獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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「は……?」

 

 姿見(かがみ)に映る自分の姿を見て、ウリエンス国の王子イヴァンは呆気に取られていた。

 鏡の前に立っているのは自分である。なのに、そこにいたのは見知らぬ誰かだった。

 

「あ、え……?」

 

 鏡に映る誰かは己の認識よりも背丈が伸び、オーダーメイドの黒い騎士服を纏っている。人形のように整った相貌は血を分けた妖精を彷彿とさせる中性的なもので、毛並みの良い白狼の如き毛髪はうなじの辺りで束ねられ、優美なる少年騎士の装いを琥珀色の瞳が光らせていた。

 しかしその美貌を間抜けなものにしているのは、唖然とした少年騎士の表情である。信じられないものを目の当たりにした少年は、鏡の前で落ち着きなく歩き回り、手足を振った。そうして、

 

「これは……これが、俺……?」

 

 ――美貌の少年騎士は、漸く自らの姿を認識した。

 

 靄が掛かった意識が晴れ、唐突に舞い戻った(再起動した)自我。イヴァンは記憶の前後関係が破綻している事に気づき混乱する。ここはどこだ? 一体全体何が起こったのか皆目見当も付かない。

 当惑する少年を置き去りに、時間は無慈悲に過ぎ去るばかり。凍りついていた少年は、事態を把握するために必死で記憶を辿った。自身の認識する一番新しい記憶、それは――母に手を引かれた場面だ。

 イヴァンは自らの身に何が起こったのか、母なら知っているはずだと判断して辺りを見渡す。

 ここは豪奢なる私室―――寝室だ。複雑な紋様が刺繍された赤いカーペットが敷き詰められ、部屋の隅々に嫌味にならない程度の工芸品が飾られ、天幕付きのキングサイズベッドの横に調度品が揃えられている。

 全く見覚えのない部屋だ。焚かれている香が、嫌に脳を冴えさせる。イヴァンはとにかくこの部屋から出てみようと扉に近づき、視界に入った騎士剣を掴んで部屋から飛び出た。

 

 寝室の外には、一分の隙間もなく敷き詰められた大理石の床と壁があった。見通せないほど奥行きのある廊下と、いと尊き聖者を象ったステンドグラスの窓――未知の世界に迷い込んだような錯覚に襲われる。

 果たしてこれは、人智によって築き得るものなのか。驚愕も過ぎれば脳裡に満つるは空白のみ。少年騎士は再び呆然として立ち尽くしてしまう。ややあって我に返ったイヴァンは、現実離れした光景に感嘆の吐息を溢して――やがて得心がいったように心の中で呟いた。

 

(嗚呼――さては夢魔の仕業(イタズラ)か? 俺の姿を変え、夢の境に(いざな)ったなら全て納得できる)

 

 この世に神秘あり。即ち魔性と神性、人ならざる化生がある。

 歴戦の騎士すら屠る魔獣、人を惑わす妖精、困難を拓く精霊、幻想の窮みたる至上の竜。それらが実在する事は、実物を目にした事はなくとも了解していた。()()()()()()()と教えられている。

 であれば人の夢に寄生する妖精の類いが、イヴァンを夢に囚えたのだと察しがつく。問題は自分などを囚えて何がしたいのか、だ。頭の中が空になったように、つらつらと思考が紡がれる。――自らの知能が格段に向上している事も気にしない事にした。どうせ、夢なのだから。

 

 カツン、と足音を一つ。

 カツン、カツンと足音を二つ。

 宛もなく歩き出したイヴァンは事態が動くのを内心待ち構えた。

 

「――やあ、お目覚めだったのかい」

 

 どれだけ歩いたのか。

 歩数は、たったの六。なのにその数百倍は歩いたかのような感覚がある。ふいに掛けられた声に目を細め、イヴァンはちらりと廊下の隅を――直前まで誰もいなかったはずの空間を見た。

 そこにいたのは、聖なる数字の極みたる妖精(モルガン)と、対になっているかの如き白い青年だ。白いローブを纏い、魔力を帯びた杖を手にしている白髪の美青年――彼を横目に、剣の柄に手を掛ける。

 

「――何者だ」

「おっと……そう剣呑に構えないでほしいな」

 

 おどけたように両手を上げて敵意がないのを示す青年。

 無論、真に受けるイヴァンではなかった。油断なく身構えつつ、それとなく呼吸を整える。ここが夢の世界であるならば、今はまだ主導権を夢魔が握っているのだ。どこから何が飛んでくるか分かったものではなく、対抗するには自己の輪郭を強固に意識(イメージ)する他にない。

 イヴァンの様子に青年は苦笑した。彼からすると、少年騎士は懸命に牙を剥いて威嚇する仔猫に等しいのである。なんら脅威たりえず、やろうと思えば好きなように料理してしまえるだろう。

 夢の中でも、現実の上でも、だ。

 

「自己紹介をしようか――ああ君はしなくてもいい。知ってるからね――何を隠そうこの私が、君の母親の師にしてその父の相談役。誰が呼んだか花を咲かせるしか能のない美青年、マーリンお兄さんだ」

 

 大仰な素振りで朗々と名乗りを上げた青年。偽りでなければ伝説的な大魔術師マーリンか。

 イヴァンはどう反応したものか数瞬迷う。

 本物か、偽物か。なぜ自分を夢に(いざな)ったのか。

 脳裡を駆け抜けていく疑問は集束し、訳が分からずとも一先ず彼の名乗りを信じる事にした。偽物であれ本物であれ、自分にはどうにもならない相手であるのに違いはないのだから。

 

 肩から力を抜いて、彼を見据える。するとマーリンは少年騎士を揶揄する。

 

「いや、なんとも見事なものだ。()()()()()()()()()睨まれたみたいで怖かった(おっかなかった)よ」

「……何?」

「褒めているのさ。いつでも私に斬りかかって来れる体勢で、凄まじい殺気を放つんだからねぇ。流石はあの()の手掛けた息子(サクヒン)だよ。とても十歳の子供には見えなかった」

「………」

 

 ()()()()息子……? なんだろう、その意味深な物言いは。

 それに、十歳だって? 何を言っているのだろうか。自分はまだ七歳のはずで――ああ、夢の中の自分は()()()()()()の姿をしているわけか。なるほど、なら幾らかの納得はいく。

 だが些か凝り過ぎではないだろうか。イヴァンは謙遜でもなんでもなく、自分がここまで見目麗しい紅顔の美少年になるとは思えなかった。もしやマーリンなりのリップサービスなのだろうか?

 だとすれば、余計なお世話である。逆に現実の自分が惨めにしかならない。

 

「戯言はいい――いや、失礼しました。貴殿が彼の高名な花の魔術師殿とは露知らず、無礼な態度を取った事をお詫びします。して、そのマーリン殿が私のような青二才に何用でしょうか?」

「はっはっは。いやぁ……本当に大したものだ。子供とは思えないほど理知に富み、あたかも一廉の騎士のように堂々としている。こんなにも早く落ち着きを取り戻して、まともに応対できるとはねぇ」

「………」

()()()()()()()()()()()()の三つを軸にしているのかな? 魔女殿も腕を上げていたらしい。血を分けた肉親相手とはいえここまで智慧を外付け、見るべきところのない子供を英雄の卵に仕立て上げる手腕には脱帽するよ。特別に今の君には資格があると、この私が認めてあげようじゃないか」

「……()()?」

 

 面白そうに目を細め、顎に手をやりながらイヴァンの五体を見渡したマーリン。

 率直に言って彼が何を言っているのかさっぱりだが、まともに取り合うだけ損だろう。

 夢の中で人を惑わそうとするのは、人の精神エネルギーを食い物にする夢魔がよくやる手口だと聞く。

 

 ――ん? ()()()()()()()()

 

 いけない。今は雑念に意識を割いている場合ではなかった。

 小さく(かぶり)を振ってマーリンを見る。彼は微笑みを口元に刷いたまま、両手を左右に広げた。そして道化のような口ぶりで朗々と歌い上げる。

 

「そう、資格だ。君の存在は私とウーサーの計画にはなかったけど、元々モルガンが大人しくしているとは思っていなかった。何かするだろうとは思っていたんだ。けど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……何を仰りたいので?」

「まあまあ、老人の繰り言と思って付き合ってくれたまえ。――それで、だ。私達は()()()()()()()んだ。ブリテンさえ救われるなら、運命の子であろうと、君であろうと、時代の担い手は問わない。問題はモルガンの性質でね、彼女が関わるとろくな事にはならないというのがウーサーの考えだ。私も同じ穴のムジナかもだが、少なくともウーサーの計画には沿っている。本来なら運命の子に全てを託すところだけど、君が……というか、モルガンが執着した個人が現れたから、ウーサーが君を知っておきたいと言ったんだよ」

「……陛下が、私を知りたい?」

 

 ウーサー・ペンドラゴン。

 愚王ヴォーティガーンがサクソン人とピクト人をブリテンに招き入れ、今日(こんにち)の動乱を招いた時代、先住民族のブリテン人を率いて対抗した超人的な大王である。彼はヴォーティガーンと侵略者達を、一時的にせよ撃退してのけた事で、ブリテン島の覇者として君臨した。もし彼が今少し若く、健在であったなら、今の動乱はなかったであろうとすら言われる大英雄である。

 彼の称号であるペンドラゴンとは、ウーサーがサクソン人に勝利した記念に二匹の黄金の竜を象り、王冠として戴いた事から人々に『戦士長(ペンドラゴン)』と呼ばれるようになったのが始まりだ。そしてその二匹の竜は、マーリンとモルガンを従えている事を意味しているとも言われる。故に輝かしき双竜の円環(ウロボロスの王冠)、ウーサーの名はブリテンで最も偉大なものとされているのだ。

 

 モルガンの父でありイヴァンにとっては祖父にあたる。今は病床に伏せていると聞いているが、そんな偉大なる英雄王が自分を知りたいと言っている? まさか孫の顔を見たいなどという理由ではあるまい。

 当惑するイヴァンだったが、マーリンは真意を悟らせない微笑を片時も崩さない。いや……マーリンは()()()()()()()()()。人らしい感情など有していない。それらしい振る舞いに騙されてはならない。

 

「君は自分の母親についてどう思っているんだい?」

「……答えられるだけ、母の事は知りません。しかし、私にとっては唯一の母です。孝道の義を尽くすのに疑問はありません」

「そうか……ん?」

 

 意味深に頷いて、マーリンはさりげなくイヴァンに歩み寄ったが、はたと何事かに気づいたように虚空を見上げ、額に手を当てて「あちゃー」とわざとらしく嘆いて見せた。

 胡乱な顔でその様子を見据える少年騎士に、花の魔術師は肩を竦める。

 

「タイムアップだ。すまないね、今回はここまでにするよ。どうにも君の母君が戻ってきてしまったみたいで、このままだと私がやって来ていたのを悟られてしまう。そうなったら面倒だからね、今日は帰らせてもらうよ」

「結局、貴殿は何がしたかったのですか」

()()()()()()()()()()()()つもりだったんだよ。夢を繋げてね。けどそれはまた次の機会に取っておこう。ほら、これを上げるから肌身離さず持っていてくれないか? 母君にも見せないでおくれよ」

 

 言って、自然にイヴァンの手を取って握らせて来たのは、不可思議なペンダントだ。中には一輪の花が封じられている。イヴァンは怪訝な表情をするが、マーリンは念を押すようにして彼に告げた。

 

()()()()()()()()()()()。モルガンがそれを知り、ウーサーの計画を悟ったなら、必ず彼女は怒り狂うだろう。狂乱する彼女を宥め、落ち着かせなければ君自身も危ない。そのペンダントは君を助けてくれるよ」

「………」

「信じるも信じないも君次第だ。それじゃあ、また会おう。今度はウーサーと会いに来るよ。それまでに、君が与えられた力を把握して、今後どうしたいのか考えておくんだ。ウーサーはおっかないぞ? あんまり失望させない方がいいと忠告しておこう」

 

 魔術師は好き放題に言って、世界が()()()()と捻れる。

 夢から覚めるのか。

 イヴァンは地面から急激に浮上していく感覚に巻き取られ、意識がどこかに引き上げられていく感覚に酔いそうになる。気持ち悪さに吐き気がして、そして。

 

 

 

「――おや、ようやく目覚めた(再起動した)ようだな、妾の愛し子よ」

 

 

 

 寝台にて横たわっていたイヴァンの傍らに、たった今やって来たところらしい黒衣の妖精が立っている。

 少年を見下ろす眼差しには、紛れもない温かみがあった。戸惑いながら上体を起こしたイヴァンは、そこで()()と気づく。自分が右手に、ペンダントを握っていたのだ。

 なんとなく。

 そう、なんとなくそれを体の陰に隠し、モルガンの視線に入らないようにしながら声を上げる。

 

「母上……おはようございます。私はいつの間に眠っていたのでしょうか?」

「ん? ンッフフ……」

 

 イヴァンの問いに魔女は妖しく微笑み。そして衝撃的な事実を彼に告げた。

 

「落ち着いて聞くがよい。そなたはな、()()()()()()()()()()()のよ」

「……え?」

「どこぞの()()()()()()()()()()()()()()()()()()。妾はそなたを目覚めさせる為に、四方に手を尽くして、そなたの魂を取り戻したのだ。イヴァンよ。そなたが目覚めてくれて、妾は嬉しいぞ?」

 

 ――モルガンの後ろ。壁に立て掛けられている鏡。

 そこに映っていたのは、夢の中で見た美貌の少年騎士の姿だった。

 あまりのことに、卒倒しかける。

 

 イヴァンの悪夢は、まだ始まったばかりだったらしい。

 

 

 

 

 

 

 




まともなのは僕だけか!?

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