獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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お待たせしました。

伏線張るのたーのしー!




44,王の時間・王の呪縛

 

 

 

 

 ボクは人でなしだった。

 自分の事しか視えていない、自己中心的で独善的な嫌な女だ。

 愚かで、弱くて、最低な人外――ボクに彼の許にいる資格なんてない。

 

 ああ……どうしてボクは、初歩的な陥穽を見落としてしまったのだろう。

 

 最初は些末な独善と些細な同情で、同類である獣に外の世界を見せてあげようとした。

 傍にいても問題ないと判断した王子様に預けたのだ。キャスパリーグが人の善性に触れる人間(モデル)として最適な人選だと見込んで。いつか限度が来る前に、導いて上げればいいと思い上がって。

 だけどボクは女神エリウにしてやられ、ひどく脆くなって。過ちを犯した。

 ――彼の事しか視えなくなっていた。視る気もなかった。それ以外の全ては雑事に過ぎなくて、視るに堪えない雑念と化したんだ。だからボクの眼は節穴になってしまったのかもしれない。

 定期的にキャスパリーグの様子を確認しているつもりだったのに、キャスパリーグの限界点を見誤った挙げ句、最愛の人を死なせてしまった。結果的に息を吹き返してもボクの咎が消える訳じゃない。

 笑うに笑えない、救いようのない視野狭窄だ。ボクは赦せなかった。

 自分自身の愚かしさを。ボクの王子様に寄り添って生きていけると思っていた蒙昧さを。

 あの時死んでしまった彼。辛うじて蘇生の間に合った彼。血の気が引いた……生きた心地がしなかった。世界から色が消えて呼吸の仕方を忘れるほどに絶望して――なんとか生き長らえた王子様に謝り罪を償わせてほしくて、見捨てないでと懇願したくて。

 けれどそんなボクを、ボク自身と同じ様に妖姫もまた赦さなかった。

 

「ガイアの怪物を我が愛息に引き合わせた罪は重い。妾の忍耐が尽きる前に疾く失せよ、人にも魔にも成る事の能わぬ端女よ。さもなくばその五体を八つ裂いて、豚の餌にしてくれるわ」

 

 眠り続ける彼を見守る事もできない。追放されたボクに成す術はない。弱ったボクにモルガンへ対抗する術も、出し抜く力もなかったから。それでも彼に逢いたくて、逢えないならせめて償いたくて。ボクは彼の無事だけを祈って、贖罪の旅に出た。

 彼の折れてしまった剣を修復できる名工を探し出し、彼の手により馴染む物へ改造するように要請した。湖の精霊達に会い、忌避していた双子の弟に会って、各地を流離って策謀の根を張り巡らせた。

 全ては、彼が無事に眼を覚ましてくれた後に、彼の助けとなるように。

 夜を過ごす寒さに震えた。触れられない想いに涙した。交わせない情が恋しかった。愛にも欲があるのだと痛感して心が軋む。焦がれ、焦がし、恋と愛と欲の三重奏で頭がトンでしまいそうだった。

 

「――忠告しておこう。個人に執着してしまった時点で君の物語は完結してしまった。終わりが見えてしまっている、それも最悪に近い形でね。君にはもう彼の行く末を見守る術がない。今の内に手を切る事をお勧めしておくよ。……それが嫌なら芽を遺すんだ、いいね」

 

 兄を自称する弟に予言されたボクは笑ってしまった。

 そんなこと――とっくの昔に識っている。

 弟が何を言わんとしているのかなんて分かりたくもない。識っていても認める訳にはいかないのだ。だって、だってボクは、まだ何も返せていない。彼から受けた恩義と、与えてくれた愛に何も報いれてないんだ。誰がなんと言おうとボクだけは報恩の成就を認めない。

 ボクは彼から与えられた感情エネルギーのお蔭で飢えずにいられている。彼のお蔭で生きていられる。彼の感情エネルギーは膨大だった。二年間――彼が王位を継ぐまでの間、ボクは少しも飢える事がなかったのだから、その巨大さは途方もないものだと判じられるだろう。

 ボクが抜いてあげないと、いつかは破裂する。――それは思い上がりだ。

 モルガンにも夢魔の女王としての力がある。余剰エネルギーを排出させるのはお手の物だろう。それに巨大な感情はそのまま情熱になる。周囲に波及するカリスマ性にも。心の大きさは不思議と他者にも伝わるのだ、モルガンはそれを知っていて放置していたのだろう。

 

 彼が、王になった。その一事で彼が目を覚ました事を知った。

 

 それまではずっとモルガンが彼の体を操作していた事ぐらい察しがつく。そしてモルガンは意識のない自分の子供を王にする事はない。目を覚ました彼が混乱してしまわないようにする為に。

 だから彼の登極は意識の覚醒を意味すると察しがつく。

 会いたい。会いたくて堪らない。だけどそれは無理だろう。ボクには彼へ会いに行く資格なんてないし、そもそもモルガンがボクの接近を認めるはずなんてなかった。

 

 彼は二十歳で王様になった。きっとたくさん苦労するだろう、たくさん苦悩するだろう。だけどボクは助けてあげられない。苦楽を共にできない。それが寂しくて、悲しくて、無念だった。

 彼はきっと忙しい中でも時間を縫ってボクを探してくれている。旅の騎士が多くなっているのを見掛けていたから、きっとそうだ。でも見つかる訳にはいかない。見つかりたくなんてない。

 だって――()()()()()()()()()()()

 体が重い。肌が皺に覆われて、加速度的に老化していく。まるで若い時期が終わり、老境に入るや寿命が尽きようとしているかのように。こんな醜い顔と体で、ボクの王子様に会いたくなかった。

 せめて、彼の記憶の中の、若いままのボクを覚えていて欲しい。そう願う。

 

(――まったく。してやられたよ。全部、キミの仕業だったんだね)

 

 老化していく体を見て、隠された真実にボクはやっと気づいていた。誘導されていた思考、利用されていた現実、その全てに今更気づき、妖姫の悪辣さと周到さに笑いだしてしまいそうだった。

 ボクは夢魔だ。人じゃない。だから人のように老化したりはしない、不老の身だ。そんなボクの体が老化するという事は――ボクの体が作り物の人形だった証だろう。

 自惚れみたいで嫌だけど、ボクは最高位の魔術師だ。ボクにそんな事ができて、高度なホムンクルス製造技術を持ち、ボクの思考を操り、呪い、利用してしまえる存在なんて一人しか知らない。

 

(モルガンめ……)

 

 恨めしく思う。よほどボクの事が嫌いで、憎いらしい。ボクを苦しめる為だけに人の心を教えて、人に寄せて。散々に利用し、ボロ雑巾のように捨てる。見事と言う他にない。脱帽だ。

 現にボクは今、苦しくて辛くって泣いている。こんな想いを抱えて生きていくのが人間なのだとしたら、人の精神に寄生して生きる夢魔としての生の方が遥かに気楽だった。

 

 だけど、たとえ魔女の掌の上だったとしても。ボクと彼の抱いた愛だけは本物だ。

 

 弟は、()()()()と言った。それは恐らく、()()()()()()()()()()()()()()()()()弟の出来る、せめてもの忠告。ギリギリで契約に違反しないグレーゾーン。

 ボクは重い体を引きずる。老いて衰えた体を酷使する。このままじゃ終われない、終わって堪るかという意地があった。もうすぐ魔術回路も枯れる、そうなるといよいよもってお仕舞いだ。モルガンの手口から言って、ボクが老いて事切れる前に刺客が来る。確実な処分を目論んで。

 その前に、その前に――見つけ出し、確保していた宝具に細工を施そう。それだけが、ボクに出来る最後の足掻きだ。ボクは洞穴の中、岩壁に背を預けて独語し、懇願する。

 

「頼むよ――()()()()()。幻想に遺る意志の残り香。どうかボクを、助けておくれ」

 

 神話礼装・栄光の残り火(マルミアドワーズ)を胸に掻き抱く、無力となったボクの前に刺客は現れた。

 ()()()()()

 その安堵に、ボクは微笑んで――抵抗も儘ならないで心臓を貫かれる。

 それで終わり。これが、終わり。

 ひどく味気なく、呆気ない終焉で。

 ボクという意識が断絶する、最期の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

 遥か未来にて発掘され、史料として取り上げられる英雄詩に名高き獅子王の謁見の間にて。上座に在る青年王が玉座の肘掛けに肘をつき、頬杖をついた格好で下座へと凍てついた目を向けていた。

 

 ――獅子王とは正式な君主号ではない。だが多くの者が畏敬と親しみを込めて呼ばう通称としては一般的なものになっている。黒衣の王も獅子王なる通称を耳にしても目くじらを立てなかった。

 大事なのは名ではなく実、然れど名も軽んじる訳にもいかないのが王としての体面。だが侮られているのではないのなら、一々神経質に咎めるのもまた無粋であると王は寛大さを示しているのだ。

 

 両脇に列をなすのは文武の百官。黒王が即位してより二年、もはや諸卿へ王への侮りはない。どれほど武勇に長けようと、王としての手腕は如何ばかりかと見定めていた者達も認めている。

 この青年王は文武に秀でた傑物であると。王を侮り試す者など消え去った。尊崇の念を以て主として認め――故にこそユーウェイン王が醸す絶対零度の眼差しに、諸卿は緊張を隠し切れずにいた。

 

 知に秀で、治に優れ、地を正す王。それのみで以て賢君の誉れも得た獅子王である。青年の姿でありながら威厳に溢れた佇まいだ、睨まれたのなら背筋を正し冷や汗を浮かべてしまうだろう。

 獅子王の真に傑出したるは神域の武勇である。

 如何に先進的で開明的であろうと、人智に留まる施政の手腕は理解が及ぶ。しかし彼の剣腕は人智に収まるものではない。剣を執れば単騎で国を制圧せしめると謳われる獅子王の威圧を受けたなら、精強な騎士ですら腰砕けとなって平伏するだろう。

 王の武技がどれほどのものかと、立ち合いを望んだとある騎士との決闘を、いい話の種になるとして貴族階級にある者の多くが観戦したいと望んだ。そして特別に観覧を赦された者達はそこで目撃した。剣とは名ばかりの異次元の理を魅せられ、理解不能の烙印を押したのである。

 

『人間とは有史以来、最も同種を殺し続け、如何に効率的に人間を殺すかについて研究してきた生命体である。その研究成果をこそ武術と称するのだが、獅子王の剣技はその研究から逸脱した魔剣だ。私の技は人の理に属する、故に人の理を超越した魔剣に及ぶべくもない』

 

 ――後年。その者こそ最強なのではないかで持て囃された騎士は、斯くの如くに語り最強の称号を辞退した。曲がりなりにも最強と目された騎士が、獅子王の剣技だけは真似も出来ぬと苦笑したのだ。

 それほどの武技を魅せられた故に、誰しもが獅子王に勝る者はいないと確信している。貴族ともなれば幼少の頃より最低限の武技は身につけるもの……であるからこそ、多少は技の位階を察せる。察せるからこそ剣戟の極致に立つ存在を本能的に畏敬した。

 

 故に文武百官は王の怒りを向けられた者に対して憐れみを覚える。獅子王の怒りだけは決して買うまいと誓っているからこそ。普段、怒りなど一寸たりとも見せぬ王の怒りに恐懼してしまうのだ。

 

 分厚い絨毯の敷かれた下座――王に極寒の視線を向けられているのは一人の貴婦人だ。

 

 貴婦人の名はニミュエ。ユーウェイン王からの再三の出仕要請を遂に聞き届け、罷り越した湖の貴婦人――人間ではない。精霊である。淡青のドレスを纏い、大胆に晒された胸の谷間には紅いルビーの嵌め込まれたネックレスがあった。宝石の名はスタールビー――光が当たると六条の星が浮き出る、アステリズムの宝玉だ。華やかな美貌の精霊に、これ以上なくマッチしている。

 貴婦人の異称に偽りのない、優雅かつ優美なる完璧な容姿と佇まいである。だがニミュエは黒王から射込まれる無感動な目に圧力を感じてならないのか、薄く嫌な汗を浮かべてしまっていた。

 

「言いたい事はそれだけか?」

 

 仕立ての良い黒地の衣には、金糸で象られた竜が刺繍されている。真紅のマントを金のピンで留め、頭上には月桂冠を模した金細工の王冠があった。ウリエンス国王の証たる指輪は、三百の白鴉を従える魔力がある。その証拠に彼の肩には一際大きな白鴉が留まっていた。

 腰の位置まで届く白髪を束ね、蝋の如き白皙の美貌に冷淡な表情を浮かべている。首には魔力を帯びたネックレスがあり――華美でこそないものの、王として相応しい格の高さを表していた。

 彼の右隣にはたおやかな笑みを浮かべる国母モルガンが立っている。更にその後ろには獅子王に似通った色調のメイドが、獅子王の宝剣を捧げ持つ姿勢で侍っている。頬杖をついた獅子王の背後で、そのメイドは固い表情でニミュエを見据えていた。

 

「――ええ、これだけですわ」

 

 ニミュエは平静を取り繕いながら、鷹揚に首肯する。細められた王の目に、湖の貴婦人の一人であるニミュエをして、獅子王の威圧は耐え難い圧力を覚えてしまう。

 彼女の目には、王の姿がとある王と重な(ダブ)って視えていた。こいつはマズいかもと精霊は冷や汗を掻いてしまう。来るんじゃなかったと痛切に後悔してならない。

 

 物憂げに、王は口を開いた。

 

「貴様は私の目が節穴と。あるいは裏も読めぬ痴愚であると侮っているのか」

「滅相もございません。わたくしはただ陛下に匿われている咎人の罪を――」

「戯け」

 

 一喝は、しかし静かだった。だがニミュエの口を閉ざさせる強制力がある。

 堪らず口をつぐんだニミュエに、王は淡々と裁きに至る言の葉を紡いだ。

 

「今一度貴様の論を並べてやろう。貴様は嘗て、私に侍女として仕えているオルタを自らの住処に招いた事があり、手厚く歓待してやったそうだな。しかしオルタは恩に仇で返した。貴様の元にあった宝物を盗み出し遁走したのだ。故に宝物の返還を求めると共に、咎を犯したオルタの引き渡しか、あるいは免罪に能うだけの慰謝料を要求する、と。相違ないな」

「……その通りで御座います」

「私が再三に渡って出仕を命じていたのを無視していたというのに、今頃登城したかと思えば筋違いな慰謝料の請求をするときた。その面の皮の厚さに免じて斬刑は勘弁してやろう。だがな――」

 

 王は呆れてものも言えぬとばかりに嘆息する。

 そう――ニミュエが王都に足を運んだ理由は、オルタが嘗て犯した罪を贖わせる為だ。

 一見、当然の要求であるように聞こえる。しかし王はそう思わない。

 獅子王ユーウェインは訊ねた。

 

「貴様は、私が罪人を匿う、不心得者であると。そう言いたい訳か?」

「そんな事は、」

「ないとは思えんな。貴様の論を聞くにそう言っているようにしか聞こえん」

「………」

「オルタが私の許へ身を寄せた際、事の経緯は全て聞いている。その上で私は貴様らに謝罪せず、出仕を命じ続けた訳だ。私が真にオルタに罪ありとしたなら、オルタを伴いこちらから足を運ぶ程度の骨は折るというのにだ。――恍けるのも大概にした方が身の為だと忠告しよう」

「まあ……! 陛下を謀るなどと畏れ多い! わたくしにそんなつもりなどありません!」

 

 本当に。いや獅子王本人を前にして、やっと謀るつもりにならなくなった、というのが正確だが。ニミュエは貧乏くじを引かされた思いで一杯である。後で覚えてろ姉妹共、と内心呻くばかりだ。

 ――数年前、ニミュエはまだ王ではなかったユーウェインを目にした事がある。あの時要件があったのに、ユーウェインは声を掛けた自分に気づかないふりをして素通りしてしまった。あの時の意趣返し程度と軽い気持ちだった。今は来るんじゃなかったと後悔している。

 

「貴様に構っているほど私も暇ではない、故に早々に片付けてしまおう。貴様にはオルタを陥れ私から譲歩を引き出そうとした嫌疑が掛けられている」

「それは――っ!」

「黙れ。オルタの故郷に潜伏した魔術師と共謀し、彼女が自らの住処へ来るように謀っただろう。でなければ当時十歳だったオルタのような小娘に、精霊から盗みを働ける訳があるか。貴様らの罪は二つ、オルタを故郷から追われるように謀った罪、オルタが盗みを働くように仕向けた罪だ。その二つの罪を以てオルタの窃盗罪を相殺とする」

 

 王の決定は、些か乱暴なものに聞こえるかもしれない。だが――真実だ。

 オルタナティブからオルタに縮めて名乗るようになった侍女は、二年前、故郷をマーリンの謀によって放逐されてしまった。そして湖の貴婦人の住処に流れ着くように誘導を受け、差し出すように置かれていた財宝を盗み出してもいる。その真意はオルタを護るため……。

 オルタを獅子王に保護させねば護れぬと判断したマーリンの策略である。この事はマーリン本人と秘密裏に接触した使者が裏付けを取っていた。何から守ろうとしているのかは不明だが、だからこそ獅子王はオルタを保護したまま帰らせず傍に置き、意図していなかったとはいえ侍女として働くのを渋々認める事になったのである。

 

 でなければ――とっくの昔にオルタを帰らせていた。断じて忙しさにかまけ先送りにしていたわけではない。

 

「貴様と共謀していた魔術師に真意を聞き出している。今更虚偽を働こうとも無意味だ」

「――あんの男ぉ……! そんなことわたくしに言ってないじゃない……!」

「故に。貴様には一つ、罪が残ったな」

 

 マーリンが獅子王の使者と接触した事など報されていない。ニミュエは怒りを溜めるも、獅子王からの指摘に顔を青ざめさせた。

 

「オルタに纏わる罪は彼女の罪と相殺し不問とするが、貴様が私に対して働いた不義は罰さねばならん。王より不当に譲歩を引き出そうとした罪は斬刑に処すに値する。――選べ。私を直々に湖の精霊の処刑に出向かせるか。或いは我が国へ無償奉仕を十年行うか。二つに一つだ」

 

 精霊であろうと罪は罪、罰は罰だ。個人としてはおおらかであろうと、王としてなら厳格に当たらねばならぬ。王が舐められる事は国の鼎の軽重を問われるに等しい、軽い罰で許すわけにはいかない。

 故に、殺さねばならない。好むと好まざるとは別に、厳罰に処す。それが王としての義務だ。貴婦人は青い顔で押し黙る。獅子王の強さは、矮小な人間に理解は及ばずとも、精霊だからこそ真に迫るほど理解が及んでいた。あの旧神の複合神性、巨神を討ち果たすような英雄に、極刑を言い渡された精霊の絶望感たるや凄まじいものがある。ニミュエは後者を選択するしかなかった。

 以上を以て、湖の精霊達は無償奉仕を行う運びとなる。王としてのユーウェインは満悦だ。これで引きこもり共を好き放題働かせられるのだ。私人としての趣味嗜好、思想よりもその結果を喜ぶ。

 

「――次」

 

 下がらせられたニミュエはがっくりと肩を落としていたが省みる事はない。

 彼女に代わって進み出てきたのは騎士である。

 壮年の男だ。騎士階級の者から絶大な支持を集める王への謁見。騎士は緊張に貌を強張らせているも、彼は騎士ではあるが高位爵位を預かる身でもある。騎士が恭しく礼を取って跪く様は絵になった。

 

「第二騎士連隊の長、ウォルフレッド伯爵、罷り越してございます」

「ウォルフレッド伯。それともサー・ウォルフレッドと呼ぼうか」

「此度は諸兄を代表して参りました」

「ふむ……」

 

 兜を除いた全身甲冑を纏って、騎士の装いをしている伯爵の言を受け、ちらりと獅子王は居並ぶ百官を一瞥する。するとソッと目を逸らす面々に王は嘆息し、顔を前に戻した。

 伯爵が貴族位にある者達を代表してまで謁見を望む。面白くない案件である気がして王は物憂げな気分になってしまった。だが聞かない訳にもいかない。

 

「ではウォルフレッド伯。貴公は如何なる儀を以て奏上せんとする?」

「は。陛下におかれましては是非我らの願いを聞き届けて頂きたく」

「願い?」

「王妃を娶られませ。妃のおらぬ王というのも、国としての体面に差し障りがあるかと」

「………」

 

 そらきた、と王は思った。いつか来るとは思っていたが、面白くない話だ。

 気分が沈むのを感じつつも無視は出来ない。王妃のいない国、即ち後継者のいない国だ。国を想っての奏上は聞くしかなかった。が――ちらりと見た国母は微笑むばかり。

 我が子が王となって以来、母は何も意見をしなくなっている。それどころかなんの手伝いもしていない。ただそこにいるだけだ。王の成長を願っての事なのだろうが、もどかしい思いはある。

 

「こちらに適齢の令嬢のリストをお持ちしました。いずれも家格、容姿、教養や性格など陛下の妃になっても不足のない方々。どうか陛下、なにとぞ王妃をお決めになってくださいませ」

 

 なんとなく面白くなさそうな侍女。王は意にも介さない。

 だが、獅子王は何度目かの溜息を吐いた。

 

「……気持ちは嬉しいが、それは不要だウォルフレッド伯」

「――と、申されますと?」

「私の婚約者は既に決まっている。公表はまだしないが、折を見て発表する時は来よう。わざわざリストを纏めてくれたのは嬉しく思う。貴公の忠誠も共にな」

「畏れながら。陛下の婚約者とは何者でありましょうか?」

「機密だ」

 

 当人である自分も知らないのだから教えられない。流石にそろそろ教えてもらわねば困るというのに。敬愛する母だからこそ今まで急かさないでいたが、もう待てない時期に来ている。

 獅子王は現在二十二歳だ。これで未婚であるなどと、良い物笑いの種にしかならない境遇である。王は重苦しく言ったきり口を噤み、その様子にウォルフレッド伯は残念そうにするが、単に返すべき答えを持ち合わせていない故の事だと弁明できない。

 

「では、陛下。もう一つ臣の願いをお聞きください」

「構わん。立つといい、ウォルフレッド伯。忠臣たる貴公の願いとなれば、多少は融通を利かせるように努力しよう」

 

 ウォルフレッド伯の言葉に王は頷いた。彼からの厚意を無下にしたばかり、聞かざるを得ない。ウォルフレッド伯は有り難き幸せと口上を述べて立ち上がると、丁重な物腰で願い出た。

 

「当国の同盟国、オークニーの者を我が従者として迎え入れました」

「聞いている。その件に関して許可は与えたはずだ」

「は。その節につきましては寛大にもお許しくださり感謝しております。ところが、です。つい先日知り得たのですが、我が従者となった二人の少年は、実は陛下に縁深い者だったのです」

「私に?」

「左様にてございます。将来我が国の騎士として取り立てて頂く為に教育を施しておりましたが、陛下に縁深きとなれば我が手元に置く訳にもいかず、叶いますれば陛下のお傍で行儀見習いとして頂きたい」

「……となると、その者らは偽名を名乗っていたという事だな?」

「陛下に縁ありとして特別扱いをされぬ為でした。ですのでその事に関してのお咎めは……」

「良い。貴公が私を謀った訳ではない。その者らも公平な扱いを求めてのことだったのだろう。お咎めなしとはならんが、軽い処罰を下した後に恩赦を与える」

「おお……!」

 

 感動したように目を輝かせるウォルフレッド伯だが、大袈裟に思えて王は苦笑してしまう。

 

「で、その者らの真の名はなんだ? 私に縁があるというなら、私にも覚えがあるはずだ」

 

 王がそう訊ねると、忠義厚きウォルフレッド伯は胸を張って報告する。

 その名に、王は目を見開くこととなった。

 

「――ロット王の子息にして、陛下の異父兄弟たる、ガウェインとアグラヴェインと申します」

 

 それは――後に鉄の宰相として王の治世を助ける者と、日輪の騎士として王の双剣の内一振りと称される者の名であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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  • 慈悲はない(無慈悲)
  • 慈悲はある(あるだけ)
  • さよなら、天さん…!

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