獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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お待たせしました。
次で幕間も一旦締めでござる。



34,幕間の物語――獣の不在

 

 

 

 ――先手は譲ろう。貴公の好きなように打ちかかってくると良い。

 

 不遜というよりも不敵。慢心というよりは余裕。だらりと四肢を弛緩させた王子の台詞に犬歯を剥いて、ギチリと拳を固く握ったのは覚えている。

 実のところ、記憶は曖昧だ。交わした口上の悉くが、櫛の歯が抜けたかの如く記憶から抜け落ちている。それが何故かについては、覚えていた。打たれたからだ、何度も何度も、強く。

 

 ドンッ、と地を揺らす踏み込み。握り締めた拳骨を叩きつける為には、まず近づかねば始まらない。無造作に突進し――目を細めた青年の顔面に、渾身の鉄拳を放り込んだ。

 まともに己の拳を受けた青年は、たたらを踏んだ。()()()()()。魔獣をも殴り殺せる己の拳撃を受けて、たったの二歩、後ろに下がっただけ。唇を切ったのだろう、口の端から血を流した青年が言う。

 青年がなんと言ったかなど覚えてはいない。しかし前後する記憶の流れだと――おそらく「ケジメはつけた」と宣ったのだろう。微かな驚きを湛え、己は言ったはずだ。折角の喧嘩に水を差すなと。遠慮も呵責も要らねえ、オレを倒してみせろと。闘いの根源ってのは殴って蹴って立っていた方の勝ちなんだと啖呵を切ったはずだ。

 

 果たして、青年は苦笑した。ああ――その台詞だけは克明に思い出せる。

 

『野蛮な殴り合いに付き合う気はない。最初の一撃で私を倒せなかった貴公の負けだ。悪いが一方的に打たせて貰うぞ』

 

 面白れぇ……! 血潮を熱くさせた己は突撃した。だが、黒太子は首を横に傾けて拳を躱し、脚を狙って蹴りを繰り出すと肩を押されて体勢を崩された。殴り掛かると拳の甲に手を添えて受け流され、閃光が閃いたかと思うと強かに眉間と鼻の下を撃ち抜かれる。

 だが退かぬ。

 腕を我武者羅に振り回し青年を遠ざけ、再び突撃する。頭を両腕を立てて守りタックルを仕掛けた。本能に身を任せて、最適と思われる攻撃を仕掛けるも――()()()()掬い上げる拳撃に顎を拾われ、頭を跳ね上げられて、次の瞬間、丹田と鳩尾、胸の真ん中を貫く衝撃に吐瀉する。

 視界に火花が散り、得体の知れない吐き気に襲われた。堪らず、今度は己がたたらを踏む。鼻血を吹き出し、頭をふらつかせる己がなんとか顔を上げると青年は言った。

 

『単純な殴り合いで、腕力と頑丈さを競ったなら貴公の勝ちは揺らぐまい。だが闘争という分野でなら負ける気がしないな。何せ貴公の力は獣のそれ――理を持たぬ獣を恐れる私ではない。来ると良い、貴公の暴に勝る武を魅せてやろう。シェラン――我が第一の騎士に列される勇者。貴公の五体に武のなんたるかを刻んでやる』

 

 構える青年の姿に――己は、王を見た。

 己という獣を飼い、戦士の頂きに導く光を。

 だが簡単には認めない。まだ闘いは始まったばかりだ。己はまだ闘える、この両の脚でしかと地面の上に立っている。面白ぇじゃねえか、なら刻んでみせろよ――咆哮は戦意ではなく期待に濡れていた。

 果たして己は――シェランは――最初の一撃を除いて、一度も主君に拳を届かせられなかった。宣言通り一方的に打たれ、殴られ、投げられたのだ。だがどれほど殴られて、全身至る所に痣を拵えても立ち上がり挑み続けた。意地である、負けて堪るかと意地を張ったのだ。

 

『呆れた打たれ強さだ。やむを得まい……絞めて、落とすぞ』

 

 宣告の通り、首を締められて、意識を落とされた。だがシェランはどこか、満足していた。

 コイツは強ぇ、今まで見てきた誰よりも。今まで仕留めてきたどんな獣よりも。それが嬉しくって堪らないのは――目標を見つけられたからだ。窮まっているとしか思えない武を持つ主君をいつか超え、殴り倒してやるという目標ができた。いつの頃からか腕っ節で他者に遅れを取る事がなくなっていたが故に、シェランは明確に格上である相手を見つけられて歓喜したのだ。

 

 故にこそシェラン・アッシュトン――ベオウルフの再来たる英雄は、黒き聖者ユーウェインに忠誠を誓ったのである。いずれこの男を超えるその時まで、忠実な番犬として仕えてやろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

 往来を行き交う人、人、人。

 

 日用品や食料を家に運ぶ庶民、表通りを警邏する兵。賑わう飯処、騒ぐ馬鹿ども、人垣を縫うように走り回り遊ぶガキ。雑多な賑わいは喧騒を生み、活気ある日常風景が遅効毒のように脳を侵す。

 治安の良い平和と、野生を削ぐ営み。それから目を逸らすようにして、往来の片隅にある下水路を見遣る。すると染み込んだ習性が無意識に思考を走らせた。メンテナンスの要る部分はねえな、と。

 その思惟に気づいたシェランは舌打ちした。

 どうも、いけない。主に雇われ、狗になったのは良いが。主の作り出した環境は、どうにもこうにも居心地がよくて、居心地が悪い。根っこの野生が丸くなっているような気がするのだ。

 文明を開拓し施行する王――主君ユーウェインを語るならそのように比喩するべきだろう。停滞・維持が限度である数多の王とは違う、主君は時代と人のステージを前に進められる王になると予感させ、彼の下で働くことに大いなる意義を感じさせられるのだ。居心地が良いというのはそういう事で、居心地の悪さはまさにシェランが野生に生きてきた男だからである。文明の開拓はすなわち、野生の淘汰に他ならないのだから。

 

 主君ユーウェインの事業の始まりとなる居城フォーローザ。その都市部には塵一つ落ちていない――とまでは言わない。だが糞尿が道端に溜まっていたりする事がなく、道行く庶民も身奇麗にしている。肌に垢はなく、髪にフケもない、纏う衣服も小綺麗に洗濯されていた。

 王子の奇跡で綺麗な水が湧く小さな泉が城の隅にあり、そこで洗濯ができるからだ。

 至るところで庶民が下手な歌を唄い王子を讃え、今の生活が極楽であると持て囃している。王子の人気は下々の者に対しては絶大で、更に下の立場の者は神の如く信奉してもいた。

 その下の者とは、以前は糞尿の処理をさせられていた者達だ。以前まで頭に麻袋を被らされ、焼印を捺されていた者達は、糞尿の処理をしているが故に汚く、汚物その物のように扱われていたのが――今は人並みの生活が出来ていると喜んでいるのである。

 

 今以て生活は豊かとは言えない。年間を通して農作物の収穫量は減少の一途を辿っている。しかし魔獣家畜化計画が殊の外順調な成果を出し、肉の量が増え、以前よりも遥かに食料は増えている。そのお蔭で彼らの心には一定の余裕が生まれて、犯罪も確実に減っていた。

 惜しむらくはよそからの流民がある事だろう。フォーローザ城での豊かな生活を知り、その恩恵に与ろうとする者が後を絶たない。そちらを取り締まるのはシェランの仕事ではないが、騒ぎは耳にする。

 家畜を作っているのはシェランの一族、アッシュトンの者だ。ベルセルクル騎士団に籍を置かない非戦闘員である。彼らもまた王子直属の者として人々の尊敬と感謝を集め、アッシュトン一族も満更でもない様子でフォーローザ城の生活に溶け込んでいる。

 

 ユーウェインは万能の王だと、早くも称賛されはじめていた。知勇兼備にして文と芸にも長けた聖なる御方、至高の御人だと。だが数年傍で仕えたシェランから言わせると、そうでもない。

 いや、あながち間違いでもないかもしれないが、為政者としてのユーウェインの卓越している点は個人の能力ではなかった。足りない知はよそから補い、細かな事業に専任させて経験を蓄積させ、全てを任せて責任だけを負う――即ち下で働く者を育て、使うのが巧みなのだ。

 ユーウェインは素人知識で農業に手を出さない。疑問があれば口を挟むが、あくまで疑問であり質問だ。他の事でも必ず他者の意見を聞き、かといって鵜呑みにはせず、調査と審査を経て決定し家臣に任せるのだ。安易に自ら動く事をしない――人を使う王という立場を明確にしていた。ユーウェインの下で働く者は、故にこそ伸び伸びとしているのである。

 

 人を束ねる人王。誰が呼んだか、ユーウェインはそのように称されるようになっていた。悪い気はしない。自身の飼い主が偉大であるのは良い事だ。偉大であればあるほど挑み甲斐があるというものである。だがシェランはどうも胸騒ぎがしてならなかった。

 何事も上手く行き続けるという事は有り得ない。因果、運命とはそういうもので、必ずどこかで揺り戻しがある。ユーウェインは完璧に近い統治手腕を発揮し、早くも戴冠の時を待ち望まれているが、こういう時に限ってよくない事が起こるものなのだ。――虫の報せという奴だろう。嫌な予感がする。その嫌な予感というのがなんなのか、見極められずにいるからシェランは気が立っていた。

 

「………」

 

 目に見えて異常がない今、苛立ってばかりもいられない。シェランは思う、こういう時は酒を飲んで陽気に笑い喧嘩して寝るのが一番だと。酒を呑む際に嫁に酌をしてもらえたら最高だ。

 酒場に行って呑み仲間を集め、自分の館に招き馬鹿騒ぎをする。今回の休暇はそう過ごそうと腹を決め、シェランは酒場に足を向けた。

 その前に公衆大浴場に行き風呂に入ろうかと思う。庶民には人気だが、高貴な方々は敬遠気味の入浴習慣。シェランはそれを意外と気に入っている。しかしそんなシェランよりも風呂中毒に陥っている者もいた。ニコールだ。シェランが頻繁に喧嘩を売る、うってつけの鍛錬相手である。

 風呂に入りに行くと高頻度で出くわす為、今回も顔を合わせる事になるかもしれない。

 

「……あ?」

 

 シェランは人混みに紛れる一組の男女を見掛けて目を疑った。

 ひらひらと舞う花弁に包まれて、王子付顧問魔術師アンブローズと主君ユーウェインが歩いているのだ。仮にも一国の王子が往来を徒で歩いているのに、庶民はおろか警邏中の騎士も気づいていない。

 が、それはいい。いつもの事だ。ユーウェインは時折暇を見てはアンブローズを伴って城下を見て回っている。肩が触れ合うほど身を寄せて歩く様は、傍から見ると逢引に見える。しかしシェランは彼らの姿を見て嫌な予感の正体に本能的なあたりが付いてしまった。

 

 剛毅にして豪快なシェランらしくもなく、慌てて彼らを追い掛ける。

 庶民らや平騎士が王子らに気づかないのは、花の魔女の幻術によるもので、シェランが彼らの姿を問題なく発見できたのは魔女がリラックスしているからだ。単なる視線避け程度の効力しかないから、多少の対魔力がある者なら容易く察知できる。

 

「ちょっと待ちな、殿下」

 

 粗野な口振りで声を掛ける。他の騎士には許されない不敬な態度であり、当然シェランにも不敬罪は適用される。しかし城下にお忍びでやって来ている王子らには、魔女の術を感知しない限り気づけない。現にシェランがユーウェインに声を掛けた途端に、自動でシェランも花びらに包まれた。故に多少の非礼はユーウェインも流す事にしているのだ。

 

「――シェラン。どうした、血相を変えて」

 

 振り向いたユーウェインは、ただならぬシェランの様子を読み取る。訝しみつつも、すわ非常事態かと真剣な眼差しを向けられ、シェランは緊迫感に生唾を呑み込みつつ訊ねる。

 アッシュトン一族は、魔獣を調伏し、使役する術を持つ。故に魔獣に類する存在へ対する目利きは群を抜いていた。故に、だ。彼は固い声で確認する。今更気づいた己の間抜けさを呪いながら。

 

「殿下よ……アンタ、いつも連れていやがったあの()()()はどこ行った? ()()()()()()()()()()()()()

 

 白い獣キャスパリーグ。

 彼の獣の正体を知らずとも、シェランはあれが秘めるポテンシャルを見抜いていた。故にこそシェランは密かに決意していたのである。あれが手を付けられないほど成長する前に、この手で始末しよう、と。

 迂闊に手を出せず、ユーウェインにも警告できなかったのは、あの獣の秘めたる性質ゆえだ。あれは人から向けられる感情、或いは淀んだ負の感情の溜まり場に応じて醜く強大になる。もしユーウェインのような()()()()()の持ち主に警戒され、殺気を向けられたなら、それだけであれは成獣になってしまう恐れがあった。

 

 だからユーウェインの近くにいない時を見計らって始末するつもりだったのだ。

 

 だというのに――()()()()姿()()()()()()()

 シェランの焦りを感じてユーウェインは訝しんだ。困惑してアンブローズを見遣るも、彼女は()()()()()()()()()()()()()である。

 

「キャスパリーグか。アイツは人混みを嫌うからな、大勢に囲まれる事の多きゆえ、ここ最近は確かに見ていない。だがキャスパリーグに用意した飯はきっちり完食しているようだぞ。今は人目に触れないところにいるはずだが……アンブローズ、お前はキャスパリーグを見掛けていないか?」

「あ、()()()()()()()()()()()()()()()()。ボクは偶に構ってあげてるよ?」

「それならいいが……偶には俺も顔を見たい。今度見掛けたら俺の所に来るように言っておいてくれ」

「了解だよ、ボクの王子様」

 

 聞けばあの獣は元々アンブローズの許にいたという。そのアンブローズからユーウェインに預けられたらしい。アンブローズほどの魔女がキャスパリーグの正体に勘付いていないはずもない。

 シェランは気を回し過ぎたかと安堵する。アンブローズの事は苦手だが、能力に関しては信用していた。彼女が言うなら()()大丈夫だろう。シェランは嘆息し――しかし、どこか引っ掛かる。

 ……苦手だからと避けず、今度ユーウェインといない時を狙って顧問魔術師殿に協力を要請しよう。どうしてか、シェランはこの予感を放置する気にはなれなかったのだ。

 

「それで、シェラン。キャスパリーグがどうかしたのか?」

「……いや、アレが近くにいやがるとだな、家畜化を進めてる奴らが怯えてならねぇんだ。あんまり畜舎の方には近寄らせてくれるなって苦情が上がった」

「……怯える? あの小動物にか?」

 

 いまいち腑に落ちていない表情をするユーウェインに、シェランは内心毒づく。そりゃあアンタにとっちゃ小動物だろうさと。少なくとも今は。シェランにしてみても雑魚である。

 本性を表さない限り、およそ害になる事はない。ないが――ひとたび内に隠した力を発露させれば、たちどころに手の付けられない怪物になるのは想像するに易い。

 だからこそシェランは適当に誤魔化した。

 

「獣の中にも序列ってのはあらぁな。あれはまだガキだが、あれの親が恐ろしいんだろうよ」

「キャスパリーグの親……そういえば奴の種は知らなかった。毛並みの良さも類を見ない。もしや奴は獣の中の貴種なのかもしれんな」

 

 納得したらしい。ユーウェインはひとり頷いた。

 シェランはいたたまれない気分になる。慣れない嘘を言った。変に勘の良い主君だ、長話をするとボロが出そうで、用向きは済んだ事にしてその場を辞して離れる事にする。

 

「そんじゃ、オレはひとっ風呂浴びに行かせてもらうぜ。女との逢引を邪魔して悪かった」

「要らん気遣いだ。貴公も嫁は大事にな」

「ハッ、言われるまでもねえよ」

 

 シェランとユーウェインは、仲良しこよしをする仲ではない。あくまで雇い主と、被雇用者という関係でしかなかった。働きで貢献し、報酬で報いられる間柄に親愛は不要。

 しかし、互いに誠実に尽くしてこその信頼関係はある。シェランはユーウェインを主君とするのに不満は一切なかった。それに――このフォーローザ城にもそこそこ愛着が湧いている。一から改築を施す仕事に携わったからだろう。だから……シェランは改めて腹を決める。

 

(キャスパリーグ、つったか。次その面ぁ拝んだ時……狩っとくとするかね。人目も憚らない方がいいだろう。現場で避けるべきなのは殿下だけだな)

 

 大浴場に入る。手早く服を脱いで浴室に入ると、案の定と言うべきか風呂狂いのニコールが体を清めて、いざ湯船に浸かろうとしているところだった。

 よぉ、と声を掛けながらニコールの背中に平手を叩きつける。すると赤毛の傭兵は背中に赤い紅葉を咲かせて飛び上がった。痛えじゃねえかコノヤロウ! と怒気を滲ませるニコールに、シェランは険悪に笑いながら思う。万一の事もある、獣狩りの時が来たらコイツも巻き込もう、と。

 

 気に食わない野郎ではあるが、腕は立つ。近年急激に腕を上げてきたニコールなら、少なくとも邪魔になる事だけはないと見込むようにはなっていた。風呂上がったら覚えてろよと威圧してくる傭兵の視線に好戦的な眼を返しながらシェランは身を清め始めた。

 

 湯船に浸かる前の作法らしい。

 作法は、守るべきだ。

 喧嘩でも、殺し合いでも。

 

 

 

 

 

 

 


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