獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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お待たせしました。


53,双円卓――竜妃三姉妹

 

 

 

 此の世を去った者の事を、人はまず声から忘れるものだ。

 

 次に顔を忘れ、最後には思い出を失くしてしまう。

 

 人は二度死ぬのだと、その時になってやっと理解する事になる。

 

 命を落として死に。人の記憶から消えて……二度目の死を迎えるのだと。

 

 ユーウェインの実体験だ。幼き日に会えなくなった亡き弟達、妹達。その声を思い出せない、顔も記憶にない、確かにあったはずの些細な思い出すらもが忘却の彼方へと雲散霧消してしまった。

 精神性の異形を肌で感じたらしい父王に疎まれたユーウェインは、他の弟妹達から引き離されて育った。当時は別段寂しいと思った事はなく、今となっては何もかも風化した想いしかない。

 だが、妖姫――妖妃たる母の許に身を寄せて以降は、声も、顔も、思い出も消えなくなっている。許し難き愛憎の象徴、妖妃の些細な仕草や、母に纏わる懐かしき日々も一向に翳らなかった。

 

 そして、愛した女に纏わる日々も。

 

 想いは褪せない。記憶は翳らない。だがユーウェインは悲しいとも、寂しいとも思わなかった。死別してしまった魔女が、ずっと傍で見守ってくれている気がするのだ。

 大剣は好みではない。武装としては片手剣――魔女が用立ててくれた愛刀を好んでいる。だが王としてのユーウェインは儀礼剣の如く、肌身離さず神話礼装を携えていた。この剣を手にしていると、死した魔女が己の隣にいてくれていると思えてくるから。この剣がある限り王である己が折れる事はないと確信が持てる。折れそうになっても、この剣が杖になって支えてくれるのである。

 花の魔女アンブローズ。人に寄り添いし女ガニエダ。――恥ずかしながら、未だにあの女への愛は損なわれていない。寸毫ほども色褪せない。もしもユーウェインが王でなかったら終生、他の女を愛そうとはしなかったであろう。それほどまでに愛は曇らなかった。

 

 だが現実として、ユーウェインは王である。王である以上、妃を娶らぬわけにはいかず、そして妻として相手を迎えるからには、相手を愛するのが責務であると弁えていた。

 愛という情に、義務や責務を持ち込むのは無粋極まろう。だが、それでも、愛する努力をし、確実に愛し、絶対に幸せにするという決意を断固として胸にするべきなのである。

 

 この旨を、ユーウェインはアルトリアに告げる気はない。崇高なる乙女が、己の傍らに立ち。共に誓いを立てた。この乙女に穢れは似合わず、永劫に並び立つ者として尊ぶつもりだ。

 武勇の誉れ高きペリノア王。ルーの砦の国オークニーを統べし、騎士王の縁戚であるロット王。カーボネック城の主であるペラム王。他にも有力なブリテン人の王たちが居並ぶ。

 彼らに付き従う騎士。多くの王。それらに見られ、だが恐懼などするはずもなく。月桂冠を模した銀の冠と、漆黒の王服、真紅のマントを肩に留めた美丈夫ユーウェインは、全ての王を束ねたよりもなお上回る威風と威厳を以て、一同を視線で薙いだ。

 

 威の籠もる視線は雷電にも似て――名にし負う騎士王が如何程のものかと品定めしていた者達が、一斉に片膝をつき騎士の礼を示す。総軍の者等は全身から脂汗を噴出させた。

 

 特に――なんだこれはと、勝利王をも上回る武練の持ち主、猛き黒髪の王ペリノアが呻いた。黒王ユーウェインより『心』の波動が濁流の如く発されて、その高潔な精神性に魂を打たれる。

 

 もはや妖妃の影モルゴースを除いて、排出させられぬ王の心量。蓄積され続ける感情エネルギー。人の規格を明白に超えた『感情量』は神の心にも似て、されど異形の精神性があくまでも神の精神力を人の形に押し留めたものがユーウェインである。故に卓越した人物、一廉の人傑であるほどに黒き騎士王の心量を感じ取り、気圧されてしまう。

 同じ『王』である以上、諾々と従うつもりなどなく。サクソンという共通の敵は、確かに討たねばならぬと思うからこそ、一時は団結の為に集うのを良しとしただけで、他者の風下に立つつもりなどペリノア王には欠片もなかったはずだった。『勝利』を号する女王アルトリアの事も、女子供が何を賢しらげにと内心侮っていた。女の身で王を号する様を蔑んですらいた。だがどうだ。この騎士王を前にした途端、ブリテン人の中でも最上位に位置する武人、ペリノア王をして、()()()()()()()()云々など些事と感じ入らされる佇まいに――万の言葉を費やすよりも雄弁な瞳に吸い寄せられた。

 

 まさに、騎士道の鑑。騎士道の華。騎士という存在の窮極。自らもまた卓越した武人である故に、壮年のペリノア王はユーウェイン王の武威に打ち震え、体の震えを抑える事が出来ない。

 まさしく人越の王気だ。そして清冽にして凄絶なる覇気が、彼らに黄金の双冠たる古王を思い返させる。いや――彼の王の威光は過去のもの。この王の威厳は未来のもの。比較する相手ではない。

 

「貴公ら」

 

 蒼衣を纏い、白銀の甲冑を帯びたアルトリア。いと貴き清純なる乙女。夫となる青年の隣で、その王気に触れる。だが未熟なれどその身は竜の擬人、萎縮する事なく並び立たんと奮起する。

 そんな王妃の肩に手を置いて、反対の手に儀礼剣として栄光の大剣を握ったユーウェイン王は告げる。その二つの冠、獅子と赤竜の並び立つ様はどんな名画を以てすら再現できまい。

 

「真に国と民を想い、勝利王アルトリア・ペンドラゴンの呼び掛けに応じし憂国の英傑ら。我が旗の下に団結し、夷狄たる侵略の徒を討ち、民の安寧を害せし賊を討つ事を誓うか」

 

 豪奢な鞘に収めた大剣の切っ先で地面を叩く。

 瞬間、王気が吹き荒ぶ。武威の極致たる威風が逆巻いた。

 並み居る騎士、名高き王らが反射的に、そして本能的に口を揃えて唱える。

 

『――是ッ!』

 

「私がウリエンス王の位を返上し、ブリテン王へ登極せしめるのを認めるか」

 

『是ッ!』

 

「であるなら我らはこれより救国の御旗を掲げよう。サクソンを討ち、我らの大地ブリテンを取り戻す。貴公らは我が旗の下に騎士として仕えるがいい。とこしえに語り継がれし栄光を約束しよう。救国成就の暁には、我らブリテンの騎士は不朽の英雄として記される。

 ――我らはこれより同胞なり。憂国にして救国の英傑なり。我が名の下に集わぬ者は、卑しくも私腹を肥やさんとする豚である。豚を屠り、賊を潰えさせよ。我が剣の向く先に敵はある。団結を誓え。そして戦え。貴公らはこれより救国の騎士――この号を負う覚悟はあるか」

 

『是ッ!』

 

「――ならば一国一城の主たる王は前に出よ」

 

 整然と、王らがブリテンの大王ユーウェインの前へ進み出る。

 緊張と高揚、誇りを解する男達の面。この場に集うに至った経緯は様々であろう。心より勝利王に服し付き従った者も、そうでない者も、サクソン討つべしという想いは同じだった。

 彼らを纏め上げたのはペンドラゴンの名。アルトリアという個人ではない。我意の強い王達が素直に従うほど、アルトリアには『威』力が足りなかった。実績が何もなく、ただウーサーの後継者である証の選定の剣を抜いただけの小娘と見下している者が多数だ。

 後々、アルトリアが実績を積むにつれ、彼らもアルトリアを認めていくだろう。だがしかし団結は急を要する案件だ。騎士殺したるサクソンに、騎士の国の者らは団結しなければ勝てないから。

 アルトリアには、実績がない。その実績を得るまでにどれほどの時が掛かって、その間にどれほどの火種を作り上げてしまう事か。だが――既に彼女には足りない実績を積んだ王がいた。

 

 ユーウェイン。諸王の一人でしかなかった彼には御旗がなく、しかし誰よりも功がある。名がある。アルトリアに足りないものを補って余りある青年王がいるのだ。そしてユーウェインに足りぬものをアルトリアだけが補完してしまえる。

 であれば少女が性別を偽り大王になる必要はなかった。汗と時を流して火種を撒く必要もない。ブリテンは統一されるのである、二人の王を戴く事で。

 

 進み出た王らに、大王位『ブリテン王』を襲った青年は下賜した。片腕を上げ、振り下ろす所作で。彼ら十一人の王の面前に、白き騎士剣が突き立った。

 

「ブリテン各地を治めし王の証として、その剣を執るがいい。以てブリテン王の旗の下に集いし証とする」

 

 感激し、白剣を抜き取る王ら。その中にはペリノア王もいた。

 

 ――事、ここに至って、ユーウェイン王は冷徹だった。

 

 王としてのユーウェインは冷酷な策も平然と打つ。その白剣こそはユーウェイン王の象徴の一つ『三百諸侯の鳥剣(ケンヴェルヒン)』の一剣であり、正体は白き鴉である。それぞれが魔術的使い魔でもあり、ユーウェイン王はこれを王の証と嘯きながら下賜して彼らを監視する。

 故あらば裏切るのが人間だ。一部の高潔な精神の持ち主以外を、内心密かに蔑むユーウェインは王というものを信用する気はなかった。ならば叛乱を起こすような企みがあれば、即座に粛清できるように手を打つのも当然だ。白い鴉と白い剣はユーウェイン王の象徴で、法の番人にして断罪の印として知れ渡っているが、白剣と白鴉を等号で結ぶ者はいない。

 故に彼の本意を知るのは感心したらしい花の魔術師と、騎士王の側近だけ。そして彼は、割拠する諸王に名誉という名の鎖を付ける為に、そうとは悟れぬように告げる。

 

「――魔術師マーリン。前へ」

「お呼びとあらば」

 

 アルトリアに付き従って、という体でやって来ていたマーリン。その姿に、ユーウェイン王は一瞬口を噤む。双子というだけあって、ガニエダを連想させる容姿と格好だったから。だがそれもほんの一瞬だけの事、ユーウェイン王は彼に命じる。あらかじめ白鴉を通じて通告していた事だ。

 

「私に仕える鍛工の名人に、私は命じている。地球、星、惑星、天空――宇宙の縮図を示す完全な円の卓を創り上げよと。その円卓を王位にある者らで囲み団結の象徴としたい。個々の者を『円卓の王』と称してな。そしてその為には貴公の協力が不可欠だ。此の世を見渡せし瞳の者マーリン、当世随一の魔術師たる貴公に円卓の鍛造協力を命じる。不服は?」

「ハッハッハ。私に不服などあるはずもなく。全て望むままに致しましょう」

「――陛下、お待ちを」

 

 飄々と応じる花の魔術師が一瞥するのを、騎士王は見逃さなかった。傍らの女王が意を決したように口火を切るのに、一瞬、ユーウェイン王はマーリンを睨む。事前に打ち合わせた流れではない、何を吹き込んだとマーリン単身を怒気が襲う。マーリンは顔を伏せた。自分が何かを吹き込んだわけではなく、アルトリアが望んだ事なのだと示す為に。

 待ったを掛けたアルトリアが、満座の者らにも聞き取れる、はっきりとした声で訴えた。

 

「その円卓に、私の意見を加えて頂けないでしょうか」

「何?」

「王による王の議席、円卓。連合となるブリテン陣営を象徴する素晴らしい案だと思います。ですが連合とは国と国による寄り合い。垣根があります。それを越えるべきなのは王だけでなく、その下にある騎士達も垣根を越えねば、真に団結した象徴とはなりえません」

 

 王による王の議席とは言い得て妙だ。

 折良くも集いし王は十一人、アルトリアやユーウェインを含めると十三人。奇跡の短剣の元になった加護の送り主たる天使達に感謝も込め、基督教に因んだ数字として関連付けるのも良いだろう。

 

 アルトリアの意を汲んだユーウェインは思案する。王による団結の象徴とは別に、騎士による団結の象徴も必要……一理あると思った。腕の立つ騎士とは須らく我が強く、癖も強い。そんな彼らを組織に組み込むには抗い難い名誉の鎖が必須であろう。それこそ自分で自分を縛り、民や同胞からの尊敬という、無形であるからこそ切り離せない強固な鎖が。

 

 ユーウェイン王は、やはり冷酷な計算を以てして頷いた。

 

「よかろう。ではマーリン、貴公は二つの卓を造れ。同じ物を二つだ。一つを白き円卓、すなわち円卓の騎士と称する。もう一つを黒き円卓――白円卓の上位議会たる王の円卓とする。議席はそれぞれ十三とし、双方に私とアルトリアの席を置くものとしよう。それでいいな」

「はい、意見を聞き届けてくださり感謝します」

「そう固くなるな。陛下と呼ばず名で呼べ。私とお前は対等なのだから」

「――はい」

「という訳だ。理解したか、マーリン」

「御意のままに」

 

 ユーウェインの決定と、その後に続いた言葉に、アルトリアは微かにはにかんだ。年相応の、蕾が開いたような微笑みである。そんな彼の勅命に、花の魔術師は恭しく一礼して引き下がった。

 

 ――斯くして、ブリテンに二つの円卓が生まれた。

 

 『仕える者』の希望の受け皿たる円卓の騎士。『従える者』にして最高意思決定機関である円卓の騎士の上位組織、円卓の王である。片や総ての騎士の花形であり憧憬の的で、片や本質的に騎士王の独裁たる支配の席だ。白円卓と、黒円卓。円卓の騎士であり王であるユーウェインとアルトリアは、そうして『伝説』の代表格となる事が決まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

 後の円卓の騎士達の華々しき活躍は数多の伝説となる。

 時代の花形、騎士道の結実、理想の騎士の集いと称される事になるだろう。

 だがそうした後々の事はさておくとして――

 

 ――政治的観点から見ると、()()()()()()()()。対外的な派手な飾りだ。

 

 それぞれの国の者が同じ卓に着き対等の立場になる――そんな物を認めるなどユーウェインからしてみると有り得ない。最高意思決定の権限を曖昧にする事は、その席に着く者の責任や義務を有耶無耶にし軽薄化させる。支配体制の基盤が盤石でないならやむを得ないだろうが、ブリテン王ユーウェインの支配が盤石になる以上、無駄なリスクを負う必要はない。

 だから円卓は形骸なのだ。『意見を言える名誉階級』に留め、あくまで最終決定権は騎士王が握る。人という種は未熟だから、根本的に短絡的で野蛮な者に国の行く末を決めさせてはならない。

 

 己は誰よりも思慮深く慎み深い――と、驕っているように思われるだろう。人間という種族が幼いと断じる、超越者めいた断定は滑稽だと感じるだろう。だがユーウェインはそれでよかった。

 王とは孤高であらねばならぬ、支配者である故に畏れられねばならぬ。下手に意見できると思われてはならない、諫言は容易く讒言に裏返るのだ。意見を諫言として用いられる者が少数であるのは、これまでの経験上で理解させられている。そしてその少数の意見に耳を傾ける程度の度量は、己にも備わっているとユーウェインは自負していた。

 

 円卓は形骸だ。だが同時に、形骸であると思われてもならない。その旨を、ユーウェインは懇々とアルトリアに説いた。すると聡明なアルトリアは頷く。それらを丸ごと理解しての事なのだと。

 

「――王は孤高であらねばならない。最後に方針を決定し、責任を負うのは王である者の務めであるから――それは分かります。ですが陛下……いえ。ゆ、ユーウェイン……私は、こう思います」

 

 名で呼ぶのに、照れたような素振りを見せる少女王。

 ユーウェインは微笑する。その上でアルトリアに話の続きを促した。

 

「確かに……ゆ、ユーウェインの、言うように……あ、あの……? あんまり見詰めないで貰えると話しやすいのですが……」

「慣れろ」

「……ユーウェインの言うように……ブリテンの統治者達が団結したからと、いきなり盤石な治世を敷けるとは思えません。必ずどこかに(ひず)みが生じ、統治の仕組みに粗が出てしまう事もあるのでしょう。それを防ぐために強力な支配者が立つべきで、支配者が下手に対等の立場の者を作るべきではないとも思います。ですが、それだと才が見つかりません」

「……なるほど。人材を育てるばかりでなく、在野の才を発掘する為の場も用意し、次代を担う者の為に利用するのか」

「はい。……相談もなくいきなり申し立てたのは、こちらからユーウェインに連絡する術がなくて……あの場に間に合わせる事ができなかったからです。すみませんでした」

「いや、いい」

 

 相談する術ならマーリンが持っていた。アルトリアからあの男は相談を受けたはず。その上で何も言ってこなかった辺りにマーリンの精神性が透けて視えてユーウェインは内心舌打ちした。

 実に――あの魔女に似ている。苛立った。

 が、アルトリアの言にも見るべきところがあるのは確かで。彼女が彼女なりに、精一杯考え出した案を無下にしたくもなかった。論外な案であれば心を鬼にして一蹴しただろうが、見るべき点がある以上は受け入れようと思う。ユーウェインは肩から力を抜いた。こうして顔を突き合わせて会ったのは約十年ぶりだ、ユーウェインの居室に移ってから話し出した内容が、いきなり仕事の話だったのは悪いと思っている。

 

 夫婦になるのだ。意識してユーウェインは柔和に微笑んだ。

 

「――今は仕事の話は止そう。改めて、久闊を叙したい。久し振りだな……アルトリア」

「ぁ……」

 

 手を取ってエスコートし、椅子を引いて、小さな卓に着く。

 対面に座ったユーウェインに、アルトリアは僅かに頬を赤らめる。今更再認識したのだろう、目の前の青年が自分の夫になる人なのだと。

 ――何より、アルトリアは驚いていた。言われてみたら、確かに十年越しに再会したばかりなのだ。なのに()()()()みたいに会話していた自分に気づき、なんとも言えぬ羞恥を覚える。

 礼を失していた。何をしていると内心で自分を叱責するアルトリアだった。

 

「は、い……お久し、振りです……」

「ふるさとを発ち、各地を回り、王を説き伏せ、騎士を従える……大変だっただろう」

 

 何を言おうか、言葉を探しているのだろう。俯いたアルトリアが、顔を伏せた儘あちらこちらに小さく視線を走らせている。――こうして見ると、やはりアルトリアはまだまだ少女だった。

 

「なによりも驚いたのは……こうして綺麗な娘に育っていた事だな」

「き、綺麗……? ……あ、ありがとうございます。……あっ! ユーウェインも……素敵な殿方になっていますよ……?」

「昔も愛らしかったが、可憐で、綺麗で、立派になったお前ほどじゃないよ」

 

 主観では分からない為、顔のパーツの比率を客観的に評価して言う。少女との円滑な関係の築き方など知らぬ故に、とりあえず褒めるところから入ろうと安直に判断したユーウェインである。無駄にモテまくる万能者ニコールも言っていた、女はとにかく褒めろと。

 初心なアルトリアは、そんな世辞とも取れる台詞にも照れた。もともと憎からず想っていた思い出の人である、この人の妃になるのだという覚悟も元からしていて、意識もしていた。はっきりと言ってしまうと安心したのだ。よかった、良い関係になれそうで――と。

 

 ギスギスした関係性はお互いにイヤだったというだけの事だ。

 

「……アルトリア。正直に言うと、俺はお前が世に立つ事に否定的だった」

「え?」

「お前には……お前たちには普通の少女として、平和に暮らしてほしかったんだ。……だがそれも今となっては叶わない。まさかアルトリアと夫婦になるとは思わなかったが……こうなった以上、俺はこれから先お前を愛する。そしてお前に愛される努力をする。だから……よろしく頼む」

 

 言うべきではない事だろうが、どうしても言いたくない部分だけは伏せて、できる限り誠実に本心を告白する。アルトリアはそれを受けて、自身に願われていた平和な暮らしを思い返す。

 そして、穏やかに微笑んだ。

 少女が少女として決意し、立ち上がるに至った今を、彼女は後悔などしていなかったから。告げる内容としてはちょっとどうなんだと思わなくもないユーウェインの台詞も、彼なりの誠意と好意の表れと理解できる。故にその琥珀色の瞳を真っ直ぐに見詰め返し乙女は返答した。

 

「私は皆に幸福でいてほしかっただけです。その為に平和が必要で――それをより早く、確実に齎せるのがユーウェイン王だと私は思いました。その助けになれるなら本望です。私も……今は『殿方を愛する』という事がよく分かりませんが、理解して愛せるように努力していきます。こちらこそよろしくお願いしますと、言わせてください」

 

 二人きりの居室。そして、これから先は、ユーウェインとアルトリアの寝室だ。

 どちらともが、最初に懐いているのが使命感で、義務や大義の為に婚姻を結ぶ。しかしそのどちらもよき夫婦像を追求しよう、追求したいと想っていた。ユーウェインはアルトリアという少女の為に。アルトリアは少女らしさを捨てきれていない故にだ。内実は異なれど、向いている先は同じだった。

 ユーウェインは思う。これからは何処に行くにもアルトリアを連れて、まずは時間を共有していこう。結婚したからすぐに初夜を等と急くつもりはなかった。周りにはせっつかれるだろうが……。外野の声に惑わさされるのも馬鹿らしい話だ。

 

「良い、家族になろう」

「はい」

 

 何より、この娘となら、ユーウェインの思い描く家族を作れると思える。

 恥ずかしそうにはにかみながらも、差し出した手に自身の手を重ねるアルトリアの澄んだ瞳を見て、その目を曇らせたくはないと思った。曇らせる事はしないと。――そう思って、思い出す。

 

「あ」

「………? どうかしましたか、ユーウェイン」

「ぁ、ぃゃ……」

 

 か細い声で呻き、冷や汗を浮かべる。

 思い出してしまった。しまったのだ。――ランスロットという養子の事を。

 だらだらと汗を流すユーウェインの異変に、気遣わしげな表情を浮かべる少女へ、なんと言えば良いのかとユーウェインの頭脳が高速で回転する。だが結局は正直に言うしかないと諦めた。

 ボソボソと、説明する。

 次第に能面のような無表情になっていくアルトリアの顔を直視できない。結婚初日から不貞を働いてしまったかのような心境に陥りつつ、ユーウェインは異様に緊張していく。

 

「………はぁ」

「………」

「……ユーウェイン」

「………なんだ」

「まさかとは思いますが……そのランスロットという子を、後継者にするつもりですか」

「それはない。断じて無い。俺とお前の長子が、次代の王だ」

「ならばいいのです。フランク(フランス)との外交チャンネルになるなら、やむを得ない判断だったのでしょうから。王として最善の選択をしたと私も認めましょう。認めざるを得ません」

 

 長く、長い沈黙と、溜息。腰に手をあてて、仕方なさそうに苦笑したアルトリアの変化に、青年は安堵する。よかった、怒ってない、と。流石に理解してくれたらしい。アルトリアが寛大で良かった。

 そう思って。

 だが、やはり、アルトリアは怒っていた。

 笑顔のまま、しかし頬に羞恥を浮かべつつも、彼女は意を決して言った。

 

「子供を作りましょう」

「…………?」

「こ、今夜からです。子供を、早く、作りましょうね」

「……………ぃゃ、」

「何か?」

「……………」

「王の務めでしょう。私の一番最初の、大事な使命でもあります」

「……………」

「私では……嫌ですか?」

「い、嫌じゃない。ないが……な、なぜそんな急に……もっとプラトニックに付き合ってからだな……」

「そんな悠長に構えていられなくしたのは貴方でしょう」

 

 分からない。

 女の心が分からない。

 ユーウェインは只管に困惑した。何がなんだか分からずに。

 理解できない。なぜそんなに急ぐ。急がねばならなくした理由も。

 ランスロットに後を継ぐ、王位継承権はないと明言し徹底するつもりだ。なのになぜ?

 

 戸惑うユーウェインは助け舟を欲した。

 その救難信号を察知したわけではないだろうが、扉がノックされる。

 規則正しいリズムと、扉を叩く力の加減で、誰が来たのかを察知した青年は咄嗟に応じた。

 

「ッ――入れ」

「はっ」

 

 返事。その声を聞いてアルトリアが目を見開く。

 ちょっとした驚きの色――果たして入室してきたのはオルタであった。

 

 原始の呪力である黒い魔力で形成した甲冑を纏い、バイザーで顔を隠した黒騎士の装い。腰には黒き聖剣を差し、厳格な佇まいである。ただし肩に藻掻く麻袋を担いでいるせいで、物騒な格好である。

 オルタは王と王妃の寝室に入るなり、二人の間に流れる微妙な空気を感じて訝しげな表情を浮かべた。そんなオルタに、アルトリアが懐かしそうに雰囲気を緩めて話しかけた。

 

「オルタ! 久し振りですね、元気でしたか? ユーウェインの許で騎士をしていると聞いてはいましたが、突然村を出て心配していたんですよ。いつ会えるか気を揉んで仕方ありませんでした」

「………」

「オルタ……?」

 

 いきなり姉としての面で語り掛けられオルタは困る。姉妹として接するべきか、騎士として応じるべきなのか。ユーウェインを見たオルタに、彼は曖昧な表情で頷いてみせる。

 ユーウェインの表情の由縁が分からずオルタは怪訝に思うが、許しは出た。姉妹としての面で接する事にして、バイザーを外したオルタが突慳貪に鼻を鳴らす。

 

「……フン。貴様はもう少し人を疑うことを覚えろ。私が自分の意志で村を出たとでも?」

「え……?」

「ともあれ、貴様も息災そうで何よりだ。こんな形で再会する事になるとは思わなかったがな。貴様とも、()()とも」

 

 戸惑ったように声を上げるアルトリアの様子から、相当にマーリンを信用しているらしい様を感じて、オルタは『まだまだ青いな』と姉ぶった雰囲気で話を変えた。彼女の中では、アルトリアは妹なのだ。例え誰がなんと言おうと、オルタの認識が変わることはない。

 言いながら、オルタは担いでいた麻袋を床に放り捨てる。落下の衝撃が思いの外酷かったのだろう、中から「んぐーっ!」という抗議混じりの悲鳴が上がる。それを足蹴にして黙らせるオルタに容赦の二文字はない。その扱いで自分が誰に運ばれてきたのかを悟ったらしい麻袋の中身が、くぐもった怨嗟の声を上げた。

 

「……おい。出してやらないのか?」

 

 見かねたユーウェインが言うも、オルタとアルトリアは動かない。オルタはともかくアルトリアまで冷たい目をする様に、コイツは何をやらかしたんだとユーウェインは心配になった。

 嘆息して、麻袋の縛り口を見()()。視線で斬ってやると、中で藻掻いた少女が苦しげに顔を出した。アルトリアやオルタと同じ顔を。

 猿轡を噛まされ、手足を縛られている。それもリリィの魔力を封じる特別な礼装らしき紐でだ。そのせいで非力な少女の力しか発揮できず脱出できなかったらしい。

 あまりにあんまりな扱いだ。憐れに思って猿轡を外してやり、手足の紐を解いてやる。するとリリィは跳ね起きて、ユーウェインの顔を見るなり怒ったり喜んだりと喜怒哀楽を全身で表現してきた。

 

「プハァッ! やっと解放されましたっ! 空気が美味しい! もうっ、なんて事をしてくれるんですかアルトリア! オルタも蹴りつけるなんて酷い! あっ、あっ、兄さんも久し振りですやっと会えましたね! あっ、本当に『兄さん』になったんですから兄さんってこれからも呼びますね! それと、えっと……あぁもうっ! 解放されたと思ったら兄さんの前とかどうなってるんですかどんな顔をしたらいいんですか恨みますよアルトリア!」

「……ああ、久し振り。で……アルトリア、コイツは何をした? オルタは何を聞いた」

 

 素直に再会を喜べない雰囲気に、ユーウェインは内心で、アルトリアの怒りの矛先が末妹に向いた事に安堵してしまっていたが。それを表には出さずに、彼女のしでかしたであろう事を新妻に問う。

 するとドンヨリとした顔をして、疲れたようにアルトリアは言う。その後にオルタが静かな怒気を滲ませた。

 

「……ここに来るまでに、リリィには散々手を焼かされまして。それは良いんです。ですがこの子はよりにもよって――」

「――()()()()()()()()()()と漏らしてしまっている。招かれた酒の席で気持ちよく酔い盛大にぶちまけ、あまつさえその現場にアルトリアが駆けつけてしまったらしい。言い訳の余地がない」

「……………」

 

 ユーウェインは、頬を引き攣らせた。リリィも「アハハー」などと笑って誤魔化そうとしつつも冷や汗を浮かべ、目を逸らしている。なるほど……問題だ。難問である。

 天を仰いで、目を覆う。アルトリアが三つ子だとバレてしまっている……それの何がいけないのか。そんな事は深く考えるまでもなく明白だった。念の為どの酒宴の席で漏らしたのか、誰が知ってしまったのかを訊ねようとするユーウェインに先んじて、リリィが適当な口調で言い訳がましく言った。

 

「べっ、別に大した事じゃないと思うんだけどなー。みんな大袈裟っていうか悲観的というか? いざとなったらわたしとオルタも兄さんのお嫁さんになればいいだけじゃんって思うっていうかー?」

 

 頭痛。

 ユーウェインは、強い頭痛を覚えた。

 ……あの儀礼の場で、ケイがリリィを担いだまま、自由にさせなかった理由がやっと分かった。リリィ――リーリウム・ペンドラゴンは十年前よりも輪をかけてお転婆問題児(フリーダム)に進化していたのだ。

 苦し紛れの言い訳にしてもたちが悪い。こめかみに青筋を浮かべたアルトリアが、女の子のしてはいけない貌で怒号を発する。――それはまさに、竜の咆哮だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おもしろい、続きが気になると思って頂けたなら感想評価等よろしくお願い致します。

ガニエダぁ!

  • 慈悲はない(無慈悲)
  • 慈悲はある(あるだけ)
  • さよなら、天さん…!

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