獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
けれど、けれどね。執筆は巡り、そして終わらないものだろう!
朝日が昇る。肌を刺すような冷気は眠気を払った。
一般的な騎士剣を振るったイヴァンは首を傾げる。先日まで覚えていた感覚と異なっていた為だ。
「………?」
自分には才能がない。同年代の騎士の子息と比べて覚えが悪く、センスもなく、贔屓目に見ても平凡の域を出ない。その辛い事実をイヴァンは謙虚に受け止めていたのだが、どうも調子がおかしい。
不調というわけではないのだ。寧ろその逆で、調子が良すぎる。剣が軽く感じ、剣筋が思い描いた通りの軌跡を辿るのだ。これまでに師事した騎士の教えを思い返すと、教えを過不足なく再現もできた。
いったいどうした事だろう。実は自分にも才能があったが、自分では気づいていなかっただけか? なんというか、
訳が分からずとも、思ったように身体を動かせるのは爽快だった。特異な精神を具えていても子供である、イヴァンは深く自身の状態を考えようとは思わず鍛錬に没頭した。
――乱世なのだ。王子だからと安穏としてはいられない。今ある地位が明日にも保たれている保証はなく、王子であっても王ではない。父の後継者となる為に家臣の支持を集める必要がある。
その一環として、王に仕える騎士団の尊敬を勝ち取るのには意味があった。一定以上の武力を保有していた方が力を示しやすい。故に武芸にさして関心がなかったイヴァンも鍛錬に打ち込んでいるのだ。
正直、腕っ節の強さに惹かれるような蛮人など遠ざけたいが、そうも言っていられない。イヴァンには自らの精神的な孤独から逃れたいが為に、成し遂げようと定めた目標があるのだ。その為には王という地位が不可欠であると認識していたし、王族の立場を失えば目標の達成は遠のくと理解していた。
今は知識を蓄え、力を付ける為の期間だ。ゆくゆくは騎士の支持を独占し、父王にイヴァンの力を認めさせ、後継者としての立場を確立する。そうしてこそはじめて自分に発言力が出てくるのだから。
イヴァンにはブリテンの食糧事情を解決する方策が思い付けていた。何度かそれを周りに話したが、誰も本気にせず『現実味がない、そんな事は上手くいく訳がない』と否定する。父に話しても同様だ。
必ずしも自分の考えが正しいとは思っていなかった。しかし、全く相手にされなかった事だけは腑に落ちなかった。少しは検討してもいいじゃないか、検討する価値がないならその理由を教えてくれてもいいはずだろう。イヴァンはその一点だけが気に食わない。
「――――」
珠のような汗が散る。剣を振る度に、鬱屈とした心が晴れた。
知らず、剣を振るのに没頭していたのだろう。鍛錬は日の出とともに始めたのに、我に返ると日輪が真上にて照っている。吹き出た汗は滝のようで、腹の底から湧いて出る活力は溶岩のようだ。
信じられない。今まで楽しいとも思えず、苦行でしかなかった剣術の鍛錬にこうまで夢中になって、時の経過すら忘れてしまっていたなんて。イヴァンは自分自身に瞠目し剣を握る己の手を見詰めた。
ただ楽しかった。礼法、作法、兵法、地政学、地理、歴史、そのいずれの学問にもなんら興味を覚えられず、馬術と同様に剣術も辛い修練でしかなかったのが嘘のようだ。思い通りに動く身体のお蔭で純粋に楽しくて仕方がなかったというのはあるが、ここまで熱中するのは我ながら意外だった。
剣を下ろし、鍛錬を中止する。
些か以上に名残惜しかったが、昼からは講師が来て机上の学問を学ぶ予定があった。学問にも興味はないが、目標――夢と言い換えてもいい――の為には必須の知識だ。学習に手は抜けない。
気分の問題で重くなった脚で館に引き返す。と、身体の向きを変えると、背後に人が立っていたのを見つけて立ち止まった。びくりと身体が揺らぎ、動揺しながらその人の顔を検める。
そこにいたのは、いつの頃からか姿を見せなくなっていた母、モルガンだった。
「は、母上……」
「ずっと見ていたよ。精が出ていたな。善哉、善哉」
からからと無邪気に笑い、それでいて優雅な貌で笑みを象る母。
日差しを避ける為か、魔女は黒の薄いヴェールを貌の前に下ろし、微かに透けて見える琥珀色の瞳で我が子を見下ろしていた。イヴァンは母の台詞に、無意識に緊張する。ずっと見ていただって、と。
イヴァンはモルガンとまともに顔を合わせた記憶はない。言葉を交わした覚えも数える程度だ。故に自らの母に対してどのような態度で接するべきか判断に困り、一先ず礼儀を前面に押し出す事にした。
「……お久しぶりです。ご機嫌麗しゅうお過ごしでしたか? 俺、あ、いや、『私』が粗略であるばかりに、母上がお越しになられている事にも気づかず、挨拶が遅れてしまい申し訳なく思います」
「いい、いい。気にするでない、イヴァン。妾の子」
母は、美しい人だった。白皙の美貌は彫刻のように整い、白い肌は蝋のようで、黒衣とも合わさって浮世離れした佇まいである。しかしイヴァンはモルガンの自分を見る目に不思議な気持ちになった。
妙に
仰天した。髪を撫でる手が冷たく、それでいて繊細で、未知なる心情を込められている気がした。
「……母上? 私は汗を掻いています。母上の手が汚れてしまうので、触らない方が……」
「ふふ……妾とて人の親よ。我が子に触れて汚れたとは思わぬさ」
「……そうですか」
髪を撫でられると、くすぐったい。だが悪くない気分だった。
暫くされるがまま身を任せていると――
「午後からの予定は?」
「あ、はい。
「であるなら、妾に付き合うがよい。非効率的な学習時間など削ってしまえ。必要な知識なら、妾が一日で
「………?」
美々しく微笑む母が、まさか己に何かをするとも思えず、イヴァンは従順に頷いた。
「それにしても、よくも妾のおらぬ内に礼儀を弁えたものだ」
「なんの事でしょう」
「覚えておらぬか。最後に会った時は、肩から力の抜けた物言いで胸の内を明かしてくれただろうに」
「そのような事が……?」
今より幼い頃の事だ。イヴァンには母の言うような事に覚えがなかった。
朝から晩まで、知りたくもない事ばかりを識った。幼子の見る世界には情報が氾濫し、些末な事まで記憶に留めておく事はない。イヴァンにとって本音を母に語った事は記憶するに値しないものだったのだ。
何せ相手が肉親とはいえ、母との縁は薄かった。であれば他人のようなものであると彼は認識している。とはいえ親は親、丁重な物腰で接するのが正解であると今は考えていた。
「――クッ」
すると、モルガンは笑った。
何がそんなに可笑しいのか、顔を伏せてくつくつと嗤った。
心胆を寒からしめる冷気がある。しかし、イヴァンはそんな母の有様を美しいと思った。
特になんの感傷もない。単に母の容貌が整っているから、笑っていると絵になるなと思っただけ。
やがて笑いの絶えたモルガンが、イヴァンの手を取った。
「まあ、よい。
「分かりました」
「素直でよいな。可愛いよ。ああ、可愛い」
「………?」
「では付いて参れ。以後はそなたの庇護者として、妾が責任を持って教育してやろう」
「母上が? それは……父上も承知の事でしょうか?」
「無論だとも。
妖しく笑い、モルガンはイヴァンの手を引いて館に戻っていく。
道すがらなんらかの魔術を行使したのだろう。イヴァンの纏う衣服から汗の匂いと汚れが消え、代わりに疲労感がどっと押し寄せてくる。
その日の昼以後の出来事を覚えていないのは、きっと疲れて寝てしまったからだ。そして以後の
† † † † † † † †
――肉の器が、切り開かれ。肉の臓器が、取り替えられる――
(不出来な肺腑よ。肺活量は騎士の運動性能を支える重要な器官であろうに。これは
――肉の筋、神経、骨髄――
(凡愚のそれ。並の膂力、並の神経では妾の理想に追い付けぬ。肺腑共々、巨人の物と差し替え……我が子の器がウドの大木となるのも見苦しい故、小人の因子で身の丈は中和するとしよう)
――魔術回路、原始の呪力――
(貧弱な対魔力よ。これでは容易く操られような。妾の愛し子が斯様な体たらくでは、母は心配で心配で……ふふ、妾が母でよかったな? 妾の
――脳髄――
(拒絶反応は……ふふ、ふふふふふ……! 血の繋がり故か? 然程強くもない……精々
――疑似神経、魂魄――
(妾の
ふと、閃く。
大いなる女主人は、さも重要な事柄に思い至ったかの如く手を打った。
「……妾も四六時中見守ってはやれぬ、か……? ……イヴァンは、まだまだ弱い。外は危険だ。妾の見ておらぬところで怪我をしてしまったら……痛みに耐えかねて泣いてしまっていたら……?」
想像して、魔女の身体に嘗てない怖気が走った。
考えただけで恐怖するこの感情……未知なる情動だ。魔女は小声で呟く。囁く。そして叫んだ。
「イヤだ。イヤだ。イヤだ!!」
ああ、なんて事だろう。
こんなにも愛し、こんなにも手間を掛けてやった我が子が、死んでしまうなんて耐えられない。
これが愛というものなのか。雑多な騎士や姫が、愛だの恋だのと謳っているのを蔑んできたが、今ならその気持ちに共感できる気がした。
確かにこれは麻薬だ。抗えない。抗おうとも思えない。魔女は血走った目で対策を練る。
(………)
魔女――妖精――旧き神――人の器。それらが渾然一体となった、神秘の女が悪魔の発想に至るのは、あるいは当然の帰結であったのかもしれない。
「
言葉の通りの意味で、剣や盾、鎧、槍は必須となろう。我が子がそこらの鈍らやガラクタを纏って危険な戦場に立つことは許容できなかった。だが、それらよりもなお先に用意してやらねばならない。
ホムンクルスを。モルガンの意のままとなる人形を。
それにより窮地を脱せるように。いざとなれば身代わりにさせよう。
魔女はそう考え、我が子の
「――イヴァン。妾の愛し子。そなたは、悪い子だ。妾を、こんなにも狂奔させるなど……ふふふふ。だが赦そう。妾はそなたを愛すると決めたのだ。だからイヴァンよ――」
――妾の愛を、失うでないぞ……?
† † † † † † † †
「あーあー……やっちゃったねぇ……」
遙か遠く。病床に伏せる老王の傍らに立つ青年が、遠くの何かを見ながら独りごちる。
彼は視ていた。
現行世界で唯一、魔女に対抗できる大魔術師は視ていたのだ。
「やばっ……危ない危ない、気づかれるところだった。やっぱり彼女を相手に盗み見はよくないね」
慌てて視線を切った青年の名は、マーリン。
夢魔と人の混血児にして、超人ウーサーの共犯者である。
彼は心の色のない瞳で老王を見下ろし、軽薄に告げる。
「これは、私達も仕上げに掛からないといけない。これ以上遅くなれば、ブリテンは彼女の手に落ちてしまうよ。それは君も望んではいないだろう?」
花の魔術師の言葉に、枯れ木のような老人は――頷いた。
英雄作成(物理)