獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
前話のラスト、字を薄くしすぎて気づいた人が少なそうなのには素直に草なのだ。
「
忙しさに頭が可笑しくなった左宰相のケイは、そう言って机に蹲った。
以降沈黙して何も言わなくなる。
超人の端くれである、円卓の騎士のケイが過労で気絶したのである。
激務であった。激務に次ぐ激務であった。右宰相アグラヴェインは、同僚が不甲斐なく力尽きたのに嫌味も言わず、目の下に濃い隈を拵え、死んだ目で執務に当たっている。
――二十人を超える文武の官による喧騒に満ちた執務室は、正しく戦場だった。
いつもなら部下に丸投げして楽をしているユーウェインも、年に一度の収穫期になると駆り出されてしまう。ただでさえ新領地の掌握も熟さねばならないのだ、抵抗は無意味だった。少しでも使えるのなら文武の官の境なく、全戦力を投入しなければならない。
山と積まれた書類を淡々と決裁していくアグラヴェインを尻目に、王様も気絶したケイを無視して裁可を下していく。脱落者を気にする余裕がないのだ。その内ケイも復帰するだろう。
……しなかったら叩き起こす。
「新たに統治下へ置いたアイルランドは酷い状況です。書面に起こされた記録などなく、村の生産力の調査から始めねばなりません。そして各村の土地を正確に確定させ、周辺に根付いている野盗の類いを駆逐する為に軍も動かさねばならない。次いで地図も作らないと」
新たな領地の状態を把握する事。戦争の後にはまた別の戦争が待っており、これは机上による戦争であった。険しい貌でアルトリアが報告して、ユーウェインは魔術道具である、インクに筆先をつける必要のない筆を走らせながら、手を止めずに応じた。
「手の施しようのない、土地が枯れた寒村は潰せ。潰した村の民は他所に受け入れさせる。今はとにかく人手が必要だ、実る可能性のない土地に何時までも人手を割いておけるか」
アイルランドは戦士の国と言えば聞こえは良い。が、古代から中世期に入ってもいない未開の地だ。武力を背景にアイルランドを屈服させ、外交で属国化させたケイの功績は極めて大と言えるものの、本当の戦いはやはり自身の国に取り込んだ後に始まるものである。
王様稼業の過酷さに、聖人君子の看板を投げ捨て暴君になりたい衝動に駆られるも、それはいつものことだ。武力で弾圧するのは容易いが、それをしてしまえば次代に繋がらない。騎士王は征服者にはなれても、暴君という名の暗君には成り下がれなかった。征服の後の統治を雑に熟せば、次代を空中分解させる事になるのが目に見えている、丁寧な仕事を心掛けるのは必然だ。
「先祖伝来の土地を捨てるのに抵抗する者が出てくるのでは……?」
「飢え死にしたいなら構わんがな、後から泣きついて来ても知らんと言ってやれ。風呂もない、下水の処理も儘ならん、そんな様で疫病でも蔓延してみろ。設備も金も人手もない環境で、貴重な時間と労力を無意味に費やす羽目になるだけだ。そんな場所を統治する余力はブリテンにはない。国庫の金は有限だ、無い袖は振れん。抗命するなら相応の覚悟があっての事と判断する」
小娘の懐いた綺麗事を、大人になっても懐き続けられるなら聖者だ。そういう意味で、勝利王は聖者と称するに値するだろう。アルトリアは清廉にして無欲な、高潔なる志を持ち続けているのだ――しかし小娘の容姿ではあっても、彼女は大人で、女王だった。
ユーウェインの血の通わぬ指示に対抗する権限がありながら、彼の判断を是と認め、受け入れる他にないと判断できる大局的な視野を持ち合わせている。故にアルトリアは首肯した。例え内心忸怩なる思いはあっても、機械的な合理性をこそ正しいと判じたのである。
この机上の戦場を、モナークの号を唯一受け継いでいる王太子は黙って見聞きしていた。王としての英才教育を施されているロオにとって、この実地研修はいずれ自分が主軸となって熟さねばならないものである。王様になんてなるものじゃないんだなと、幼心に思うものの、ロオはここから逃げ出したいとは思わなかった。その責任感の強さは父親譲りで、真面目さは母親譲りである。
王の仕事に血は通わぬ。通わせるべきではない。しかし冷酷さばかり見せては臣下は心服せず、王は孤高であり、しかし孤独であってもならず、まこと面倒この上ないと彼は学んでいく。
まだこの時は言葉として形になっていなかったが、ロオは義務と権力の関係性を認識していた。権利も権力も、全て高貴なる義務を果たさねば行使する資格はないのだ。そしてその義務を両親は果たしている。
イングランド――ブリテン王国は文明的だ。馬車馬のように働いてきたユーウェインと忠実な配下の尽力で、各地の水路は奇跡の短剣の力で整備され、風呂とトイレを設置し、清潔さを尊んでいる。
しかしユーウェインの広めた衛生観念の浸透していないアイルランドはそうではない。まるでユーウェインが衛生革命に着手する以前のイングランドだ。非常に難儀な仕事をまた零から始めさせられていることには、ユーウェインも鉛色の吐息を溢すしかない。
「おう、大将。この牧場建設・拡張計画はホントにやんのか……?」
机に向かう者の中には、容姿からして似つかわしくない者もいる。
シェラン・アッシュトン公爵だ。粗野にして野生、豪快無比な豪傑である彼は、畜産業の総責任者である他にも仕事を抱えていた。腹心シェランの嫌そうな貌を見もせずにユーウェインは肯定する。
「やるに決まっているだろう。さしあたり不可欠になるのは豚と牛、馬だな。豚はとにかく食い扶持になる、牛は農作業に使える、馬も各地との遣り取りで足になる。この三種の獣は欠かせん」
「うへぇ……堪んねぇな、毎度毎度……」
「泣き言を言うなよ、シェラン。貴様の一族に公爵位を取り戻してやったのはこういう時のためなんだ。給料分の仕事はしてもらう」
「わぁってるっての……」
ガシガシと頭を掻くシェランの頭には、白髪が混じり始めている。賢王ベオウルフの血を引く先祖返りのシェランは、まさしくベオウルフの再来らしく、武勇に長けると共に統治者としても優秀だ。こうした時に手を抜けないことはよくよく理解している。
その時、ノックがされた。執務室に四人の騎士が入室してくる。
ランスロット、ガウェイン、ラモラック、トリスタンだ。彼らは執務室に充満する死んだ空気と惨状に気圧されたようだったが、すぐに持ち直して騎士の礼を取ってきた。
「我が王よ、ご報告します。アイルランドとイングランドの国境付近に根付いていた野盗の討伐、無事完了致しました」
「私からも報告を。山賊どもの塒を総洗いしましたが、めぼしい物資の貯蓄はありませんでした」
「陛下! アイルランドの主だった都市周辺の地図の清書を済ませ帰還しました!」
「王よ。アイルランドの一部の村が、畑や土地の計測を拒否しております。着任しようとした役人も叩き出され、負傷して帰ってきたようです」
「………」
一度に喋るなと言いたいのをグッと堪え、ユーウェインは順番に応じた。
「ランスロ、ガウェインは報告書に纏めておけ。提出先はそこで寝ているケイだ。三時間以内にやれ、戻ってきてもケイがまだ寝ていたら叩き起こすんだ。ラモラックは引き続き地図の作製を急げよ。領内の地形も分からないようでは管理に差し障る。トリスタンは……エハングウェンを貸してやる、騎士隊を連れて空路を急行し、反抗的な連中を締め上げろ」
「締め上げ……よろしいのですか?」
「よろしくない訳があるとでも? 役人を叩き出すような輩どもだ、これまでにも国への報告は相当数誤魔化してきたに違いない。だがアイルランドではまかり通った不正も、私の下では許さん。連中の顔役だか長老だかを拘束しろ、抵抗して来るようなら死人を出してもいい。誰が主人なのかは最初に教え込まねばならん。徹底的にやれ。蔵は先に確保しろよ、役人に中を検めさせる」
「は……」
目を閉じたままのトリスタンは何を考えているか伝わりづらい。しかし彼は穏健な質らしい、苛烈な遣り口に若干気乗りしないようだったが、相手方の村に問題があるからか反抗はなかった。
新しく円卓の騎士になったトリスタンだが、円卓に連なった以上はやりたくない仕事でも絶対にやらせる。マンパワーが足りないのだ、恨むなら実力のある自分を恨んでほしい。
もう一度礼を示して退室していく四人の騎士から意識を逸し、手元の書類に視線を落とす。すると今度はアグラヴェインが水を向けてきた。
「陛下。どうやらジャスティン侯爵一派を中心に、軍はもう必要性が薄く、軍備を縮小するべきだとの声が上がっているようです」
「あ? ああ……無能だな。ジャスティン侯は更迭しろ。今まで見逃してきてやったことに気づきもせんとは……情勢も読めん輩に要職は任せられん。後任はウォルフレッド伯だ。彼は有能だ、これを機に重要な仕事を割り振れ。ウォルフレッド伯を遊ばせるのは国の損失だ」
「承りました。ではその様にしましょう」
一瞬物騒な声を漏らしてしまうユーウェインだったが、なんとか取り繕う。
些細な瑕疵でも積み重なれば害悪だ。穏当な粛清の為に、隙を見つけたら処理していく方針である。ジャスティン侯は蟄居を命じられ彼の一派は解体されるだろう。
無能でも忠実なら基本的に許すのだが、無能が許されるのは下の立場だけである。上層部には一人も要らない。無能は国の病である、防疫しなければならないのだ。
「僕……父様の後を継いで、王様やっていけるのかな……」
不安げに呟いたロオに、ユーウェインは苦笑する。傍で小さくなっているロオの頭を雑に撫でつけてやると、目を白黒させながらも嬉しそうにロオは父を見上げてきた。
「大丈夫だ。お前は一人じゃない。俺の遣り方を真似る必要はないし、分からない事があれば周りに頼れ。今はその頼れる奴に、どう頼るかを考えておけばいいさ」
「うん。……父様に頼ってもいいの?」
「ああ、構わん。存分に頼れ。だが――」
「依存は駄目?」
「その通り。分かってきたな、ロオ」
「うん! へへ……」
はにかんだロオに、ユーウェインは苦笑を微笑に変える。
張り詰めていたものが少し緩んだ。アルトリアも嬉しそうにしている。父子のぎこちない関係も、ようやく自然な形になりつつあるのが嬉しいのだ。
王様稼業は過酷である。しかし、それで自身の全てを犠牲にする事はない。ユーウェインは次代に引き継ぐ準備に余念がなかった。不老の身であり、寿命など存在しないが、ユーウェインは永遠に王位にしがみ付くつもりなどないのだから。
国とは人間組織である。国という組織の中で人間は血であり、代替わりによる世代の交代は不可欠となるだろう。騎士王は王家、王室の血を神聖なものとして根付かせようとはしているが、己が神の如き王として永久に残ってしまえば、必ずどこかで歪になると確信していた。
子供の代も、孫の代も、ひ孫の代も。子々孫々に亘り見守り続ける――なんて、そんな気の長い話をする気はないが。ユーウェインは、自分の寿命について考えない時はなかった。
人間としての寿命ではない。王としての寿命だ。
いつまで、ユーウェインという『強い王』が求められるのか。時代の変化に合わせ、王は在り方を変えねばならないはずである。それは歴史が証明していた。ユーウェインは、思う。
(俺の王としての寿命は……長くて後、二十年といったところか……)
それまでに全ての問題に片をつけられる。逆説的に――以後は『強い王』の出る幕ではなくなるという事で、強さを求められる苦しさを、我が子に味あわせたくないという思いも込められていた。
ユーウェインは王だった。しかし、同時に父親でもあったのだ。
† † † † † † † †
騎士王伝説は様々な英雄伝説が織り交ぜられた
ユーウェインを主軸としてはいるものの、彼が殆ど登場しない伝承は数多存在し、そこでは多くの権謀術数、英雄の活躍が入り乱れ、多様な人間模様が展開されていた。
中でも著名な伝承には、ガウェインやランスロット、トリスタン、ラモラック、ベイリンやペレアス、アルトリアやオルタを主役としたものもある。それは騎士物語というジャンルに彩りを与え、中世における花形の物語は彼らなくして語る事はできないだろう。
だが単独での英雄譚が存在しない者もいた。
その一人がリーリウム・ペンドラゴン。
国ではなくユーウェインという個人に仕えた、愛妾にして顧問魔術師だ。
彼女を記した物語の多くが、子育てや姉との些細な諍いなど、人としての苦悩を主題としており。当時に於いてはかなり珍しいことに、リーリウムは等身大の人物として描かれる事が多いのだ。
だが。リーリウムは決して脇役などではない。
円卓の騎士に特別な力を持った宝剣、魔槍、聖槍を齎す便利なキャラクターとしてだけではなく、リーリウムこそが騎士王伝説全体を通してのキーマンだと位置付けられていた。
それはなぜか。
リーリウムだけが、明白に、明瞭に、確実に――ユーウェインに対してあけすけなまでに『個人』として接し、ユーウェインだけだと決して動かない物語を加速させる事ができたからだ。
円卓の騎士が自身の悩みを打ち明け、王へ願いを申し出る前に、相談を持ち掛けるのがマーリンではなくリーリウムである事からも、彼女が如何に周囲から信用され頼りにされていたかが分かる。
良くも悪くも、リーリウム・ペンドラゴンは王と騎士の間を取り持つ緩衝材で。彼女の能力の高さが福を招き、的確な助言や魔術の加護で物語にハッピーエンドを齎す事は多々あった。
そして。
後々にはマーリンにも匹敵する魔女へ成長する、才気煥発なるリーリウムだけが――妖妃の暗躍を匂わせる伏線の存在を、騎士王伝説に記させる事を可能としていたのだ。
「ユゥさん、遠出に出掛けましょう!」
旅装に身を包んだ少女が両手を広げ、辛抱ならんとばかりに「がおーっ!」とイキり立った。ブリテン広しと言えども、ユーウェインをユゥさんと呼ぶのはただ一人、リリィだけである。
昔は兄さんと呼んで来ていたが、リリィも一児の母となって呼び方を改めたのだ。子供の前で母親が父親を兄と呼べば、倒錯した志操を植え付け無用な影響を与えかねないと思ったのだ。
「清くて綺麗で気持ちいい! こんな所にずっといたら息が詰まっちゃう! 気分転換に出掛けようよ、ね? ね?」
「キャメロットを『こんな所』呼ばわりするのはお前ぐらいだぞ、リリィ」
おねがーい! なんて、あざとくお願いしてくるリリィにユーウェインは呆れる。
全ての疵、全ての怨恨を癒やす騎士達の故郷。白亜の王城キャメロットは、古今地上に存在したあらゆる名城を凌駕し、その城壁は人類史を焼き尽くす巨大なエネルギーをも弾き返すだろう。
キャメロットに住まう臣民の悉くが聖なる空気に当てられ、心穏やかに過ごしている様は異様ではあるが、あくまでも特別な力など介在しない『空気感』がそうさせているに過ぎない。
それほどまでに清いのだ。それほどまでに、キャメロットは眩いのだ。
まあ、だからこそ『息が詰まる』と言うのも分かる。故にユーウェインは時折臣民はもとより、円卓の騎士がキャメロットを出て各地を遍歴する許可を与えているのだ。何事も過ぎたるは及ばざるが如しである、行き過ぎた聖性に耐えかねる気持ちはよく分かった。
他の者はともかく、アルトリアやオルタでさえ、年がら年中キャメロットに詰めていたら神経質になり、些細なことにも過剰なストレスを感じると言うのだ、リリィの言い分は的外れではない。
尤も。斬魔の理を独自に構築し、体現するに至った妖精王ユーウェインに、そうした尋常の感性は通用しない。彼は単なる清潔な家程度の認識しか持っておらず、さしたる苦痛を感じていなかった。
だが……。
「出掛けたい出掛けたい出掛けたーい! わたしも偶にはユゥさんを独占したいー!」
「………」
「アルトリアの手前我慢してたけど、アルトリアがいなかったらオルタが四六時中一緒にいるし! でもわたしは!? 放置されてる! わたしを蔑ろにするなー! 断固この待遇に抗議するぅー!」
「………」
年季の入ったブーイングだ。さてはこの女、ユーウェインの見ていないところでアルトリアやオルタに駄々を捏ね通して来たな。それで今、アルトリアやオルタが近くにいないわけだ。
根回しをした上での駄々、ブーイング。山場を越え仕事のなくなった時期。……計算され尽くしている。青年は嘆息した。どうしてこう根っこは変わっていないのに、やり口だけ成長しているのか。
だが、良い。リリィとてユーウェインが大事に愛する者の一人だ。その愛する者を何人も作らせた張本人がリリィであり、些か恨み節を溢したくなる事も嘗てはあったが、今はない。
寧ろ感謝していた。恐らくリリィがいたから、凝り固まっていた志操がほぐれたのだ。過去と訣別し今のユーウェインが在るのは、きっとそのお蔭でもあるし。露骨ではないが、公の場を避け、可能な限り私人として接してくれるリリィには感謝もしていた。
「……まあ、偶には遠出に出掛けるのも良いかもな」
だから甘いと分かっていても、苦笑と共に誘いへ乗る。
するとリリィは顔を輝かせた。
「ほんと!? 実はもうユゥさんが遠出するって皆には触れて回ってるんだ。服は別になんでもいいし、善は急げだよユゥさん! 早速出よう!」
「おい」
周到な根回しは、全てユーウェインの返答を読み切っているが故のもの。最初から断られる事など考えてもいなかったに相違ない。困った奴だった。
呆れながらリリィに手を引かれ厩へ向かう。道中、微笑ましいものを見たとでも言いたげな顔で道を空け、跪く臣民には気づかないふりをした。ユーウェインとて羞恥を感じる心ぐらいあるのだ。
厩には鐙と手綱を付けられ、退屈そうに待機していた愛馬ラムレイがいる。美しい黒の毛並みと、艶を帯びた馬体からは、彼女が人間換算の年齢で老境である事を悟らせない。
主人が近寄ると、神馬の格を有する愛馬が首を巡らせてつぶらな瞳を向けてくる。
それに、
「ラムレイ……改めて思ったが、お前老けたなぁ……
「当たり前だよ……ラムレイも女なんだから、歳の話なんかしちゃいけないに決まってるでしょ? 変なとこで無神経なんだからなぁ、兄さんってば」
素直な感慨を込めて言うと、腕に思い切り噛みつかれてしまう。
自然と快活な笑い声が口を衝いて出た。傍らにいるリリィと、ラムレイ。この面子だと昔を思い出してしまい、ついついこちらまで若返ってしまう。ユーウェインは失笑し、リリィに反駁した。
「そういうお前も俺を兄さん呼ばわりしているじゃないか。簡単に場の空気に引きずられるな、ばか」
「ぅぇっ? 今わたし、ユゥさんのこと兄さんって言ってた? 昔からの癖ってなかなか抜けないものなんだね……気をつけないと」
言いながら、リリィはリリィで馬を牽いてきた。
アルトリアの愛馬ドゥン・スタリオンとラムレイとの間に産まれた、立派な馬体の雄馬だ。気が強くリリィやその血族以外背中に乗せた事がないらしい。若かりし頃のラムレイを彷彿とさせた。
リリィが杖を鐙に括り付け、馬に跨るのを尻目にラムレイの首筋を撫でてやる。ラムレイはこれから目的のない遠出に出る事を察しているのか、緊張感のない様子で嘶くと、自分で噛んだくせにユーウェインの腕を長い舌で舐めてくる。堪らず破顔した。
「可愛い奴め……老いぼれても愛嬌を失わんとは、生粋の愛され体質――解った、もう老いぼれとか言わないから歯を剥くな、歯を。……ん?」
目の前でガッチンと鳴らされる顎に苦笑する。
早速出掛けるかと言い掛け、もう一頭の黒馬がやって来るのに目を瞬いた。
ラムレイの末の仔である、まだ体の小さい馬だ。仔馬には小さな鐙と短い手綱が付けられており、その背には小さな女の子が乗っている。どこかオドオドしている様子のその幼女は――
「グウィネス?」
リリィとユーウェインの子供である、グウィネス・ペンドラゴンだ。
王女――すなわち現状でのブリテン王国唯一の姫である。恐る恐る仔馬を歩かせてやって来たグウィネスに、ユーウェインは厳しい目をリリィに向けた。
「リリィ……お前まさか、グウィネスも連れて行く気か?」
「そうだよ?」
あっけらかんと、悪びれもせず応じるリリィは、並の者なら肝が潰れる眼光を受けても怯まない。幼い姫を危険のある外界に連れて行く等、正気の沙汰と思えないと叱責しようとするが、しかし。
「と、父様……ぐ、グウィーのこと……連れてってくれないの……?」
「………」
「大丈夫だよグウィーちゃん。パパはとっても強いから、外に出てもグウィーちゃんを完璧に護ってくれるよ!」
可愛い娘の言葉は父親に特効がある。思わず閉口した隙に、リリィがいけしゃあしゃあと返答すると、さしものユーウェインも口を噤まざるを得なかった。
してやられた……その思いに苦い気持ちになり、ユーウェインは悟った。
リリィが遠出に誘って来たのはこの為だったのだ。娘との微妙な距離感を解消させてくれようとしているのである。グウィネスの台詞は言わされている感が強いものの、なんとなく縋るような、期待するような光もあった。こんな目で見られて、付いて来るなとは言えない。
「リリィ……後で覚えてろよ……」
「なーに? そんな小さな声だと聞こえないかなー」
「泣かせてやると言ったんだ」
「えっ……!? せ、センシティブ! グウィーちゃんの前なのにセンシティブが過ぎるよユゥさん!」
赤面するリリィだが、別に変な意味で言ったわけではない。文字通りの意味で泣かせてやると――つまり普通にアルトリアを交えて説教してやろうと言っている。妙な誤解をするなと言いたい。
首を傾げるグウィネスは意味が分かってないらしい。分からないでいいんだ……。
諦めた。
ユーウェインはリリィを無視する事にして、騎乗の術が危なっかしいグウィネスの仔馬の手綱を取ってやり、仔馬の首筋にしがみつくグウィネスへ常に細心の注意を向ける事にする。
すると、「父様、グウィーのこと見てくれてるの……?」なんて無垢な顔を向けられ、不意打ち気味に胸を衝かれてしまった。
「……当たり前だろう」
大事には思っていても、そういえばグウィネスにだけは特に構っていなかった。ロオには英才教育と称して傍にいて、アニルにはオルタと剣の稽古をしているところを見てやっているのに――娘のグウィネスにはどう構えばいいか解らず、無意識に避けていたのかもしれない。
ユーウェインはグウィネスの首根っこを掴み、自身の前に置いた。ラムレイとの二人乗り――奇しくもその光景は、十数年前に幼いリリィと相乗りしていた絵面の焼き直しだった。
グウィネスが自分の背中の上から消えたことで、仔馬が母馬のラムレイに寄り添ってくる。父の腕の中にいることに緊張しているのか、グウィネスは身を固くしていた。微かな悔恨が過る。……自らの幼少期、母にしか構ってもらえなかった寂しさを、自身の子にも感じさせていたツケだろう。『俺は自分の子供に辛い思いをさせるような父親にはならない』と決めていたのにこの様だ。
「グウィネス。俺はお前を愛しているよ」
「………」
言葉にして伝えないと伝わらない事もある。血のつながりに甘えて、何も言わなくても伝わると思えるほど、ユーウェインはグウィネスと時間を共有してこなかった。だから言葉にする。
案の定、グウィネスは下から父を見上げ、きょとんとしていた。言葉の意味を理解して、恥ずかしそうにしているが、嫌がられてはいないことが表情から読み取れて安堵する。
よかった。まだ嫌われてはいなかったらしい。胸をなでおろして吐息を溢すと、リリィが馬を寄せて来て囁いてきた。
「ね。わたし、気が利くでしょ?」
「………」
「図星突かれたら黙る癖、直した方がいいんじゃないかなぁ。ちょっと可愛く見えちゃうよ。――ぁれ? んんん?」
得意満面なリリィの頭を、両の拳骨で挟んで
キャメロットの城門を潜り、城から出た直後のことである。
不意に白亜の王城キャメロットを振り返ったリリィが、真面目な――魔術師の貌になったのだ。ユーウェインは顧問魔術師の表情の変化を見て、リリィの視線を辿ってみる。しかし、見えるのはなんの変哲もない王城キャメロットだけだ。特におかしなものはない。
「……どうかしたのか?」
「うん……ねえユゥさん、キャメロット全体に張り巡らされてる
転移の魔術方陣。それはキャメロットの建設に際して、図面を引いた
言われてみて、ユーウェインは改めて魔眼を発動する。複合神との戦いで、ガニエダの魔術を取り込んだことで、『視たいものを選択して視ることができる』眼に変じた力だ。ユーウェイン個人の洞察力や眼力と合わさり、あらゆる業、因果操作すら視認する魔眼は、キャメロットに仕込まれた転移の魔術方陣を詳らかに映し出した。
だがそうして視ても、おかしな部分はない。
「検めてみたが、なんの不具合もないな。気のせいなんじゃないか?」
リリィが魔術師として腕を上げ、経験を積んだ今だから気づけた小さな違和感を――魔術師ではないユーウェインなどが、感じ取れるはずがないというのに……ユーウェインは、そう断じた。
リリィの直感や観察力を軽く見たのではない。ユーウェインとしては、見たままをそのまま感想として口にしただけで、リリィが別の見地から意見を言うなら聞く耳を持っていただろう。
しかし、二人の関係性がリリィに意見を言わせなかった。
リリィはユーウェインを信頼している。その観察眼を知悉している。幼少の頃から、リリィにとってユーウェインは並ぶ者なきヒーローだったのだ。そのヒーローが断じた事を、疑う思考を彼女は持っていない。自身の感じた違和感も、ユーウェインが言うなら些細なものだろうと思考を停止させてしまう。それはある種の刷り込みだった。
「……うん、気のせいだよね。
そう、あるわけがないのだ。
そんなピンポイントで裏を掻ける者は、地上でただ一人だけだ。そしてその一人の魔女にはユーウェインは元より――密かにリリィも常に目を光らせていた。そして、
ならば、警戒しても意味はなかった。
「……ごめん、ちょっと水差しちゃったね。行こ、二人とも。実は二人に見せたい、綺麗な景色を見つけたんだー」
気を取り直して仕切るリリィに、ユーウェインは微笑して先導を任せ。
二日間。たったの二日間だけ、王は城を離れた。
――ずっと
「ァア。やっ、ト……やっと、時が来、タ……」
活動限界時間を迎えたホムンクルスが、最後の力を振り絞り――幻想種の頂点に位置するほどの対魔力を、完璧に貫通してみせる。
「――え?」
その日。アルトリア・ペンドラゴンが忽然と、キャメロットから行方を晦ました。