獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
殿下、あの楽器はどこの名工の手によるものなのでしょうか?
殿下! わたくし、精一杯お歌を考えて参りましたの!
殿下。あの恋の歌をお聞きになりました? わたし、胸が張り裂けそうで!
あの場に居合せられた幸運に感謝を。まさに、天にも昇る心地でした。
私も殿下に倣い、楽の音を磨き人々に届けられるように精進致します。
殿下の音楽の素晴らしさを知り、騎士の道と音楽の道に邁進する覚悟を決めました。
殿下、殿下! 殿下――
「………」
予想以上の盛り上がりに、ユーウェインは嘆息すること頻りであった。
庶民や詩人をはじめ、騎士階級の者ら、豪族ら、貴族の令嬢と令息など、人は身分を越えて音楽の素晴らしさを称賛し持て囃した。望んだ通りの……否、望み以上の成果だったと言える。
だがこんなに上手くいくとは思っていなかったのが正直なところだ。
ユーウェインはずっと考えていた。己の目的の為に必要なのは豊かな生活であると思い、王の道を進んで来た訳だが。どうにもそれだけでは足りぬのではないかと、世界を知るにつれ感じていたからだ。
荒んだ人の心を平らにし、平和的で理性的な人々の心を育むのに、何が必要かと真摯に考えた時――ユーウェインは気づいてしまったのである。富のある者と無い者の暮らしを見てきたから。
やる事がないのだ。
本能として、女を好む男。精を吐き出したいのは男の本能。
暇を持て余す、勝負事を好む男。賭博に金を使い一時の満足とスリルを求める心。
容易く暴力を振るう男。喧嘩だなんだと盛り上がる暴力性。
見ていると、そんな光景ばかり。賭博、酒、女、暴力。これぐらいしかやる事がない。女達は力仕事はできない故に、男達に
話が逸れた。
要するに足りないのは
やる事がないからいけないのだ。人心を育てるのに必要なのは娯楽なのだとユーウェインは悟った。だがそんなお手軽なものなど無い。娯楽とはえてして生活に余裕のある者が為せる事。貧しい庶民に遊んでいる暇などあるはずもない。だがユーウェインの望みは万民の心の成長――なんて傲慢なものなどではなく。ユーウェインに近しい価値観を育て、乱暴で意地汚く野蛮な振る舞いをやめさせる事だ。
その為には、誰にでもできて、誰もが親しめるものが必要だと思った。
金がなくても、暇がなくても、できる事とは。道具がなくても、縁がなくてもできる事とは。人と触れ合いながら協力して楽しめるものとは。そんな無理難題を考えていた折に、母から楽器を渡された。
これだと思った。楽器は難しくとも、歌なら誰でも歌える。金と時間のない庶民でも楽しめて、金と権力のある者でも優雅に愉しめるもの。男と女、老若の差。貧富の格差すら無視できるのが音楽だ。
新しい遊びや娯楽施設など不要――とは言わないが、それがなくても出来るのが音楽。であるなら、此度の妖魔の騒乱も利用できる。……そうした打算があったから、ユーウェインも本気で練習した。
果たして人々はユーウェインの思った通りに音楽に傾倒してくれた。彼らも悟ったのだろう、音楽の楽しさを。少しでも楽しいと思えば、後は勝手に広めていくのが人というものだ。
ウリエンスで先行して音楽祭を開催し、市井や騎士から参加者を募って、歌や楽器の演奏をさせる。最も優秀な者に賞金か地位を与え、宮廷楽長に任命し音楽家を抱える。新たな職業の誕生――この職を身分によらぬ実力主義とすれば民達も熱心に歌を練習するだろう。
実力主義の風がウリエンスに吹けば、それを端緒に騎士や文官などにも、血縁やらによらぬ人材の募集ができるようになるかもしれない。気が急いた考えだが、決して机上の空論ではないはずだ。
――と、そのように考えていたわけだが。
どうにも予想以上の反響があったらしく、音楽ブームがブリテン島全土に広まっている。
なんでもセイレーンが、冥土の土産とばかりに歌って回っているらしい。彼女の歌に魅惑されて、ブリテン島の人々は音楽の素晴らしさを強烈に叩きつけられてしまったようだ。
この調子だとアングロ・サクソンにも伝わっているかもしれない。セイレーンがどんなつもりなのかは知らないし、想像もつかないが、これは罪滅ぼしのつもりなのだろうか。
だとしたら、過分な贖罪である。逆に恩賞を与えたいほどだ。
「よぉ、大将。いやさユーウェイン殿下って呼んだ方がいいんだっけか?」
男性的な色香を醸す金髪の野獣――シェラン。ベルセルクル騎士団の騎士長である彼が、練兵場にいるユーウェインへ気さくに声を掛けてくる。
シェランはオークニーからウリエンスに最も早く到達した男だ。騎馬であるユーウェインやニコールとは違い、徒歩であるのに僅か三ヶ月でウリエンスにやって来た彼をユーウェインは歓迎した。
彼にはセイレーンとの音楽祭で用いた舞台の作成を手伝ってもらった。アッシュトン一族最強の彼は腕力も強く、ユーウェインが
彼が声を掛けてくるのに反応し視線を向ける。呆れたように嘆息しながら。
「前にも言ったろう。個人的に堅苦しいのは好かんが、他への示しはつけねばならんとな」
「そうだったか。そんじゃまあ、殿下に報告だ。ウチの
「いや、いい。今日は休日として、明日から働いてもらう」
ユーウェインの私兵としての騎士団だ。本質は騎士ですらない、専属の傭兵団のようなものだが、ベルセルクル騎士団にはユーウェインの配下として全ての事業に携わってもらう。
不当に扱うつもりはない。正当に働かせるだけの事。今日はゆっくり休ませるが、明日からは誰よりも働かせ、誰よりも稼がせる。余所者の彼らがすぐにでも馴染めるように功績を立てて貰うのだ。
「私が招集を掛けた時以外は貴公が指揮するがいい。明日から忙しくなるぞ」
「応。確か……公衆トイレ、公衆大浴場の建設だっけか?」
「ああ。とにもかくにも衛生管理を徹底する。公衆トイレの建設後は法を改正し、糞尿を不当に処理する者は厳罰に処するようになるからな。設置する箇所は私の城だけで八箇所もあれば間に合うだろう。大浴場は形だけ作ればいい。私が下水路を作った後、湯を引く」
「簡単に言うが、そんなことできんのかよ?」
「出来るから言っている。我が領民や騎士達には無料で利用できるようにするし、整備や溜まった糞尿の処理は専業の業者を充てる。給金も国庫から出す事になっているから心配は無用だ。それと――魔獣家畜化計画の全権は、飼育係として雇った貴公の伴侶に与える。好きにやらせるといい」
ユーウェインはこれから数年掛かりで進める計画を始動させていた。
臭くて汚い城から遂にオサラバするのだ。世界一清潔で綺麗な城造りをしてやると意気込んでいる。
無論、下水路や公衆大浴場は、本来なら作り上げられるだけの技術はない。ないが、そんな道理を蹴飛ばせる力が彼にはあった。有翼の不審者――もとい天使から授かった奇跡の力で水流を操り、便利な形に整えるのである。温泉と名付けた湯湧きの力もある。この加護だけで、ユーウェインは基督教に改宗してもいいと思うほどに感謝していた。信仰心は皆無に近いが。
ともかくユーウェインはこの奇跡の力を内包した短剣を、最終的には地中奥深くに埋めてしまうつもりでいた。その最終的な段階とはブリテン勢力を纏め上げ、各地に公衆トイレと大浴場を建設した後。水源を守り流れを安定させるために奇跡を埋めるのである。
癒やしの力は惜しいが、衛生には替えがたい。こうしていけば確実に病は減るし、人々も清潔さを保てる喜びを知るはずだと確信していた。
――後年。ユーウェイン最大の業績にして、明確なオーバーテクノロジーとして注目を集める事になる、七つ目の偉業【衛生観念の確立】は、こうして地道に始まったのだ。
「シェラン。貴公には私の股肱の臣として最も働いてもらう。不満があればいつでも言え。休暇も、給金も、手当も、なんでも最大限の便宜を図ろう」
「そんな気ぃ遣わなくてもいい。俺ぁアンタに負けた。アンタに仕え、配下として働く為に来たんだ。不満なんざねえよ。――計画書には目を通した。明日から俺が仕切って建設業に打ち込むとするさ」
シェランは言う事、聞きたい事を聞いた為か、あっさりと練兵場を去っていく。
視線を前に戻すと、ユーウェインの前でケイが一心不乱に剣を振っていた。この半年でそこそこ見れる太刀筋になっている。彼が去るまであと四年ほど。時間を考えると、そろそろ次の段階にいってもいいだろう。
――ニコールを呼んで、奴とケイを実戦形式で立ち合わせるか。
あの赤毛の傭兵も、磨けば大成する才能がある。いつか戦場に立った時、多くの味方を生かす為に彼の才能を開花させる必要があった。
ユーウェインはケイの鍛錬を見守る。自分の剣技には適性がないようだが、ケイを一流の剣士に育て上げる義務があるのだ。エクター卿との約束を、ユーウェインは忘れていない。
「あ、ユーくん。ここにいたんだね」
シェランと入れ替わりにやって来たのはガニエダだ。
彼女は大量の羊皮紙を胸に抱えている。
「……何度も言ってるが、ユーくんはやめろ」
「あの傭兵はキミをユーちゃん呼ばわりしてるんだよ? ボクにだって愛称で呼ばせてくれてもいいじゃないか」
「……ハァ。で、
何を言っても聞きそうにないなと嘆息し、話を変えるとガニエダは頷く。
「うん。ボクの眼が
「助かる」
羊皮紙の束を受け取り、それを虚空に挿し入れた。
何もない空間に重要機密の情報が記された
ガニエダが以前に視た物。それはローマ帝国のクロアカ・マキシマ――水道や下水システムの全体像、設計図である。今のローマ帝国にも張り巡らされているそれをブリテン島にも流用するのだ。他にもブリテン島にいるアングロ・サクソンの七王国の軍備、主要人物などについても記述されてある。
汚い? 卑劣? どうとでも言うが良い。ユーウェインは個人として見るなら善良だが、公人として冷徹な判断も意識的に下せる。ガニエダが『現在』を見渡せる眼を持っていたと知った時から、いつかは彼女の見聞きした情報を役立てようと企図していたのだ。
情報は武器である。その武器をリスクもなく簡単に、しかも極めて正確に手に入れられるなら躊躇う理由はない。変に躊躇って情報を手に入れられず、時間と労力と富を浪費するのは愚の骨頂だ。手に入るなら手に入れる、庇護下の人々の為に最善を尽くすのは当然の心得だろう。
――ガニエダが呪われる前の『アンブローズ』だったなら、口を固く閉ざして何も言わなかった。それは人が自分の力で辿り着くべき場所だとでも言って第三者の立場を崩さなかったに違いない。
しかし彼女は今、自身の世界の中心にユーウェインを据えている。聞かれたらなんでも教えるしなんでもする。嘗て人類のナビゲーターを自称していた魔女はどこにいない。今のガニエダはユーウェイン専属のナビゲーターであり、知恵袋であり、彼の利益を追求する忠臣である。細かいルールやら倫理などはじめからなかったように無視するだろう。
「ガニエダ」
「なぁに? ……こほん。なにかな? ボクの王子様」
甘い声。その声が自分でも驚くほど蕩けきっている事に気づいたガニエダは、咳払いをして誤魔化し気取った調子で応じる。苦笑したユーウェインだったが、気を取り直して真面目に訊ねる。
騎士の情けで、赤くなっているガニエダの耳には気づいてないふりをした。
「アングロ・サクソンは、まだ内輪揉めをしていると聞く。奴らがいつまで内紛をしているか、予想できるか?」
「うーん……そうだねぇ……」
顎に手を当てて、ガニエダは思案した。自分に千里眼があった頃の事を思い出すと、心のなかった嘗ての己の無機質さに怖気を感じてしまうが、ユーウェインに訊かれたのなら仕方ない。
以前視たものを基点に情勢を纏め、ガニエダは自身の予想を口にする。その予想が、予言に等しい確度を持っている事をユーウェインは知らずとも、彼女の見立てを信頼した。
「――キミが以前ウェセックス王国で出くわしたシンリック。アングロ・サクソン随一の英雄に彼はなるだろう。今のキミでは厳しい相手が彼に仕えてもいる。シンリックが近い内に王位を継承するだろうから、そこから一気に彼らの情勢は動くね。……六年、かな?」
「六年か」
「うん。六年で、アングロ・サクソンは勢力の統合を始めるだろう。それから十年以内に、よほど運が悪くない限りシンリックが七王国を平定し、ブリテン島の完全支配に動き出すね」
「分かった。なら、こちらも急がないとな」
ユーウェインは頭の中で算盤を弾く。
できるかできないか、ではない。やらねばならぬ時期を見計らい、彼はあくまで次期国王として判断を下した。
「……四年後、俺は王位に就く」
「らしいね」
「俺がウリエンス王になった年、ウェセックスに親征しよう。シンリックの力を削ぎ、アングロ・サクソンの勢力統一を遅れさせる。王になった俺の最初の仕事がそれだ」
異界の倫理。異形の精神。それらを抱えたまま――当代に於いては聖人としか言い様のない精神性の彼は、しかし冷酷な王族としての決断を下せる精神力の持ち主でもあった。
戦争を自らの意志で行える覚悟が、彼にも具わってきたのだ。それは皮肉にも、恐るべきピクトの戦士との交戦で固められたものである。強力な国家の支援を受けたピクトを敵としたら勝てると思えない――その危機感がウリエンスの次期国王に冷徹な判断力を与えている。
ガニエダは微笑んで、頷いた。
これより少なくとも二年、彼は足場を固める為に動かないだろう。
どこまでも支えようと彼女は思った。自分が視るのは、彼だけなのだから。
――そして、二年の月日が流れた。
ユーウェインの偉業
1、騎士道の開花
2、音楽文化の開花
3、?
4、?
5、?
6、?
7、衛生観念の確立(未完)