二十歳になってからだと告げられていた。

 二十歳で王位を襲い、ユーウェインがウリエンス王に即位する。残り五年でブリテンの統一を成す。本当に出来るのかと不安になりそうだが、やるしかない。最初の五年で準備や根回し――外交で如何に盤面を固められるかが勝負の分かれ目になるだろう。焦りたくもなるが落ち着いていくべきだ。

 ――冬の寒さが過ぎ、段々暖かな気候が訪れそうになっている。

 ユーウェインはラムレイと共に進み、人里を避けて山や川を一直線に突き抜けた。川はラムレイが虚空を駆ける事で濡れずに渡れる。水の精に足を止められる事はない。

 

「もし。お待ちになって? わたくしは湖のニミュエ、あなたはアイルランドの旧き神を屠った勇士ユーウェインですわよね? 特別に……そう、特別にわたくし達の畔に招待――って、ちょっとー! ちょっと待って! 話! 話聞いて! ちょ、コラ、待って――待てって言ってんだろォ!?」

 

 道中、矢鱈追い掛けて来る湖の精霊がいた気もするが、残念ながら面倒事に構ってやる時間はない。あからさまに面倒な予感しかしなかったので無視したが、後悔は欠片もなかった。

 湖の某を無視したお蔭だろう、ユーウェインは何事もなくオークニーへ到着する。

 我が愛馬ながら呆れる行軍速度だが、彼女の活躍には大いに報いてやりたいものだ。牡馬を目で追う頻度が高くなっている事だし、種馬を見繕ってやるのもいいかもしれない。ラムレイほどの(おんな)が気に入る(おとこ)が早々いるとは思えない、それは帰ってからにするべきかもしれなかった。

 

(そういえばラムレイも、今年で10歳か。俺に番いがいないのは仕方ないにしても、普通の馬なら子を数頭産んでいてもおかしくない歳だな。俺の旅事情に付き合わせるのも悪い気がしてくる……)

 

 愛馬の首筋を撫でながら思う。

 アッシュトン一族がいい牡馬(おとこ)を飼っていたらいいな、と。

 ラムレイほどの勇壮なる戦乙女(おんな)だ、並の男などお断りだろう。主人として番いの世話はしてやらないといけないし、友としても生半可な男など近寄らせたくもない。

 頼むぞ、と。

 ユーウェインは実に身勝手な期待をアッシュトン一族へ懷く事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロット王はオークニーを統べている。

 

 オークニー。別名をロージアン。古きケルトにて太陽と光の神ルーが治めた『ルーの砦の国』という意味を持つ城塞国家だ。

 名の通り特別な護りの力を有した()()()()()()()()()()()に守られており、ブリテン人勢力でありながら、アングロ・サクソン人の勢力と分断され孤立しているにも関わらず国を保持できている。

 王権を握る者の意志であらゆる外敵を阻む太陽の城。其れがオークニー。城門を守る守衛は二人だ。彼らは白き鬣の黒馬に跨る王子を見るや顔を伏せ、手に持つ槍と盾を交差して行く手を遮る事もなく礼を尽くして口上を述べる。

 

「お待ちしておりました、ウリエンスのユーウェイン殿下」

 

 なにゆえユーウェインの来訪を予期していたのか。

 訝しむ思いが過ぎるも、すぐにその理由を察する。オークニーの城塞から妖精の気配がしたのだ。モルガンに似たそれは、恐らく彼女の妹達のいずれかのものだろう。魔術か何かでオークニーに居た自らの妹、ユーウェインにとっての伯母に報せて無駄な手間を省いてくれたのかもしれない。

 鷹揚に頷いて下馬し、ラムレイの手綱を引き彼らの間を通り抜ける。

 見知らぬ国、見知らぬ人々。それらを前にユーウェインは己の心に鎧を纏った。努めて何も感じぬように、と。自らの城とは勝手の違う、しかし他所ではありふれた光景が広がっている事を覚悟して。

 

 果たして城門を潜ったユーウェインの目に、この世ではありふれた光景が飛び込んてきた。

 

(――どこもかしこも汚物ばかりだ……)

 

 キャスパリーグも顔をしかめている。

 ユーウェインは人が嫌いだ。内面云々の話を抜きにしても汚い。外見的に、だ。

 大通りの脇には人糞が寄せられ、丁度今も窓から糞と尿を放り捨てる者がいた。臭い。道行く人々は出来る限り身奇麗にしているが、肌にまとわりつく老廃物は多く、髪の艶も悪い。

 汚い、臭い、不潔だ。人の美醜の分からぬユーウェインだが、どれほどの美男美女もこの三重苦を背負っているのだから、彼からしてみるとまず以って嫌悪の念しか胸の内に発生させられない。

 ユーウェインは綺麗好きである。恐らくこの世で最も潔癖である。旅の最中は毎日とはいかずとも、城にいる時は水浴びを欠かさず、夜には必ず自分で川から運んだ水を熱し、熱湯で身を清めた。今は衛生を守る魔術礼装を纏っているので清潔だが、本当は風呂に入りたくて堪らない。

 リリィと旅していた時も、リリィに身を清める習慣を叩き込んだものだ。村に滞在していた間には、ケイやアルトリア達にも徹底させた。子供相手なら臭いも気にしないが、大人になって万一再会してしまった時に臭ければ、大いに顔をしかめて幻滅してしまうだろうからだ。

 

 大事なのは衛生。そして風呂である。

 

 人類にとって最大の脅威は人ではなく、神ではなく、魔でも妖精でもない。

 病だ。正確には急性の感染症である。

 遙か古代では宗教的儀式や生贄などで、病の蔓延に対処しようとしていたようだが、西暦に入ってより五世紀あまり――既にローマ帝国が自然科学に基づく認識を育み周知していた。

 都市部の排水の仕事、灌漑、浴場を設置し、身近な物を清潔にする事が感染症を防ぐのだという衛生的知識を見い出したのである。この衛生の概念は古代ギリシャの医者ヒポクラテスや、数百年前のローマ帝国にて体系的な医学を確立して、医学の集大成を成した医者ガレノスに象られたもの。ユーウェインは彼らの著書の複製本から衛生を学んだ。

 

 自分が王族だからだ。国を統治するなら病は大敵である。これを防疫する術を知ろうともしないなど言語道断であるとユーウェインは考えた。以後、ユーウェインは自身の城でこの観念を広め、徹底させた事で――よそで流行病が発生しても、自分の城に病を得た人間は現れなかった。

 この事でユーウェインは確信している。人よ、清潔であるべし、と。

 それとは別に普通に臭いのは無理だ。汚いのも野蛮なのも我慢はできるが、臭いものだけは本当に無理だ。鼻が曲がる。吐き気すら覚える。肺に臭いを取り込みたくない。嘆かわしい事に昨今はキリスト教の思想の影響で、疾病は人の原罪に起因しているという思想が強くなっているようだが、ユーウェインは思想や信仰よりも学問の正しさを重視している。頼むから臭いのは是正しろ、臭さは不衛生の現れだと声を大にして訴えたい。

 

 入浴は毎日は無理だろう。特に庶民は。その為に国が浴場を建設すべき。通路に糞を塗れさせる? 有り得ない。便所から糞が溢れている? 有り得ない。糞を始末する仕事人は夜闇に紛れて仕事をし、人目に付けば重罪である? 有り得ない。糞の始末は重大な仕事だ、寧ろ臭い物を始末してくれる者には大いなる感謝を捧げるべきであろう。ましてや彼らを蔑み、頭に麻袋を被せ、体に焼印を刻むなど馬鹿げている。

 城に排水路を作るのは当然だ。ブリテン島は土を少し掘れば岩盤にあたり、その下には捌けるのが速い水流がある。これを活かせば排水路は作れるのに、誰もやろうとしない。なぜだ?

 

(野蛮人め)

 

 ユーウェインが他人を嫌う最たる原因は、彼らの不潔さにあると言っても過言ではない。

 可能な限りその所以を表に出さないようにしている。無論、全を見て個を蔑みもしない。個々では好ましいと思う人はいる。しかしどうしても人間という集団を好きになれない。

 誰も共感してくれないが、汚く、臭いものは好きになれない。そも、感覚が麻痺しているのか、ユーウェインがおかしいだけなのか、誰も臭いを気にしない。だがそれらの改善は自分が王にさえなったなら叶う事だ。故に長い目で見て我慢はできる。というか我慢できなかったら気が狂っていただろう。

 

 故に、他に我慢がならぬのは、騎士階級や貴族階級の人間が「務めである、誇るべきである」と捉えている風潮だ。その所以が、またも目の前に繰り広げられていた。

 

「フ――素敵なお嬢さんだ。わたしは見ていたよ。君は笑うととてもチャーミングだね」

「そ、そんな……困ります……」

「何が困る? 言ってご覧、さあ……こちらにおいで。ゆっくり話を聞こうじゃあないか」

「やっ、やめてくださいっ、わたしには結婚したばかりの夫が――」

 

 ――と、ご覧の有様だ。

 往来で庶民の女を口説く騎士。これはどこででも見られる光景である。

 女は嫌がっているが騎士の立場と腕力には逆らえない。抵抗は弱々しく、騎士が暴力を振るってこないか戦々恐々とし、明白に怯えていた。ユーウェインはそれを見て嘆息する。

 あの騎士こそが典型例。彼が最も嫌っている人種。嫌悪の域を超え殺意すら抱いている――王族や騎士階級の者達、ひいては裕福な豪族から貴族全般に連なる野蛮なる者達の一人。

 

 アレらは庶民を手篭めにするのがステータスだと思っている。数々の女性遍歴を誇り、語り、子供の数でも自身の『男としての優秀さ』を語る自慢話の種にする。ユーウェインはそれを嫌悪していた。

 ブリテン人に貴族や騎士、王の庶子が数多くいる原因となっている風潮。明確に侮蔑に値すると彼は思っている。人は伴侶一人のみを愛すべき、などとは言わないが。せめて節度を持つべきであろう。

 人妻に手を出すな。嫌がる相手に迫るな。……どうしてそれが出来ない? 理性のある人間であると言うなら出来て当然の事だろう。当たり前の良心と良識が具わっていないのか?

 

 だから――ユーウェインは彼らが嫌いだ。

 

「おい」

 

 道の裏通りに女を連れて行こうとする騎士の腕を掴む。

 こちらを振り返った騎士が不機嫌そうにユーウェインの手を振り払おうとするも――ピクリとも動かせない。圧倒的な腕力の差を感じて頰を引き攣らせる彼が、何かを言う前に言の葉を紡ぐ。

 その汚らしい口から吐かれる言葉の一切を、ユーウェインは聞く気がなかった。

 

「私はロット王の客だ。ここへは今着いたばかりでな、案内する者を待っていたが私も暇ではない。特別に私を先導する栄誉をやろう。王宮に連れて行け」

「ぇ、あ、はぁ……?」

「聞こえなかったのか? それともこの私、ウリエンスのユーウェインが賜わす栄誉よりも、女を手篭めにする方が大事だと抜かす気か。不敬だな……」

 

 言いながら腕を軽く捻じり女を解放させる。視線を女に向けず後ろ手に立ち去れとジェスチャーすると、女は目を見開いてから頭を下げ慌てて駆け去って行った。騎士はユーウェインの眼光にたじろぎ、怯えからか引き攣った笑顔を浮かべて媚びた顔をする。――醜い。

 

「は、ははは……いやまさか。よもや、ユーウェイン殿下がわたしなどにお声を掛けてくださるとは……身に余る栄誉です、ただちに案内させていただきますとも」

 

 騎士を解放する。彼はそそくさと王宮に向けて歩き出すも、前を向いて幾らかの距離が開くと小さく舌打ちした。常人なら聞こえまい、しかしユーウェインには聞こえている。「チッ、あと少しで口説き落とせたものを。とんだ邪魔が入ってしまったな」と彼は毒吐いていた。

 日はまだ高い。人通りは多く、ユーウェインが女を逃してきた光景を目撃していた庶民も多かった。彼らがユーウェインの所業をどう思うのか……まるで関心が湧かない。こちらは勝手に助けたのだ、自己満足の幼稚な我儘である。俺の勝手で助けられていろと内心吐き捨てる。

 

 ユーウェインは嘆息した。ひどく憂鬱だった。

 

「……む」

 

 王宮に向かっている途中、先程の女が人混みに紛れて立っているのを見掛ける。

 彼女と、その夫らしき男が、頻りに頭を下げて感謝を伝えてきていた。

 

「………」

 

 素っ気なく目を逸らす。

 こちらは勝手に助けたのだ。後は知らん。勝手に幸せになれ。騎士や貴族の目に留まるような所には行くな。――言いたい事が幾らか過ぎる。だが、結局何も言わなかった。

 夫が女の手を握り締めていた。もう、不用心に騎士の目が向く所には行かせまい。彼ら庶民の夫婦から目を逸らし、王宮を見て――ふと思う。

 

(――騎士の思想、美徳とするものを俺が定め、喧伝するか? 何を以って誉れとするのかを説き、それこそが人の道だと説く……信じるも信じぬも、倣うも倣わぬも勝手だが。やるだけやって損はあるまい。であればその思想にも名はいるな……何がいい? ……そうだな、では――)

 

 騎士道。

 

 そう名付けてみるとしよう。

 ユーウェインはこの時、既に有りながら明確でなかった心得に手を加える事を着想した。

 清廉潔白にして人民の盾、君主の剣である理想の騎士。

 成るも成らぬも己次第――しかしそう在らねば騎士ではないと周囲から嘲られるようにしたい。

 

 そうすれば、多少はユーウェインに近い精神の人も、いつかは現れてくれるかもしれないと夢想した。

 

(妄想だな)

 

 己の考えを鼻で笑い、ユーウェインは王宮に入る。

 ロット王との謁見だ。気を張るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 


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