獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
柔らかいものを抱き締める。
微かに掛かる吐息は蜜のようで、鼻孔を衝く香りに脳まで溶けそうな熱を感じた。
愛しているよ――囁いた声を、まさか聞かれているとは思わなかったのか。目を開けて微笑むと慌てたように藻掻いて、意地悪しないでと文句を垂れてきたものだ。
だから、照れくさいながらも返事をした。俺もだ、と。すると途端に真っ赤になって押し黙る様が、余りに愛おしかったから。青年は女を抱く腕を固定して、意地でも手放すものかと抱擁した。
眠れぬ苦しみに心を灼かれる女を癒やしてやりたくて。彼女を縛る呪いを、母の不興を買ってでも斬ってやろうと思った。巨神との死闘の最中に開眼した境地でなら斬れると感じたから。
故に離別を覚悟なんてしていなくて。腕の中から不意に消えていく女に、驚いた。
(待て、行くな)
慌てて腕に力を込めても、幻影だった女を引き止める事は叶わない。
ガニエダ――女の名を叫んでも意味がなかった。
突如立ち込めた霧に呑まれていく女を、手の中に閉じ込めておく事も。女の行方を知る術も。何もない。行くなと叫んだ青年の愛の行方は、霧の中に紛れて。一寸先も見通せない闇へと愛は消えた。
(俺を一人にするな、ガニエダ――)
† † † † † † † †
目を覚ます。
何か――嫌な夢を視た気がした。
途方もない喪失感で、胸の真ん中に穴が空いたような錯覚がある。倦怠感を招く矢で手足を射抜かれて、動けなくされたような。そんな鉛の重さが頭の芯に突き刺さり、毒の錆が生じた痛苦に蝕まれる。
重い瞼を開いても眼球は像を結ばない。掠れた視界は、瀕死の肉体が積み上げた疲労によるものだろう。慣れ親しんでしまった塗炭の苦しみだ。全身が異常を訴えているが、最早どうとも思わない。
だが異物感がある。腕の中に、誰かが居るのだ。ガニエダ――? 言葉にならぬ掠れ声で呼んでしまうも反応はない。怪訝な思いは、諦念に取って代わった。ガニエダがいるはずもないのだ。
「ご、御主人様……起きられましたか……?」
「………」
耳に入る声。それで、ユーウェインは腕の中に誰がいるのかを悟った。
抱き締めてしまっていた華奢な体はオルタの物。ユーウェインと似た蝋のような肌を羞恥の色で染めた少女を、重い腕を動かして解放する。するとノロノロと身を離した乙女は乱れた衣服を直した。
億劫な気分のまま身を起こしたユーウェインは、死人のような貌で気力を充填する。ややあって漸く気力が微増するとユーウェインは掠れた声を発した。やっと意味を判じられる言葉を紡げたのだ。
「……すまん」
それ以上はまだ何も言えない。体にのしかかる疲労はそれほどまでに重く、本来なら死んでいる体を無理に駆動させられている現在は、それだけで奇跡的な状態であった。
主からの謝罪に、咳払いをしたオルタは平静を取り繕う。二年以上ずっと傍にいて、以後はメイドとして侍っていたのだ。完璧に彼の人となりを理解したとまでは豪語できないが一定の理解はある。
オルタは思う。この御方はとても傲慢だ、と。
何故かは知らないが、自らの認めた者以外を見下している。いや……見下しているのではない。恋多き者を侮蔑し、いたずらに力を誇示する暴力を嫌悪して。罪を犯す者を憎んでいるのだ。
だからこそこの御方は自身を標とし、人が自らの理性に殉じる尊さの手本へなろうとしている。その様はやはり、傲慢であると糾される在り方だろう。遍く人々の指標になれる者は人ではないのだから。
故に、それはあるべき反動なのかもしれない。この御方は傲慢であると同時に、ひどく寂しがり屋でもあった。
孤独なんだよ、ユーちゃんは。以前ニコールがそのように溢した。陛下は孤高であらせられる。ニコはそのように呟いた。地位や生まれではなく、その魂の在り様が。そして二人は言っていた。この王を支えたいのなら、従うのではなく寄り添っていくしかない、と。
オルタはそれが正鵠を射た評だと感じている。そう感じられるようになっていた。
「お気になさらず。御主人様の安眠の助けとなれたのなら、寧ろ望外の歓びです。抱き枕をご所望とあらば、以後その大任を完璧に遂行してみせましょう」
「………」
幽鬼のような顔色で、ユーウェインは寝台の縁に座り、脚を床に下ろす。
裾の長いスカートを翻し、衣擦れの音や足音を最小に抑えたオルタが窓に寄り、カーテンを開いて朝日を寝室へ差し込ませた。王は太陽の日を浴びている時だけ気分が良さそうになるからだ。
勘違いではない。その証拠にユーウェインは、オルタの言に遅ればせながら返答した。日に当たらねば今少し会話が出来るまでに回復するのが長引いていただろう。
「……不要だ。小娘を抱いて寝るなど、俺の沽券に関わる醜態だろう」
至極尤もで真っ当な返事である。分かりきっていた答えでもあった。であるのに、やや残念そうな面持ちになるオルタに――しかし眠りから覚めたばかりのユーウェインでは気づけない。
鈍感であるとか、そうでないとか、そんな矮小な問題ではなく。実に単純な話として、人の心の機微を察せられるほどの余裕が、今のユーウェインの側に微塵も存在していないだけだ。
オルタはユーウェインを人として好いている。男女の恋以前に、だ。純粋な意味で敬愛に値する人間として、これ以上は有り得ないと思うほど。そしてそうであるからこそオルタは想いを秘した。
「それより言葉遣いと態度は崩せ。プライベートでまで肩肘を張られたのでは気疲れする」
「む……」
メイド長ニコは講師としても有能過ぎたようで、メイド服に身を包んでいる時は、オルタの意識が常にメイドのそれに染まっている。完璧なプロ意識の刷り込みだ。
メイド服とは制服ではありません、戦闘服です――とはニコの言葉である。常在戦場の心構えでメイドの職務に当たるよう徹底されてきたオルタは、しかし完全にメイドの在り方に染まるでもなく、自由気儘なお転婆娘としての奔放さも残していた。
「……これでいいだろうか、ユーウェイン様」
張り詰めていた雰囲気を緩和させ、やや姿勢を崩したオルタにユーウェインは薄く笑む。
それでいいと頷いた青年は窓際の安楽椅子に移ると、短い時を日光浴をして過ごす。その間にオルタはユーウェインのレシピの通りに作ったサンドイッチを運び、安楽椅子の傍まで卓を引いた。
紅茶を淹れる。その後に自分の分まで用意して、パクリと食べた。
その様子をユーウェインは気にせず無言で眺める。和やかで静かな時間が流れ――完全に動き出せるようになったユーウェインが、自身のサンドイッチに手を伸ばした。
「まずまずの味だな」
その評価に、オルタは唸る。
「ユーウェイン様の味にはまだ遠い。もう少し雑味がほしいのだが、雑に作ったのでは寧ろ不味くなる。旨さを残したままの雑味をどう生んだら良いのか、いまいち分かりかねるな……」
「一般的な味を追求するべきだ。余分な味を無理なく調和させたいなら、一つの味を極めてからにした方が良い。食も剣も同じ理屈だ。何事も王道を知らねば、邪道を極める事など叶わん」
こんなところで普遍的な極意を説かないでもらいたい。危うく聞き流しかけたオルタはそう思うも、日常会話の中で唐突に含蓄のある言の葉を紡ぐ青年らしいと微苦笑させられてしまった。
時に雄弁だが、沈黙の内に流れる空気も楽しむユーウェインである。オルタもまた口数の多い方ではないため、他に居合わせた者が居なければ交わされる言葉は多くない。
横たわる沈黙と、小さな咀嚼音。
やがて朝の軽食を済ませたユーウェインは立ち上がり、自分一人で王としての衣を纏う。本当ならメイドとして着替えを手伝うべきなのだが、やるなと言われてしまえば手出しできない。
月桂冠を模した金の王冠を被り真紅のマントを羽織る。指輪を嵌め、愛刀を佩いた。そうしながらユーウェインはオルタに訊ねた。
「――今日の予定は?」
王としての声音。意識を切り替えたオルタが滑舌よく、聞き取りやすい語調で応じる。
「行儀見習いとして陛下のお傍に侍る事となったガウェイン、アグラヴェイン両名の指導。これのみでございます」
「ん……? シェランの経過はどうなっている」
「シェラン卿は麾下のベルセルクル騎士団の指揮の下、王都の下水システムの施工を完了し、一月の休暇を送る事になっております」
「ニコールは?」
「ニコール殿は陛下よりのご依頼完遂の為、サクソンのサセックス王国へと侵入。諜報に当たっております。後詰めのために侍女長ニコを連れて行かれたので、侍女長も不在です」
「……ウォルフレッド伯」
「騎士隊の練兵、王都の警邏、郊外の見回り等、常の職務を遂行中との由」
「フェイル」
「シェラン卿の奥方の指導の下、魔獣の家畜化も順調です。やはり魔猪の類いが最も家畜に向いており、順調に数を増やせているとの事。現在は大量増産の下準備として、他の都市部へ家畜を行き渡らせ、飼育する環境を作る段階に移行している模様です」
「エスプレッソ侯、アイルザ伯、サー・キシミック、パトラ嬢、ニミュエ」
「それぞれの指導の下、識字率の底上げに邁進しております。一番人気は湖の乙女達が教鞭を執るデュ・ラック教室ですね。美しき貴婦人達目当てに、文に興味を持たぬような方も押しかけています」
打てば響く鐘のように明朗な答えが返ってきて、ユーウェインは沈思した。
外交の案件は今はない。内政に纏わるものも、今は作業効率を上げる為に座学による修学を進めている最中。軍事教練や治安維持はウォルフレッドに任せているため口を挟む気もない。
一通り考えたユーウェインは困ったように眉を落とした。仕事がない――良い事であるのにどうも落ち着かない心境だ。仕事、仕事、仕事、と。他に何かないかと熟考しても心当たりがなかった。
ギルドの設立は、冒険者ギルドだけは作れたが他はまだだ。今後人が育ったなら取り掛かれるもので、今は不可能であると断じている。故に冒険者ギルドのみ稼働中であった。
難民や貧民に仕事を与えるギルド。近隣の地図の作製やら、雑用を主とし。旅の騎士などが遠方の地図を造り、或いはユーウェインの依頼で人探しもしていたりする。
仕事が、ない。そんなバカなと思う。ユーウェインはテラスに出て指笛を吹いた。
すると白鴉の大群が羽ばたいて集合してくる。
テラスの上空を飛行する魔鳥を見上げながらユーウェインは問い掛けた。王の目となり耳ともなる魔鳥の報告を思念で受け取る。不審な人影は? 無し。重大な犯罪は? 無し。ガニエダは? 無し。
ユーウェインはこめかみを揉む。それから、思い出したようにオルタに問を投げた。
「……名工ブリーイッドの進捗は?」
「高機動型大広間エハングウェンの完成率は八割に達したとの事ですが、現在陛下の勅命により『地球、惑星、星、天空などの宇宙の縮図を示す完全な円、第三の卓』の作製を優先しているようです。ただこちらに関しては高度な魔術的な知見が必須であるため、遅々として製作は進んでおらず、国母様かブリテン王の宮廷魔術師の助力を請いたいとの事」
「母上にはこちらから話を通そう。マーリンには使者を出せばいいか。ブリテン人勢力の各王が一同に介し、団結する為の象徴としての卓を作ろうというのだ。まさか断りはすまい」
仕事の話をしたら心が安定する気さえしてくる獅子王は、完全にワーカーホリックに陥ってしまっていた。仕事とは最早人生であると言わんばかりで、痛ましい思いに駆られるオルタである。
痛ましい思いに駆られているのはユーウェインもだ。オルタが完璧なメイドになってしまっている。まだ十二歳なのに。まだまだ子供らしく遊んで、親元で愛されて過ごせる大事な時期のはずなのだ。
代わりに精一杯保護者としての愛情を注いでいるつもりだが、どう足掻いてもユーウェインは王としての己を優先せざるを得ない。オルタを何から守り、保護していなければならないのか――マーリンはその点に関しては何も言わなかったという。言えよと毒吐きたい気分である。
敵の正体さえ分かれば、なんとかするのに。ユーウェインはそう思う。
さりとて思い患ってばかりもいられない。望むと望まざるとは別に、オルタは一流のメイドになってしまっている。ニコの代わりを務められる程度には。流石にニコほど痒い所に手が届く訳ではないが、年齢を考慮すると充分以上に有能ではあった。
(ニコールの奴め……)
なまじユーウェインの性根を理解しているからか、ニコールはオルタを働かせざるを得ないように動くのもお手の物だったらしい。彼が侍女としてオルタを押し付けてきたのである。
ゆくゆくはオルタをどうしたいのかも分かるだけに噴飯ものの所業であると感じていた。
だがオルタの才能を見たら一概に責められない。確かに彼女を使えるなら、とても助かるのは事実なのである。今はメイドだが、オルタは最終的に懐刀としてニコールと同じ様に使える。
嘆息して、ユーウェインは煩悶とした内心を抱えたまま、物憂げにオルタを一瞥する。
「……オルタ」
「なんでしょう」
「お前が成人しても俺の下で働いてくれるなら、正式に近衛騎士に叙勲する事も考えるが。どうする」
私人としては絶対に嫌だ。何が悲しくて婦女子を過酷な職場に招かねばならない。だが王としての立場にありながら、私情を優先するわけにもいかない。だから一応仕官の誘いはする。
断って欲しくはある。しかしオルタを何からいつまで護ればいいのかも解らぬ現状、断られるのも困るというややこしい事情もあった。複雑怪奇な心情で言われたオルタは虚を突かれたように固まった。
「御主人様の御意のままに」
台詞こそ丁寧だが、不遜な心根が透ける声音での返答だ。肩を落として苦笑してしまう。
「……ガウェイン達に会おう。全く……俺の周りには手の掛かる子供ばかりで頭が痛いな」
† † † † † † † †
兄上!
こちらの姿を見るなり満面の笑みを浮かべ、駆け寄ってきたのは金髪碧眼の美少年である。
同盟国オークニーのロット王、その長子ガウェインだ。跡継ぎに等しい王子を、同盟国とはいえ他国のウリエンスにまで遣わせるとは……ロット王は意外とスパルタなのだろうか。
可愛い子には旅をさせよという奴なのかもしれない。同盟関係の密接さを他国へアピールする狙いがあるのだとしたら、ロット王は強かであると評価を改めねばならないだろう。
「ケルト語の書き取りは済んだか?」
「はい! 兄上からの宿題、このガウェイン、きちんと成し遂げました!」
捧げる様に両手で持った羊皮紙を目の前で広げられる。拙い文字で書かれたそれに目を通して、兄としてのユーウェインは微笑みガウェインの髪を撫でてやった。得意げに笑みを深める様が愛らしい。
「なかなか達筆になってきたな。いいぞ、騎士にならんとするのなら、文武の双方に長じなければならん。お前は騎士としての素養が高い。努力を惜しまずこれからも励め」
「無論です。私の目標は兄上なのですから」
「よく言った。これは私もうかうかしていられんな。簡単に追いつかれたのでは面目が立たん、一層精進していこう。ガウェイン、お前も共にな」
「はい!」
尻尾があったらはち切れんばかりに振り回しているであろう、子犬のようなガウェインに笑みが溢れてきてしまう。こうして真っ直ぐに憧れを向けられ、慕われるのも悪い気はしない。
特に、父は違えど母を同じくする、血を分けた弟だ。自分の弟たち、妹たちは既に死んでいるのだろうが……嘗て疎遠だった兄弟たちの分も、ガウェイン達を慈しんでやりたいと思う。
対し……ガウェインよりやや離れてこちらを伺っているのは、黒髪黒目の厳しい表情をした少年である。名はアグラヴェイン――ガウェインと同じくユーウェインの弟だ。
こちらはガウェインと違って素直ではないらしく、ユーウェインを見る目に不信の色こそないものの、明白な緊張による硬さが透けて見えていた。ガウェインから目を逸らして物静かな弟に向き直り、柔和に微笑みかけながら手招きする。すると黒髪の弟はおずおずと近寄ってきた。
「アグラヴェイン。宿題を見せろ」
「……は。こちらです」
恭しく差し出された羊皮紙にはケルト文字が杓子定規に書き込まれている。
文字の形には人それぞれの性格が出るものだが、アグラヴェインは几帳面で神経質な気質があるのがよく解る。すべての文字の大きさと筆圧が均一で、ここまで丁寧な文字を目にしたのはケイ以来だ。
緊張している様子の弟の頭に手を置いた。ぎくりと強張るアグラヴェインの様子に、ユーウェインはガウェインに対してしたよりも、ずっと優しく撫でて褒めてやった。
「綺麗な字だ。武の才ではガウェインに譲るが、文の才ではアグラヴェインの方が遥かに優れている」
「っ……」
「(ここだけの話だ。私とお前だけの秘密だぞ、アグラヴェイン。――私は騎士よりも、お前のような才の持ち主を欲していた。ゆくゆくは我が国の宰相となり、私を助けてくれ)」
カァ、と頬を赤らめたアグラヴェインに、ユーウェインは微笑みを深める。
当たり前だが、文の才能など文字の形を見ただけで判じられる訳がない。だからお世辞がほとんどの褒め言葉であり、実際はどれほどの才能かは未知数である。
それでも敢えてガウェインとは別格の褒め方をしたのは、ガウェインが武の才能を多分に持ち合わせているのに対し、アグラヴェインの才は悪くないとはいえ超一流に届かないと思ったからだ。
変に捻くれられても困る。弟達には健やかに育って欲しい。その為にアグラヴェインがガウェインに劣等感を持ったりしないように、自分にも兄へ勝るものがあるのだと誇らせてやった方が良い。
「……兄上」
「なんだ」
「……ありがとう、ございます」
気恥しそうに礼を言ってくるアグラヴェインに肩を竦めた。
彼らを行儀見習いとして受け入れて以来、ユーウェインは二人に対して、自分を兄と呼べと命じていた。主や師としてではなく、まずは兄であると思ってもらいたかったからだ。
本当はそんなふうに甘やかすつもりはなかったのだが、アグラヴェインを見て気が変わった。
ガウェインはいい。厳しく接してもへこたれず、真っ直ぐに育てるだけの強さが彼にはある。心が強く体も強い、文句のない騎士になるだろう。だがアグラヴェインは駄目だ。
何が駄目なのか。いまいち言語化できないが――敢えて言うならこの弟は、沢山の愛を注ぎ込まれて、慈しんでやらねばならない気がするのである。この歳で乾いたような貌をし、侍女などの女全般に嫌悪を向ける様を見て。このまま凝り固まらせてはならないと感じた。
座学で知識を与え、技を教え、体を鍛えさせる。腹一杯にたらふく食わせ、気が済むまで遊ばせ健全に育てるのだ。それが一番の薬であると思う。ガウェインもアグラヴェインも、ウリエンスには来ていないが遠く離れた地にいるガヘリスやガレスも。子供は愛されて大きくなれ。
それが当たり前になる未来を作るのが、王としての仕事なのだ。
(母上)
そして。
アグラヴェインを見たからこそ、これまで盲信していた母へ、青年は不審を覚えた。
(アグラヴェインはまだ子供だ。こうまで女というものへ嫌悪を覚えるのは不自然だろう。何か仕込んでいるな……)
魔術的な仕込みはない。しかし、洗脳的な某かがある。女を嫌う一方でその反動のようにユーウェインを慕っているのだ。――ユーウェインに嫌われたくないと思っているような必死さがあった。
なぜそんな事をする? 宿題を熟した事を褒めた二人の弟を、練兵場で長距離走をさせ始めた青年は思案する。思い返せば、ここまでガニエダが見つからないのも不自然である。
ガニエダを毛嫌いし、なぜか彼女を苦しめる呪をユーウェインが斬らぬようにと諌めた。あれほどの魔女をやり込める力の持ち主はブリテンでも有数。理由は不明だが、もしや母がガニエダを――
「…………」
思考を止めた。そんなまさかと思う。――思いたい。
ユーウェインの愛した女を、まさか母が害するはずがない。
気づきかけた何かから必死に目を逸らし――しかし、気づかぬふりを続けられるほど愚かになれず。地平線の彼方からやってくる分厚い雲――破局の日が迫るのを暗示するような空模様に、青年は背を向けて目を閉じた。腰に佩いた愛刀が、微かに震動するのは、担い手の震えだ。
ガウェインがアグラヴェインを周回遅れにして走り続け。アグラヴェインは兄を見ずに自分のペースで淡々と走り続ける。
カァァ、と。一際大きな白鴉が鳴いた。遠方から飛んできたのか、疲労を滲ませている。
その嘴には――白い、しかし赤い、花が――咥えられていた。
ガニエダぁ!
-
慈悲はない(無慈悲)
-
慈悲はある(あるだけ)
-
さよなら、天さん…!