獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
正午を越え、日輪は直上よりやや傾き始めている。
厳しい冬が過ぎ去った。
春が小さな足音を立てて訪れ、暖かな息吹を以て地上に風を転がす。
獣臭さの満ちる盆地には、放し飼いにされている魔獣の唸り声が満ち満ち、この地の特異さを知らなければ勇壮な戦士をも怖じ気付かせるだろう。
獅子の似姿の魔獣が巨体を震わし、鬣を揺らして餌を求めた。主人たるアッシュトン一族の者達を見渡し、餌は無いのかと訴えるも反応は返ってこない。またぞろ同族同士の喧嘩にでも明け暮れているのかと獅子は呆れ、仕方なく自分で餌を見繕い食っておこうと視線を巡らせた。
丁度いい所に小さな獣がいる。『ルーの砦の国』オークニーの辺境にある集落、その中心部を見詰める白い獣だ。獅子からすると一口サイズの小さな獣を見遣り、見慣れぬ獣ゆえに食っても問題なかろうと涎を垂らして歩み寄った。すると――白い獣が、獅子を一瞥する。
「フォゥ」
小さな鳴き声。唐突に獅子は体を凝固させた。
その目には、隠し切れない怯えが過ぎる。
白い獣は関心を持たず、すぐに視線を切って前を見た。見逃されたと思ったのか、獅子は弾かれたように駆け出し、すぐさま白い獣キャスパリーグの近くから逃げ去った。
遁走する獅子。キャスパリーグは獅子を記憶すらしない。彼は自分に友として接してくれる奇妙な人間を見ていたからだ。一際強い熱気を放つ人間たちに囲まれる、黒き神造英雄を。
――集落の中心にある広間にて、数多の魔獣、精強な男達に囲まれた二人の男が対峙する。
東方に立つは、国境を渡り遥々訪れてきた同盟国の王子ユーウェイン。外套を外し、盾と曲剣を魔女に預けて下がらせた彼は、騎士服の胸元を緩め、袖を肘まで捲くり筋肉質な両腕を露わにしている。
緩められた襟元から、厚い胸板が垣間見える。線は細いのに、重厚な質量を秘めた肉体だ。彼の圧力はさながら小さな巨人であり、その膂力は素のままで人外の域にあった。
対して西方に立つのはアッシュトン一族の族長、その長子である。
目を引くのは刈り上げた金髪と、危険な色香を醸す野生的な面構えだろう。愉しげな笑みを口許に刷いた豪傑は上半身を剥き出しにし、王子に劣らぬ凄まじい密度の筋肉を外気に晒している。
生地の固い脚絆を穿いた男の名はシェラン。ベオウルフの末裔にして、生き写しとも言える力と姿をした勇士だ。『
「ハッ――」
在りし日、若かりし英雄ベオウルフ。その似姿たる勇士シェランは王子を前に笑った。
「ゾクゾクするぜ……アンタ、
(クソ野郎ときたか……ニコールもまた随分と嫌われたものだな)
事情があると分かっても、一度嫌いになってしまったら、なかなか好転しないのが人の心というもの。仕方がないのは分かるが、なんとも肯んじ難い。
シェランには幼少の頃より親密に付き合ってきた許嫁がいる。名をフェイルというのだが、彼女もニコールの体質に当てられてしまい、相思相愛であったはずの許嫁を差し置いて他の男に秋波を送りはじめた。シェランは信じられない気持ちでいっぱいだっただろう。
彼の受けた精神的苦痛は計り知れない。謝罪も賠償もしてはならないのは、非常に心苦しかった。当人たるニコールなど苦悶の貌をしていたものだ。その後ガニエダが彼ら一族の女達を解呪し、全ての責は自分にあると言って頭を下げたのだから、余計に忸怩たる思いに駆られてしまう。
彼女がアッシュトン一族に謝罪し、説明した話はこうだ。――半夢魔であるガニエダは妖精エリウにつけ狙われており、ガニエダを食らう事で零落した己の神格を回帰させようとしている。ガニエダは命からがら逃げ延びる事に成功したが、妖精エリウは未だにガニエダの捕食を諦めておらず、彼女が仕官した先の勢力が強まる事を阻止しようとした。その為に主君の護衛であるニコールを呪い、アッシュトン一族の女達を魅了させる事で彼らとユーウェインを反目させ、破局するように仕向けたのだ、と。故に女達は心変わりしたわけではない。自分が女達に掛かっていた魅了を解呪したが、責めるなら自分を責めてくれと頭を下げたのである。
ユーウェインは魔女が勝手に話を作った事に渋い顔をしてしまったが、結果として円満に事は片付いた。アッシュトン一族は彼女を赦したのだ。悪いのはお前ではない、と。自分達はユーウェインに雇われるつもりだ、代わりに妖精エリウと戦う機会があれば自分達の手で討たせてくれと殺意を燃やした。
ガニエダは彼らの寛大さを讃え、王子が頷かざるを得ない空気を作り出したのである。
なぜそんなふうに話を作ったのだと、ユーウェインが密かに詰問すると、彼女は飄々と宣ったものだ。嘘も方便だろう? と。丸く収める為にボクの仇敵を利用しようと思ったんだ、と。
罪から逃れる為に、作り話をするのは本意ではない。ユーウェインではなくニコールの罪だが、彼は形式上ユーウェインの護衛、つまり部下だ。部下の不始末は上司の責任だろう。叶うなら謝りたいが、ガニエダはそれをするなと言う。責任を果たさず有耶無耶にするどころか、罪の所在をすり替えてしまうのに心が痛むが――こういう事は今回限りにして欲しいと切に願う。
清濁併せ飲んでこその王……綺麗事、理想論で事は成らないとは言うが、そんなものは理屈でしかない。理想も掲げられずして何が王だとも思う。故に、可能な範囲で清廉さは貫くべきだ。
今回の件はその可能な範囲に入っていたのではないか――ユーウェインを煩悶させるのはそうした疑念であり、なまなかに流して良いものではない。自身の失点を何度も有耶無耶にするようでは、王の在り方以前に人として落第もいいところだろう。
今回の一件は――鉛を呑み込む気分で、目を瞑る。ニコールに悪意はなかった、アッシュトン一族の女達にも落ち度はなかった、どちらも悪くなかったのだと無理矢理に納得しておく。今後は同じ轍を踏まないように、厳に戒める。ユーウェインはそう決めた。
――シェランの問い。ユーウェインは、ニコールよりも強いのか否か。
「そうだな……」
一瞬考える。出会った当初は、有り余るポテンシャルを活かせていなかったが、アッシュトン一族との拳闘を繰り広げる内に、加速度的に強くなっていっていた。その成長速度は目を瞠るものがある。
だが、
「今のニコールよりは、私の方が強いだろう」
そこは確信している。シェランは訝しげにユーウェインの台詞を反駁した。
「あ?
「ああ。今は、だ。将来的には私より強くなる事も有り得なくはない」
「あのクソ野郎が、ねぇ……まあいい、そんな事より
シェランはそう言って、両の拳を胸元で合わせ、ニヤリと好戦的な笑みを受かべた。
ケジメ。
そう、ケジメだ。
今回の件は、ユーウェイン側も、アッシュトン側も、悪くないということになった。
だが結果だけを見るならユーウェイン側は女達を惑わし、彼らの人間関係にしこりを残してしまい、アッシュトン側は非のないニコールを何度も叩きのめしてしまっている。故に、ユーウェインに仕える事は決まっているが、一族を代表してシェランとユーウェインが立ち合って、ルール無用の拳闘を以て互いに蟠りを捨てると約束したのだ。
シェランは集落を出てユーウェインに仕える一族の長を務める。すなわち、ユーウェイン直属の騎士団の長となる男だ。そんな彼が祖先に誓って蟠りを捨てると言うなら是非もない。
「先手は譲ろう。貴公の好きなように打ちかかってくると良い」
ユーウェインはそう言って悠然と待ち構える。
余裕を見せているのではない。彼の主君になろうという者が、家臣との手合わせで先手を譲るのはおかしな話ではなかった。シェランはその言を受けて威圧感を強める。犬歯を剥き、気を吐いた。
「強気だな。そういうのは嫌いじゃねぇが、本当に構わないんだな?」
「王たらんとするこの私に二言は無い。さあ――来いッ!」
「んじゃ胸を借りるぜ、王様よォッ!」
ドンッ、と地を揺らす踏み込み。
無造作にすら見える突進に――ユーウェインは目を細めて。
迫りくる彼の鉄拳を、敢えてまともに食らった。
† † † † † † † †
斯くして、アッシュトン一族の猛者五十名が傘下に加わった。
三十名が騎士であり、二十名が魔獣の捕獲と飼育を務める人員だ。そして、騎士として仕える者達は『
彼らを騎士として用いるに際し、ユーウェインが課した戒律はたったの三つだ。
一つ。如何なる相手にも略奪行為や不貞行為、窃盗や強姦を行わない事。全ての報酬は主君より与えられるものであり、主君の与える報酬を不服とするのなら直接申すべし。
一つ。私闘を禁じる。決闘を行う場合は如何なる相手であれ、必ず主君に申請し裁可を待つべし。例外として自身や仲間の財産、家族が不当に扱われ、暴行を働かれようとした時は防衛を認める。
一つ。脱走、裏切り行為を禁じる。この禁を破った者は騎士長の裁量により罰せられる。主君は禁を破りし者に恩赦を与えられるが、代償に不名誉な焼印を額に押し、以後戦士の誉れを永久に剥奪する。
以上である。
本当はもっと増やしていい気もするが、これを守るだけで立派過ぎるほど立派な騎士になるよとガニエダに言われ断念した。逆に言えばこれ以上縛り付けると忠誠を得られないという事らしい。
ベルセルクル騎士団の面々も、敵や敵国の民から略奪を働かずとも報酬が約束されるなら戦時下の臨時収入は狙わずともいいし、脱走やら裏切り行為は元々不名誉の極みであるとして受け入れてくれた。
私闘、喧嘩を禁じられた事だけは不満そうだったのに頭を抱えたが、月に一度拳闘による大会を催すという事で納得させた。……もう少し大人しくなって理性的に振る舞ってほしいものである。
だが無事に――と言って良いのかはともかく、彼らの登用には成功した。
しかしそうなると、元々見えていた問題ではあるが、別の悩みの種が見えてくる。そう、ウリエンスとオークニーの間にある距離が新たな問題なのだ。
オークニーはブリテン人勢力から孤立し、アングロ・サクソンの勢力である七王国の版図に囲まれている。オークニーが未だに失陥していないのは、ケルトの太陽と光の神ルーの砦が敵の攻撃を阻んでいるからでしかない。ユーウェインとてオークニーに来訪するためにアングロ・サクソンの国を横断したが、ひとえに愛馬ラムレイの健脚ありきの力技だった。
ベルセルクル騎士団の面々は精強である。しかしこれだけの集団が敵国の目を掻い潜ってウリエンスに渡るのは不可能だろう。となると必ず戦いになる。シェラン達と力を合わせれば簡単に遅れを取る事はないが、あの野蛮人の中の野蛮人、ピクトが現れたら話は別だ。奴らとは同数であっても、敵の国土で戦いたい相手ではない。ユーウェインの苦手意識なのか、或いは確信なのかは判じられないが、首を刎ねても頭だけで食いついてくる気がする。体を縦に割っても左右に分かれた体が襲いかかってくる気もした。
それにアングロ・サクソンとて侮れない。
彼らは愚王とも、卑王とも称されるブリテンの裏切り者ヴォーティガーンの手引きを受け、ブリテン島に移民してきた。だがヴォーティガーンがブリテン人を裏切ってまで味方に引き入れた彼らが能無しであるはずもなく、彼らはブリテン勢力にとっての天敵とも言える『騎士殺し』の民族だったのだ。
ブリテン勢力の最高戦力は騎士だ。数も質も騎士に勝るものはない。それを合理的かつ効率的に殺し尽くせるのがアングロ・サクソンである。騎士という存在は彼らにとってカモでしかなく、その相性の悪さは現在のブリテン勢力の規模を見れば明らかだろう。
ブリテン島の七割を、彼らは占領している。残りの二割がブリテン人、更に一割は魔に連なるモノの蔓延る未開の地だ。これはそのまま彼我の実力差とも言い換えられた。
――とはいえユーウェインやベルセルクル騎士団は例外だ。ユーウェインは騎士ではあるものの、アングロ・サクソンの通常戦力を問題としない戦闘力を有している。ベルセルクル騎士団も、名前こそ騎士団と名乗らせるが、彼らは騎士ではなく戦士だ。どちらかというとケルトの戦士に近い。
故にほとんどのアングロ・サクソンは敵ではない。警戒するべきなのはアングロ・サクソンが――ユーウェインのような――対ブリテンの特記戦力として雇い入れたピクトである。以前リリィを連れていた際、小規模のピクト戦士と遭遇したが、敵国に見つかるとピクトは大挙して押し寄せるだろう。敵地での戦闘など自殺行為でしかなかった。
「みんながバラバラにウリエンスを目指したらいいんじゃない?」
ガニエダがそう献策する。
は? とユーウェインは策とも言えぬ策に耳を疑った。
だがガニエダは大真面目だった。
「集団で移動したら人目を引くのは道理だ。なら集団じゃなくなればいい。彼らは優秀な戦士だし一人旅も出来ませんとは言わないはずだよ。変に足並みを揃えようとしなくても、ウリエンスのある方角だけ教えて先行し、ユーウェインくんが受け入れ態勢を作っておいた方が早いんじゃないかな」
「……本気で言ってるのか?」
「勿論だとも。彼らは元々望んでキミに付いていくんだ、今更帰れって言われる方がムカつくよ。安心してくれていい、人数分、人除けの
「そりゃいいな。大所帯で敵地横断とか正気じゃやれねぇ。少数で気楽に行けるならそうした方が良いと思うぜ、王様よ」
コイツら本気か? ユーウェインはガニエダと、彼女に同調するシェランの頭を疑ったが、どうやら本気で言っているらしい事を理解すると嘆息した。理屈で言えば無謀というか、馬鹿らしいにも程がある。しかし何事も理屈だけで成り立つわけではない。出来るか出来ないかで言うなら、出来る。
果たしてベルセルクル騎士団の面々は「面白そうじゃねえか」と笑った。ここはひとつ、誰が最初に目的地へ辿り着けるか競争しようとまで言い出す始末である。頼もしいやら、何やら……ユーウェインは理屈で物を考え過ぎているのかもしれないと自身を顧みる。
ガニエダは元々全員を散り散りにさせるつもりだったらしい。オークニーからウリエンスに渡るまでの危険性を予め予期して、アッシュトン一族の集落にいた時から護符を制作し準備していたようだ。矢鱈と用意が良いのは、ガニエダの先見性が優れている証左であるのかもしれない。
そうしてベルセルクル騎士団の面々と別れた。ウリエンスで再会する事だけを約して。
熟慮してみると、意外と最善の策かもしれないとユーウェインは思い直した。
集団で敵地を渡るリスクを分散し、人除けの護符で更にリスクを軽減する。魔獣の類いはアッシュトン一族にとって調伏できるものでしかなく、彼らは魔獣を見つけたらウリエンスまで引っ張ってくるとまで豪語していた。そうすると懸念すべき事態は起こらないどころか、メリットばかりな気がする。
完全には納得ができなかったが、ユーウェイン以外の全員が納得してその気になっていた。俺がおかしいのか、と自問しかけて――今更だなと自嘲させられてしまう。ニコールは同調してくれるかもと期待したが、彼はどうやらガニエダの太鼓持ちをして機嫌を伺いたいようだったので期待できない。
「……ハァ」
「ん? どうかしたのかい、ユーウェインくん。どれ、悩みがあるならお姉さんが聞いてあげようじゃあないか」
夜。平野の岩場の陰に隠れて焚き火をし、一休みしている時だった。寝袋に包まって大いびきを掻いているニコールをよそに、嘆息したユーウェインへとガニエダが声を掛ける。
地べたに座るユーウェインの前で屈み、意外と豊かな乳房を強調する格好をしたガニエダから目を逸らす。……白いローブを着ていても目立つそれに、情欲を刺激されるのを抑え込むために。
「……悩みと言えるほど上等なものはない」
言いつつ、胡座を掻いているユーウェインの傍にいるキャスパリーグへ、焼いた熊肉を差し出す。小さな口を開いて食み、咀嚼する獣を見下ろすユーウェインの隣にガニエダが座る。
「そっか。……久し振り、キャスパリーグ。元気にしていたかい?」
「……ふぉっ、ふぉぅふぉう、フォウきゅぅ、きゃーう(その、なんだ。怖いんでガラス玉みたいな目を向けないでくれますか……)」
「うふふふふ。なに言ってるか全然分からないけど、こうして見るとキャスパリーグって可愛いなぁ。食べちゃいたいよ」
「
ガニエダがキャスパリーグを撫でると、とうのキャスパリーグは悲鳴を上げて逃げ去ってしまった。遠くにはいかないのだろうが、キャスパリーグを怯えさせる凄みが今の彼女にはあるのかもしれない。
微妙な気持ちでそれを眺めていると、ガニエダはにっこりと、蕾が開いたような可憐な微笑みを湛えてユーウェインの肩へ頭を乗せてくる。
「……おい」
「なぁに?」
「女が軽々に男に触れるものじゃないと、何度も言ったはずだ。くっつくな」
「別にいいじゃないか、減るものじゃないんだし」
減る。主に理性が。
そう言うと、まるで意識しているみたいで、ユーウェインは口を噤む。
「ねえ……ユーウェインくん」
「………」
「ボクの話、聞いてくれる?」
「……俺は寝る。話したいなら勝手に言ってるといいさ」
就寝を理由にガニエダを引き剥がし、外套を地面に引いて横になる。
するとガニエダはまた傍に来た。
勝手にしろと言われたからか、彼女はユーウェインが眠りに落ちる寸前まで黙って待ち、訥々と語り始める。
ユーウェインに胡椒を渡してからの事だ。妖精エリウに襲われ、それと結託したヴォーティガーンの存在を知り、逃げ延びたはいいが呪われてしまって自分の性質が変わってしまった事……。
力が制限され、千里眼を封印され、人と夢魔の人格を切り分けられた。ユーウェインに斬られて分裂していた人格は統合したが、人としての人格が色濃く残ったのが今の自分である……。
そして今、魂の変化なのか、それに引きずられて肉体が人のそれになっている事。しかし不眠の呪いで眠れない事。精神が摩耗してしまい、夢魔の性質も完全には途絶えていないから、定期的に感情エネルギーを補給しないと頭がおかしくなりそうなほどの飢餓に襲われる事……。
彼女は赤裸々に自身の状態を告白した。
「ユーウェインくん……ボクを、助けてほしいんだ……」
「………」
「寝ちゃった? ……うん、寝ていてもいいよ。ユーウェインくんは、ボクが何も言わないでも、助けてくれていた事ぐらい分かる」
何やら買い被られている気がするが、言われるまでもなく助ける。
だが反応はしない。してほしくなさそうだったからだ。
「……眠れないせいで、ボクの目元にはひっどい隈があるだろう? ふふ、こんな貌……ホントはキミには見せたくなかったんだ。けれど、どうしてもキミに会いたくて……これが人間の心だと思うと、怖くて仕方がない自分がいる。……えぇっと、支離滅裂だね。話が纏まらない。つまり……なんだろう。つまりだ……うん、そう――」
ガニエダは言う。
「キミだけを視ていてもいいかな? 怖いんだ、キミ以外の何もかもが……」
「………」
「怖くないんだ、キミだけが。でも、怖くて仕方ないんだよ。キミに、嫌われてしまうと思ったら……だから、赦して欲しい。ボクがキミを視ている事を。……黙ってると、都合の良いように受け取っちゃうよ?」
「………」
何も言わない。ぱちぱちと、焚き火の薪が小気味よい音を鳴らした。
「………」
「………」
「……ありがとう、ユーウェインくん。お詫びにキスをしてあげよう」
「っ………?」
「疚しい事はないから安心して。ボクは……キミからしか、感情エネルギーを摂りたくないんだ。他の人から摂る事を考えたら気持ち悪くて、心が拒むから……寝ているキミから、勝手に補給させてもらうよ。医療行為みたいなものだから気にする必要なんかないさ」
気にするなというのは無理だ。ユーウェインは反応に困る。
だが事情を聞いてしまうと、無下に出来ない。さてはこの女、ユーウェインが拒めないように自分の事情を話したな……?
口に重ねられる、柔肉。粘膜接触。
……もしやこれからずっと、時折こうして接吻しなくてはならないのか?
ユーウェインは内心愕然とする。
「お嫁さんになんかしなくてもいいよ」
まるで心を読んだようにガニエダは呟いた。
「ユーウェインくん、責任を取るとか言いそうだけど。そんなの無理に決まってる事ぐらいボクにも分かる。身分が違うし、そもそもモルガンがボクを認める訳がない」
「………」
「だからさ。だから……せめて、死が二人を分かつまで、傍にいる事だけは赦してね。ボクはそれだけで満足だから」
「………」
「……? ぁっ……」
嘆息して、ユーウェインは不意にガニエダの腕を掴み引き寄せる。
そして彼女を抱き締めて、正面から向き合いながら囁いた。
呆れと照れをふんだんに込めて。
「お前、俺の事が好き過ぎるだろう」
「……わ、悪い? というか、寝てるフリしてたんなら最後まで貫くべきなんじゃない?」
「うるさい。ガニエダ、お前が勝手な事ばかりほざくなら、俺も勝手にする。……寝れないんだったな。なら、俺が寝ている間だけは、お前を抱いていてやる。ずっと俺を視ていろ。心が安らぐならな」
「……うふふ、やっぱり……キミは素敵な男の子だ」
焚き火が、薄く照らす。
薪が、鳴る。
傭兵のいびきに紛れ、王子が寝息を立て始めても、女は王子を間近で見詰め続けた。
ドロリとした、重たい情。
人類悪、比較の幼獣たるキャスパリーグをも怖じ気づかせた毒花の精神が、ひそやかに解毒されていく。濾過され、聖水のように透明になる。
そっか、と女は呟いた。
今度こそ王子様が聞いていない事を確信しながら。
「これが……愛、なんだね」
※今回省略したシェランとの拳闘は、後に回想シーンとして用いる予定。話を進める為に、ここではカットしました。あと濃密な戦闘描写を書いてみたんですが、テンポが悪かったのでね…。
・本作の時代設定
(五世紀半ばから末のアーサー王伝説の通り。ユーウェインは西暦455年生誕、アルトリアはその十年後生誕。なおユーウェインが生まれる二年前に彼の神の鞭アッティラ、型月のアルテラは病死)
・シェラン
(※姿形はまんまfgoのベオウルフ。元ネタだとアーサー王に「ランスロット卿に勝てるかもしれない稀有な人材」と称されている模様)
・アッシュトン一族
(ベオウルフを先祖に掲げており、族長の息子シェランはベオウルフの生き写しとも言われる。この一族は原典だとモルガンに一族郎党一人残らず殺られており、シェランの婚約者がシェランの死を悼んで子供の頃に歌った唄を口ずさむ的シーンがある模様。悲しいなぁ……なおシェランの病死はアッシュトン一族が滅ぶ前。タイミング良すぎてモルガンさんが何かをしたように見えなくもない)
・ベルセルクル(無鎧の熊)騎士団
(ベルセルクルの語源は古ノルド語で『熊の毛で作った上着を着た者』『鎧の類を着ない者』である。ベルセルクのこと。未来の日本だと狂戦士騎士団と和訳されるかも。狂戦士の騎士とは……?)
・妖精エリウ
モルガン「(アンブローズの事は)エリウって奴のせいだから」
ガニエダ「(ニコールの愛の黒子は)エリウって奴のせいだね」
特に謂れのない冤罪が妖精エリウを襲う!(ガチ冤罪)