獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
数多の評価を礎に、ここにキマシタワーを建設する!(大嘘)
たくさん評価して下さい!(建築業者)
後の世の架空の幻想を綴った『シャルルマーニュ伝説』に於いて、
著名な英雄豪傑の死後、彼らの用いた宝具を回収した神霊――妖精や幻想種が、最後の安寧を求めてブリテン島へ集まっているのである。トロイア戦争の英雄ヘクトールのみならず、近隣の神話礼装の多くが流れ着いているのにはそんな事情があった。神秘的闇鍋伝説、それがブリテン島である。
無論、力を失って朽ち果てた物も多い。
最たる例はアイルランドの光の御子の愛槍ゲイ・ボルク、虹霓剣にも劣らぬ愛剣クルージーン・カサド・ヒャンだ。それらは担い手の死後、如何なるモノ達が受け継ごうとしても真価を発揮せず朽ちてしまった。今や後者はアイルランドの至宝となっているが、前者の行方は杳として知れない。
花の魔女アンブローズは物の価値を知らぬ小人より極槍を譲り受けた。彼はとても親切な小人である為か、はたまた極槍をただの槍と認識する節穴だったのか、麦酒の一樽と簡単に交換してくれたのだ。
極槍は不壊の性質上、未だに力の多くを残した強力な宝具であった。しかしブリテンの騎士が好む武装ではない。馬上ではランスを用いるし、飛び道具は卑怯であると定めている。弓や弩はともかく投槍は用いたがらないだろう。であれば槍としてのドゥリンダナを求める者はおらず、剣として用いられるのは想像に難くないが――生憎と剣としてのドゥリンダナの性能は微妙だ。
ただ、不滅である。刃の性質はそれに尽き、他には何もない。なんらかの改修や改造を加えねばブリテン島で一線級の武具にはなるまい。性能としては残念であり、壊れないだけの刃を用いて活躍したヘクトールの武勇が証明されているかのようだ。――ドゥリンダナが強かったのではない、ヘクトールが用いたから伝説の武具としての神秘を宿せたのである。
畢竟、これを使いこなせる者など――アンブローズには一人しか思い浮かばなかった。
「うふふ……ボクはなぁんて優しいんだろうねぇ」
摂取した
アンブローズは今、酔っていた。
彼女は半夢魔である。半人間である。そんな彼女の栄養源は生物の感情エネルギーであり、それを自身の裡に取り込み燃焼させる事で自分の感情として出力し、人間らしく振る舞う非人間だった。
そんな彼女が酔っているのは、今までにないほど濃厚で、芳醇で、消化し切れないほど莫大な感情を吸い取ってしまっていたからだ。常に感情を出力し続けても未だに尽きないそれが、アンブローズを軽い酩酊状態にさせ、本人にも自覚できるほど機嫌を良くさせていたのである。
前代未聞だ。夢魔を酔わせてしまう感情エネルギーとは。
故にアンブローズは楽しみであった。半夢魔であるからこそ忘れられず、個人に執着してしまうという堕落を楽しんでしまう。しかもその事には無自覚なのだ。彼女の異変に気づいたマーリンが、黒太子からだけは感情エネルギーを補給すまいと決意するほど、今のアンブローズは前後不覚状態だった。
マーリンから「今は何もせず大人しくしておいた方が良い」と忠告されたにも関わらず、反目している双子の兄からの滅多にない本心からの言葉を無視している。それは酔っているからだ。正常な状態を保てていたらこの忠告に苛立ちながらも頷いていただろう。そも、忠告されるような事もなかった。
だが今のアンブローズにあるのは、夢魔として感情エネルギーを求める本能と、人の持つ欲深い本能である。あの味を忘れられない――だから黒太子に会う口実があるなら会いに行く事を厭わない。
(あーあ……つまんないなぁ。王子様のいる城だ、迂闊に視たらモルガンに見つかっちゃう)
本当はずっと視ていたかった。彼の在り方や、彼の描く足跡という紋様は、綺麗なのだ。叶うなら延々と見詰めていたい。しかしそれは不可能だ。何故なら彼を溺愛する大いなる女王がいる。
彼女の本拠地や、ユーウェインの夢の中と身の回りを視ると存在に気づかれてしまう。魔術の腕では優っている自信はあるが、モルガンの属性と神性を加味すれば相性は最悪だ。アンブローズは対等な条件下なら逃げの一手で、それ以外ならそもそも遭遇する危険は犯さない。
ユーウェインに会いに行くのは危険だ。そんな事は分かっている。分かっていても止められないのである。
彼の城にはいない。アンブローズは酩酊状態ゆえの軽率さでそう判断し、黒太子が父王に与えられた城に向かう事にした。手土産は手に入った、いつぞやの約束を果たしに行こう、と。
「……うん?」
彼の城に忍び込んだ瞬間だった。アンブローズの脳を侵していた心地好い酩酊が、一瞬にして醒めてしまう。そして、サァ……と一気に血の気が引いた。「ヤバッ」と即座に城から出て行こうとする。
「なんだ。もう帰ってしまうのか? 忙しないな、少し寛いでいくといい」
だが、アンブローズの体が固まった。意のままに五体が動かなくなる。
彼女の目の前に、優雅な足取りでゆったりと歩んでくる者がいた。コツ、コツ、と靴音を鳴らして現れたのは――黒衣のドレスを纏い、黒く薄いヴェールで顔を覆った貴婦人である。
「も、モルガン……」
アンブローズはなんとか、その名を口にした。喉と顔を引き攣らせながら。
なぜ此処に、と思う。ユーウェインやモルガン本人を千里眼で視るのは危険である。だがその周りならそうでもない。故に、モルガンの居場所はウリエンス・ゴール王の近くであると判断していた。
何故なら彼らの素振りは、身近にモルガンがいる事が前提のものだった。なのに、ここにいるという事は。モルガンは王と側近達に幻術を掛け惑わしていたという事。それはつまり――アンブローズがユーウェインの城に現れるのを見越して待ち構えていた事を意味する。
逃げなければならない。逃亡を禁じられた、対等の条件で戦えば、勝率は5割。しかしモルガンの領域では完全に零である。そしてモルガンの性質上、アンブローズに対する心象はマイナスに違いない。
高速神言を紡ぐ。動かぬ体の縛り。縛りそのものを惑わし、肉体の輪郭を惑わし、世界を惑わし、境界を渡る。そうする事で速やかにこの場から離脱しようとして――
「『
「ぁガッ」
楔を撃ち込まれる。それは瞬きの間に大魔術をも行使するアンブローズに先んずるモルガンの権能。支配という概念が神の姿となった戦女神の変遷したる力。モルガン・ル・フェイは
対象は妖精と夢魔。これに連なる自ら以外の者に対する苦難を与え、為さんとする事に強固な縛りを与えるもの。即ちアンブローズの逃走を封じたのだ。モルガンは身動きすらできなくなった花の魔女の額に手を伸ばし、ギチリ、と頭蓋骨が鳴るほど強く握り締める。
「来ると思っておったよ、アンブローズ。ああ……待っていた。ずっとな?」
「………!」
それは、つまり。準備万端で待ち構えていたという宣言だ。
そして自らの宣言を裏付けるが如く、アンブローズの頭部に
脳や魂に直接刻み込まれたもの。それは何か。モルガンが滴り落ちる悪意を込めて嘯く。
「嘗て。妾が肉の器を持たぬ神霊であった全盛の頃。
「……惚気かな?」
「ああ、そうだ。人にも夢魔にも成り切れぬ半端者に、愛を語ってやっておるのさ。モルガンならぬ妾は未だにその者を愛しておるのだ――とな? 故に妾ならぬ私は其の者に加護を与えた。寵愛を超え、愛したからだ。助力は拒まれたがせめてその戦いを補佐できるように、と。――そなたに刻んだのはそれと同じものよ」
「まさか――」
「尤も、与えた意図は真逆であるが。そうとも、妾がそなたに刻んだのは加護ではなく呪い。その銘を心して聞くがよい。――不眠だ。彼の大英雄には眠らずともよいという祝福。そなたには
多少の優劣はあれど、魔術師としてもモルガンとアンブローズは同格。
故に彼我の戦力差を決定づけるのはそれ以外だ。
片や冠位の資格を有せし大魔女、夢魔としての性質と力をも具えた花のアンブローズ。
片や夢魔を知り尽くし、夢魔や亡霊を従えるアヴァロンの女王。そしてその気になれば未来を視る千里眼。魔術師としての力を除けば――モルガンが上手であった。そしてそうであるなら。
モルガンの神殿で対峙してしまえば、アンブローズに勝ち目はなかった。
「場を移す」
モルガンはアンブローズを掴んだまま空間転移を行う。抵抗は出来ない。抵抗しようとする行為や意志に権能による縛りが掛かっている。対アンブローズにのみ限定した力だ。
城の内部ではあるのだろう。しかしそこは地下空間、地下牢だった。
蝋燭の火がひとりでに灯る。照らされるのは冷たい石畳、鉄格子。その内部で、モルガンはアンブローズの手から杖と極槍を奪い取り、アンブローズの体を無造作に地面へ打ち捨てる。
「ぁ……それ、は……」
「この槍は……フフ。なるほど、妾へ土産を用意するとは、なかなか殊勝な心意気よ」
呆然としたアンブローズの眼が、自身の杖ではなく槍に向かう。モルガンは極槍の真名に当たりをつけて嗤い、彼女に見せつけるように虚空へかき消す。極槍をここではないどこかへ転移させたのだ。
奪われた。極槍を。彼への贈り物を――どろりとした粘着質な怒りが、アンブローズの胸に芽生える。だが何もできない。次々に自らの行動や力を支配し縛り付けるモルガンに逆らえない。
無意識に睨みつけてしまうも、妖精は意にも介さず視えざる手でアンブローズを宙吊りにし、その目を覗き込みながら嘲笑する。虜囚とした魔女を、如何にしてやろうかと思案する目だ。
事此処に至れば諦めも付く。しかしアンブローズに危機感はなかった。どうとでもなる、どうにもならない、と開き直っているのではない。絶体絶命の中で楽観しているのでもなかった。
人の心を食い物に、心を出力する人でないモノ。魔女は自身が死の危機に瀕していても、まあそういうものかと達観する。極論、死んでもいいのだ。アンブローズはこれまでの功績で英霊の座に迎えられ得る器であり、死しても英霊の座から単独顕現してしまえる力があった。
死は恐ろしいものではない。死は、終わりではない。故にアンブローズは自由を利かせてもらっている口を動かす。発声する。
「……手荒い歓迎だね。こんな事をしてもいいのかな、モルガン」
強がりではない。純粋に疑問なのだ。
モルガンに嫌われている自覚はあるが、彼女がこうも強硬な手に打って出るとは思いもしなかった。仮に何かをされるにしても、そこまで悪い事にはならないと考えていたのだ。
故にアンブローズは疑問を突きつける。何故ならモルガンは明白に悪意と憎悪を燃やしている。
「
「……フッ……フフフ……ァッハハ……アハハハハハハ――!」
「………?」
堪えようとして、堪えきれぬと呵々大笑。嘲りと蔑みを込め、妖精の女王が腹を抱える。
はしたなくも大笑いしてしまうモルガンに、アンブローズは首を傾げた。
可笑しな事を言っただろうか。なぜこうまで笑われる。意味が分からない。
ひー、ひー、と声を掠れさせながら嘲笑う妖精。それを訝しげに見詰めるしかない半夢魔。アンブローズは不吉な予感を覚える。三位一体の神格だ、今アンブローズの目の前には、
やがてなんとか笑いを収めたモルガンが言った。
「友人? 友人だと? これは傑作だ。よもやそなたの口からそんな言の葉が紡がれようとはな、まるで予想せなんだ。大した女よ、褒めて遣わす。こうまで笑ったのは久方ぶり故な」
「……何が可笑しかったんだい?」
「正鵠を射ておったのさ。ああ、その通り。妾は妾のイヴァンにだけは嫌われたくはない。妾を知りながら、妾の行いを知りながら、妾を認めて敬し、愛してくれた自慢の愛息であるからな」
「………」
「故に、妾はイヴァンに気づかれたくはない。故に、イヴァンに嫌われるような真似はしたくない。だがな、アンブローズよ。忌々しくもその力量だけは認むるに足る魔女よ。
モルガンの言に、なぜか――アンブローズは不快感を覚えた。
その感覚に顔をしかめる。なんだろう……この、反吐を吐きたくなる気持ちは。未だ嘗て無かった情動である。自身でも持て余してしまいそうで、自然と妖精を睨みつける目が険しくなった。
「……だとしても、キミは履き違えているよ」
「ほう? 何を――と。特別に問いかけてやろう。赦す、言ってみるがいい」
「ユーウェインくんを舐めているって事さ。確かに彼はキミに作り替えられたモノだろう。けど彼の魂まではキミの手に拠るものじゃない。――気づくよ、必ず。いつかキミの所業に勘づいて、絶対に解き明かすはずさ。キミは知らないんだろうけどね、子はいつか親離れし、親の思惑を超えていくものなのさ」
「何を囀るかと思えば……
「……なんだって?」
「
それが親というものだろう? そう嗤うモルガンに、アンブローズは思う。これは誰だ、と。こんなモルガンなど知らない。変わり果てている……いや、成長している。肉の器を持つ故に、だ。
通常の神霊とは異なる。夢魔とも違う。人間の――親だ。
モルガンは嘯いた。子を離さぬ親は毒親である。子の為す事に口出し、手出しするのも毒親である。そして、子に超えられる為に壁となるのが親である、と。まさしく――彼女は親だった。
「故に、そなたは邪魔だ」
前後しない話。繋がらない台詞。
理解の追い付かないアンブローズに、モルガンは嘆息した。
「実を言うとだ、妾のイヴァンに近づいたのがそなたではなく、憎たらしい
「ハァ?」
カチンとくる。自分は駄目なのに、マーリンであればよしとするとはどういう事だと。
「どうしてボクは駄目で、アレはいいんだ。納得できないんだけど」
「フフ……あの男は能天気で、呑気で、傲慢だ。しかし悔いを知り、過ちを認めたのなら
問い掛けの体を取っていながら、モルガンはアンブローズの返事など待っていなかった。
「そなたは止まるまい。何があろうと悔いはすまいよ。人類のナビゲーターを自称するそなたは。故にそなたはイヴァンの友たりえぬ……アレは甘い故な、簡単に誰でも懐に入れてしまうであろう? 妾が防疫してやらねば、誰がやるというのだ」
だから殺す。
と、モルガンは断じた。
「イヴァンは妾の想定を超える。超えてくれると信じている。『いつかは』気づくだろう。だが『今』でなければよい。『知られたら嫌われる』だろう。とても辛い。泣きたくなる。だが『嫌われるのも恐れずに為すのが親の務め』というもの。さて……もう問答はせずともよいな?」
アンブローズはか細い息を吐いた。これはだめだ、と。
どうやら何を言っても意味がないらしい。仕方ない、ここは諦めて死んでやるとしよう。
そう思うも、悪辣さはモルガンの専売特許であった。
悪意が、花開く。
「そなたは殺す。だが単純に殺してしまえば、『いつか気づく』までの期間が大幅に短縮されてしまおう。イヴァンは妙なところで抜けておるが、肝心な処には問題なく聡く、鋭い。しかし妾はそなたを殺さずにはおれない。ではどうする? 妾は考えたよ。
「………?」
何を……言っている?
「気づかれるのは、よい。だがそれは妾の計画が成った後でなければならん。ではどうする、どうすればよい。悩ましい……そうだ、と妾は閃いた。アンブローズの
「命を
「そなたをそなた足らしめるモノを殺すと言った」
「ああ――」と、アンブローズは納得した。「つまりボクの人格、魂を殺すってことかな?」と呟いた。確かにそれなら体の命は殺していない。しかし広義の意味合いでは死んでいる。要するにガワだけ残して殺しているのだから、アンブローズは死んでいるも同然だ。
それなら理解できる。そしてそうであるなら構わない。しかし――違った。
「馬鹿め。そんな安易な手は使わんよ。妾を侮るな」
妖精モルガンは微笑んだ。美しく、悪意の華を以って。
――そなたを
「……えっ?」
――そなたの精神を魔術回路が脆弱なホムンクルスに移植し、精神性を反転させ固着させる。現在の時間軸を見渡す千里の瞳を封印し、夢魔としてのそなたと人としてのそなたの人格を切り分け独立させよう。主人格は『人』のそなただ。そうしてそなたの記憶を改竄する。
「――ここまでそなたの存在を
――ああ、そうだ。これも言っておいてやろう。
「そなたは妾の権能に支配されておる。行動は縛られておるよ。縛りの内容を全ては明かしてやらぬが……幾らかは教えてやろう。魔術の使い道は、悉く私欲の為には用いられぬように――悪となる行動を取れぬように。世のため人のため働くがよい。そうなれば、妾はそなたの存在を許容してやる」
――心を込めて、励めよ?
「報酬も用意してやろう。妾は寛大ゆえな。そうさなぁ……」
――そなたの無意識に刻む。妾のイヴァンに尽くし続ければ、そなたは永劫の苦しみより救われる、とな。
その言葉を最後に、電源を切られたように、アンブローズの意識は途絶えた。その様を視ながら、彼女はふと思い出したように呟く。
「……