獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
ほのぼの(断定)
事の発端は、女の血筋に由来する。
其の女は騎士王に反旗を翻した王の一人ペレスの娘であり、名誉の戦死を遂げた円卓の王の一人ペラムの孫だった。血統を遡ったなら聖人アリマタヤのヨセフにまで辿り着き、騎士王により道徳思想として選ばれた宗教、基督教が広まりつつあるブリテン島では、彼女の血筋はなかなかに得難いものであった。そして更に特筆すると、その女は非常に美しかったのだ。
ギリシャ神話に名高き世界一の美女ヘレネーに由来する名を持ち、その名に違わぬ美貌の持ち主でもあった女の名はエレインという。通称として、カーボネックのエレイン姫と呼ばれていた。
そんな彼女の美貌と血筋に目をつけたのは、ブリテン島からの退去を拒み、サクソンの復権を狙うウェセックス王国の残党達である。彼らは傭兵のピクト人を雇い入れ、エレインのいる城を襲撃した。ピクト人の暴威に抗えず攫われてしまった彼女は、連れ去られた先のサクソンの秘密の拠点で、貞操を散らされる寸前までいき悲嘆に暮れていた。
彼らの魂胆は明らかだ。自分達の血をエレインの子に継がせ、子供を養育することでサクソン側に引き込み、後々のサクソン復権の為の駒にしようとしていたのである。
そこへ駆けつけたのが、若き湖の騎士ランスロットであった。
彼は見識を広めるための諸国漫遊の旅の最中にあった。元々が当代随一の才覚を有し、異次元の剣理を会得した刀神という至高の手本を見て育ったランスロットの武技は、既に円卓の騎士の中でも上位に食い込むまでに至っていた。僅か17歳で、である。
驚異の青年だ。彼は白竜亡き後に跳梁していた、火を吹く邪竜を聖刀オートクレールで斬り殺し、邪竜の被害に遭っていた村の歓待を固辞して去っていたところだった。そこでエレイン姫の救出の為に編成されていた騎士隊と遭遇し事情を聞いたランスロットは、義憤に燃えてエレイン姫救出の為の探索に出ることにしたのだ。
秘された拠点の所在を割り出すのは、ランスロットにとって簡単な事であった。彼の手には育ての母ダームによって貸し与えられた、『尋ね人を映し出す魔法の水晶』があったのだ。邪竜の棲家を探し出す為に使われたこの水晶が、攫われたエレイン姫の居場所を映し出し、周辺の地形を見て取ったランスロットは襲撃を受けた日時と距離を逆算して、いとも容易くサクソンらのねぐらを発見してのける。彼は馬を疾走させ駆けつけると勇躍した。一刻の猶予もないと判断し正面から突撃した。果たしてランスロットは間に合った、サクソン人らを容赦なく斬り捨て、彼を円卓の騎士と見て戦意を燃やし、猛るピクトの戦士長と激戦を繰り広げた末に撃破。囚われのエレイン姫を助け出すことに成功したのである。
湖の騎士にとって幸運だったのは、ピクトの戦士長が一人であった事だ。他に数人でもピクト人がいたなら危機に陥っていただろう。辛くも難敵を退けたランスロットは怯えていた姫に手を差し出し、安心させる為に微笑んで――姫は颯爽たる美丈夫への恋に落ちてしまう。
蝶よ花よと可愛がられ、大事に育てられてきた深窓の令嬢に、恋という病への免疫などあるはずもなく。まるで物語のような出会いに酔いしれた姫はランスロットに求婚する。
面食らったのはランスロットだ。自分にはそんなつもりはない、そもそも武者修行の側面のある旅の中で誰かと恋仲になる気はなく、エレインから求婚されても困るだけだった。
やんわりと断るランスロットだったが、エレインはしたたかだった。これ以上食い下がれば逆に引かれてしまうと、天性の嗅覚で判断したエレインは、獲物を仕留める為に狡猾さを発揮する肉食獣と化して一計を案じる。しおらしく失恋を受け入れたように見せかけ、言葉巧みにランスロットに対するお礼の宴に招かれてほしいと頼んだのだ。
世間知らずな上に、近しい女性がダームやアルトリア、叔母の二人ぐらいなものだったランスロットは、特に警戒することなく網に掛かってしまう。まさか姫ともあろう者が奸計を練るとは思いもせず、歓待される中で酔い潰れるまで酒を飲まされてしまった。
泥酔し昏睡するランスロット――そんな彼は翌日、爽やかな目覚めを得た。どうにもスッキリとしている……未知の体調だ。戸惑いながらこの事を姫に相談すると彼女は微笑んだ。
もしかすると旅の疲れが出始めているのかもしれませんわ、ここは大事を取って暫く休んで行かれてくださいまし、と。そうエレインは言った。
心配になったランスロットは言われた通りにしたのだが、その翌日も、更に次の日も、一ヶ月休んでも体調は変化せず。――ある時、姫に呼び出された彼は驚愕させられた。
「ランスロット卿、わたくし……子供を身ごもってしまったみたいですわ」
どういう事だとランスロットは叫んだ。意味が解らなかったからだ。
さてはエレインを助け出した時には、既に彼女の貞操は失われていたのか。青褪めたランスロットは心配するも、エレインは仄かに頬を赤らめて、嬉しそうに言う。
「大丈夫ですわ。毎夜ランスロット卿に情熱的な愛を囁かれ、抱かれていましたもの。ランスロット卿とのお子ならば、わたくしはあなたと共にこの子を立派に育てられると思いますわ」
は……? と、ランスロットは間抜けな貌をしてしまう。
お腹を柔らかく撫でながら言うエレインの、この妖艶な色香はなんだ。
出会った当初は清楚可憐な淑女だったのに、今や危険な魔女のようではないか。
何より困惑したのは、ランスロットは酒を嗜みはするものの、酔っても理性や記憶を損なう性質ではなく、前後不覚になるのは酔い潰れた時ぐらいなもので。そこまでいくと誰かに愛を囁いたり、ましてや女性と交わるだけの気力も湧くはずがなかった
そんな自分が姫に愛を囁き、抱いた?
――有り得ない。ランスロットはここにきて漸く全てを悟った。体調が不思議な感じだった事、其れは知らぬ間に童貞を卒業させられ、精を吐き出した故のものだったのだ。そうなったのはエレインが自分と交わり、子供を授かることで既成事実を固めようとしていたからだろう。
ランスロットは恐怖した。淑女が娼婦も真っ青な肉食獣と化していたことに気づきもせず、そもそも女性からそんな事をしてくるというのは想像の埒外の出来事だったからだ。
堪らずランスロットは逃げ出した。だがランスロットは苦悩する、もし本当にエレインが子供を授かっていたら、それはランスロットの子でもある。自分が知らぬ間に出来たとはいえ、逃げてもよいものなのか。困り果て、悩み抜いたランスロットは――父に相談する為に帰還を決意した。奇しくもランスロットが18歳を迎えたばかりの頃である。
「以上が……私の過ちです。私は愚かにも、子を孕んだ姫を置き去りに逃げて来てしまいました。無道を働いた私には、騎士の資格など……」
全てを告白したランスロットに、義父は真顔のまま聞き届ける。
彼は嘆息した。
なぜそうも内罰的に自分が悪いと思ったのか、今の話を聞くとまるで分からない。
もしランスロットが自分から手を出しておいて逃げてきたのなら、躊躇なく貌が腫れ上がるまで拳骨を食らわせてやるところだった。が、ユーウェインの感覚だと彼は責められる謂れがない。
いや、ユーウェインだけではなく、ほとんどの者がランスロットを擁護するだろう。だが少し面倒なのは、それではランスロットが納得しないことだ。納得……それは全てに於いて優先される。
究極的には自分が納得したいがために人は生きている。それを疎かにするのは、損だ。考えを纏めたユーウェインは嘆息し、席を立ってランスロットの肩に手を置いた。
「騎士の資格云々はどうでもいいが、敢えて俺が王として裁定するなら、お前から騎士の称号を剥奪する事はないと言っておこう」
「しかし、父上――」
「黙れ。俺は騎士王だ。古今に存在し、未来に於いても存在する全ての騎士の頂点がこの俺なんだ。その俺が断ずる、お前は騎士に相応しい。故にお前が自身を騎士に相応しくないと思うのは、俺の裁定に不服を申し立てるに等しい不忠だと心得ろ。これは命令だ。いいな?」
「……は。では父上、此度の件はどうすれば……」
彼がアルトリアではなく、ユーウェインと一対一で相談したがっていた理由が今は解る。誰であれ男の自分が逆
言い難そうにしているランスロットの表情に、ユーウェインは思案を終えている故、彼の肩から手を離しつつ至極簡単そうに言い放った。
「カーボネックのエレインの名は俺も知っている。イエスの遺体を引き取った聖人の末裔だ、今の情勢では処刑するのは容易ではない」
「し、処刑……!?」
「当たり前だろう。奴は俺の息子に――王の息子に手を出したんだ。死罪が妥当だよ、本来ならな。だが心配するな、殺す気はない。ないが――」
衝撃を受けたような貌をする、まだ青い部分のある青年騎士。人が善いのは結構だが、あんまりにも甘いようでは今後やっていけないだろう。故に義父は養子に向けて厳しい決定を告げる。
「――無罪放免とはいかん。エレインは俺の知る限り最も厳しい修道院に送りつけ、生涯をそこで終えてもらう」
「……それは!」
「反論は受け付けん。事は私的な領域を超えている。故にこれは王の決定だ、抗命は許さん」
「………!」
「忘れるなよランスロ。お前は騎士の道を往きたいのだろうが、俺の養子であり、そしてバン王の実子だ。ベンウィックからの食糧の輸入という、絶対に失くせない外交のパイプなんだよ。ランスロに王位継承権はないが、公的な影響力は俺とアルトリアに次いでいる。そんなお前に子が出来たという……ならその子に悪影響がないように、毒婦は排除するしかあるまい」
「ど、毒婦……あの姫が……」
「エレインが出産を終えたなら、お前の子は俺が引き取ってやってもいい。ランスロ、それはお前が決めろ。望まぬ子供をお前が育てるのか、或いは俺に預けるのかを。今すぐである必要はないから、じっくり時を掛けて悩め。王としての、そして家長としての決定だ。不服があるなら自分でなんとかしてもいいが……その場合、俺は王としてエレインとその腹の子を始末せねばならん」
「――――」
愕然とし、悄然とするランスロット。大変な事件だと思ってはいたが、こうまで大事になるとは夢にも思っていなかったのだ。そういうところが甘いのだとユーウェインは思う。
罪のない赤子も、王としてなら始末する。無論私人としてのユーウェインなら有り得ない唾棄すべき蛮行だが、今更だ。この身は既に王という名の罪人であり、その業から逃れる気はない。
エレイン。ユーウェインはその姫を毒婦だと断定したが、実態は真逆であることを知っている。普段は清楚かつ貞淑で、とても今回のような蛮行に出るような人柄ではなかった。騎士王に反旗を翻した父を持つが、同時に円卓の王の一人の孫である。そんな彼女の人品を把握しておこうと思い、実際に調べさせたのだから間違いあるまい。
今回は初恋という麻疹に罹り、暴走してしまっただけの事。ランスロットと首尾良く結ばれた暁には愛情深く夫を愛し、子を慈しむ良き妻、佳き母となるだろう事は想像できた。
だが赦さない。赦すわけにはいかない。ここで赦してしまえば、折角これまで築いてきた王の法――臣民に説いてきた人の道に反してしまう。罪を明らかにし、罪には罰があると示してきたのだ。これに例外を作ることは、少なくとも自分の代では有り得ぬことだ。
気の毒だが、エレインの未来は昏い。不遇を託ったまま死んでもらう。そうしてこそ、人は自制を覚えるのだ。悪徳には男女の別なく応報があるのだと、国に広く知らしめることで。
しかし、ランスロットは意を決したように顔を上げ、立ったままのユーウェインを見上げた。
「――父上、此度は我が身の恥となる相談に乗っていただき感謝致します。そして不明な我が心の曇りを払い、王としての裁定を下された事にも、心よりの感謝を。ですが父上、どうか今暫くの時を私に与えてください」
「ほう……何をする気だ、ランスロ」
「エレイン姫に会います」
「会ってどうする。アレは罪人だ、末路は決まっているが」
「決まっていません。此度の件はまだ内々の事、世に知られてはいない。ならばまだ猶予はあると考えますが、如何」
「……いいだろう、好きにするといい。時のある内に行ってしまえ、俺はお前の赤心に期待して待つ」
「ありがとうございます、父上……!」
決意したランスロットの貌に、父は微笑する。
目は口ほどに物を言う。ランスロットの目は雄弁に決意を語っていた。
穏便に済ませる手が、一つだけある。それに思い至り、叶うなら実現しようと思ったのだろう。それもまた一つの解決であり、もしそうなったら王も口を噤む事になる。出る幕ではなくなるのだ。
尤もエレインに対するユーウェインの心象は、限りなく悪印象へ傾いている訳だが。
席を立って一礼し、退室するランスロットを見送って、ユーウェインは自分の椅子に腰掛けた。彼の鋭敏な異常感覚は、ランスロットの気配が厩の方へ向かっているのを感じている。
テラスから差し込む日差しに当たり、日光浴をしながらユーウェインは感慨に耽る。
親が何かをする事がなくとも、環境さえ良ければ子は健やかに育つものらしい。ダームも良い男に育ててくれたものだ。彼女の養育術は大いに参考になると、ランスロットが証明してくれている。
「おや、ランスロットはもう行ってしまったのですね。久し振りに私も話をしたいと思っていたのですが」
穏やかに流れゆく時間を、楽隠居した老人のように楽しんでいたユーウェインの許へ、アルトリアが一人で戻ってくる。隣の椅子に腰掛け、同じ時間の流れに身を置いた彼女の方を見ることなく、ユーウェインは感慨深そうに近い未来を示唆した。
「アルトリア。どうやら俺は、爺さんになるらしい。お前は婆さんだ」
「む。……婆さんはやめてもらってもいいですか……? まだお婆さんと呼ばれるような歳では……」
「俺が33で、お前は23だからな。確かに孫が出来るような歳じゃない。恨むなら奴の時の流れを早めたダームを恨め、全部ダームが悪いんだからな」
「むぅ……」
ランスロットの相談内容を悟ったらしいアルトリアが、不満げに呻く。爺さん婆さん呼ばわりされるには、確かにお互い若すぎた。歳も外見も。外見に関しては仕方ないが、少し待ってほしいものだ。
「そういえば、ロオは?」
「……寝てしまいました。座学はどうも苦手みたいで……私が教えるといつも眠そうにしてしまいます。どうにかならないですかね……」
「ケイあたりでも教師としてつけてみるか?」
「義兄さんをですか? それは……ふふ、面白そうではありますが、義兄さんの口の悪さがロオに移っては大変です、やめておきましょう。最近は貴方の仕事も押し付けられてますし、これ以上は過労で倒れてしまいかねませんから」
「ケイの心配は要らないぞ。奴も要領が良いからな、手に負えん量なら部下に投げて上手く処理している。……だが確かにロオにケイ節が移っては笑えん。奴は不良教師にしかなれなさそうだ」
「確かに」
くすくすと笑うアルトリアを横目に、ユーウェインも笑みを滲ませる。
別に悪口を言っているわけではないが、これ以上は悪口になってしまいそうだ。自重したユーウェインは、そこでふと思い出したように、椅子を動かしてアルトリアの方へと体ごと向き直る。
不思議そうに首を傾げながらも、居住まいを正すアルトリア。
出会ってから何年だろうか。……ああ、そうだ。18年だ。そこから10年の時を跨いで再会して夫婦になった。夫婦として過ごしたのは8年……真に向き合って3年だ。共有した時間は、確かに二人を『夫婦』にしていた。今はもう、アルトリアの事が愛おしくて堪らない。
彼女も同じ様に感じてくれているだろうか。感じてくれていたら嬉しい。
……嬉しい? ……そうか、嬉しいのか。幸福なのだろう、今こうして在れているのが。
なんだか気恥ずかしくなってきたが、ユーウェインは努めて平静を取り繕う。顔に出したら余計に恥ずかしくなりそうだったからだ。ユーウェインは一見冷静な雰囲気のまま、真面目腐って言う。
「俺にも悩みがあるんだ。聞いてくれるか、アルトリア」
「なんでしょう? 私にできる事ならなんでもしますが」
「ああ。実はロオやアニル、グウィネス達の事なんだが……どうも俺は、怖い父親だと思われている節があるだろう?」
「ええ、それはまあ……何年か前まで、ユーウェインは怖いぐらい白い王様でしたからね。子供達もそんなユーウェインを怖がっていましたが……今はそうでもないのでは……?」
「懐いてはくれたな。だがどうにも遠慮がある。特にロオは次代の王だからな……俺も甘やかすわけにはいかんし、悩ましい問題だ。そこでアルトリア、ものは相談なんだが……」
「はい」
「……俺が滅茶苦茶に、目に入れても痛くないほど甘やかしても違和感を感じない子供がほしい。できれば女の子が良いな。協力してくれ、なんでもするって言っただろう?」
「っ……? ぇっ……え?」
一瞬何を言われたのか分からないような顔をし。
理解した途端、アルトリアの顔に朱が差す。
固まってしまった少女に、ユーウェインは微笑んで。
自分も実は恥ずかしいくせに、なんでもありませんよとでも言いたげな顔のまま告げた。
「思えば随分ご無沙汰だったしな。次の子供の名前は以前、お前が考えてくれた
両手を膝の上に置いて俯いてしまったアルトリアの耳元に囁く。
びくりと肩を跳ねる反応が可愛くて仕方ない。
今夜は寝かさないからな、なんて言ってみると、少女は可愛い顔で睨みつけてきた。
――それが後に生まれる娘モードレッドと、その婿になる事となる義理の孫ギャラハッドが生まれた経緯だった。
予言にはない。
しかし確実に、ユーウェインの運命を決める子供が生まれようとしていた。
感想お待ちしております