獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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42,幕間の物語――戴冠の刻、来たれり

 

 

 

 最強の英雄は誰だ。

 

 この議題に決着は付いている。満場一致で人々は同じ名を挙げるだろう。

 即ち妖姫の嫡子たる妖精の騎士――黒き衣纏いし王太子である。

 数多くの怪異を討ち、堕ちたる旧神を屠り、更にはブリテン島に棲む全ての者が目撃した、光輝纏いし巨神をも打倒せしめた無双の勇者ユーウェイン。彼こそが至誠にして至強の英雄であろう。

 

 最高の騎士は誰だ。

 

 愚問である。世界で最も偉大な騎士とはユーウェインに他ならない。輪郭の定まらなかった騎士の背骨を示し、自ら体現する騎士道の花。彼の勇者を差し置いて至高の騎士は名乗れない。

 セイレーンの歌いし最新の伝説を見よ。彼の御方が城主として治める地の栄華を見よ。彼を手本とした騎士達の真摯なる様を見よ。穢れなき妖精の騎士はあらゆる悪徳を祓い清める黒き光――騎士を志す者は彼の光へ拝謁の栄誉を賜るがいい、彼の手による叙勲こそが騎士にとって始まりの栄光となる。彼を差し置いて騎士道を語る者がいないように、彼の手による叙勲こそ誉れである。

 

 最大の王は誰だ。

 

 ウーサーだ。彼なくしてブリテンの現在はなく、彼なくして憎むべき侵略者サクソンの停滞はない。だが誰もが過去の栄光に目を向け続けるはずもなく。現在(いま)を救いし守護者を欲している。

 やがて人々は夢を見る。最強の英雄にして最高の騎士――誰しもが思い描く理想の王の出現を。妖精の騎士が王位を継がんとする、祝うべき時の到来を知りし者の多くがウリエンスの王都へ向かった。

 一目、理想の王となるかもしれない英雄を見る為に。彼の行く末に光あれと願う為に。彼の征く道にこそ我らの救済あれかしと祈る為に。騎士が駆けつけた、庶民が集まった、豪族が馳せ参じ、爵位持ちし貴種の者達がすり寄った。そして己らの神を鎮めてくれた恩義に報いんと神官が言祝いだ。

 そして――

 

『お、おい――あれ見ろよ』

『なんだありゃあ……』

 

 ゴール王の父、つまりはユーウェインの祖父が有している三百羽の鴉。一羽の鴉ですら並の騎士よりも強く、賢く、忠実なるモノら。ウリエンスの王都の空を監視するモノ。

 それがユーウェインの到来を報せるように鳴いた途端、鴉たちの黒き身が、一斉に漂白されて純白となる。天上より差し込む光に照らされ――天使長の祝福が届けられる。

 群衆がざわめいたが、騒がしくなった時は極僅か。基督の教えが浸透していない現在、魔鳥の変異を凶兆とも吉兆とも受け取らず、開門されし城門の方へとすぐさま注意は向けられた。

 

『――殿下だ。殿下がお越しになられたぞっ』

『バカ! ()()だろ!?』

『バカはお前だ! まだ戴冠してないんだ、陛下だなんて呼ぶんじゃない、不敬だぞ!』

 

 開放された城門を通り、稀代の駿馬に跨りし貴人が王都の地を踏む。

 厳かな面持ちの無鎧の熊騎士団――公爵位を得ていた嘗ての貴人アッシュトンの一族を引き連れた最新の伝説の張本人。妖精の騎士ユーウェインの姿を迎えた人々が一斉に歓呼する。

 戦勝パレードの如き様相を呈するその様は、新たなる若き王の誕生を待ち望み、歓迎する希望の絵画の如しであった。しかし歓声は一度止む。なぜなら駿馬を駆る王子の傍に、黒き獅子がいたからだ。

 

『な、なあ……あれ……ライオンだよな……?』

『ああ……黒い獅子だなんて聞いたこともないが、なんと見事な……』

 

 黒獅子の威容に人々は息を呑む。筋張った強靭な四肢と、鋭利な爪。黒い太陽の如く蓄えられた鬣と、深い理知が宿った瞳。従順に王子の傍らを進む様に人々は感嘆した。

 鎖にも繋がれていない猛獣など、尋常なケースであれば恐れられて然るべきである。だが獅子を遠巻きに見る庶民に恐怖はなかった。ウリエンスの民である人々は知っているのだ。ユーウェインがいる。この一事があるだけで、怯えるには値しないのだと。

 

『ユーウェイン殿下ぁーっ! そのライオンさんはどうしたのーっ!?』

 

 ふと宮殿に向かう一行に向けて、幼げな子供が問いを投げた。

 慌てて子供の口を塞いだ母親が恐縮しきって平伏している。ユーウェインは子供の声が聞こえなかったような素振りのまま、仕方なさげに苦笑しつつ馬上から手を伸ばし黒獅子の頭を撫でて見せた。

 胡乱な雰囲気で身動ぎした獅子だが、ユーウェインに「大人しく撫でられていろ」と囁きかけられ、なんとも言い難い表情で黒獅子(オルタ)は唸る。その従順な様で庶民は察した。

 ああ! 猛獣も殿下のご威光に触れ、彼の御方に仕える事にしたのだ!

 誤解であるような、そうでもないような。ともあれ民草は黒獅子の存在を至極あっさり受け入れる。あのユーウェイン殿下なら獅子を従える事など造作もないのだと思ったのだ。

 

『獅子を連れた騎士……か』

『お、いいなそれ。【獅子を連れた騎士】……さしづめ【獅子の騎士】ってとこか?』

『なら王冠を戴かれたら、【獅子王】陛下ってのがいいかもな!』

『おいおい……殿下の君主号を勝手に称するのは不敬だろ……』

『かもな。でも歌で唄う分には構わねえだろ。どうせ詩人が唄うだろうし』

 

 音楽文化の自由は根付いている。国の名誉を傷つけ高貴なる者を謗る歌でなければ、誰憚る必要のない自由なる世界(ジャンル)であった。羽ばたく音楽を阻む事は、王侯貴族ですらも無粋と嘯く事柄である。

 人々は噂する。殿下の治世に与る民は、飯がたくさん食えるらしいと。

 騎士は噂する。殿下の治める地には、美しきご婦人がおられるらしいと。

 貴族は噂する――硝子の靴を履いて火で炙り、瀉血し、尿を掛ける健康法は誤りであり不潔であると殿下は仰られていると。入浴して身を清め、衣服は洗濯して清潔にし、食事に気を遣うのが良いと。

 

 体臭がえげつなく臭い、当時の人々。貴族も例外ではなかった。だが王子の敷いた事績として明らかなのは――衛生管理の徹底こそが病を遠ざける予防の極意である事だ。

 現に殿下の治める地は、近年の流行病とは無縁であり、庶民の一人に至るまで身奇麗にして下手な貴族よりも気品ある姿となっている。社交界で顔を出すフォーローザ城の貴婦人達のなんと美しき事。

 子爵以上、侯爵以下の面々が、密かな羨望を王子に向ける。言われてみれば確かに、殿下の身奇麗さは群を抜いている。従える騎士の誰を見ても穢れと無縁だ。

 

 ユーウェイン殿下!

 

 誰かが唱える。

 

 殿下! 殿下! 殿下!

 

 唱和される。

 老いも若いも、男も女も、庶民も貴族も、宮殿前まで到達し、下馬した王子を讃える。

 彼の前に、王が姿を表した。

 ひどく憔悴した顔色だ。四十代にして、枯れ木のような体である。

 王子は一瞬だけ瞠目する。父王――幼き時より己を遠ざけてきた男。親子の情など皆無の、ただ血の繋がりがあるだけの他人同士。父と子の視線が交わされ、父王は澱んだ眼差しで王子を見据える。

 窶れた王は、我が子に歩み寄る。そして、他の誰にも聞こえぬ声量で呟いた。

 

「久しいな、イヴァン」

「……ええ。お久しぶりです、陛下」

 

 父とは呼ばず、王に対する王子。跪く我が子に、王は疲れたように囁いた。

 

「何年も前から……儂よりも貴様が王に相応しいと、愚民どもはほざく。宮廷雀どもは陰口を叩き、容易く掌を返した。フン……儂は、貴様を我が子と思わん。儂の愛した子らが消えてなくなりさえしなければ、誰が貴様のような者に後を継がせるものか」

「………」

「本当なら禅譲してやるつもりはなかったが……儂は疲れたよ。愚民の囀りに耳を傾ける気力もない。宮廷の風見鶏の相手をしてやる根気も湧かん、故に、貴様なんぞにでも、ほしければ王冠などくれてやる。だがな……イヴァンよ。一つだけ答えよ」

「……なんなりと、陛下」

「儂はウーサー王に従いサクソンと戦った。ウーサー王がお隠れになってからは、儂がブリテンとサクソンの境を守る橋頭堡となり、最前線でブリテンを守ってきた。そんな儂よりも、貴様は己こそが王に相応しいと自惚れておる。貴様如き若造が……王冠の重みに堪えられるのか?」

 

 濁り果てた目は、人間への失望が凝縮されているようだった。

 父の目を見上げた王子は、嘲るでも、蔑むでもなく、端的なる事実だけを並べるように断言した。それこそが、せめてもの誠意であると示す。

 

「その王冠を更に重くするのが、この身の使命と心得ております」

 

 それは。

 父王の背負ってきた重責よりもなお重いものを背負う覚悟である。

 含有された様々な意図を汲んだ父王は目を見開き、乾いた笑みを浮かべた。

 なるほど、なるほど……器が違うとはこの事か、と。

 

「……よかろう。では、今この時を以て、貴様に王位を譲り渡そう。受け取るが良い、儂が父より受け継いだ宝剣と鴉どもも、全てくれてやる。精々、励めよ」

 

 父王は王子の頭に冠を乗せ、そして一つの指輪を賜わした。

 それは三百羽の鴉の主人たる権限である。同時に、三百本の宝剣の所有者たる証だ。

 王子の祖父より王へ受け継がれてきた三代の王権の象徴――三百諸侯の鳥剣(ケンヴェルヒン)である。

 

 純白の鴉が飛翔して、ユーウェインの頭上を飛行する。天上より差し込む一条の光がなお強まり、新たなる王を照らし出した。幻想的な光景の中、王冠を戴いた新王が立ち上がり、万民へと振り返る。

 彼は――ただ、手を上げた。

 それだけで、万民は拍手喝采する。儀礼的なものではない、心からの歓びと祝福だ。

 

 ユーウェインは微かに目を細める。

 

 特に失政と言えるものはなく、只管に国を守り、民を守り、王権を維持した父王。その父王の偉大さを知る事なく、自身を持て囃す人々の姿に、民衆というものの本質を見てしまった。

 父に投げかけられた言葉は悲しいほど響かなくて。それが少しだけ虚しい。

 親子だと思えない、他人のような関係。王族ならそんなものだと思っていたが、もし自分から父に歩み寄れていたなら――また違った関係を作れていたかもしれない。……()()()()()見られる事も、なかったのかもしれなかった。

 

 ささやかな後悔。それを振り切り、王は立つ。

 

 そんな乾き切った父と子のやり取りを、傍らの獅子だけが聞き届け。――ポツリと。この御方を一人にしてはならないのではないかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

オルタの姿はどちらがお好みです?

  • 聖剣の黒王
  • 聖槍の下乳上
  • どっちも好き!優劣はない!

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