獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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お待たせしました。感想欄に予言者ニキが現れ草不可避。
そりゃ伏線撒いてたから気づいてもおかしくないけどさ……!





74,親の刻む呪い、子を想う母の疵

 

 

 

 ――運命の生まれた日は、嫌に爽やかで。

 

 雲一つない蒼穹に、日輪が燦々と煌めいていた――

 

 

 

 剣の魔女の案内した先の絶景は、切り立った二つの丘の間から穏やかな風が流れ、昇り始めた朝日を戴く湖が遠望できる断崖であった。

 其れはまだ無銘の湖だ。二柱の天使の齎した奇跡の力で、ブリテン島の水流を操り過ぎた結果、副次的に生まれた湖である。神代にしか許されない、地形創造の領域にある神秘の産物だ。

 湖の水質は澄み渡り、癒しの力を宿した水が溜まっている。水面が照り返す日光が、言葉もないほど綺麗で……脚を折って座り込んだラムレイの腹に背中を預け、父母の間に挟まってこの絶景を見詰めるグウィネスの目は、無邪気な光を宿して輝いていた。

 

 地べたに座り込む無作法は、王宮で生まれ育った王女には初めての体験だろう。この短い旅も未熟な身には大変で、何もかもが新鮮に映る。どこか遠い存在だった父親を近くに感じたし、幼い王女の心の原風景に焼き付くほどに、ささやかな旅路は深い感動の波となった。

 グウィネスは、いつまでもこの景色を見ていられると思った。大好きなママと、ちょっと怖いけど大好きになった父様と、可愛いお馬さん達。皆でずっとここにいたいと感じている。これだけだと少し寂しいから、特別にこの感動を大兄様(ロオ)小兄様(アニル)の二人にも分けてあげて、二人の伯母も呼んであげたいと思った。特別に、ランスロットも呼んであげてもいい。

 

 王女は王様である父の裾をギュッと掴んだ。

 王女は幼いなりに理解していたのだ。父様はいつも『父様』をしてくれるわけではなくて。自分がこうして独占できる時間は限られたものなのだと。微笑む父様はお日様みたいで、お日様みたいなママに囲まれる。二つの太陽が、グウィネスの心を満たしていた。

 

 ――しかし、不吉が訪れるのはいつだって突然だ。

 

 幸福も日常も、容易く破壊してしまう禍の風が、奥ゆかしい女のように微笑みかける。

 

 ――不意に貌を険しくした男が、やんわりと王女を女に預け、立ち上がると虚空から極刀を召喚した。それを見て頭を上げ、耳をそば立てたラムレイと、杖を取り出して娘を抱き締める剣の魔女。

 きょとんとしたグウィネスを置いて、状況が動く。激しい馬蹄が鳴り響き、早駆けしてやって来たのは軽装の騎士である。よくよく見知った顔だ。なにせその騎士は、円卓の騎士だったのだ。

 刀を下ろした父の貌は訝しげであった。

 

「陛下ぁ! すぐキャメロットに戻ってくれ――いや、戻って下さい! 非常事態が発生した!」

 

 血相を変えて報告したのは、『勝利王の第一の剣』と称される最古参の騎士である。名はベイリン。聖匣の騎士の称号を有し、封じられた神殺しの槍ロンを守る双剣の使い手だ。

 彼は心ない者に礼儀も知らぬ野蛮人と揶揄されることもあるが、その忠誠心は誰しもに認められ、単純な実力でも円卓上位に位置している。ユーウェインも厚い信頼を置き、自身にラモラックがいるならアルトリアにはベイリンがいると称するほどだった。

 グウィネスにとっては、乱暴だけど優しい人で。そのベイリンが……豪胆で鳴らす騎士が血相を変えている――よからぬ事が起こったのだとすぐに判断できた。

 

「何事だ」

 

 短く問う父様を見上げて、グウィネスは悟った。大事な時間が終わったんだ――と。

 

 

 

「勝利王陛下が――アルトリア様が、何者かに攫われました!

 

 

 

 ………。

 …………。

 ……………。

 

 ……ユーウェインは最初、その報告をすぐには信じられなかった。

 

 考えてもみるといい。アルトリアは強いのだ。

 実現こそしなかったが、あくまで例えとして言うと、魔竜は円卓最強を誇る日中のガウェインを一撃で倒せてしまえる。が、アルトリアはその魔竜と数時間に亘り互角に戦えるのである。

 未来予知の領域にある勘の鋭さと、赤竜に由来する対魔力を兼ね備えてもいた。仮に彼女が単騎でいたとしても、生半可な腕では触れる事すら叶うまい。

 

 しかもアルトリアがいたのはキャメロットだ。多くの精強な騎士や円卓の騎士が詰め、更にシェランもいる。キャメロット自体も特別な魔力を内包し、外部はおろか内部からも不埒者は現れ得ない。

 ブリテン王国で考え得る限り最も防備が硬い所。そこから、よりにもよって最重要の要人の片割れである王妃が、攫われた? アルトリアに抵抗も赦さずに、かつ他の誰かが気づく間もなく? 

 もっと言えば、()()()()()()()()()。まだ生理が来なくなった、という程度の段階だが、アルトリアや宮廷医は妊娠を確信している。そんな状態のアルトリアが、誰に断りも入れずに自らの意思で行方を晦ませる訳がない。なら――攫われたというのは本当なのか?

 

 だが信じられない。いったいどこの誰がそんな事をする? そもそも可能なのか?

 

 ユーウェインは半信半疑だった。故に――キャメロットに帰還するや、真っ先に現れたオルタが険しい表情で出迎えてきたのを見て。やっと、報告が事実であったのだと認められた。

 

「――状況は?」

 

 ユーウェインは冷静だった。殊の外、静かだった。

 

 しかし円卓の騎士達は、全身が泡立つような戦慄を覚える。

 

 多種多様な経験を山と積んで以来、青年期のような激怒を発露する事がなくなった代わりに――騎士王は怒りを溜め込み、内側で沸騰させる事で、爆発の瞬間に激情を解き放つようになった。

 この三年で最もユーウェインの怒りを買ったのは巨人王リエンスである。

 彼は一度は騎士王の軍門に降っていながら、円卓の王に列されなかった事を長く不満に思っており、イングランド統一戦争後に反乱を起こした。

 ただでさえ忙しい時期に、リエンス王はブリテン王国各地に戦火を振り撒いたのだ。怒りを溜め始めたユーウェインは、冷静ながらもリエンス王の処刑を決定し、反乱鎮圧の軍を起こし――最初はアルトリアが総大将として出向いたが、遠目にアルトリアを見たリエンス王は欲に駆られ騎士王に要求する。

 

 曰く。王妃を譲れば反乱を取り下げ、以後は忠実な配下として尽くしてやろう、と。

 

 ここまで突き抜けた愚物は、ユーウェインとて初遭遇だ。何を言っているのか理解しようとする思考を放棄し、彼は黒太子時代に戦った邪神インデフの時以上の赫怒を燃やす事となる。

 ユーウェイン王はラムレイを駆って単騎で出撃し、リエンス王の陣幕に突撃するとそのまま一撃で巨人王を断頭し、彼の遺体から男根を切り落とした。怒りに身を任せた誅殺は語り草となっている。

 

 ――今は、その時より更に深度のある怒気を湛えていた。

 

(誰だ?)

 

 誰がアルトリアを攫った。

 

(俺から……()()奪うのか)

 

 誰が奪おうとしている。

 

(赦さん。必ず見つけ出し、斬り刻んでやる)

 

 円卓の間にて、緊急招集を受けた騎士達を見渡し、ユーウェインは全員を見渡した。

 氷の様に熱く、炎の様に冷たい、鋼刃の如き赤光を双眸から漏出させ。席に着いた英雄らを睥睨する魔人王の憤怒に、怒りを向けられている訳ではないのに円卓の騎士達は震え上がる。

 平静を保てているのは、同じく内心怒り狂っているケイとベイリン、ランスロットぐらいなものだったが、彼らは三人とも冷静だった。自身よりも遥かに巨大な心量を有する、埒外の理に至った魔王の憤怒にあてられ、一周回ってケイらは沈静化されていたのである。

 

 状況は? と。そう訊ねられ、アグラヴェインが緊張を押し隠しながらも、生唾を飲み込みなんとか口を開く。彼の様子を無様と嗤う者はいない。むしろ言葉を発せられる事に称賛の念が湧いた。

 

「ご――ご報告します。現在我らは、城内に不埒者がいないか総力を挙げて調査を――」

「手緩い」

 

 極寒の眼差しに晒された鉄の騎士は固まった。魔王は冷厳に一同を見渡す。

 

「調査。調査だと? 私が帰還するまでどれほど時があったと思う。まだその段階なのか? 私が期待していたのは、キャメロット内に容疑者はいないと断じ、私の帰還を待って騎士達を動かせる態勢を整えていることだった。初動が遅い、らしくないなアグラヴェイン卿」

「……は! 申し訳ございません、ただちに勝利王陛下の捜索部隊を編成致します!」

「それでいい。決議は執らずに命じよう。まさか我が意に背く者はいまいな? いるわけがないと信ずる。いいか貴公ら、名にし負う円卓の騎士ども。騎士の名に懸けて総員出動し、ブリテン島全土を隈なく探せ。全ての騎士と兵を動かし、隅から隅まで探索しろ」

 

 勝利王の捜索に、決議は不要だと断じる騎士王。その圧力に逆らえる者も、逆らおうと思う者もいなかった。これは国威の掛かった事態である。一国の王妃が攫われるなど醜聞もいい処なのだから。

 ユーウェインの存在に、人の域を超越した激情が宿っている。彼は次いで、辺りを見渡した。

 

「マーリンはどこだ」

「マーリンはまだ復活していません。復活には最短で後半年は掛かる見込みです」

 

 応じたのはリリィだ。いつもならこうした場には出てこないリリィも、純白のドレスと胸当てを纏い、正装の姿で威厳を持ち参加している。剣の魔女としての戦闘態勢だ。

 彼女の言に、ユーウェインは露骨に舌打ちする。

 マーリン。マーリンだ。あの男さえいたら、今回の一件は一瞬で解決するのである。彼の有する千里眼から逃れられる者はおらず、仮にいたとしてもそれは一つの事実を証明するのだ。

 すなわちマーリンの目をも欺く存在が、此度の真犯人なのだと。

 だがそのマーリンがまだいない。使えない奴だと辛辣に吐き捨て、ユーウェインはもう一度円卓の騎士達を見渡した。

 

「キャメロットには騎士を残す必要はない。全員を出す。反論は聞かん、私一人が詰めていたら事足りる。アグラヴェイン、エハングウェンを出し速やかに事態の収集に移れ。他の者も持ち得る全能を振り絞れよ。もしアルトリアに何かあれば――私は、冷静さを保てる自信がない」

 

 恫喝に等しい言葉だった。騎士達は頷き、ブリテン王国の特大の仇となった者を探し出す決意を固めた。彼らにも誇りはある――国に仕える騎士として、国の権威である王妃を攫われたのは屈辱的だったのだ。言われるまでもなく、彼らは勝利王の奪還を誓っていた。

 我先に円卓の間から退室していく騎士らを見送り、ユーウェインはオルタとリリィにも視線をやる。

 

「お前達も行け。二人とも勘がいい、なんとかアルトリアを探し出してくれ」

「分かった」

「――ユーウェイン様」

 

 素直にリリィが頷くのに。オルタは、静かな眼差しでユーウェインの目を見た。

 

()()()()()()()()()、解らない貴方ではないはずだ」

「………」

 

 そう。解らないはずがない。分からない事だらけな今、明らかな事は確かにあるのだ。

 アルトリアを攫った者は、恐らく魔術を使っている。アルトリアの対魔力を貫き、円卓の騎士の誰にも気づかせずに連れ去って、なおかつ足取りを全く掴ませない者など。それこそ、全ての魔術師の中でも頂点に近い、マーリンにも匹敵する者の仕業であろう。

 

 そんな者は……知り得る限りでは一人しかいない。

 

 オルタの指摘に、ユーウェインは目を細める。そして彼は呟いた。

 

「解っている。元々、帰った後は直行するつもりでいた」

「であれば私から言うことはありません。失礼します――私も、アルトリアを攫われ腸が煮えくり返っています。()()()()他に下郎がいたのなら、必ずこの手で叩き潰してやりましょう」

 

 行くぞ、リリィ――そう言って妹を連れ退室した獅子騎士。

 一人取り残されたユーウェインは、自らの勅令のみで封じた神殿に向かう事にする。

 向かうは、母モルガンの許だ。

 

 彼の手には、漆黒の極刀が握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅ………」

 

 酩酊。まるで深く酔ってしまったかのように気持ちが悪い。

 掠れた意識の中、アルトリアはゆっくりと目を覚ます。

 こんなにも気分が悪いのは久し振りで、彼女は我知らず甘えた声を出してしまっていた。

 

「すみません、ユーウェイン……今日は少し、休ませて――」

 

 そこまで言って、自身の声が空虚な反響を生んでいることに気づき、アルトリアの意識は急激に醒めた。

 

「ッ……!?」

 

 体が、動かない。ぴくりとも。異常事態を悟った彼女は目を見開き、周囲を見渡した。

 ……暗い。殆ど光源のない密室だ。

 湿り気を帯びた空気を知覚する。肌を舐める濡れた空気は重く、不気味な魔力を発する光だけが石造りの空間を照らしている。

 体が動かない。しかし目は動いた。口も、少し。視線を左右に走らせると、得体の知れないフラスコに、()()()()()()()()()()()()()のを見つけた。アルトリアは強い嫌悪感に駆られる。

 此処は、キャメロットではない。

 恐らく悍しい実験に明け暮れる魔術師の工房だろう。あの赤子ですらない胎児は、外道の魔術師の実験体か何かだ。正確な位置は分からないが、キャメロットからそう遠くはないはずだ。

 

 自分は拐かされた――その事実を認識する。

 

 気を失う直前に感じたものは、魔術の気配。緻密な術式と、規格外の強度。まるで城一つを丸ごと移動させる為のもののような、気が狂いそうなほど精密極まる転移の魔術だった。

 アルトリアは冷静に状況の把握に努めた。

 まずは自分の事だ。恐らくキャメロット内に居た自身は、何者かの転移魔術に、対魔力を無効化され此処へ連れ去られた。目を覚ましたが、体は動かない……体勢は、仰向けに寝かされている? 魔力炉心が閉ざされ、魔力を解放できず……華奢な少女並の膂力しかなくなっていた。体が動かないのは、魔術礼装らしき鎖で両手首と両足首を拘束され、その鎖に竜種を封じる為の術式が刻まれているからだ。ただでさえ非力なのに脱力してしまい、魔力も封じられてしまえば、アルトリアに対抗する術はない。

 次いで、周辺環境。

 暗い石造りの部屋……空気が湿っている点から、恐らく盆地の……地下室? キャメロット近辺の盆地といえば、北へ百数十キロメートル先にある湖付近だ。確か、リリィが素晴らしい景色を見つけたと言っていたような気がする。その近場辺りだとして、工房内には幾つものフラスコがあり、大きな物となると人間一人を納められる物もあった。

 その全てに粘性の液体が詰められ、何体もの人間がバラバラの体をフラスコの中に浮かべている。妙に目を引く、あの胎児の入ったフラスコもだ。それらがアルトリアの周囲を囲っていた。

 液体の中の人間の頭……髪の毛は剃られているが、顔立ちからしてサクソン人の女性?

 

(外道め……)

 

 内心の恐怖を押し殺し、アルトリアは敵意を燃やす。

 自分はこれから何をされるのだろう。いや、そもそもなんのために攫った? 今まで魔術の類いが通じた事のないアルトリアを、転移魔術で有無を言わせず攫えるほどの魔術師が何を企んでいる。

 

「――おや、目を覚ましたのかい。難儀なこったねぇ、目を覚まさなきゃ辛くなかったろうに」

 

 嗄れた声が聞こえた。

 襤褸のローブを纏った老婆の声だ。

 闇の中から現れた老婆が嫌らしく笑っている。

 横目に視線を向けたアルトリアは、全身を皺に覆われた老婆に誰何した。

 

「誰だ」

 

 気丈に振る舞うアルトリアに、老婆はクツクツと呻くように嗤った。

 脚が悪いのだろう、引き摺りながらアルトリアの寝かされている台の傍まで来ると、身動きの取れないアルトリアの顔を間近で見下ろしてくる。

 目と鼻の先にある瞳が視線を絡ませ合い、老婆は凄みのある壮絶な光を双眸に宿した。

 

「ヒッヒッヒッ……なぁに、アタシゃしがない魔女に過ぎないさね。まあ、妖精の血を引いてはいるがね? お迎え間近の老いぼれにゃ過ぎた血統さ」

「……私を誰か知っての狼藉か? メイガス、私を今すぐ解放しろ。さもなくばすぐにでもブリテンの騎士達が貴女を討ちに来るぞ」

「あれまぁ……知っちゃいたが随分気丈なもんだね。普通は恐怖に怯えて何も言えなくなるところだってのに。……安心しな、勝利の女王様? 用が済んだらさっさと帰らせてやるよ、きっとねぇ」

「なんだと?」

 

 攫っておきながら、すんなりと解放を約束してくる老婆にアルトリアは面食らった。

 いや、信じるつもりはないが。それでも意外ではある。

 老婆は陰湿に笑い続けている。嬉しくて嬉しくて、心底嬉しくて堪らないとでも言うように。酷く不快で、不安にさせるような声だ。

 

「嘘じゃあないさ。優位に立ってるアタシが、あんたに嘘を吐く必要は無いし……そもそもアタシにゃ時間もないからねぇ。下らねえ嘘を言って煙に巻く暇があんなら、もっと有意義に時間を潰すよ」

「……どういうことだ」

「言ったろ、お迎え間近だってね。アタシにゃ寿命が残されちゃいない。だから待っていたんだ……この時を。必死に延命しながらね、あんたを虜にする為に準備を重ねてきたものだよ」

 

 感慨深げに言う老婆に嘘の気配はなかった。名も知らぬ老婆は達成感に浸っている、事実まったく抵抗できないアルトリアは、彼女の虜にされてしまっているのだ。嘘を言う意味はない。

 アルトリアは急に強い恐怖を覚えた。嫌な予感が蛇の形になって、体を締め付けてきているかのような悪寒がある。堪らずアルトリアは訊ねた。

 

「貴様は……何者だ?」

「………」

「なんの目的があって、私を攫った……」

「………」

 

 琥珀色の瞳を細め、老婆が意味深に沈黙する。

 焦れる。声が上ずりそうだ。怖い……何か、何か途方もなく非道な事をされそうで。

 尊厳を破壊されるどころではなく、心を壊されるどころでもなく、命を奪われるどころでもない、底抜けに悍しい予感がして。頭の中で警鐘が煩いぐらい掻き鳴らされていた。

 

「アタシは、サクソンの者さ」

 

 老婆はアルトリアの様子の変化をつぶさに見極め、嘘を嘘と見抜こうとする目が曇ったと見るや告白する(ウソを吐く)。正体不明の不安に駆られ始めたアルトリアは、それを聞くしかない。

 さも真実であるかのように騙る老婆の演技は巧みだった。まるで今日この時の為に、何度も何度も練習を重ねてきたかのように真に迫っている。自分自身すら騙して役に成り切ったかの如しだ。

 

「恐れ多くもシンリック王の……陛下に仕える宮廷魔術師だった事もあるねぇ……」

「貴様はサクソンの……敗戦の怨みでも晴らそうというのか」

「ああ、そうさ。シンリック王は敗走なされた……アタシには体の弱い孫がいてね……陛下の勅令に従って、数十年も前の民族大移動と同じ真似なんざ熟せる体じゃなかったのさ」

「………」

 

 真実味のある独白に、アルトリアは沈黙させられる。何を言おうとしているのかが、彼女には分かったからだ。つまり、この老婆は……。

 

「あんたを攫ったのはね。あんたらに殺られた同胞の怨みを濯ぎ、アタシの孫の仇を討ち、ついでにウェセックス王国の禄を食んで来た恩に報いて、アタシ個人の義理と私怨を晴らす為さ」

「………」

「ほんとは騎士王様を狙いたかったんだがねぇ……ありゃ流石のアタシにも無理だ。だから対魔力に飽かせて魔術への警戒が若干薄かったあんたが、アタシからすると狙い目だったのさ」

 

 さて、と。老婆はアルトリアから顔を離し、もったいぶるように言った。

 

「御託を並べるのはこのへんまでにしとくかね。あんたが寝ている内に準備も終わった。やることは変わんないんだ、諦めて寝ていた方が身のためだよ、女王様?」

 

 老魔女が小枝のような杖を取り出す。

 虚空に刻まれるのは、確かにアングロサクソンルーンであった。

 嘗て対決したアンジェラの魔剣に、同種のものが刻まれていたものが見て取れたのだ。

 喉を震えさせ、アルトリアは恐る恐る訊ねる。

 

「待て……何を。何を……するつもりだ……?」

 

 慄く少女の声には、予感があった。だが老魔女はそれを無視して、杖の先端をフラスコに向ける。すると――あの、不気味な胎児が動き出す。フラスコを透過して外気に晒され、それが。

 

「や、やめろ……」

 

 ゆっくりと……魔術の陣が広がり、アルトリアの腹部に展開される。

 

「やめろっ」

 

 そこには、いるのだ。あの人との子供が。

 心を通わせた、公私に亘って最高のパートナーであり。

 幼心に憧れた――昔から密かに慕っていた人の子供がいるのに――

 

()()()()()()()()()()()()。唯一残されていたのは……あんたが、騎士王の子を孕んでいることさ」

 

 邪悪に嗤った老魔女は、そうして――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「やめろぉぉぉぉ――!!」

 

 悲嘆と絶望に叫ぶのは、己の命でも、尊厳でもなく、お腹の中の子供を案じる母として。そして最愛の夫との愛の結晶を穢されたくないが為だ。

 だがそんなもの知らぬとばかりに老魔女は施術を終える。ドクン、と嫌な鼓動が脈打った錯覚――陣が消え、胎児も腹に消えたことで呆然とするアルトリアを、老魔女はせせら嗤った。

 

「――今のはね、ピクトの王と竜騎士の子だよ」

「………!」

 

 愕然と、老魔女と自身の腹を見遣るアルトリアの反応に気を良くしたのか、邪悪は宣う。

 

「それはあんたと騎士王の子と融合した。体もできてない胎児同士で、しかも片割れが桁外れの怪物だったからできたんだがね、あんたは目出度く史上類を見ないサラブレッドを孕んだ事になる」

「――――」

「赤竜の子と白竜の子、人理を超えた魔人と地球の究極生命。その四つの血が混じり合った怪物だ。生命力は折り紙付きだよ、何をしても産まれるまでに殺すこたぁできない。なにせコイツは、竜騎士が死んだ後も生き延びていたんだからねぇ……どうしても始末したけりゃ、あんたは自殺しなけりゃならんが、火葬して遺体も遺さない遣り方じゃなきゃ駄目だよ?」

「き、さまぁ……!」

「そして……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 老魔女は囁く。毒の言葉を、真実を以て突きつける。

 より一層アルトリアを追い詰める為に。自身の策謀を結実させる為にだ。

 

「例え騎士王があんたの言う事を信じても、他の奴は信じやしないさ。()()()()()()()()()()()()()()()()、こんな醜聞を広げられちまったら、あんたは王妃じゃいられなくなる。騎士王の傍にいる資格を失くす。産まれた瞬間に、あんたが狂ったふりをして殺しても駄目だ。自分の産んだ子を自らの手で殺めるような奴に、王妃の器があるなんてだぁれも思いやしない。あんたは排され、代わりにあんたの妹のどっちかが王妃になる」

「な……」

「大変だねぇ。同情するよ。可哀想に……ヒッヒッヒッ。やることもやって、全ての義理は果たしたんだ……アタシも生きてる意味がないなっちまったし。最後に予言の一つでも遺してやろうかね」

 

 身動きの取れないアルトリアの額に枯れた指を置き、老婆は残酷な未来を描く。

 それはどう足掻いても避けられない、不可避の形。

 魔術で眠らされようとしているのだろう、絶望と悲嘆に塗れ、混沌とした憤怒の種火を胸中に埋め込まれたアルトリアは、朦朧としていく意識の中で老婆の予言を聞かされてしまった。

 

「あんたは夫の愛を失わない。だが、代わりにあんたは産まれ来る子を愛せない。これから先あんたは子を産めなくなる。今あんたの腹の中にいる怪物が、あんたの体を()()()()()()()()()、作り変えちまってるかもしれないからねぇ……ヒッヒッヒッ」

 

 それは刷り込みだった。確証はない、寧ろそんな馬鹿な話はない。だが、本人がそうかもしれないと少しでも思ってしまえば。その疑惑の種を、少女は自分の手で大きく育ててしまう事になる。

 微睡みに沈まされる。これをアルトリアは魔術によるものと思い込んでいたが、それは夢魔の系統魔術であった。意識を失ったアルトリアを、老魔女――擬態でもなんでもない、無理な延命で変わり果てた姿になっていた妖妃の影は、懐から取り出した短剣で自らの喉を突いて自死した。

 

(義理は果たした。妾ももう、退場するとしよう。後は上手くやるといい、モリガン……いやモルガンだったな。妾も……わたしも先に逝って、同胞達と共に貴女を待つとしましょう)

 

 ――後日。目を覚ましたアルトリアの手で、妖妃の影の工房は跡形もなく破壊され。

 

 勝利王は自らの脚でキャメロットに帰還する事になる。

 

 途中、自身を捜していた湖の騎士が身を案じるも……少女は悲愴な表情で微笑み、なんでもありません、と。それだけを呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 




?「待って。妾そこまでしろとは言ってない……!」


感想中毒の作者に燃料を与え給え。
さすれば執筆が加速するであろう…!(予言)

予言しよう。今話で低評価するかもしれない人は、後になって掌くるくるするだろうと。高評価してくれた人は、信じてたでぇ作者!と掌ドリルするであろう…!
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