獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
ユーウェインの一日は、日の出の前から始まる。
起床直後に井戸で水を汲んで洗顔し、朝日が顔を出すまで剣の鍛錬に精を出した後、朝食の牛乳に硬いパンを浸しながら食べる。おかずはマッシュポテトだ。自分で用意したものではないが、この雑な食い物を胃に収めるのも義務である。いつの間にやら自国唯一の王子となっていたから、雇われの料理人の顔を立ててやらねば路頭に迷わせてしまうからだ。
朝餉だけ、他人の作った物を食う。飽きたとか不味いとか、思う事すら罪深い。ろくに飯も食えない人間が領内だけでもごまんといるのだ、食えるだけ有り難いと思わねば人としての品位が下がる。
――剣は、好きだ。
振るっていると鬱屈が千切れていく。心が透明になる心地に浸れる。心に巣食う雑念を斬っているのだ――なんて格好を付けたくなる時もある。が、ユーウェインが本当に斬りたいのはもっと別の物だ。
己を斬りたい。斬って、捨てたい。
自殺したいわけではない。己を傷つけ痛みを感じたいわけでも、傷ついた己を見せびらかして可哀想な自分に酔いたいわけでもなかった。斬りたいのは、皮膚の上に貼り付く瘡蓋のような何か。捨てたいのは重たいもの。その正体を見極める事はできないが、ずっと纏わりつく何かが煩わしい。
この身は最高の性能を有しているらしかった。それでこそ我が子であると妖精は会心の笑みを象ったものだが、太古の呪液が流れる血と肉と、血統書付きの『才能/性能』が異形の精神に呼びかける。
お前はいつか、斬りたいものを斬れる、と。神秘に生きる者の聖地たるブリテンにて、最高峰の才を有するが故に斬れぬものなど無いのだと。そう――確信できていた。
だから剣が好きだ。
生き物を殺す剣技ではなく、物体を切り分ける剣腕でもなく、斬りたいものを斬れるのだと教えてくれる剣才を愛したのだ。やがては過剰な神秘を搭載した機体を降りられるのだと信仰するから。
だが剣のみに生きるに能わぬのが王子である。自称に過ぎないが王家という立場に生まれた以上は、国の統治に纏わる責任を負う義務がある。嘆かわしい事に責任を特権と履き違える者はいるが、自分までそうなってはならない。故に仕事をする。王子としての仕事を、だ。
しかしユーウェインは恵まれていた。政務を一手に担っている母が、大概の仕事を片手間に処理してくれるのだ。「そなたより妾は長寿よ、遠慮なく甘えるがよい」と宣った厚意に頭が下がった。
だから仕事は、専ら有事の際には兵にもなる領民や、忠義を捧げてくれる騎士の陳情を捌く事。いつぞやは領土を荒らす魔猪を捕獲した。そして陳情を聞き届ける他に、魔獣の家畜化計画を進める。
実を結ぶか分からぬ事業だ。大々的には推進できない。だが父王から領内の小さな城の権利を貰い、数人程度の騎士と行く宛のない領民を募って、細々と始めた魔獣家畜化の経過は良好だった。
モルガン作の檻に入れた魔猪は、全長五メートルにも届かんばかりの巨体である。三日月めいた双牙は生半可な城壁など打ち崩してしまうだろう。ましてや人の身で囚えられるものでもない。
が、総重量1600kgにも及ぶ巨大魔猪の後ろ脚を削ぎ、立派な牙は二つとも根元で叩き砕き、モルガンの協力の下に眠らせ外科的に肺を半分摘出してしまえば、モルガンの檻の中に置いておく限りは無害であると言える。魔猪は本当になんでも食べるので、人間の栄養たりえず、資源たりえない岩石や廃材、動物の死骸など処理に困るものを食わせておけば充分だ。
厄介な性質として切り取った脚、削ったり折ったりした牙も、時の経過で再生するため、定期的に切り飛ばさねばならない。そうして魔猪から有り難く肉を貰い、骨と牙は武器に加工して貯蔵している。
魔猪は既に数十体もの子を産んでいる。その殆どを屠殺し、一体だけ残す。番になる個体の確保も近い内にしなけらばならないだろう。魔境ブリテンなら適当な所を歩いていれば見つけられる。
「■■■■■■■――ッッッ!!」
「………」
城の中枢部に設置した闘技場。その中に囚われた獣の咆哮は、怨敵を憎悪する怨念に塗れ城塞を震撼させる。ユーウェインは努めて何も感じないように心を塞ぎ、獣への憐憫を捨て去った。
魔術師を雇い入れ、魔猪から魔力や神秘の因子を余さず摘出し、ただの猪に貶める必要がある。そうしてやがては豚へと堕落させ、人の腹を満たす肉袋へ変じさせるのがユーウェインの狙いだ。そんな自分が魔獣へ哀れみを覚える資格はない。存分に恨み、憎めばいい。
聞く者の肝を潰す咆哮も、檻の外にはなんら影響を与えない。モルガンの力におんぶに抱っこな現状から少しでも早く抜け出したいところだ。いつまでもあんな巨体の大飯食らいを飼う余裕もない。早く小型化させて、豚の生産に漕ぎ着ける必要があるし、家畜化が成功した暁には糧食を手に入れる算段も立てねばならなかった。
ユーウェイン以上に多忙なのがモルガンだ。ウリエンス国の政務を一手に引き受け、管理し、運営しているのみならず、弟子としたリリィに魔術を教え、更になんらかの謀略を張り巡らせているのか留守にする事が多くなってきている。ユーウェインの近くに居ないことも多い。
最近はなんらかの契約を結んだのか、隣国のオークニーとウリエンスは同盟を結んだ。色々と困ったところの多い母だが、最も恩義ある大切な肉親だ。働いてばかりいないで身体を労ってほしいものだが――そういえばオークニーの王、ロット王に新たな王子が生まれたという。名前はアグラヴェインで、一年前にはガウェインという兄王子が生まれていたらしい。
『ふふ……そなたとも縁があろう。精々可愛がってやれ』
モルガンがそう言っていたのを思い出したが、あれはどういう意味だったのだろうか。
ともあれ同盟国の王子の誕生を祝わないわけにはいかない。三ヶ月後のパーティーに招かれているから、その時には食材を持っていき彼らの舌を楽しませてやるとしよう。豚ばかり食うのもバランスが悪いので、穀物や野菜類、他の肉類も調達できればいいのだが……。
ブリテンは貧しい。歳月が過ぎるほどに荒廃した土地が増えている。その問題をどう解決するか、解決できないならどのように補うか。色々考えているとユーウェインはどうも憂鬱になってならない。
なぜなら、解決策が一つしか思いつかないからだ。即ち、外征――戦争である。サクソン人を抑え、
そこまでしなければ、どうにもならない。そこに辿り着くまでに夥しい血を流すだろうし、上手くいく保証もなく、上手くいっても赤字ばかりのブリテンに黒字を生み出せるかもハッキリしなかった。
詰んでいる。どうしようもなく、ブリテンは終わっている。
ユーウェインの頭脳は、ただ知性を以て未来像を予想して。それをなんとかするのが王族の務めであると奮起した。元より目的のために立ち止まるつもりもない。瀕死の国を再生するのだ。
その為には強力な味方が不可欠で、最大の味方はモルガンだ。彼女が持ち得る限りの力を尽くして助けてくれなければ、ユーウェインにはどうしようもない。寧ろ彼女が助力を打ち切ると宣言すれば、英邁なる王子も全てを投げ出し未開の地に隠棲するしかなくなるだろう。
ユーウェインは察していた。己の無能を。そして、母の所業を。
突然成立したオークニーとの同盟。生まれた王子達。母の美貌――ロット王を体で籠絡したのだろう。王妃であり母であるモルガンが、娼婦の如く身を売る真似をしているのは、全てはモルガンの助けになり得るだけの有能な人材がいないからだ。それはユーウェインの無力さの現れでもある。
やめろと言った事はある。だが、モルガンはやめなかった。そなたを王にするためよ、と……人外の愛で包み込んでくれる。そこまでされて、ユーウェインも母を愛さないわけにはいかなかった。
価値観が違う。精神性が違う。それだけを理由に軽蔑し、嫌悪できるのは赤の他人まで。誰をも敬えず愛せなかったはずのユーウェインは、確かに母を愛するようになっていた。あそこまでして働いているのだ、報われないなんて絶対に有り得てはならない。報いたいと切に願う。
妖精にして母、王妃にして導き。そんな母を尊敬した。そして愛した。
ブリテンや人民のため、などとお題目を掲げているが。実のところユーウェインが王子として在れているのは、母モルガンの期待を裏切りたくなかったからだ。人々の心と腹を満たし野蛮な思想を脱却させようという目的も、モルガンへの想いに比べたら軽かった。
――そんな母の言いつけを破る。
「あ、兄さん! 見てください、やっと火が熾せるようになったんですよ!」
火というより火柱。やっとと言いながら三日。劫ッ! と立ち上った豪炎が城外の草原を焼き払う。
ユーウェインはそれを見てリリィが天才である事を悟る。魔術という分野では、リリィの方が遥かに才に恵まれていた。ユーウェインの魔術回路はどうも閉鎖的で、魔力を内側に閉じ込める性質なのだ。簡易な生活魔術や、大規模な魔力放出などは問題なく行えるが、繊細な魔術は制御できない。結晶の杖を手に駆け寄ってきたリリィが、「褒めて褒めて!」とでも言うかのように笑顔を浮かべるのに、ユーウェインは苦笑しながら褒め称えた。
「凄まじい火力だ。雑多な獣は恐れるに足りんな。天才とはお前のためにある言葉だ」
「えっへん!」
「だが……魔力の無駄だからやめた方が良い」
「えー……? どうしてですか?」
膝を地に付けて目線の高さを合わせると、露骨に不満そうにするリリィ。
下手な大魔術より火力のありそうな火炎を放っていながら、一寸たりとも疲弊していない事が見て取れる。魔力量が桁外れで、何やら呼吸するだけで魔力が次から次へと精製されているらしい。
驚嘆に値する魔術回路である――いや、もはや魔力炉心とでも言うべきか。豊富な魔力に飽かせた弾幕を張ったら恐ろしい光景が見られるかもしれない。そうは思うも、効率的ではないと断じる。
「そら、その
「あ……そんなぁ。師匠に貰った杖、壊れちゃいました……」
「はしゃぐからそうなる。お前は強大な魔力を制御するところから始めるのだな」
結晶の杖――先端部に拳大の宝石がある魔力増幅器――に罅が入っているのを見たリリィが失意の表情を浮かべる。やって来たユーウェインに自慢したくて張り切りすぎたせいだ。
そんなリリィだったが、不意に不思議そうな顔をした。簡素で丈夫な服を着込み、その上に外套を羽織って雑嚢を背負う旅装のユーウェインが、一頭の馬を牽いて来た理由が分からないらしい。
「あの、兄さん? どちらに行かれるのでしょうか?」
小首を傾げながら問うリリィに、ユーウェインは言った。
「リリィ。お前が此処に来てどれだけ経った?」
「えぇっと……一ヶ月ぐらいでしたっけ……」
「そうだ。そろそろ、お前を帰らせてやろうと思ってな」
本当はもっと早く行動に移るつもりだったのだが、とうのリリィが全く帰りたがっておらず、モルガンからの教えを嬉々として受け入れ魔術の習得に情熱を燃やしていたから、予定は遅れに遅れていた。
加えてモルガンも意外なほどリリィを甘やかすものだから、なかなか機会が巡ってこなかったという事情もある。そして昨夜、ようやく離れ離れになっている姉妹達や、エクトル卿、ケイという名の兄貴分の名を口にして、寂しそうにしていたのを見掛けたから彼女の同意を取り付けられると思った。
果たしてリリィは眼を丸くしたが嬉しそうだった。
「ほんとうですか? でも……私まだ、お父さんに会わせてもらえてないんですけど……」
母から聞いたが、リリィはコーンウォールの城にいたらしい。
モルガンの地位やブリテン王の娘という血筋から、娘を差し出す事でモルガンに貸しを作れたとでも思っているのかもしれない。そう伝えるのは、父親に会いに来たつもりの幼女に対して余りに配慮がないだろう。無神経でもある。だから努めて優しげに言った。
「お前の父は有能な騎士らしくてな、王に使命を課され遠出してしまったらしい。会わせてやろうにも、帰還するまでに時間が掛かり過ぎる。だからリリィを元いた所に帰らせてやる事になった」
「そうなんですね……残念ですけど、仕方ありませんね。じゃあ師匠に挨拶を――」
「お前は知らないだろうが、母上も多忙の身だ。この城にはいないし、母上の事だからお前に会いたいと思ったら自分から出向くだろう。挨拶はその時にでもするといいさ」
「むむ……なんだか失礼な気もしますけど、兄さんがそう言うなら師匠が来るのを待ちます」
リリィが素直過ぎる。人の言うことを全く疑っていない。
嘘を吐いたのが心苦しく、自分が汚れた大人になってしまったようで悲しくもなった。
「ちょうど手が空いてて、暇を持て余している俺がリリィを家に送り届けてやる事になった。が、暇と言っても今だけだから、早速出立する。急で悪いが時間は有限だからな、急がせてくれ」
「わ、わかりました」
流石に戸惑っているが、リリィは諾々とユーウェインの手を取る。ひらりと身を翻して馬上の人となったユーウェインは、自身の前に幼女を跨がらせ、手綱を操り馬を駆けさせ始めた。
馬に乗ったのははじめてらしい。「ぉぉぉ……」と感動して目を輝かせるリリィへ問う。
「お前の故郷はどこだ?」
「はいっ! ――という村です! いいところですよ!」
「そうか。東南方面だな……」
母の言いつけを破り、リリィを帰らせてやる事に後ろめたさはある。あれだけ散々世話になっていながら反抗するようでは恩知らずと言われるかもしれない。だがユーウェインに後悔はなかった。
己の倫理観や判断基準を絶対視し、それ以外を軽んじているからではない。モルガンのような偉大な『人』が、子供を攫うような小悪を為すのが我慢ならぬのだ。それは――本心から愛するが故に、愛する母に善で在れと願う独善の駄々。まさに、子供の我儘である。
赤の他人にはしないし、また赤の他人には分からないだろう。外野にどうこう言えるものではないし言わせるつもりもない。子が母に善で在れと望む事に理由はいらないからだ。
十五歳という大人の男になったとて。異形の精神を具えていたとて。完全なる成熟を果たすには青年はまだ若すぎた。清濁を合わせ呑むには経験が足りず――そして母が子離れせず過保護である故に、与えられて然るべき情報を教えられていない。互いが全幅の信頼を置き、任せるべきを任せていたなら、こうしたすれ違いは起こらなかっただろう。
謂わば――後の世に『
† † † † † † † †
妖精モルガンがユーウェインの反抗を知ったのは、実のところ愛息がリリィを連れ出したのとほぼ同時である。
神代最後の痕跡たるブリテンの神秘濃度は、曲がりなりにも神代のそれであり、最後である故に物理法則の更新と人理確立による煽りを受けている為か、部分的には神代最盛を超える神秘も散見された。
謂わば蝋燭の火だ。
消える寸前に激しく燃え盛る火のように、神秘もまた最後の輝きを見せているのである。
故に妖精も後世の者がイメージする可愛らしいフェアリーではなく、旧き神としての権能を持ち合わせた強大な存在だった。生きた神霊、すなわち神。肉を持つ故に人の想念に左右されない為、見方によっては一部の神話の神々よりも余程に強力な権能を発揮できる。
だからこそ妖精モルガンは己の領域で起こった出来事を、仔細漏らさず把握している。
大半はどうでもよい故に無視しているが、偏愛する愛息の一挙手一投足は領域内にいる限り常に視ていた。息子が自分の言いつけを破るなど
「………」
狂愛に澱んだ双眸が、血走る。
愛息の反抗の意図は余さず伝わっていた。だが、理解できない。息子の想いが、ではなかった。そちらは大いに尊重してやろうと、寛大な上位者の目線で受け入れてやるのも吝かではない。
理解できないのは、愛息が
「………」
なぜ? 訳が分からない。別段縛りつけていたつもりはないが、息子の行動原理は理屈として把握しているつもりだった。その理屈の筋道に合わない。不満があるなら、他人に対してはともかく、モルガンに対しては直談判するのがユーウェインの思考形態のはずである。
あんな、
その有り得ない事が起こっているなら、何者かが何かをした証左。
リーリウムか? 否。あの小娘にそんな能力はない。では――
「――
確信は赫怒を生む。
アンブローズとは、花の魔術師マーリンの別名である。アンブローズ・マーリンと彼は言われる。だがそれは、アンブローズとマーリンが別人である事を意味しない。
一般に知られ表舞台に立つのはマーリンだ。だが――
マーリンの影、影であり同位。
花の魔術師の指示か、はたまた独断か。それはどうでもよい。マーリンはああ見えて正攻法の育成を得意として、アンブローズは変則的な育成を好む。であれば後者が下手人だ。
「――あちゃあ、気づかれてしまったようだね」
青年の身に擬態していたアンブローズは遙か遠くで苦笑いし。モルガンはそれに殺意を返す。
「ああ。妾の子に手を出すとは、余程死にたいと見えるな?」
モルガンはその魔力により、ユーウェインの持つ花の封じられたペンダントを粉砕する。その触媒の存在はモルガンの知覚を掻い潜っていたが、アンブローズの存在に気づいたなら察知は容易い。
だが、花の魔女の抹殺を誓いながらも、モルガンは柔軟に方針を変更した。
「……イヴァンよ。どうせ旅をするならば過酷な道を征け。妾は、そなたの選択を尊ぼう」
言って、モルガンは
魔女の権能は蜃気楼に類すると言われる。だがその本質は幻術である。人を騙し惑わせるのではなく、幻を
故に対魔力など意味を成さない。その身にはなんら害を成さないのだから、弾ける魔力ではないのである。故にユーウェインは進んだ。リリィは悟れなかった。自身の進行方向が捻れ、別の方角に向かうのに。
はあ、と。モルガンは物憂げに嘆息した。そうして、さてどうしてやろうかと花の魔女を囚える方策を練り始めた。ただ殺すのでは気が済まない、どうせならボロ雑巾になるまで使い倒して殺す。
(妾に手向かった者が、どんな末路を辿るのか教授してやるとしよう)
※プロトマーリンがログインしました。
マーリン「騎士王三つ子とか手が足りないからね、仕方ないね」
なおモルガンは矛先を寵愛する者以外に向ける系ヤンデレの模様。
全肯定ウーマン。なお限度はある。