獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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お待たせしました。




50,獅子の旅々 (破)

 

 

 

 

 

 カメリアード王レオデグランスは子煩悩ではあっても、俗に言う馬鹿親ではないらしい。

 非公式な訪問を突然受けても嫌な顔一つせず騎士王を歓待し、快く船を貸し与えてくれた一方で、自らの娘が騎士王の供へ恋に落ちたと知っても嫌な顔を見せなかったのだ。

 レオデグランスは娘の急な恋に仰天していたが、彼は愛娘の熱烈な訴えに耳を傾け、頭ごなしに否定はせず、ニコールへ良ければ娘と婚約してくれないかと打珍をしてきた。

 一般的な王には執れない態度であると言える。貴種の女とは、政略の道具として利用されてしまうのが世の道理であるにも関わらず、レオデグランスは政略に有利な『清純』という風評を得ている娘の意志を尊重して、娘の恋を応援する対応をした。これは好ましい姿勢である。

 だが相手が噂に違わぬ人格者で、娘がニコールに好意的であるからと言っても、とうのニコールが必ずしも婚約を結ばねばならない道理はない。ユーウェインは口出しせずニコールの意志に任せた。

 

 となるとニコールの答えは決まっている。

 

「婚約者がいるんで無理(イヤ)です」

 

 ――清純なお姫様とかぶっちゃけ好みじゃないんでノーサンキューっていうか。輝く貌のイケメンさんの遺伝子継いでる身としちゃ愛の黒子に魅了されてる女とかマジ鳥肌立つくらいお断りというか。

 

 傭兵は本音を溢しはしなかったが、真っ赤な嘘を盾に丁重にお断りした。

 性質として自由恋愛を尊ぶユーウェインもまたニコールに婚姻を命じる事はなく。レオデグランスも決して無理強いをしようとはしなかった。それは王としても親としても間違っていないだろう。

 

 王としては、身分差を考慮し王女を他国の道化に嫁がせる醜聞を回避でき。騎士王の実質的な右腕と噂される男との深い縁故こそ得られなかったが、船を貸すという恩を騎士王に売る事ができているので気にせずともよいのだ。また親としても、大事な娘の恋を成就させられそうになくとも、別段気に病むほどでもないのが実情である。

 総じて、気軽に訪問したユーウェインの方が申し訳なくなる神対応だったと言えよう。

 しかし白い妖精(ギネヴィア)は簡単には諦めなかった。婚約者がいると言うなら証拠を見せてくださいと愚図り、ニコールへの恋を詩にするという情熱を見せつけてきたのだ。これに対し傭兵は友を頼った。

 

「頼むユーちゃんっ! 後生だ、オレを助けると思って女体化してくれ! オレの婚約者のフリをしてくれよなぁ頼むよぉ」

 

 ユーウェインは、いい加減ニコールも身を固めてもいいのではないかと思ってはいた。

 が、流石に魔貌に惹かれた女との婚姻を勧める気にはなれない。嫌がる気持ちも解る。

 が、それはそれ、これはこれだ。

 なんで俺が女体化せねばならんのだと嫌な顔をし、オルタに頼めば良いだろうと返した。変身の指輪があるのだ、別人になりすます事など容易いだろう、と。しかしオルタが「ご下命とあらば……」と言いつつ心底嫌そうな顔をした為、パワハラをする気にもなれず妥協した。

 

 本当は嫌だが、ニコールが嫌がる婚約の締結を阻止する為なら骨を折らされるのも我慢せざるをえない。青年は憂鬱そうに嘆息しつつ、偶には馬鹿になって戯れるのも良いかと了承してやった。

 生命性転の大釜(グラズノ・アイジン)の魔力で性別を反転させ、ニコールの婚約者へ擬態。氷の彫刻の如き美女、黒い妖精(キーラン・シー)と名乗って男装の麗人となりニコールの婚約者を装った。

 ギネヴィアは恋人がいるなら諦めようと、潔く身を引いたが。カメリアード王の宮廷でキーランとダンスをしながらニコールは呟いた。「ありゃ全然諦めてねぇな……」と、顔を引き攣らせながら。

 

 ギネヴィアの目は据わっていて、変わらず熱い目をしていたのだ。

 わたくし、まだ諦めておりませんわ――そう言いたげである。

 

「――あーやだやだ。これだから恋愛脳って奴は。どうしてこう、こっちは断ってんのにグイグイ来ようとするのかねぇ? 謙虚と誠実が服を着て歩いてるみたいなオレっちには理解不能だわさ」

 

 カメリアード王の国を出て、河に船を浮かべた一行である。

 船を持ち運んだのは当然ユーウェインだ。荷車盾の亜空間に格納して運んだのである。ニコールが心の底からうんざりしたように首を左右に振ったが、それに対する弁護の論が上がった。

 

「あの姫は悪くなかろう。彼女は清純で知られる白百合の如き乙女と聞く。であるなら、あの変貌ぶりは貴様の顔面が齎した気の迷い。いっそ顔の形が変わるまで殴り整形してはどうだ? さすれば貴様の顔面に乙女が惑う事もそうそうあるまいよ」

 

 反論の主はキーラン(ユーウェイン)である。彼は荷車盾――蔵から取り出した代わりの騎士服を着込んでいるが、胸元のボタンが弾け飛びそうなほど胸部装甲は豊かであり、自己主張が激しすぎた。

 すらりとした手足や白皙の美貌、鼓膜に氷柱を突き立てるような切れ味の凄まじい美声。煩わしげに腕を組んでいる女王様は苛立ちを募らせながらニコールを睨んでいた。

 

「たはっ。容赦ねぇなぁキーランちゃん。ってか女体化気に入ったの? なんで男に戻らねえんだよ」

「戻れるなら戻っているわ戯け」

「ん……?」

 

 河の畔。水面に浮かした船の前で、苛立たしそうに女王様は吐き捨てる。

 彼女の言に一瞬固まったニコールが、同じく固まっている姫騎士を横目に見る。

 ニコールの視線を受けたから、というわけではないが。オルタが恐る恐る訊ねた。

 

「……ユーウェイン様。もしや、何か不具合でも?」

「生命性転の大釜が俺の生命維持装置でもあるのは知っていよう。俺の体調と合わせて微妙なバランスの上で成り立っている状態だった訳だ。それなのに不老・治癒の他に備える別の機能を使ったせいで、大釜は女体化した俺の肉体に最適化しようとし、今男に戻ろうものなら処理落ちしてしまいかねん。簡潔に結論だけを言うと、下手に元の姿に戻ろうとすると死ぬ」

「つ、つまり……ユーウェイン様が、男にお戻りになれない……?」

「いや。グラズノ・アイジンの治癒機能が女の体に最適化し、暫くの時を置けば戻れる。だがそれがいつになるかは分からん。こんな事は初めてだからな、半月は掛かると見ていた方が良いだろう」

 

 最悪の事態を想像して青くなるオルタに、キーランは淡々と自身の状態と予測を伝える。

 するとあからさまにホッとしたオルタへキーランは微笑んだ。

 そうしてみると、ますます実の姉妹に見えるのだから始末に負えない。

 

「胸が物理的な意味で重いが――」と言いつつ胸部装甲を軽く叩くキーラン。「――女物の衣服など持ち合わせがないからな。これで我慢はしておこうとは思う。が……この姿で元の名を名乗るのも気が引ける。暫くはキーランと名乗る故、オルタは俺の妹として振る舞え。俺がユーウェインだと知られては、実は女が本性だなどと謗られかねん。頼むぞ、オルタ」

「……では遺憾ながら、姉上とお呼びしましょう」

「念の為、敬語もやめておけ。アルトリア達に接するような態度が望ましい」

「……わかり……わ、分かった……」

 

 主が女装癖のある変態との風評被害を受ける様を想像したのか。主君を姉と呼ぶように命じられたからか――あるいはその両方により懊悩を懐いてしまったのだろう。オルタは顔を引き攣らせた。

 たどたどしく応答したオルタはニコールを睨みつける。元はと言えばこの男のせいで、主君が無駄に生命の危機に陥らされているのだ。ニコールは明後日の方向を向いて口笛を吹いて誤魔化そうとしていたが、彼自身も想定外の事態だったらしく冷や汗を浮かべている。

 が、とうのユーウェイン――もとい、キーランはさして深刻に捉えていないようだ。

 長年グラズノ・アイジンを身に着けている所有者だ。この宝具の効能は完璧に把握している。大釜はもはや体の一部であり、どんなに長引いてもフランスに着くまでに戻れると確信しているのだ。

 

「ところでお前たちは気づいているか?」

 

 河に浮かぶ船に乗り込む前に、キーランがふと思い出したように告げた。

 

「先程から尾行()けられている」

 

 何気ない素振りでの物言いに、数瞬、反応が遅れる。

 だがキーランの言を理解するや、近衛騎士としてのオルタが静電気の如くピリついた緊迫感を醸し出し、まさかと思いつつ周囲の気配を探った。だが特にそれらしいものは発見できない。

 河の畔である、姿を隠せるような遮蔽物はなかった。魔術により身を隠しているのだろう。よもや先程の姫君ではと勘繰るオルタに、道化は思い当たる人物がいるのか気まずそうな貌になった。

 

「あのお姫さんじゃねぇよ、オルタ嬢。コイツぁ多分あれだ。その、あれだよあれ」

()()では分からない。はっきり明言してはどうだ、ニコール殿」

「……ニコだよ。オレの妹」

「先生だと? 先生ならどうして隠れて尾行している」

「さぁな。オレもニコの奴を旅行に誘ったんだが、ユーちゃん――もといキーランちゃんの慰安旅行に同伴するのは畏れ多いってんで、出しゃばりなオルタ嬢に傍役を任せて影に徹してんだろ」

「………」

 

 ニコールが言うと、たらり、とオルタの頬に冷や汗が伝う。

 オルタのメイドとしての恩師、侍従(メイド)長であるニコに懐く苦手意識は強かった。出しゃばりと言われてみると確かにその通りで、帰ったら小言をもらいそうで嫌な汗を掻いてしまう。

 しかしキーランは首を傾げた。気配のみで特定は叶わないにしろ、なんとなく違和感のようなものを感じるのだ。本当にニコなのか、という。だが深く考え込みはしなかった。ニコールが言うのならそうなのだろう、と。敵意に類する悪意はない、こちらを害する気がないなら誰であろうとどうでもよかった。

 

「それでは行こうか。帆は張らずともいい。潮の流れを操れば、無駄な労力を掛ける必要はなかろうよ」

 

 ラムレイやパッスランドを先に船へ乗せ、一行もまた乗り込む。

 水流を操る力も有する奇跡の短剣を振って、キーランらは優雅な船旅に移った。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

(………)

 

 陰ながら一行を追尾する影の者は、麗しき騎士王の気配の揺らぎを感じ取り苦笑する。

 この身を基点とした結界を十重二十重も自身に貼り付け、気配や魔力、衣擦れや足音、移動の痕跡となる大気の揺れを自然なものとする幻術を纏っているというのに、いとも簡単に察知されるとは。

 流石は幻想の終着点。神秘の極点に至りし騎士の王。妖姫の創り出した最高傑作たる『妖精の騎士』である。()()()である我が身では、()()()()()の軛からすら脱した超克者は欺けないらしい。

 やはり影に徹する他にない。目的はあくまで警護であり、王の溜め込んだ心の波が破裂してしまわぬガス抜きである。慰安旅行の邪魔立てをするつもりは寸毫ほどもなかった。

 

(む……?)

 

 しかし影の者は予期せぬ幸運に見舞われる。流れゆく船を密かに見守っていると、彼らに接触する者が現れたのを見つけたのだ。

 純然たる偶然だ。狙ってなどいなかった偶発的遭遇。オリジナルのやり残した仕事――()()()()()()()()――そのために欠けていた素材となり得る最後のピースを見つけ出せたのである。

 

(くっ……ハハ……いつかは、とは思ってはおったが……その()()()も存外早くなるやもしれんな)

 

 胸中にて独白し、喜悦に相貌を歪めし者の名は()()()()()

 妖精エリウを基に創り出されし()()()()()()()――これまでオークニーのロット王の妃にして、ガウェインやアグラヴェイン、ガヘリスとガレスの母という役回りを熟してきたキャストだ。

 今、モルゴースは王妃ではない。モルゴースはオークニーの宮廷より去り、勅令により封じ込まれたオリジナルの謀を引き継いだ。全ては妖姫の画策した策謀の為――妖姫の影(モルゴース)は暗躍する。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲェァッハハハハ! 貴様の妹の命が惜しけりゃその剣を捨てろぉ! えぇおい? でねえと貴様の妹の可愛いお顔に傷が付いちまうぜぇぇぇッ!」

「す、すまない、姉上……! 私が不甲斐ないばかりに……!」

 

 船上である。

 ニコールに背後から拘束され、喉元に短刀を突きつけられたオルタが悔しげに言う。

 明らかな三下口調で恫喝するニコールの前には、白刀を握る黒い妖精(キーラン)の姿があった。

 人質に取られた妹に、姉は臍を噛みながら言う。

 

「くっ……殺せ!」

 

 あたかも苦渋の決断を下したように、キーランは賊に扮した赤毛の男に歩み寄る。

 それを見てニコールは慌てた。()()()()()()()()

 

「ちょ、待て待て! なんで剣を捨てねぇんだよ!? コイツが見えてねぇのか!?」

「くっ……殺せ!」

「いやそれ言えって言ったのオレだけど! なんか違う、なんか違うぜキーちゃん!」

「くっ……殺せ!」

「人質殺せって言ってるふうにしか聞こえねえ!」

 

 遂にニコールの前まで来たキーランが拳を振りかぶる。慌ててオルタを解放したニコールだが、反応が遅い。雷光の如く奔った拳がニコールの頬に直撃した。

 「あべしっ!」と吹き飛んだ男を無視し、姉を名乗る王サマは、妹にされた近衛騎士を抱き締める。頬を赤く染めた近衛騎士が擽ったそうに身動ぎした。

 

「あ、姉上……これは流石に恥ずかしい。離してもらえないだろうか……」

「言うな。まだまだ実の妹のように自然に振る舞えていないぞ。お前がキーランを、真に姉だと思えるようにコミュニケーションを取らねばな」

「む、無茶を言う……」

 

 抱き締められたままのオルタは極めて複雑そうである。

 だが困り果てているオルタの内心を推し量る事をキーランはしない。というよりできない。女になってしまってはいるが、心までも女になっている訳がなく。姉妹という設定で通す為に役作りをしている最中であるが、何をどこまでやれば姉妹らしく見えるのか解らなかったからだ。

 ニコールの発案した、下らない三文芝居に乗ったのも、キーランがオルタとの距離感を測る為であった。そうでなければ、妙に気恥ずかしくなってしまう台詞(くっ殺)を口にする事はなかっただろう。

 

 抱き締めたままの小柄な少女騎士を見下ろす。やはり、キーランとよく似ていた。声までそっくりな気がする。容姿は似ているのだから無理に姉妹感を出そうとしなくても良いかもしれない。

 おずおずと見上げてくるオルタと目が合うと、少女は赤面してしまう。やはり元の姿と性別を知っている以上、恥ずかしさが勝るのだろうか。身体的接触も控えた方がいいのだろうが、そうすると仲の良い姉妹というものをどう表現したらいいのか見当がつかなくなる。

 しかしこれは立場を笠に着て、相手が断れないのを良いことに、強引に抱擁している事にならないだろうか。そう考えると不用意に触れるのは、やはりやめておいた方が無難だろう。

 

「……なに二人で見つめ合ったまま固まってんだよ」

 

 起き上がったニコールが呆れたふうに口を挟んでくる。

 

「ってかキーちゃんよ。今のはあくまでキーちゃんに対して、あくどい奴が人質を取った場合、どうしたらいいか検証する為のもんだって言ったろ? キーちゃん相手に刺さりそうな戦法は人質作戦っぽいんだし、対策を立てる意味でやったんだからもうちょい真面目にだな……」

「いや俺――もとい私が人質に屈しては話にならんだろう」

 

 苦言を呈されて、キーランはオルタを離してニコールに向き直る。若干残念そうな声を上げたオルタに怪訝な気持ちを覚えつつも、キーランは至極真面目に反論した。

 

「王が臣下の為に自らの身を差し出すなど言語道断だ。あの場合、私は人質を見捨てるしかない。想定するだけ無駄なケースだぞ」

「そりゃ王様が脅しに屈するとか論外だけどよぉ……」

「陛下――ではなく姉上の言う通りだ。試しに演じてはみたが、ニコール殿、貴殿の提案は破綻している。姉上の取り得る選択肢は最初から決まっているのだからな」

「オルタ嬢よ。現実ってのは何事も道理や合理で押し通せるもんじゃねぇぜ? 実際にそういう事態が起こった時に、最善の策を執り続けられるほど人間ってのは簡単じゃねぇのよ。どう取り繕ったところで結局は感情の生き物なんだからな、人間って奴は」

「尤もらしい事をほざいているが、(オレ)に戯けた台詞を言わせたのに変わりはないからな」

 

 くだらぬ雑談である。そも人質を取られようと、目の前に人質と下郎がいたのなら、キーラン相手にはなんの意味もなさないというのに。

 ニコールとて分かっているはずだ。キーラン(ユーウェイン)の視線は、意を込めてしまうと鉄板をも切り裂く斬撃となってしまう。視ただけでモノを斬れてしまう以上、人質は盾にもならない。

 大剣聖の視線の意を掻き消せる相当な気迫の持ち主を除けば、雑兵はキーランに刀を振らせる事すらできないのだ。視られただけで血飛沫を上げて死んでしまうのである。尤も視線に意を乗せるのにも相応の体力を使ってしまう為、多用できないのが不便であるが。

 

「飯にするか」

 

 マストに提げた奇跡の短剣は、万病に効く湧き水を無制限に湧かせられる、冗談のような宝具である。更には水流をも操る力がある為、船の移動に難儀する事はなかった。

 ブリテン島からまだ出ていない為、流れていく景色は地上の表情を変えていく。ブリテン人の勢力圏からは既に出ようとしている為、そろそろ最低限度の警戒はしなければならなくなるだろう。

 その前に、腹ごしらえだ。キーランがそう言うと、待ってましたとばかりにニコールとオルタは船内から椅子やら机やらを引っ張り出してくる。皿やナイフとフォークなどの食器類も。

 キーランは久し振りに自分で料理をする。ここ数年はずっと仕事に忙殺されて、とても趣味に時間を使う暇がなかった為である。他人の作った不味い料理も我慢して食べたものだ。

 自分のレシピを伝えてそのように作れとでも命じればよかったのかもしれない。が、当時は現在よりも識字率は低く、レシピを渡しても意味がなかった為断念し、今の今まで人に料理を教える事を忘れてしまっていた。雑で不味い料理に慣れてしまい、諦めていた事情もある。

 

「なんか、キーちゃんが料理してるとこ見ると、あれだな……」

「……あれ、とは?」

「美人な若妻にしか見えねえ――って危な!? いきなり聖剣で殴ろうとすんな!」

「不埒な妄言を垂れる貴殿が悪い! 陛下、もとい姉上を変な目で見るな!」

「……(じゃ)れるな馬鹿共。そんなに暇なら手伝え、そして料理の一つぐらい覚えろ。いい加減舌が馬鹿になって来ているからな、これからは飯ぐらい美味いものが食いたい。お前達に台所を任せる時が来る。特にオルタはな」

 

 暇を見つける度に戯れ合う程度には打ち解けているのは良いが、何度も諌めていると呆れが先立ってバカバカしくなってきていた。ニコールはともかく、オルタまで騒ぎの元になるのは頭が痛い。微笑ましい範疇ではあるが、オルタもまだまだ子供という事だろう。

 ――香りが立つ。肉を焼き、野菜を炒め、穀物を炊いたのだ。緩やかに移動する船から芳しい香りが流れるのは当然で。思えば温かい食事をするのも久方ぶりだなと思う。

 宮廷にいると、必要はないが毒見役を間に挟んでいる。毒の効かない騎士王だが、毒見役を立てる事で仕事を与えているのだ。そうしていると冷めた飯しか食えないのは当たり前だった。

 

「ぉぉぉ………」

 

 オルタが無意識に呻き、無表情ながら目をキラキラと輝かせている。

 健啖家であり、キーラン(ユーウェイン)の料理を心底渇望してきた少女である。

 今まではメイドとして、そして今は近衛として侍っていたが、やはり幼き日に焼き付いた思い出は翳る事なく残っていたようだ。キーランとしては、オルタには専属の料理人にもなってもらいたいと思っている。王様をしていると自分で飯を作っている時間はなく、無理を通そうにも『王が下働きをしている』という風評が生じるのは不都合なのだ。

 オルタが料理人としての後継者、もとい弟子になってくれたら全ては解決する。この旅の期間中に仕込めるところまで全て仕込めれば、味覚も似通っているオルタは手放せない人材になるだろう。

 

 そんな魂胆を抱えつつ、キーランはオルタへ懇切丁寧に教示する。ニコールは狙いを察しているのかニヤニヤとしつつ――不意に陸の方へ視線を向けた。

 

「キーちゃん」

「ん……?」

「いやどんだけ飯作んのに夢中になってんだよ。(あっち)の方見てみろ、なんかいるぜ」

「知らん」

「……おーい……」

 

 何やら河を流れる船を見てくる輩がいるらしいと報されるが、キーランは一蹴した。

 悪意を向けられたら流石に気づいただろうが、それがない以上は無視するに限る。

 が、万が一という事もある。自分達に害はなくとも、誰ぞが野盗や獣に襲われているなら見捨てるのも後味が悪い。白刀を虚空に放り、鴉に変じさせて飛ばしてやった。アレが見たモノはキーランの視界にも映る。これで文句はなかろうと一瞥すると彼は肩を竦めた。

 しかし、白鴉と視界を繋げる必要はなかった。陸――森の方から人が駆けて来たのだ。

 

「飯の匂い――! 飯! それもとんでもなく良い香りだ――!」

 

 騒がしい声だ。

 それを聞き拾ってなんとなしに視線を向けると、そこには涎を垂らした女がいた。

 

 燃えるような赤い髪――ニコールのそれとは異なる、炎の如き御髪――品のあるものだが、何よりも特筆すべきはその鋭角的で中性的な美貌と、強大な力を秘めた肢体だろう。

 どことなく、オルタの内包する力に似ている。それでいて、正反対な存在。それだけでキーランは薄々その正体に勘付いてしまったが、それは超常の域にある眼力の持ち主だからだろう。

 だがそれらを抜きにしても、彼ら一行は緊迫感を覚えた。

 なぜなら、その赤い髪の女は――()()()()()()()()()()()()()

 

「――お前達。これから先はサクソンの言葉で物を言え」

 

 キーランが命じると、ニコールとオルタは頷いた。

 全ての騎士や人民、貴種に行き渡ってはいないが、騎士王本人やその側近らは、サクソンの言語を修めている。様々な地を巡って言語学に長じた万能のニコールが教師だ。騎士王だけは、今は亡き顧問魔術師に習ったわけだが――流暢に外国語を紡ぐのに不足はない。

 ここであの女を斬るのは容易い――とは言えないかもしれないが――少なくともキーランにそのつもりはなかった。何が悲しくて慰安旅行中に流血沙汰に手を染めねばならぬという感慨がある。しかしそれと同時に、キーランには別の思惑もあった。

 

 いずれサクソンは斃す。だが根絶やしにできるとも思っていない。ブリテン島から打ち払うのが最終的な目標だろう。だがその為に、外交でなんらかの接触をするのは確実だ。

 この女は明らかに貴種――それが何故こんな所にいるのかはさておき――生かして話して親密になれれば、何かの謀に活かせるかもしれないと、キーランは思ったのである。

 

 だがキーランの思惑が実を結ぶことはない。

 

 何故なら相手が悪かった。

 女の名は、()()()()()――サクソンの姫。猛き女騎士。

 やがてはピクトの戦士をも凌ぐ、サクソン最強の戦士となる者。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

ガニエダぁ!

  • 慈悲はない(無慈悲)
  • 慈悲はある(あるだけ)
  • さよなら、天さん…!

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