獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
扉絵に追加が入りました。今回のお話でも掲載させて頂いてます。
ペンネーム「肉友」さんからの支援絵です。素晴らしい絵を是非ともご覧ください。余りに素晴らしすぎて魂魄が消し飛ぶこと請け合いですよ
風に揺れる草木の他に何もない、静謐の満ちたる森林へ。
突如として出現したのは、白いローブを纏った美青年である。
「フゥー……ひどい目に遭った」
能天気ともとれる語調でひとりごちた青年の名はマーリン。ブリテン王国の宮廷魔術師であり、現行最高の魔術師である。――イングランド統一戦争で戦死したはずの彼は、自身の頭を撫でた。
夢魔は基本的に不老不死だ。
対象の夢の中に入り込んだ後、対象に自らの存在を察知され、夢の世界で潰されてしまうと簡単に殺されてしまうのが弱点だが、それ以外の場所で死ぬ事はまず無い。半夢魔であるマーリンも例外ではなく、肉体を破壊されても他者の精神に寄生して逃れる事が出来た。
だがそれでも、潰された肉体の再生は大変だ。純血の夢魔はそもそも肉体を有しておらず、半夢魔のマーリンは自身の力で精神の容れ物を創り出さねばならない。それには時間が掛かるのだ。
「よりにもよって頭を潰されてしまったからねぇ……復活するのに三年と半年も掛かってしまったよ。アルトリアは怒ってるかなぁ……怖い王様の方はとても怒っていそうだ……ヤバいかな?」
夢魔にとって劇薬に等しい感情エネルギーを持つ王。そんなものは古今一人しか存在しない。彼はその王が苦手だった。夢魔として、だ。双子の妹が彼の感情エネルギーを摂取したが為に、膨大過ぎる感情に酔い、中毒性を覚えて他の味に満足できなくなったのだから。
マーリンは一先ず、自身が復活するまでに変化した状況を把握する為に、生まれた時から有していた特別な瞳で世界を見渡した。これは習性のようなものだ。世界の紋様が美しければ良し、醜くなっていれば是正に動こうという、彼個人の嗜好が強く働いているのである。
そうして、マーリンは視た。三年と半年、自身が不在だったブリテン王国の現状を。
「……あ、あれ……?」
端正な美貌に汗が一筋。頬を伝う嫌な感覚に、マーリンは呆気に取られた。
国の状況は良い。
騎士王は妖妃が造り、花の魔女が手を加え、花の魔術師が誘導した、謂わば最高位魔術師達の合作である。主導したのは妖妃ではあるし、花の兄妹は添え物程度だったが、お蔭でマーリンやウーサーが王にしようとしていた者が、単独で王様をやるより世界は美しくなった。
想像していたよりも遥かに強くなってしまったのには恐々としたものだが、強くて困るという事はあるまい。それに騎士王がアルトリアと共に在る限り、約束された終焉の先にも花は咲く。だからその終焉を迎えた後からが自分の本当の仕事が始まるのだと呑気にしていた。
だってどう考えても、あの王様を出し抜ける輩が居るとは思えなかったのである。外敵も内患も、政戦の剛腕で彼は薙ぎ払ってしまえる。騎士への求心力は新興宗教の教祖か、はたまた神様かといった具合なのだ。それをどうやったら彼の治世を乱せるというのか。
故に、マーリンは素直に驚いた。
ブリテン各地に基督教の教会が立てられ始め、信仰を捧げる民達がいるのは良い。もともと騎士王様は信仰を利用して民心を穏やかにし、治世をより安定させようとしていたのだから。
だが……口々に噂されている『悪魔』や『聖杯』……天使の降臨や予言とはなんだ? 花の魔術師は困惑した。何よりも戸惑い、彼に疑問符を齎したのは――ちょうど今、件の騎士王が鋼鉄の表情で赤子を海に流したこと……。苦しげな貌でそれを見届ける勝利王……。
生まれたばかりの赤子を、あの王様が……そしてアルトリアが海に流す? 有り得ない。一体何が起こったらそんな事になるのだろう。因果関係を把握できずに混乱したマーリンは、急いで状況の把握に努めることにした。そこで彼が頼ったのは共犯者である。
「……モルガン。これは一体全体どうしたのかな? 私が不在の間に何があったのか、教えてくれないかい?」
妖妃モルガンは、禁じられた神殿に立ち入ってきた魔術の師を冷たい目で見据える。
勅令により彼女は誰にも会わない事になっており、マーリンもそれを知っている故にこれまで会いに来た事はないのだが、彼は今回さらりとそれを無視した。仮に咎められても、だって私が命じられたわけじゃないから、なんて大真面目にとぼけて見せるだろう。
嘗ての魔術の師であり、共犯者である
彼女は傲慢で、独善的で、自身が定めた方向性に拘泥するきらいがある。それはマーリンが世界を見渡せる瞳を有するが故に、個々人に対してさしたる思い入れを持たない事と似ている。モルガンは未来を見ることができる弊害で、現在と過去を軽んじる傾向があった。
千里眼を有しているのは師弟で共通している。視ている視点は異なるし、目の精度や視力ではマーリンの方が上回っているが、モルガンも根底は人でなしである。だが決定的に異なるのは――モルガンは夢魔の女王であり、妖精、即ち旧き神格としての強大な自我を有する事だ。
故に妖妃は自らの視た未来からズレた結末を厭悪する。寵愛する者以外には極めて冷酷かつ残酷に振る舞える。心底から惚れ込んだ者にだけ利するのに、それすらも独善だ。
その差異を客観的に認識しているマーリンは、
――もし。もし仮にマーリンとモルガンが敵対した場合、モルガンの策略はほとんどがマーリンによって阻止されていただろう。どちらが上で下かなどという話ではない、戦いや策謀の実力は互角なのだ。ならば単純な話として、始動した立場などの外的要因によって策略の成否は決まってしまう。仮にモルガンの許にユーウェインという最高傑作が生まれず、アルトリアが単独で王として立っていたなら、マーリンとモルガンの立場は完全に現在と逆転し、千里眼保有者同士で知覚されてしまう性質と、『現在』と『未来』を視る視点の違い故にモルガンはほぼほぼ完封されてしまっていた事だろう。
それをモルガンもまた客観的に認めている。
故に――あらゆる意味でマーリンとガニエダだけは対等の存在なのだ。対等だからこそモルガンはガニエダを徹底的に潰した。手を抜いた瞬間に逆転される可能性があるからだ。
そしてマーリンもまたモルガンと対等である故に、妖妃は花の魔術師と今後について協議する事へ抵抗はなかった。マーリンは世界を美しくしたい、モルガンは我が子の足跡を美しくしたい――利害は完全に一致しているのである。尤もモルガンは王の勅令に反する事に抵抗がある為、不法侵入してきたマーリンを見る目は極寒の如しであったが。
だが、その躊躇もこれまでだ。
「なるほどねぇ……人理が、か。まさか私とキミが揃って見落とすだなんて、とんだ失態だ」
黒太子時代のユーウェインの許に現れ、癒やしの泉の加護――水流を操れる奇跡の力を渡した天使は、ヤハウェという一神教の神なる欺瞞の使い魔だったのだ。即ちヤハウェの真名はアラヤ。人類の集合的無意識。或いは抑止力とでも言うべきかもしれない。
其れは人理施行を目的に古代から胎動し、遂に世を覆って神秘の駆逐を成さしめたもの。地上に残った最後の神代を滅ぼす為に、人理は敢えて『国造りに便利な力』をユーウェインに与えたのだ。
人理の内に無い、神代を舞台にしているからこその特例である。
モルガンとマーリンも、一神教の正体が人理施行の為の欺瞞である事に気づかなかった。神秘を否定する人理が、相反する奇跡の力を齎すとは思いもしなかったからだ。だが――
アラヤは恐れたのだ。ユーウェインという魔人を。
人理をも両断し得る、旧き神々さえ容易く滅ぼせる異次元の理を。
西暦五百年には真エーテルは地上で枯渇し、神代は完全に終わる。しかし、五百年まで待つという悠長な真似を、今回ばかりは人理は嫌った。いつ魔人が終焉に気づき、その解決策として人理破断を思いつくか気が気でなく、彼がそこに思い至る前に一日でも早く神代を終わらせたがっていたのだ。抑止力の刺客、守護者を派遣しても戦いで勝てる相手ではないと知る故に尚更恐れて。
人理の干渉を悟られてはならない。その為に奇跡の加護をユーウェインに与え、水流の操作という治水の助けとなる事で、ブリテン島に自身の影響力を浸透させたのである。干渉に気付ける可能性のあったマーリンやモルガンに最後まで気づかせず――魔人の業が人理破断にも至り得る事を彼らが気づく機会を摘み取り――今、人理は動いた。動き出した。
神代継続どころではなく、世界規模での神代回帰を阻止するための抑止。それが数ヶ月前の事態……天使降臨の真相だ。青年は魔人の業が人理も斬り裂けるものだとは露知らぬまま、顎を撫でる。
「それで――たった三ヶ月で、お腹から出てこられるほど成長した悪魔君を、島流しに処すなんて半端な真似をしたわけだ。王様らしくない、煮えきらない措置に思えたから不思議だったんだよね」
得心したマーリンに、モルガンは淡々と告げる。
「元々は堕ろすつもりであったろうよ。だが存在を羽虫に周知され、堕ろすわけにはいかなくなり、永遠の栄華を築くという予言のせいで秘密裏に殺すわけにもいかず。だが夫としてアレを、妻の所に置いておく事もできなかった。王と私人としての折衷案が島流しなのだ。エリウめが余計な真似をしたせいで、妾の視た未来から決定的にズレてしまった……」
「ふぅむ……どうするつもりなんだい? まさか泣き寝入りをするつもりなのかな?」
「馬鹿め……妾が斯様な手弱女だとでも? 侮るなよ、腹は決まっておるわ」
忌々しげに吐き捨てたモルガンの貌は、晴れやかだった。
まるでマーリンの顔を見た事で決心がついたとでもいうかのように。
一拍の間を空け、花の魔術師は妖妃を見据える。
何を考えているのか、思案し。とりあえず訊いてみようという結論になる。
「どうするのかな?」
「そなたと同じ……いや、同じではあるが、違うとも言える策を思いついたのよ。策とも言えぬ易い手だがな……」
共に賢者である。それだけで、マーリンはモルガンの意図を察した。
「それは茨の道だ。進んでしまうと、もう二度と戻れなくなる」
「フフフ……妾に『
決意は硬かった。モルガンは凄絶な笑みを湛え、同類である青年に諧謔を述べる。
「――我が子は誰よりも責任感が強い。であれば、親である妾もそれに倣わずしてどうする。子は親に学ぶが、親も子に学ぶのだ。
故に、
「マーリン。遺憾ながら嘗ては師であった賢者よ。そなたに託そう……妾の後をな」
「……分かった。キミのやった事は褒められた事ばかりじゃないし、私も言えた口じゃないのだろうけどね。それでも言わせておくれ――キミの道行きに幸多からんことを」
「フン……祈るな。妾が神だぞ? 形だけとはいえ何に祈るというのだ」
「もちろん、キミ自身にさ」
軽口を応酬し、共犯者達は久方ぶりに笑みを交換した。
――この時を境に、妖妃は勅令を破り禁じられた神殿から出奔する。
以後行方を晦ませた妖妃を見つけ出す事は、マーリンにも叶わなくなってしまった。
この報を受けた騎士王は、ただ一言「……そうか」とだけ返して何も言わなかったという。次会う時が最後だと受け入れたのだ。王はこの時、薄々母の思惑を感じ取ってしまったのだろう。
物質に宿った記録を綺麗さっぱり消し去って、自身がここに来た痕跡を消したマーリンは思った。彼女がそうするなら、私も……僕も動かないとね、と。全ては綺麗な世界の在り様の為だ。この点に関してだけは彼は真摯で、病的なまでの拘りを持っていた。
自らの嗜好の為に、マーリンもまた準備に移る。長く、長く、時を掛けて。
† † † † † † † †
王は苦悩の中にいた。
原因不明の不作が続いている。
魔獣の数が減り、家畜である魔猪も体が小さくなり、次第に痩せ細る国土に呻吟した。
隣国であるフランク王国からの輸入と、これまでの統治で蓄えてきた蔵がなければ、非常に苦しい状況に陥っていただろう。国土が痩せていくのは、雨が降らないからだ。水を操れる短剣も機能しなくなり、既存の仕組みとして下水は機能するが、風呂は不全状態になっている。
雨が降らなくなったのはいい。いや良くはないが天候の事だ、どうしようもない。だがなぜ魔獣が単なる獣に堕ち、自然発生していた魔性が消える? 妖精が姿を消し、ブリテン島のそこかしこに点在していた異界が消えていくのはどういうことだ?
それらは総じて人々に害を成すものである故に、喜ぶ者もいるが、王は確かに異変の予兆であると感知していた。異界は人に害を成すが、同時に珍しい宝物や統治に役立つ加護を齎していた。それらが一斉に消えたというのは、目に見え辛いかもしれないが損失である。
特に痛いのはやはり、水を意のままに操り、水流も変えられた短剣が使えなくなったことだろう。あれを齎してくれた天使には感謝していたのだが……それもこの状況の為だったのだとしたら、見事にしてやられたという事になり業腹だ。だがなんの為だ? 意図が読めない。
天使へ好意は懐いていた。王になってからは特に。あの奇跡の力は大いに統治の役に立ったからだ。天使への好感度は、今や負の方面に大きく傾いているが……現状はもう認めるしかない。
聖杯……それを探せと天使は言った。それに反せない状況に追い詰められていっている。国庫は無限ではない……今はまだ保っているが、数年後にも不作が続けば国民は飢餓に襲われかねなかった。輸入できるもの、牧場からとれる肉類にも限度があるからだ。
普通に考えれば、不作は一過性のものだと考えるべきだ。雨が降らなくなり作物が育たなくなる状態が恒常的に続くなど、自然の摂理的に考えても有り得ないだろう。
だが、王は嫌な予感を覚えていた。
この不作は続く。延々と。元凶は自然の摂理ではなく、何か超常的な域にある。雨が降らなければ空気が渇き、疫病が発生しやすくなるだろう。飢えるだけではなくなる……やがて下から突き上げを食らうことになるのは想像がついた。聖杯を探せ、聖杯があればこの苦境から救われるはずだ、と。天使の降臨と、あの予言は広く知られてしまっている。
「軍の規模を縮小するべきです。いつまでも常備兵を養っていける状況ではありません。今は市井の労働力を確保し――」
といった声も、円卓から出始めていた。
言い出したのはケイだ。王の懸念は腹心には伝えられ、であればこそケイは軍を維持するのは状況を厳しくする一方だと断じたのだ。言い分は分かる、だがそれでは来たるローマとの戦いへ備えてきた意味がなくなってしまう。案の定、円卓の過半はケイの発言を批難した。
紛糾する議論を眺めながら、王は無言を貫く。
考えるのは目先のことではなく、もっと後のこと。国に余力がある内に動かねば、先細りすると思しき未来で、更に苦しくなり動けなくなる可能性は考慮するべきだった。
……いっそ外征が困難になる前に、こちらからローマへ仕掛けるべきか? 王は冷徹な判断を下すべきか判じかねるも、国の統治が覚束なくなる前に、外から物資を確保する方向も検討した。
しかし戦争の口実が見当たらない。ブリテン島はアイルランドも含め平定している。戦争を望む声はどこにもなかった。無論、王も個人としては戦争など断固反対したいが、状況がどう動くか読めないなら先手を取らねばならないのは自明。王は苦々しい思いを殺し、無為な会議を終わらせた後、密かに呼び出した腹心の片割れに命じる。
「……アグラヴェイン卿」
「は」
「ベンウィックのバン王の伝手を経由し、フランク王国に火種を撒け。彼が救援を要請してくるように仕向け、円卓の幾人かと軍を派遣する手筈を整えろ」
「――まずは島外に駒を置き、しかる後にローマを刺激し戦端を開くと?」
「そうだ。同盟国への救援であれば大義としては充分。ベンウィックに軍を駐屯させ、こちらへ帰還せねばならなくなる前に、なんとしてもローマを引き摺り出さねばならん。……できるか?」
「御意。最善を尽くしましょう」
時間は掛かるだろう。しかし、なんとしてもやり遂げてもらわねば困る。
王の予感が外れたなら良い。どのみちローマとは近い未来で戦うのだ。その時の為に国土を戦場にせずに済むように、橋頭堡を確保したと思えば無駄ではない。
だが、残念ながらこの予感は当たるだろう。
天使……基督教……ヤハウェ。その思惑がどこにあるのかは分からないが、確かな現実として、不作が始まったのは天使降臨に前後している。この状況を作るために動いていたようにしか見えない。
ならば確実に、時間は敵だ。状況は刻一刻と悪くなるばかりだろう。
天使を斬る。ヤハウェを斬る。……それで解決すればいい。しかしアレらの所在は、王の広大な視界にも入らない。まるで再び相見えたら斬られることが分かっているように隠れ潜んでいた。
(ヤハウェは古のソロモンに叡智を授けたという……結果としてソロモンの国は栄えたが、ソロモン亡き後は衰退していった……俺の状況とも符合しているように感じるのは気のせいか?)
聖書の言う故事。それを想起させられる。王はソロモンのように放蕩に耽るようなことはないが、全体的な流れとして似ているような気がしてならない。
誘導されているようで気に入らないが、王として動かぬわけにもいかない。解決策が聖杯にあると言うのなら、是が非でも手に入れねばならなかった。無論他にも手は打つが……恐らく無駄になるだろう。政治というシステムは尋常ならざる事態に対応できるものではない。
だからこそ非常時に備えて軍があるのだが、単純な不作問題や、飢饉、疫病に対しては軍も無力である。誘いに乗ることに腹立たしさを覚えるも、王は円卓の騎士達に命じた。聖杯を探せ、と。
円卓の騎士の過半が、政治に関する理解が薄い。故にそうした者は平時は不要である。そういう者にこそ聖杯探索を命じた。
筆頭は、円卓第二の騎士と称される実力を持つトリスタンだ。
悪魔を洗礼するという聖杯……ピクト人の血が混じっていてもそれを除けるならば、聖杯さえ手に入れるとトリスタンを死なせる必要もなくなるはずで、死を避けられるなら避けてやりたい。
双子のイゾルデ達は、順調にトリスタンを籠絡している。トリスタンは今、彼女達の間で揺れているだろう。イゾルデ達もまた、心からトリスタンを愛して……使命の為に暗殺を確実に成功させる。暗殺する為に自身も本心から標的を愛するという、自身の心ごと仕留めるやり方だ。円卓の騎士を暗殺するにはそこまでする必要があると考えたのだろう。
しかし女達も忠臣だ。叶うなら使命ありきとはいえ、忠臣の愛してしまった男を殺さずに済むならそちらの案も考慮の幅に加える。その場合イゾルデ達に恨み節を溢されそうだが、構わない。
――悪魔。悪魔か。
島流しにした赤子を想う。あの子が死ぬことはないだろう。天使が死なせぬはずだ。でなければ予言は果たされず、信仰は揺らぐ。予言の前提が悪魔と言われたあの子なのだから。
王は赤子の行方を把握していた。
一振りだけなんとか復元できた白刀ケンヴェルヒンを鴉に変えて、常に赤子を見張らせているのだ。死ぬなら死ぬでいい――死ぬな――どんな事があっても助けたりはしない――今すぐ助けたい――赤子が危機に陥れば天使が助けに入るはず――見つけた瞬間殺してやる。
愛情は、ない。だが半分とはいえ、王と妃の血を引くのだ。親としての本能なのか、冷淡に捨て去った事実に心が軋む。だが個人として接する資格はないのだ。個人として生まれる前に殺す事を決め、王として捨てる判断を下した今……あの子の親を名乗る資格はない。
妃は殊の外、生まれたランスロットの子を可愛がった。
「貴方は大丈夫ですよ。皆が貴方の誕生を祝福しています。だから……どうか健やかに。私達がきっと貴方を守りますから……私達が……」
血の繋がりのない義理の孫である。名前はランスロットの本名から取って、ギャラハッドだ。美しい銀の髪は母エレインに似て、端正な顔立ちは両親の要素を半分ずつ受け継いでいる。
そのギャラハッドを、妃はまるで同時期に生まれたあの子と重ねて見ているように溺愛していた。王自身も、このギャラハッドが可愛いと思う。なぜだろう。赤子のギャラハッドを見ていると、とても胸が締め付けられ、切なくて、無性に泣きたくなるのに、可愛くて仕方ない。
ロオやアニル、グウィネスの三人の子供達にも、妃は今まで以上に甘くなった。特に実子であるロオへは、誰憚りなく保護して。まるで手負いの獅子が、自らの子を護る為に犬歯を剥き出しにし、何かを威嚇しているかのようにも見えた。片親が溺愛するなら、もう一方の親は厳格でなければならない……王は王子に甘い顔を見せる事はなくなり、それが王自身寂しかったりもした。
二人で過ごすと、妃はいつも顔を伏せ、何事かを詫びる。「私のせいで、貴方に重荷を負わせてしまいました……」と。何を言っているのか分からないフリをして、忘れろと繰り返すしかなかった。悪いのは全て王なのだ。王は国の頂点だから、全ての責任は王にある。
馬鹿の一つ覚えみたいに、返せる言葉はどれだけ捻っても一つしか出てこない。もっと気の利いた事を言ってやれたら……そもそも言う必要がないぐらい冴えていたら……。
嗚呼……。
全く……。
本当に――愚かだ。
大事な時に、完全に王に徹する事が出来ず。どんな時でも親に徹する事も出来なかった。王に徹すると決めたのに――半端に島流しをして。いっそ一思いに斬ればよかったのに、斬り捨てる事ができず。父親を放棄し見捨てる決断をしたのに――子を慮る心を捨てられない。
貴様はどれだけ愚鈍なのだ、ユーウェイン・モナーク。いつもそうだ、いつもいつも、肝心な時に鈍らになる。貴様の切れ味はその程度なのか? いいや違う、違うはずだ。もっと上手くやれたはずなのだ。その為の力がこの身には備わっているはずだろう。
なら……どうして上手くやれない? もっと強くなれば良いのか?
あの赤子の中に巣食う悪魔と、自分たちの子供を斬り分けられるようになれば……いいやそんな真似は不可能だ。一個の生命として確立されてしまった存在を二つに割いても、綺麗に分ける事などこの身には叶わない。無理なのだ、この
――永年の後悔は此処に。
獅子の騎士、妖精の騎士。騎士王ユーウェイン・モナークは、自らの家庭人の在り様を無能と断じた。どれほど強くとも、どれほど立派な王でも、私人として余りに情けない様を悔悟する。
「ユーウェイン様」
夜。
キャメロットの王の私室、そのテラスにて。
星々を見上げ、懊悩する青年王の許へ黒騎士が訪れた。
艷めいた黒いドレスを纏ったオルタ。先の見通せぬ昏い国情を知らぬ貴族達の集い、社交界へユーウェインと共に参加するのである。そんなものなど無駄にしか見えないが、必要なのだ。社交界は貴族社会に於ける人間関係の縮図、これを疎かにする事は出来ない。
昏い視線を向けると、オルタは傍まで歩み寄ってくると目を瞬いた。
「髪を切ったのですね。威厳の演出のために伸ばしておくと言っていたのに、どういう心境の変化ですか?」
「……いや。剣を振るのに邪魔だと思ってな。俺はまだ力が足りん……もっと強くなれたら……本当に斬りたいものを、斬ってやれるはずなんだ」
「戯言ですね」
ユーウェインの悔悟をバッサリと切り捨て、オルタは冷たく微笑む。
「貴方が斬りたいのは後悔ですか? 聖杯などという胡散臭いものを探させる羽虫か……それともアルトリアの赤子に混じったという、ピクトとサクソンの血を斬りたいと?」
「……全部だ」
「ならばやはり戯言だ。偶には休んで下さい。貴方は疲れている、休息を取らねば摩耗してしまうでしょう」
疲れている? そんなことはない、と思う。
聞き流せないのは、ユーウェインの惑いを戯言と一言で切って捨てた事だ。
思わず睨みつけてしまうと、オルタは皮肉げに口端を歪めた。
「貴方は王だ。貴方は夫だ。そして子供達の父親でもある。だが忘れてはなりません。貴方は何かの役であるよりも、その前にユーウェインという個人でしかない。貴方は『ユーウェイン』を軽視してしまっている、それよりも優先するものがあるからと蔑ろにしている。確かに優先するものはあるかもしれない……しかし、私やリリィは……馬鹿になっている弱いアルトリアも、貴方が王だから惚れたのではありません。父親として理想的だから夫にしたいと思ったわけでもない。私達は、貴方が『ユーウェイン』だから身を委ねた」
「……何が言いたい?」
「断言しておきましょう。馬鹿なアルトリアは見失っているが、私とリリィは子供達と貴方のどちらかを選ばざるを得なくなった時、躊躇なく子を捨て貴方を取る」
「……なんだと」
「親として最低だ、ですか? どうやらアルトリアだけではなく、貴方まで馬鹿になっているようだ。ここは一つ、思い知らせてやらねばなりませんね」
オルタはユーウェインの肩に手を伸ばした。見上げてくる琥珀の視線に、吸い込まれる。氷の薔薇の如く冴えきった視線の切れ味は――酷く、甘美だ。黒く熱いのに、冷たい蜜を垂らすかのように、黒き花はどこまでも強く、非情に……本物の獅子の如く告げた。
「舐めないでもらいたい。我々の子が、親の庇護がなければ生きていけないとでも? 見損なうな騎士王――私達の育んだ子が、弱いはずがないでしょう。捨てた子についても同じだ。貴方は最善の選択肢を取った、まだ挽回は利く。聖杯とやらを手に入れれば、ユーウェイン……あの子も救われるのでしょう」
「……オルタ、お前は……まさか……」
「……ええ。私にお任せを。近衛の任を解いてください、私も聖杯探索に加わります。たとえどれほどの時を費やす事になろうとも、必ずや貴方の手に聖杯を齎してみせます。……ああ、駄目だと言っても勝手に出て行きますので、貴方が決める必要はありませんね」
「そろそろアニルにも、騎士になる為の修行と試練が必要だと思っていました。これは寧ろ丁度良い機会です」……等と。オルタはそう言って微笑んだ。
彼女は彼女なりにアルトリアを思いやり、ユーウェインを想い、決意したのだろう。身内を傷つけた要因を断固として赦さぬと誓い、原因を取り除く為に行動してくれようとしている。
目を見開き、何も言えぬ青年王に。半身を開いて、自らが通ってきた道を振り返る。
「あれを見てください」
「………?」
半開きになった扉から、ロオとアニル、グウィネスの三人が。アルトリアとリリィに抱えられ、部屋の中を伺っていた。
気づかなかった。普段なら絶対に気づかないはずがないのに。
オルタはユーウェインの肩に手を置いたまま、視線を儚くなったアルトリアに向け、嘲るように鼻を鳴らす。
「アレらに気づかないのが、ユーウェイン様が疲れている証拠です。腑抜けたアルトリアの貌ときたら……アレで表向きは長姉を名乗っているのは噴飯物としか言えない。私が活を入れる、貴方にもだ」
「………」
「私は
「……ああ。その通り。その通りだな、オルタ」
気合を込めてくれた。全くその通りだと思わせてくれた。いや、思い出させてくれたというべきか。つくづく……オルタも良い女だった。
確かに、そうだ。その通りだった。下を向いているよりも、前を向け。歩みを止めた者に掴めるのは失意だけだ。そしてそんなものは、自分は要らない。失意に沈むなど……あってはならぬ惰弱さだ。
ユーウェインは、口端を歪める。無理を押して笑みを象る。
王は満足のいく結末を目指し、奮闘し続ける。例えどれ程の戦慄が待ち受けていようと、手に入れた黄金を翳らせぬ為に。
そうして王と、その家族達は進み続け――時は、西暦500年を迎える事になる。