獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
ただ今回は短いです。
オサ、オサ、オサ!
ブリテン島より弾き飛ばされ、辛うじて近海に着水したフアイルが帰還したのは、白竜アルビオンが黒猪に屠られた後――ウェセックス王国軍が撤退した後であった。
肩から腰まで袈裟に付けられた傷は深く、完治するのに2日の時を要するだろう。生半可な攻撃であれば傷一つ付かず、致命傷を受けても総身が消し飛ばない限り即座に治癒するフアイルからすれば、尋常ならざる重傷であると言えて、言うまでもなく人生初の痛みだった。
それもそのはず。フアイルに傷を付けた相手は死の太陽。黒き猪――コーンウォールの猪と謳われる、白竜を殺す者と予言されたブリテンの救世主だ。
彼の剣は如何なる者であれ殺害し、死の奈落に突き落とす魔法の域の奇跡。寧ろ死んでいないばかりか、僅か2日で完治してのけるフアイルの回復力の方が異常であった。
帰還したフアイルを迎えたのは、彼の同胞であるピクトの戦士達だ。彼らは王の傷を見て驚嘆するや、即座にフアイルの帰還を祝うように
釣られてフアイルも苦笑してしまう。
相変わらず愉快な連中だ。まさか重傷を負っているフアイルになら勝てるとでも思ったのだろうか。愛すべき馬鹿共め、どうせ
オサ! その傷は誰に付けられたのだ!
最強の王にこれほどの傷を与えた存在へ大いに関心を持ったのだろう。戦士に問われフアイルは楽しげに笑って答える。別に隠し立てするつもりはなかった。寧ろその逆、誇らしげに教えてやった。
お前たちとも遊んでくれた、円卓とやらのオサだ。
おお。我らがオサにこれほどの傷を刻むとは、我らも一度対戦してみたいものだ。
駄目だ。あの猪殿はオレのもの。手を出したら怒るぞ。
オサが怒る!? つまり手を出せってことだな!
その通りだ! お望み通り叱ってやるぞ。
――ああ、昂ぶる。
子分達を適当にやり過ごし、蛮王は急いで別の陣幕にいるサクソン人達の方へ向かった。
止めようとしてくる雑魚を無視して歩を進め、『女』のいる陣幕に入る。
「フアイル……! 生きていたか。よかった、これならまだ――フアイル?」
何かを言っていたが、聞く気になれない。
赤髪の女の腕を掴み、強引に甲冑を剥く。寝台に押し倒し、顔を引き攣らせている女の口を吸いながら自身の腰布を剥ぎ捨てた。
女の苦悶の声。
兵に聞かれぬようにと、消音結界を張る魔術礼装が起動されていたが気にも留めなかった。
只管に精を吐き出す。普通の女ならフアイルに掴まれた時点で潰れてショック死しているだろうに、乱暴な蛮王の行為を受けてもその女は壊れなかった。黒猪に対して懐いた友情に似た何か。それがフアイルの中の心という、如何にも不可思議なものを肥大させている。
怖かったのか、フアイル――何度も相手をする内に慣れてしまったのか、途中、女がピクトの言語でそう囁いた。ビクリとする。フアイルは女の首に手を回し、絞めた。女は自身のチカラでフアイルの力を吸い、自身の体を強化しながらも抵抗しなかった。
わかる、わかるぞ、フアイル。オレも怖い――女の言葉に、力が緩む。このフアイルにすら気丈に振る舞い、恐怖を見せない女の告白へ共感を覚えて。女が包み込むように微笑んだ。フアイルはその女の目を見て、やっと自身を苛む激情の全てを悟る。
対等の存在への歓喜。互角以上に遊べる高揚。
そして、それに比する、己が負けるかもしれないという恐怖……。
男は、生まれた時から最強だった。当然の如く最強だった。最強であるということは、男にとって余りに当たり前過ぎて、故にこそその座を脅かされている状況に混乱している部分があったのだ。
「フアイル――」
頭を、抱き締められ、豊かな胸に押し当てられる。
言い様のない安息を覚えてしまう。フアイルは、固まった。
女が全身から汗を流しながら、苦痛とそれ以外の何かに強張り、顔を赤くしながら言った。
大丈夫だ、と。大丈夫だからな、と。
まるで赤子をあやすように、背中を優しく撫でられた。
不可解。未知の感触だ。だが――フアイルはそれが、不思議と悪くないものだと感じた。
これはなんだ、とフアイルは呻いた。無性に女を抱き締めてやりたくなる。その欲求に逆らえずに、嘗てなく柔らかな抱擁を以て女を包み込んだ。すると……女は答えをくれる。
「――やっと、オレを見たな。フアイル」
【………?】
「女のオレではなく、オレという女を」
意味がわからないでいるフアイルに、女――アンジェラは慈しみの目を向けた。
未知の視線。背中が痒くなる。
なんだこれは。なんなのだ。
困惑するフアイルに、アンジェラは答えを続ける。
それは、フアイルの感じているそれは――アイ、というものだ、と。
アイとはなんなのだ。それは武器なのか。問うフアイルに、女は笑う。
「ふはっ……武器、武器か……ああ、そうだな。お前にとっては、武器になるかもしれん」
【それはどこにある。どう使う。猪殿の使う武器に対抗できるか?】
「ここに。
女が、フアイルの胸を指差す。意味不明だ。
【オレの心臓か?】
「いいや。形はない。だが、わかるだろう。想像してみろ、フアイル。オレを背に、お前の言う猪を前にしているところを。猪は、自身の牙でオレとお前を殺そうとしているんだ」
【――――】
言われるがまま想像する。
女が猪と戦う……死ぬ。死ぬだろう。女は確実に死ぬ。フアイルにはその光景が鮮明にイメージできた。すると、どうしたことだろう。得体の知れない怖気が走る。
嫌だ、と呟いた。蚊の鳴くような小さな呟きだ。だがその言葉は、フアイル自身に酷く響いた。それこそ自身の『最強』が揺らぐよりも、遥かに重く響いて、揺れる。圧倒的な――恐怖だった。
【ああ――】
フアイルは、理解した。なるほど、これがアイ。
女に感じるもの。女が死ぬことへの恐れ。これこそがアイ。いつまでも己の傍に置いておきたい、失いたくないという未知なる心地。これこそが、アイ。
女は囁いた。
「怖い。怖いな、フアイル……オレを、守ってくれ――」
【分かった】「オレ、アンジェラ、守ル」
返事をして。サクソンの言葉で、誓う。
アイとやらを守る為に戦う。遊ぶのではなく、戦う。戦い――はじめての、重くて硬い、しかし断じて違えられぬと感じた心。フアイルは、純粋に戦いというものへと向き合った。
† † † † † † † †
守護神アルビオンが、たったの一撃で殺された。
その事実はサクソンの精神を震撼させ、彼らの士気は地の底に落ちていた。
理解の追いつかない戦況。勝てる気のしない恐怖に兵たちは震え上がり、魔竜もまた同様に恐懼していた。
だが。
【雄ォォォオオオオオ――ッッッ!!】
兵や竜の心を麻痺させる、純戦士の雄叫びが恐慌を押し流す。
高台に立ち、断頭刃を掲げて吼える一個の戦士。彼の咆哮は災害の神のものではなく。
さながら、軍神であるかのような威光を放っていた。
肌を打つ武威。覚醒ではない、そんな上等なものではなかった。それは、単純で純粋だった獣を人間にした、不純なる心の波動である。
だがそれの、なんという輝かしさ。兵ではなく、戦士ではなく、男という生き物を奮い立たせ、思い返させる叫び。万の言葉よりも雄弁に、鮮烈に想起させるココロがある。
他の誰でもない、純粋な獣だからこその。不純に堕ちたが故の――『男』を奮起させる『男』の本能が共感の波を生んだ。
戸惑い、沈黙して高台を見上げる兵ら。
なにゆえに自分たちはあの野蛮なる民族の王に、これまでの嫌悪や恐怖以外の――仲間意識に似た共感を覚えてしまったのだ。なぜ、あの男の雄叫びで、国に残してきた家族や友を思い出す……?
「
兵の口を衝いて出た言葉は、それ。
此度の戦に際し謳われたスローガン。
戦いに赴く決意の言葉。
「
兵たちは、我知らず涙を流していた。
盾を叩き、胸を叩いた。
「
蛮王の隣に現れ、立った女――アンジェラが叫んだ。
祖国が死に絶えても生き延びる。その言葉を。
生き延びたい理由はなんだ。自身の死を避けたいからか?
それはある。だが、それ以外にも理由があった。
サクソン人は思い出した。ウェセックス王国の戦いの理由を。
どうあれ自分たちは戦うしか無いのだと。戦って勝たねばならないのだと。
故に兵たちは奮い立ち、奮起する。
ピクトの戦士たちは、王の変貌に戸惑っていた。だが、まあいいかと気にしなかった。
なんだか王が格好いい。その程度の感想を過ぎらせ、すぐに忘れる。どうでもいいのだ。なんであれ戦う事に変わりはない。円卓の騎士とやらとの戦いは楽しかった。なら、それでいい。
【ヴォーティガーン】
人の姿に戻っていた卑王の名を、蛮王が呼ばう。
騎士王への恐怖で竦み上がって、やはり勝てるわけがなかったのだと後悔する老人を。
【お前も戦え。戦わないなら殺す。オレが、お前を、殺す】
殺意。純粋ではない、不純な――しかし人間的な殺意。
ヴォーティガーンは驚愕した。獣らしからぬ物言いと、その殺気に。
彼はその殺気で理解する。己が詰んでしまったことを。
これは卑王の物語ではない。本来なら一つの伝説の終幕を彩るに足る、魔王の器を有してはいたが、彼を上回る二つの暴威に挟まれた時点で端役に堕ちてしまっていた。――蛮王フアイルと、騎士王ユーウェイン。二つの怪物に挟まれた彼に、退路など初めからなかったのだ。
【死にたくないなら戦え。そして殺せ。オレは、戦う。そして殺す。敵を。お前もオレに殺されたくないなら敵を殺せ。いいな? いいと言え。言わないなら殺す】
卑王に、選択肢などなかった。
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