獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
私はモルガンだと思ってます(迫真)
さよならを言いに来た。
沢山の綺麗な景色を見て、沢山の美味しいものを食べて、沢山の善き人々を見た。
この数年間は本当に楽しく、美しい織物を眺めていられたのだ。
おかしな話だ。
一年間も人間社会にいたら、醜く変化してしまうはずの自分が、何年も変わらぬ姿のままで過ごしていられて――常に傍にいた男が自分を友のように扱ってくれたのが嬉しかったなんて。
おかしな、男だった。
心根が清らかで、素行もいい。長所は沢山あるのに、それら全てを台無しにしてしまう悪魔的音痴さも、今から振り返ると笑ってしまいたくなるぐらいに愛おしい記憶だ。
友だと思っている。大切な友だと胸を張れる。一個人にこうも入れ込んでしまえる自分自身に驚いたが、それだけ彼との旅は清々しく、美しいものであったのだ。
だからこそ、さよならを言いに来た。
彼は変わってしまった。いや、彼は全くと言っていいほど変わっていないのだけど、彼が身を置く環境が劇的に変わってしまったのだ。
大小様々な欲望の渦巻く、人間社会の中心地。そんな所にいたのでは、自分は無害ではいられない。自身の性質が変化する事を悟り、私は彼の許を立ち去る決意を固めたのである。
そのまま何も言わずに消えてしまえばよかった。だけど――未練だ。節義を重んじた彼に、彼の友であった私が義理を通さずにいたのでは、どうにも後ろ髪を引かれる気分になってしまう。
言い訳だけど、口実を見つけてしまうと駄目だった。私は彼の許を訪れる為に足を運んで――少し、困った。
不安だったけれど、きっとすぐに気づいてくれると信じる。私は彼が女体化して大騒ぎしていてもすぐに気づけたのだ、彼だって私の容姿が変化しても看破してのける。そう信じて不安を押し殺した。
(――そういえば、二つだけ瑕疵があったんだ。仕返しすればよかった――)
バカ話。荷車の盾の亜空間に突っ込まれ気持ち悪くされた事。あの狂気という概念を突き詰めたような歌。その二つに関しては、本当に頭にくる。笑ってしまうけれど楽しい思い出で、腹が立った。
仕返しの機会はもう無い。だからせめて最後に恨み言ぐらいぶつける資格はあるはずだろう。まあ……亜空間に突っ込まれた件は私も悪かったかもしれないが、歌に関して私の落ち度は皆無である。
どうしてくれよう? そんな事を考えるのも楽しく、同時に寂しかった。
無人の孤島から出て、彼の許に向かう最中に、どうしても思い耽ってしまう。これから先彼がどのような旅をするのか、もし私が彼の許で変わらず過ごしていられたら。益体もない事ばかりを夢想する。そうしていなければ、見たくないものを見てしまうからだ。
意識して、何も見ない。彼に一言か二言ぐらい文句を言って、別れを告げるだけのつもりだから、それ以外を見る余裕なんてあるわけがない。ほんとうに――余裕が、ない。
だから。
見落とした。
聞き逃した――否、
大地を揺らし、大気を震撼させるほどの軍歌が。神霊が精霊に寄った性質に変貌していたからだろう、
彼が
(――あ)
闘争本能。
(ァァァァあぁあああぁアアぁああ)
巨大に過ぎる――感情の奔流。勝利を欲する欲望――加速度的に蓄積され、されど決して外に排出されない人間の咆哮。それに、当てられてしまった。相手を上回ろうとする原始の欲望に。
プツン、と。意識が――途絶えた。
――誰も計らず。誰も謀らず。ただただ、
これは、ただそれだけの話だった――
† † † † † † † †
神話の戦いだ。
神々の戦いだ。
そして人の――神代の英雄の闘いだった。
天地を引き裂く豪剣が振るわれ、世界が軋む暴風の余波が嵐となる。紙一重で躱したのでは不足、纏った黒甲冑を破損させながら退避した剣聖を複合神が追う。沈没した樹海の都、光速で巨神が踏み込む度に巨大な水柱が起こり、豪剣が振り下ろされ、薙ぎ払われる度に余波で津波が起こる。世界の終わりのような光景の中、全身から汗を吹き出しながら剣聖が猛攻を掻い潜り、閃光の如き剣撃を見舞う。
純粋な物理攻撃の剣撃。巨神に比べたら塵芥に等しい剣。それが巨神の肌に大きな裂傷を刻む。
爆発する歓喜と闘争本能。剥き出しの喜び。複合神の拳打が、拳を縦に割かれるのも構わず振り抜かれ剣聖を殴打する。咄嗟に全身を呪力で覆い防御するも足りない、全身の骨という骨を砕かれ、血反吐を吐きながら吹き飛んだ主を魔女が抱き止めた。必死の形相で魔女が剣聖を癒やす。百もの光弾を飛ばしながら巨神を牽制した魔女が、剣聖を抱いたまま空間を跳躍し巨神の死角に入るも、光弾の直撃をどれだけ喰らおうと歯牙にも掛けず、複合神が追撃に出る。
魔女を突き飛ばし、剣聖が霞んだ眼で巨神を睨んだ。落雷――未だ人の手に堕ちぬ雷電の力。星を劈く雷鳴に、耳から血を噴出させながらも平衡感覚を保ち、剣聖が落ちてくる稲妻を両断する。
時は西暦が始まってより四百年も半ばを過ぎている。神代の終わりなどと、なんの冗談だと言わんばかりの激戦。巨神は至る所に傷を負い、剣聖は満身創痍の有り様だ。魔女が魔力を練り上げ全力で剣聖のみを強化し、更に彼の眼に細工を施す。視えざるモノを視れる視界を与えた。
巨神が雷電を巨剣と巨槍へ纏わせる。そして、雷権を握る腕と、無手の腕にも眩い雷光を迸らせ、剣聖を叩き潰さんと迫ると見せ掛け魔女へと襲い掛かった。魔女が空間転移して逃れる。魔女の退避を援護するべく剣聖が巨神の腕を狙い斬撃を飛ばす。だが――
魔女が転移したという
即死。
剣聖が目玉を溢れさせんばかりに目を見開く先で、魔女の身体が散り花吹雪と化す。
躱したはず。だが、完全な回避は出来なかった。拳打の余波を浴びたのだ。
なんとか離脱は間に合わせた魔女だったが戦線に復帰できない。
ふらふらと漂う魔女が剣聖に詫びる。ごめん――と。キミが空を駆けられる力を残すので限界だ――と。重傷を負った魔女が傭兵の許へ向かい、主が後方を気にせずに戦えるようにと離れていく。
宙を待った巨神の腕が着水した。再び、大きな水柱が上がり――
「――キぃサぁマぁ――ッッッ!」
愛した女と、親しい■が重傷を負わされた事で、遂に黒太子が激怒した。
逆上に近い赫怒を燃やした黒太子の因子が眼を覚ます。燃え上がる。それは嘗て討ち取りし邪神インデフの血。幾度も斬り殺し、滅ぼし尽くしている最中に浴びた血が溜まりに溜まっていたもの。
ビキビキと全身の血管が怒張する。心臓が物理的な鼓動を体外に漏らすほど強く鳴る。ボゴッ、と筋肉が盛り上がり。ゆらりと白髪が揺らめいた。後背の皮膚が裂け、漆黒の呪力が噴出する。
活性化している。黒太子の内包するあらゆる力が。
【
「――猪口才ッ!」
巨槍が唸る。因果を操り、造り、着弾したという結果を残す権能。
驚愕する複合神の胸元に飛び込んだ黒太子が拳を握り締め、彼のありとあらゆる力が
怒りと闘争本能に満たされた剣聖に、邪神の残り香が呼応している。顎に拳打を浴び貌を上へと跳ね上げられた巨神の意識が一瞬霞む。――その一瞬で充分だった。虚空を蹴って更に上方へ飛び上がった剣聖が巨神の首を刎ねんと刃を振るい――本能的な防衛本能の働きか、巨神が『回避した』という結果を造りながら身を捻る。
だが因果は斬られる。魔女の魔術が黒太子にはよく馴染んだ。もはや瞳から零れ落ちる事なき力を邪神の因子が取り込み魔眼化させる。しかし邪神の因子が強まるごとに剣聖の性質が徐々に蝕まれ――妖精女王の不変の祝福が侵蝕を阻み、完全に遮断した。
巨神の首、その薄皮一枚が傷つけられる。回避した結果が残らずとも、なんとか自力での回避が間に合っていたのだ。目の色を変えて巨神が全身から雷撃を迸らせる。
退避した剣聖を見遣る巨神の貌は、見物だった。
驚愕、畏怖、戦慄。歪んだ表情――果てに歓びの武者震いへと変遷する。宝剣の力ありきとはいえ、権能たる因果編纂の御業を切り裂くとは、まさに神技である。神域の技量、まこと天晴。のみならず我らにこうまで傷を刻み、更には斬撃を飛ばすなどという絵空事を実現するとは。――恐るべき英雄だ。こと技の一点に於いて汝に肉薄する者すら知り得ない。
複合神の称賛はしかし、敵手である黒太子に届かない。止まる事を忘れたように飛来する小さな星を、雷電纏いし巨剣と巨槍が迎撃する。止まらない神話決戦、加速する怒涛の大攻勢。身体的なポテンシャルでは巨神が遥か格上ではある、だがその巨大さが仇となっていた。
どれほど速かろうと、どれほど強かろうと、肉体の巨きさ故に初動がよく見える。目で追えないほど疾くとも、動作の起こりを見て取られたのでは躱してくださいと言っているようなものだった。
巨神の流した血が河となる。散った肉片が山となる。砕けた黒甲冑を直す余力もなく、上体の素肌を外気に晒した黒太子の怒りが臨界を超え、彼の意識に冷たい理性を取り戻させた。
黒太子もまた満身創痍だ。雷電の余波で至る箇所が大火傷を負い、目や口、耳、巨神の武具で負わされた傷からとめどなく血が溢れ、止まった瞬間に死んでしまうのではないかと思えるほど重体だ。
ふぅ、と吐き出し。すぅ、と息を吸う。――死に体でありながら、嘗てなく絶好調だ。自身の状態が手に取るように分かる。冴え渡る、明晰な視野。今ならいける気がしてならない。
虚空を蹴り、縦に横に、縦横無尽に駆け巡り。巨槍と巨剣の乱打、拳撃をやり過ごしながら――自身を絡め取らんとする因果操作の権能の網を斬り破る。鮮烈な稲光の海、黒太子という魚を獲らんとする権能の網を突破していきながら思考が弾ける。足りない、手が。手数が。
もっと速く、もっと強く、もっと果てへ――競い、鍛え、積み上げる。突き詰める理の先を追求し――その瞬間だった。無我夢中で繰り出した剣撃が――
「――――」
【見事。魅せて貰った、武技の窮極を。堪能しよう、戦の至福を】
掛け値なしの賛辞は感動を孕む。そこまでか、そこまでいくのか。己と戦っている英雄が限界知らずに進化していくこの工程――嘗ても見た。英雄という人種が研磨されていく光景。
己が宿敵。愛する死。堪らず破顔する神々が、英雄を愛でる。
だが――まだだった。まだ、まだ。もっと先へ、もっと、もっと――
「ま、だ……だァッ!」
何を、俺の底を見たつもりになっている――二つに重なった刃。一つの剣が振るわれる刹那に、二つの斬撃が放たれる不条理。この魔法のような現象で、黒太子は因果の網と雷電を同時に斬り破った。
だが足りない。まだ足りない。手数が倍に増えても、まだ。
「まだ――!」
吼えはしない。咆哮し呼気を逃す間抜けではない。肉体の導くまま、感性の辿るまま、積み上げた鍛錬の結実、果実を摘まんと手を伸ばし。一度の斬撃に二つの剣撃を重ねた刃が――更に重なる。
何かが、壊れたような音。硝子細工が割れた音。果たして其れは、尋常の理を明確に破壊し突破した福音であった。駆動する巨神の肉体、振るわれる拳。残り四腕の半数が迫るのを――
其れは多重次元屈折現象――事象飽和現象。刺突であれば対象を刳り抜き、着弾箇所を
瞠目するまま、巨神は自身の二つの腕が半ばから断たれた光景を目に焼き付ける。全身を躍動させて疾駆する剣聖が、
咲き乱れる神雷の雨。奥の手の隕石招来。異界を諸共に破滅させんとする超質量の大繚乱。悉くが四つに裂かれ、破られる快感。幻想を通り越して非現実的な光景が繰り広げられて――まだ終わらぬ。
巨神は雄叫びを上げた。
下半身が変化して、馬の体を形成する。疾走を開始した巨神が秤を操り、失った四本の腕を再生した。不死――死なずの力。カッと刮目した剣聖の目に炎の意志が宿り、炯と燃え盛る。聖者の数字――日輪に呼応する力が過剰に活性化し、黒太子の魔力が曲剣を
「まだだァ――ッ!」
【ぉ、ぉぉぉおお――】
一度距離を取り、加速を付けて正面から突撃してきた巨神。質量で挽き潰さんとしたのだ。雷電を纏い、二振りの武具を翳し、再生した四本の腕を交差させての全霊の体当たり。
それを迎え撃つのは
天をも衝く黒き呪力の柱が雄々しく屹立する。振るわれた剣閃の残滓、飛ぶ斬撃の名残。噴出する血潮、零れ落ちる内臓。死――だがまだ死なぬ。死んでも死なぬ。まだ足りぬ、まだ、まだだ!
巨神は荒ぶる闘争本能に支配され、抗う。だってまだ堪能しきれていない。まだ楽しみたい。至高の好敵手に己の力をもっと魅せたい。まだ出来る事がある、魅せていない底力がある。縦に二つに割れた肉体を再生――できない。なぜ――? 死が迫る。意識が薄れる。消滅が近い。
空中の足場に着地した黒太子は、膝をつく。力尽きていた、もう剣を振れない。限界を短期間に超え過ぎた、道理を捻じ曲げた進化の代償――ユーウェインは戦闘力を完全に喪失してしまっていた。
巨神は、再生できぬ肉体に業を煮やし、自らの脇腹に巨槍を突き刺す。
「………!」
二つに別れた体を串刺しにし、巨腕が両脇を叩いて別れていた身体を接合する。変わらず血は流れている、溢れた内臓は戻っていない。だが――肉体のみにて生存する存在に非ず。
複合神ダナンは断末魔に近い雄叫びを上げ――ユーウェインの貌が、苦渋に滲む。打ち止めだ。ここまでで、終わりなのだろう。敗北を悟る、もう満足に身体が動かないのだ。
諦念が過り掛けたその時――歯を食い縛って立ち上がったユーウェインは、最期まで戦う姿勢を貫かんとして。不意に――慣れ親しんだ存在を遥か彼方に知覚した。
『見苦しい。そなたは戦士として戦ったのであろう。体を縦に割られて尚も生き足掻く化生が、そなたの思い描く戦士の図か?』
「――母、上……?」
モルガンの声だ。はたと巨神の動きが止まる。
懐かしき声だ、耳に痛い直言である。その諫言に羞恥を覚えた。
停止し、だらりと構えを解いたダナンが、上空を見上げる。異界を貫き飛来するものを感じ取ったのだ。潔くそれを浴びるつもりでいた。
【英雄よ。すまぬ。見るに堪えぬ醜態を晒してしまった】
透徹とした声でダナンは侘びた。敗北を受け入れぬ姿勢の何と醜き事。初志を忘れてしまった不覚を恥じ、神々は改めて己を打ち破った至高の剣士を見詰める。喩え死してもその勇姿を忘れぬ為に。
【さらばだ。ああ――なかなかに、悪くない戦であったよ】
そして、ダナンは空を見上げた。飛来する介錯の光に感謝して。
【
モルガンが魔術の粋を結集して編み上げ再現した、世界の表裏を繋ぎ止める光の柱。生き足掻いてしまったダナンを裁く介錯の一撃。真作には及ばぬ、されど滅び去る神性を鎖すに足る極光だ。
光の柱に呑まれた巨神の姿が消し飛ばされていく。その消滅の間際、ダナンはふと思い出したように思念を遺した。――我らを討ち取りし褒美を賜わす。汝の許へ宝剣が辿り着く運命を編もう。
それだけを告げた思念は、肉体の消滅とともに消し去られた。
異界が崩壊していく。沈没した樹海の都も、その洪水の後も、残らず幻想として解れていった。決戦が終わり、一つの神話に幕が下りたのだ。なんとか意識を保っていたガニエダも、それを見届けて倒れ伏す。意識は途絶えずとも、とっくに迎えていた限界で、指先一つも動かせられない。
必然、ユーウェインの虚空の足場が消え、黒太子は地面に着地した。そこは元いた現実世界。戦闘の跡のない草原。満月が真上にあり、月光が神殺しの一行を照らしている。
終わった――終わったのだ。ニコールが気絶し、ガニエダも行動不能となって、ユーウェイン自身も力尽きている。終わったのだ。これで、本当に。
「………?」
ふと、気配を感じて、のろのろと視線を上げる。
その時。彼方にて事の顛末を見守っていた妖精女王が、腰掛けていた椅子を蹴倒して立ち上がる。喘ぐように、モルガンは小さな悲鳴を上げた。
――ば、ばかな……早過ぎる……! ま、まだ、まだ早い……!
奥の手に等しい、最果ての槍の再現魔術は既に撃ってしまった。手出しが、できない。
――顔を上げたユーウェインの目の先に、一匹の獣がいた。
白き、大魔獣。
駿馬の如き体躯と、靭やかな筋肉に覆われた四肢。毛並みは乱れ、伸びた爪は竜の其れを想起させる。獅子の如き強靭な牙と尾が目を引いてしまい。
† † † † † † † †
「……キャスパリーグ、か?」
変わり果てた姿だ。しかし、何かに抗うように耐える獣の眼が、猛烈な飢えと衝動に苦しんでいても、ユーウェインを視る眼差しに親愛がある。友の姿をユーウェインは見誤らなかった。
名を呼ぶと、獣は舌を出した。は、は、は、と。喘ぐ。
殺人衝動。目の前の人間を殺せと叫ぶ本能と、殺したくないと泣き叫ぶ心。
腹が減ってるんだなとユーウェインは思った。充満する殺気を、しかし先刻までの死闘で麻痺した神経は拾わない。殺気を向けられる訳がないと思っていた。だが――ユーウェインとて剣聖である。ただならぬ雰囲気と殺気に、心が追いつかずとも肉体は反応していた。
『ニ、ゲ、テ』
獣が。ガイアの怪物が――人類悪、第四の『
それを明確に感じ取って、目を瞬いたユーウェインは、苦笑する。
「いつになくはっきりと意志が伝わった。だが、逃げろだと? 馬鹿め」
笑って、言う。その笑顔がなおのこと、獣を苦しめた。
「――
『 !』
彼の身に何があったのか、ユーウェインには分からない。
彼の正体がなんであったのかも、知らない。
だが彼を蝕むものが、善からぬものである事は分かる。
にじり寄る獣。それを見守る人。
獣が吼えた。衝撃波が、人を塵のように吹き飛ばす。
戦う体力は残っていない。地面を転がった人は、左腕を折ってしまいながらも立ち上がる。
にげろ、にげろ、にげろ。譫言のように警告と懇願が繰り返される。
だが、動かない。人は、動かなかった。
衝動が強まる。
抗い切れずに飛びかかってしまった獣の爪が、深々と人の胸を切り裂いた。
鮮血が吹き出した。傷が、深い。――致命傷だった。
剣を杖の代わりに地面に突き刺し、なんとか立ち続ける人を前に、獣は情けなく後退する。いやいやをする子供のように下がった獣の口角が、喜悦に歪んでいる。
獣の後ろ肢に、力が籠もった。些細な攻撃だけで、もはや落命を免れない人に、トドメを刺そうというのだ。にげろ、にげろ――警告は最早、殺人の快感に歪み、玩弄する響きに変わっている。
人は、それを前に、困ったように呟いた。
「お前を責め苛むのは、人の業か」
『 ?』
「欲望に触れるごとに変化する性質。なら……まあ、なんとかなるか」
『ナ、ニ……?』
「来いキャスパリーグ。お前の溜め込んだ宿業、俺が引き受けてやる」
弱い殺気だ。瀕死のユーウェインの、なけなしの挑発。
だが成り立ての――今まさに完全なる人類悪に目覚めようとしている怪物を始動させるには充分な切っ掛けだった。
神速。人類に対する絶対的な殺害権利を有する獣の殺意。飛びかかった獣、迎えるのは剣聖。ゆったりと――ゆらりと――なだらかに、のんびりと曲剣が振るわれた。
パキン、と。脆い金属の割れたような音が鳴った。
神秘殺しの曲剣の刀身が、半ばから圧し折れたのだ。次いで、ユーウェインの肉体へ袈裟に傷が走る。赤い、赤い血が吹き出して、ユーウェインは地面に倒れ伏した。
ぴくりとも、動かない。血溜まりに沈むユーウェインの先で、通り抜けた獣は首を傾げる。なんだ――と。まだ
「フォウ?」
黒い靄が白い大魔獣から抜けて出て。
後に残ったのは、小さな猫のような獣。
キャスパリーグは何がなんだか分からないまま自身の身体を見渡し。
あの、絶対的な力と衝動が、洗い流されたような感覚に飛び跳ねた。
やられた! と思った。やってくれた! とも思った。
友が――その神技で己を救ってくれたのだと悟ったのだ。
大喜びで振り返ったキャスパリーグは、しかし。
血溜まりに沈み、呼吸を停止して、心臓を止めてしまった友を見て。
「――――」
頭を真っ白にし、既に完治している傭兵の許にあったネックレスを奪いに走った。
――果たして、ユーウェインは一命を取り留めた。
宝具を以てしても、決して癒せぬ傷をその身に刻まれたまま。
著しく肉体を損傷し、長時間の戦闘に耐えられぬ形で。
斯くして戦士としてのユーウェインの最盛期は、複合神ダナンとの決戦で花開き。
その閉幕と共に、終わった。
◊死の光(ガンマレイ)
ランク:A+++
種別:対不死・対神・対人魔剣
レンジ:1
最大捕捉:1人
・死の光。別名、太陽光曝露。ユーウェインが開眼した、魔法の領域に両足を突っ込んで肩まで浸かった奥義。あまりにあんまりなアレなので、詳細は活動報告へ記載。
副題の「神話の戦〜」とは、まんまユーウェインの肉体面での最盛期の終わりでもあったわけです。
面白い、続きが気になると思っていただけたなら、感想評価よろしくお願いします。兄貴姉貴の皆さんオナシャス!