獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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本日、二話目です。前話のお読み飛ばしにご注意しつつ感想評価お待ちしております(隙あらば乞食)





8,ユーウェイン・サイクルの冒頭

 

 

 

 

 愚王。暗君。暴君。卑王。

 ブリテン人に蛇蝎の如く忌み嫌われる最悪の君主ヴォーティガーン。

 彼がブリテン島に招き入れたサクソン人もまた一枚岩ではない。アングロ・サクソン人とはアングル人、ジュート人、サクソン人によって形成された勢力であり、彼らは7つの王国を築き上げていた。

 七王国。後の世に形容して曰く、イーストアングリア、ケント、ノーサンブリア、サセックス、エセックス、マーシア、ウェセックスが建国され、彼らはブリテン島の覇権を争ったという。

 

 実のところ、ブリテン王ウーサーが民族を纏め上げ、侵略者達から死守した勢力圏はそう広くはない。実にブリテン島の半分以上をアングロ・サクソン人の勢力に支配圏を奪われ、ウーサーが病に倒れて以降はブリテン人の結束も瓦解した。であるのに、サクソン勢力の大攻勢によってブリテン国が滅亡していないのは、サクソン勢力の七王国が相争って団結を欠いているからだった。

 サクソン勢力で現在、最有力の王国はアングル人主体のイーストアングリア王国であり、ローマではブリテン島はアングル人のものになると予測し、ブリテンを『アングル人の土地』という意味でアングリアと呼んだ。そのアングリアとは、アングロ、サクソンの言葉で『イングランド』と言うのである。イーストアングリア王国はこれを受けて、ブリテン島の完全支配を目論見、一刻も早くアングロ・サクソンの一致団結を叶えるべく、七王国時代の終焉を希っていた。

 

 

 

 ――そんな動乱の国へ踏み込む者達がいた。

 

 

 

 駿馬を駆る黒太子ユーウェインである。

 幼姫リーリウムを伴い幼姫の故郷へと急いでいるつもりのユーウェインは、自身らが妖精モルガンの権能によって誑かされ、全く見当違いな方角に進んでいる事へ未だに気づいてはいなかったのである。

 彼らが侵入したのは、サクソン人が支配する王国の一つ、ウェセックス王国だ。ブリテン勢力に隣接し、彼らがブリテン島の支配権を取り戻そうとするなら最初に打倒する必要のある敵国だった。

 

「兄さん、そろそろ休憩にしましょう!」

「ん、そうだな」

 

 リーリウムことリリィの提案は、お腹の虫が鳴ったが故であった。

 広大な草原の只中である。見晴らしは良い。苦笑したユーウェインは下馬してリリィの両脇に手を挟み、抱き下ろしてから雑嚢を開いた。取り出したるはあらかじめ調理して持ってきていた弁当である。

 ウリエンスより出立して二日。野外での食事にリリィは慣れてきたようで、麗らかな日差しの下で目を輝かせる。

 

「ふわぁぁぁ……」

 

 感嘆の吐息を溢すリリィは、弁当の中身を見て涎を口の中に満たした。

 兄と呼んで慕う青年を見た幼女の顔に、ユーウェインは微笑みながら頷いてみせる。

 箱の中には麦に塩をまぶして握り、山羊の乳で作ったチーズを乗せた麦おにぎりが十個ある。それに手を伸ばして口いっぱいに頬張ったリリィは、頬が落ちそうなほどの満面の笑みだ。

 

「美味しいっ! 美味しいですっ!」

「そうか。それはよかった。お前の分だから遠慮せず全部食べてしまえ」

「はいっ! ありがとうございます! はむはむ、はむはむはむ。もきゅ」

 

 幸せそうなリリィをよそに、ユーウェインは馬に水筒の水を飲ませてやり、首筋を撫でてやって手綱を外した。この二日間駆けっぱなしで疲労が溜まっている。そこらの草を食むも、座って休むもよしだ。

 主人の顔に鼻を当て、小さく嘶いた黒馬は離れていく。賢い馬だ、呼べばすぐ駆けつけられる距離しか離れないだろう。仔馬の頃からユーウェインが世話してきた事もあって、友のように親しんでいる。

 もきゅもきゅ、と。携行食糧としてユーウェインが考案した麦おにぎりを、ゆっくり丁寧に隅々まで味わいながら咀嚼する姫の様子を尻目に。ユーウェインはなんとなく違和感を感じていた。

 

(……そろそろ町か村が見えてくるはずなんだが)

 

 明らかにユーウェインの知る地理ではない。こんな見渡す限りの草原が、リリィの故郷とウリエンスの間にあっただろうか? もしかすると道に迷ってしまっているのかもしれない。

 人里を見掛けたら道を訊ねよう。そう決意するユーウェインは、持ってきた携行食糧が尽きそうなのに不安を覚えていた。リリィは本当によく食べる。大飯食らいに見えるが、少量の食事で我慢する事もできる子だ。しかしどうせなら腹一杯に食わせてやりたい。一日二食で済ませてはいるが、明日からはひもじい思いをさせてしまうだろう。早く人里を見つけねばならなかった。

 

(幸い雨はまだ降っていない。だが……)

 

 晴天である。しかし、空気に混じる湿気と、風向き。それらを総合するに、

 

(夜から降るな)

 

 ユーウェインは天気の変化に敏感だった。最近は特に太陽の気配とでも言うべきものに敏感になってきている気がする。特定の時間帯は体に力が漲って仕方なく、なぜか太陽の隠れる天候を正確に察知できた。

 自分は干し肉を食いちぎって胃に収め、地面に座って思案に暮れる。ふと見るとリリィが寝ていた。満腹になってすぐ寝る、まさに幼女。ユーウェインは彼女の傍に寄り、リリィの頭を自分の腿の上に置いた。

 日差しが心地よいのだろう。よく食べ、よく遊び、よく眠って健康に育ってほしいものだ。黒馬も座り込んで眠っているのに、黒太子は雑嚢に括り付けてある騎士剣を不意に意識した。

 

「………?」

 

 視線を感じる。

 首を巡らせて周囲を見るも、人影はない。小動物か? 魔獣なら手荒い事になる。ユーウェインは感覚を鋭敏に尖らせ、気配を辿るも次第に希薄になるのを感じて眉を顰めた。

 

(遠ざかった。人を襲わぬ獣か、人食い共の群れの先触れか。あるいは――野盗)

 

「おい」

『………!』

 

 黒馬に呼びかけると、耳を立て目を覚ました。首だけ動かして主人を見る目に、鋭い眼差しで静かに指を三本立てる。すると黒馬はまた目を閉じ、眠ったような体勢になった。耳だけは立てたまま。

 厳戒体勢だ。すやすやと眠るリリィの頭を少し上げ、雑嚢を手繰り寄せて枕にしてやる。剣だけ鞘ごと抜き取って立ち上がったユーウェインは、黒馬とリリィを残して気配のした方角に歩き出した。

 

「………」

 

 見晴らしの良い、草原。生い茂る草の高さは膝下に届く程度。

 魔術回路を開き感覚を強化しながら進むも、遠くに小高い丘があるのを発見できただけだ。

 その丘の上に蹄の跡を見つけ、ユーウェインは目を細める。

 

(人間か。馬に乗っていた。数は一。ここまで来て……引き返した?)

 

 情報を取得し、引き返すと黒馬を見る。彼は異状なしとでも言うように鼻を鳴らした。

 

「リリィ、()()()()、起きろ。移動するぞ」

「うみっ……ぅぅ……ぁ」

 

 どこからか母が買い取ってきた、神秘ありし名馬の子ラムレイに、寝ぼけ眼を擦りながら起きたリリィを乗せる。自身も雑嚢を背負って騎乗したユーウェインは、まだ眠そうな幼女を気遣ってゆっくりラムレイを歩かせながら思い悩んだ。何やらきな臭い予感がするぞ、と。

 ひとまず丘の方まで進み、馬の蹄をラムレイに見せる。そして「どう思う」と訊ねると、ラムレイは嫌そうに馬首を振った。ユーウェインと同感、つまり嫌な予感がするから離れよう、という事だ。

 頷いて方向を転換する。人の勘と動物の勘が重なったなら、根拠はなくとも信じるべきだ。特にラムレイの勘働きはユーウェインの比ではないほどに正確だから。

 

 ――しかし。

 

「ッ……!」

 

 ()()()()()()()()()を、上体を捻って躱し様に片手で掴む。

 瞬時にリリィをラムレイに預け、馬上から飛び降り様に黒馬の尻を軽く叩いた。ラムレイは意図を汲み駆け去っていく。それを背にしながら丘の向こう側にいる一団を睨み一喝した。

 

「――何者だ! 私をウリエンスの王子ユーウェインと知っての狼藉か!?」

 

 名乗りは、自らの身分を明かし、無駄な争いを避けるためのもの。

 一団とは兵隊だ。数は五十。騎馬兵は二。騎兵の片割れ斥候兵、もう片方は貴族らしく、指揮官の役を負っているのだろう。装備は――見たことのない物だ。剣を腰に、槍と盾で武装したのが四十、残りは弓を持っている。別段珍しくない代物だが装飾が未知のものだった。マズイ、そう思った。

 何がマズイ。錯綜しそうな意識を切り替え戦闘に備える。ユーウェインの名乗りを聞いた指揮官が、鼻を鳴らして敵意と共に嘲笑を浮かべたのが見えたからだ。非友好的な態度が、嫌悪を誘う。

 

(野蛮人め。同じブリテン人同士で相争うなど――ん、同じブリテン人?)

 

 違和感。

 見たことのない装備。通った覚えのない地理。加えて――

 

【――ウリエンスの王子? 知らんな。怪しい旅の者が領内を彷徨っていると聞いて来てみれば……古臭いブリテンの王族がこんな所で何をしている。ばかめ、せいぜい身代金の餌になるか、我が功として首を刎ねられるか、好きな方を選ばせてやろう。者共、掛かれ!】

(……! ブリテンの言葉ではない!? なら、コイツらは――)

 

 こちらの言葉は伝わっているが、こちらには伝わらない。まだ他国語は修めていなかった。

 これから先に習う予定があるにはあるが、今はもう手遅れである。隊列を組んで襲い掛かって来る歩兵二十。残りは指揮官の近く。敵が単騎という事で、狩りでもするかのような面構えだ。

 

「――サクソンかッ!」

 

 吐き捨て、交戦は避けられない事を悟る。ユーウェインとて野盗を斬った事はある。命を奪う感覚を知っている。そして、戦闘の始まりを告げる闘志を肌で感じたこともある。

 故に抜剣と同時に体に宿る原始の呪力を解放した。逃げるにしても弓兵が邪魔だ。あれらを斬り殺し迅速に離脱する。不意の戦闘であろうが主導権を握る重要性を知る経験がユーウェインを駆動させた。

 漆黒の魔力が全身を固める黒甲冑と化す。足元で高圧噴射した魔力が黒太子の体を音速に乗せ、一直線に弓兵目掛けて襲い掛かった。その過程で直線上の敵兵二人は体当たりで薙ぎ倒し胸骨を粉砕する。

 

【なにッ!?】

 

 敵指揮官の驚愕。即死した敵兵。サクソン人だから、ブリテン人だからと、顔を合わせれば殺し合う険悪な関係には徒労を覚える。刈り取った命、殺した者への憐憫や罪悪感も当然あった。

 悪だ。殺しは。戦争は。だがこの悪を成さねば死ぬのはこちらである。心が悲鳴を上げるのを叩き潰しユーウェインは疾駆する。目前まで迫った弓兵の顔が驚きに染まっているのを目に焼き付けながら、呪力で黒く染まった黒剣を横薙ぎに振るい――間に差し挟まれた馬上槍(ランス)と激突した。

 

「ッ――!」

【貴様、神秘憑き(デモニック・ポゼション)か! おのれ、部下は殺らせんぞッ!】

 

 敵指揮官だ。騎士でもあるのだろう。颶風が舞い、即座に刃を翻して馬上の騎士に標的を変える。呪力を噴射して跳躍し、五体を強化して怪力の唸るまま、敵騎士の頭上から渾身の一刀を見舞った。

 再び散る火花。欠けるランスの鋼。

 一度ならず二度までも防がれ、ユーウェインは音を鳴らして歯軋りする。手強い――着地を狙って薙払ってきたランスに手を添え空中で身を躱し、離れて地に足をつけた。

 

【下がれ、お前達は下がれッ! ブリテンの悪魔(デモニック)に数の利は無意味、此の者の相手は私がするッ!】

 

 手振りで部下を下がらせた騎士は、忌々しげにユーウェインを睨んだ。油断や驕りが消えている。二撃目の打ち下ろしの衝撃で、馬の脚が震えていた。騎士の腕も痺れている。サクソンの騎士は下馬し、黒太子に向けてランスを投げつけた。それを剣を振るまでもなく裏拳を一閃し砕く。

 周囲を取り囲む兵隊は無視し、騎士との一騎打ちに臨む。サクソンの騎士は腰の鞘から長剣を抜き放ち、鬼気迫る形相でユーウェインと対峙した。彼の端正な面構えは男性的で、精悍の一言。ウリエンスの騎士より遥かに精強であるのが伺い知れた。

 

【貴様――いや、】「――もう一度聞いておこう。貴様の名は?」

 

 サクソンの騎士がブリテンの言葉を操り、問い掛けてくる。ユーウェインは不動不変の精神で応じた。『不変』である彼は、敵の威圧などで気圧されはしない。他者の威厳に傅く事もない。

 故に今あるのは敬意。不意の遭遇での突発的な戦闘だが、立ち会う強敵への礼節が彼に名乗らせた。

 

「ユーウェイン。ウリエンスのユーウェインだ」

「刻んだぞ、その名。貴様も刻め、私はゲウィサエ氏族の首長シンリック! ウェセックスの次代を担いし者ッ! ユーウェイン、貴様の首を挙げ祖国に送り返してやろう!」

 

 部下を下がらせる判断の早さ。目下の者を慮り、自ら矢面に立つ度量。ユーウェインよりは年上だがまだ若い上に、首長。ウェセックス――ブリテン国に隣接する国を担う?

 殺さねばならない。心を軋ませながら、王子として思う。ゆくゆくは強大な敵となって立ちはだかる事になるだろう。なぜそんな人物がこんな所にいるのか――いや、()()()()()()()のは自分か。

 納得もできた。突発的な遭遇なのにこんなにも兵隊を連れているのは、彼が重要人物だからだ。恐らくシンリックは巡回の最中、領内を旅する不審な者の姿を見たとの報を受け気紛れでやって来たのだろう。ブリテン国にとっては幸運な出会いだ。――ここで、敵国の未来の英雄を殺せるのだから。

 

 ユーウェインは確信していた。戦闘力は己が上回っている。加えて太陽の位置からして時間は午後3時手前。もう間もなくユーウェインは()()調()になるだろう。そうなれば、一撃で斬れる。

 殺し合いに倫理も人道も無用。躊躇いや心の悲鳴を押し退けて封じ、今は自らも野蛮なる戦士として敵対者を葬り去る事だけを頭の中に置いた。シンリックの額に、汗。腕の痺れを隠し剣を両手で握る。

 奇妙な間。敵兵達が声援をシンリックへ送るのを聞き流し、黒剣の柄を片手に構えて、いざ仕掛けんと一歩を踏み出さんとした――瞬間だ。横合いから飛来した槍を、咄嗟に黒剣で受け止める。

 

(ッ……!? 重い――!?)

 

 堪らずたたらを踏んだユーウェインは、槍が飛来した方角を睨む。そして、息を呑んだ。

 

 異相。

 化け物が、そこにいた。

 

 兵隊に紛れていた、十人の歩兵。全身を白い外套で覆い隠した兵。その内の一人が外套を引き剥がし、槍を投げつけて来たのだろう。露わになった風貌はまさに悪魔的だった。

 塗料でも塗っているのか、緑の肌に白い線が幾筋か奔り、隆々とした肉体に鎧は纏わず、ただ六つの覗き穴の空いた鉄の兜を被った戦士だ。充足した気迫は湯気となって立ち上り、凄まじい闘気を放っている。

 

「神聖な一騎打ちに横槍を入れるとは、なんのつもりだッ!」

【%&%##*4#3*%@‡|:_︿≠#】

 

 シンリックが激昂して詰問するや、返ってきたのは異形の、未知なる言語。

 ユーウェインの脳裡に閃きが奔る。その戦士の風貌は、伝聞で聞き知っていたからだ。曰く、戦闘部族。卑王の招き入れし傭兵。奇妙にして無理解域の蛮人。ウーサー・ペンドラゴンをして勝利の能わぬ者。

 部族の名は――

 

「私を死なせてはならんという契約……? 父は貴様らを私の護衛として雇っただと……!?」

 

 ――ピクト。

 

 進み出て、シンリックを押し退けてユーウェインの前に立った戦士の威圧感は、ブリテン国の名のある騎士ですら戦慄に竦むものだ。『不変』故に黒太子は強さだけを肌で理解するのみだが、黒太子は密やかに状況を判断する。伝聞が正しければ、形勢不利。すぐにでも離脱するべきだ。

 だが、安易に背を向けたら命はないという予感がある。舌打ちし、標的を目の前のピクト戦士に切り替えた。すると歯痒そうなシンリックを尻目にピクトの戦士がくぐもった声を発する。まるで、噛んで含めるようにゆっくりと。

 

【ん、が、り、ず】

 

 ん、が、り、ず。んがりず。ンガリズ。それは名か。分厚い丸盾を持つ手で胸を叩き、肉厚の片刃剣を構えたピクトの戦士。頷いてユーウェインも黒剣を構え――迅雷の如く踏み込んできたンガリズの姿に目を見開いた。余りに疾い――剣での防禦は不能、篭手で覆った片手を上げて片刃剣を受けると、凄まじい衝撃でたたらを踏まされる。攻撃を受けた左腕が痺れ、呪力で形成した篭手が砕けていた。

 だが反対の手は空いている。黒剣を握る腕は流麗な剣閃となって奔り、敵の攻撃と同時にンガリズへ反撃していた。それをンガリズは盾で受け、そちらもたたらを踏んで数歩後退する。今度は間を置かずユーウェインが仕掛けた。左腕の痛みは無視できる範囲。剛力に物を言わせ、しかし培った技量が黒剣に空間を裂かせた。剣身の過ぎ去った後に遅れて颶風が舞い先走った黒剣を――踏ん張ったンガリズが豪腕を唸らせ、振るった片刃剣で迎撃した。

 

 晴天の下、爆発的な暴風と火花、轟音が幾度も応酬される。

 

(強い……ッ! だがッ!)

 

 予想外の苦戦に焦る事はない。不変、不動。事実を認めユーウェインは剣戟の衝撃で陥没した地面を超え、剣を振るのも覚束ない間合いに接近する。タダで間合いには入れぬとンガリズが猛り、ユーウェインの視界を鉄の塊が埋め尽くした。顔面に強烈な盾の一撃(シールドバッシュ)を喰らうも止まらず、腰の回転と背筋の捻りを利した拳撃をンガリズの脇腹に突き刺した。

 吐瀉、苦悶、驚嘆。それらを一瞬の内に感じながら黒剣を逆袈裟に振り上げる。手応えは確実な致命打。果たしてンガリズの上体が斜めにズレ、ぷくり、と血の珠を浮き出したかと思うと、体が二つに別れて血飛沫と贓物を撒き散らした。ユーウェインは離れ、吹き出た鼻血を拭う。

 

「次だッ! 次は誰が死にたいッ!? それとも一騎打ちはやめ、纏めて全員死ぬか――!?」

 

 午後3時を迎える。途端に気力と体力が三倍する感覚。原始の呪力が活性化し、ユーウェインの威容が真価を発揮した。たじろいだ敵兵、戦慄する首長シンリック。だが、白い外套を剥いだ九人の兵は寧ろ高揚したように前に出てこようとしている。ピクトの戦士だ。あの強敵が雑兵だったのか……? まだ九人もいる……? 思わず顔を引き攣らせたユーウェインは、世界の広さと己の矮小さを知る。

 自分は強いと思っていたが、実はそんなに大した事がなかったのだろう。幾ら絶好調な時間帯とはいえピクトの戦士を九人も同時に相手にしたくなかった。なんせ、武器が悪く、剣の腕も未熟だからだ。

 呪力で覆って誤魔化しているが、ユーウェインの騎士剣はピクトの戦士ンガリズとの打ち合いで刃毀れし、あと何度か打ち合えば折れそうなのだ。だからあんなにも強引に決着をつけた。ここから更にピクトの戦士を相手にすれば、確実に徒手空拳で戦う羽目になるだろう。待ち受けるのは、死だ。

 

 幸い、ピクトの戦士達はシンリックの兵たちを押し退けながら前に出ようとしている所だ。まだ間に合う。まだ取り返しはつく。決断は早かった。黒太子ユーウェインは三倍化した脚力で地面を蹴り、兵隊の頭上を飛び越えて脱兎の如く逃げ出した。

 

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 ピクトの戦士達が何かを言っている。叫んでいる。ユーウェインの逃走を詰っているのでも、嘲笑っているのでもなく、何やら残念がっているような声音に聞こえたのは気のせいだろう。

 まるでまた会おう、今度はちゃんとした武器を用意しろよと言っているかのようだ。ユーウェインはなぜだかうんざりした心地で理解する。ああ、あれぞ蛮族。手に負えない。野蛮だなんだと周りを軽蔑してきたがピクトに比べたら遥かに文明的で親しみが湧く。

 やっぱ次じゃなくて今から戦おう! そんな気配。気が変わったように追いかけて来る様子を悟って、ユーウェインは逃げるために走る脚にさらなる気迫を込めた。追い付かれたらマズイ。

 

「兄さんっ!」

「リリィ!」

 

 丘を超え、草原まで逃げていると、ラムレイの白い鬣にしがみついていた幼姫が呼びかけてくる。助かったとばかりにラムレイに飛び乗ると、すぐにリリィを懐に抱いて疾走させた。恐ろしいことにピクトの戦士達は徒歩なのに一向に引き離せている気がしない。

 ラムレイも異様な気配を感じたのか必死に走っている。やがて夕暮れを迎えて、夜の帳が張られても追いかけて来るのが分かる。神秘的な名馬ラムレイの息が切れ始める。リリィも疲弊していた。

 

 さらには雨まで降り始める。舌打ちした。どこぞの森にでも迷い込んだのか、鬱蒼とした木々の向こうに岩壁の隙間を見つけると、その洞窟の中に飛び込んて身を隠す。なんとかやり過ごさねば、決死の覚悟で迎え撃つしかなくなる。

 

 息を潜めていると、ユーウェイン達を見失ったピクトの戦士達は諦めたらしく――それとも単に飽きたのか――踵を返して元来た道を戻っていった。

 

「……ハァァ」

 

 そうして、旅の始まりを彩る冒険は、ユーウェインの敗走から始まって。

 

「次から、次へと……ッ!」

 

『ガァァァ――!!』

 

 洞窟の中に潜んでいた、小型の竜種の挨拶で、青年を辟易とさせるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 




※ピクト戦士の容姿やらは公式に準拠しております※
※カエサルの幕間だかなんだかで、一日だけ出てきたというアレ。後日修正され姿を消したらしい※
※また、ブリテン島のサクソン人達の国の配置やらでおかしいところがあっても本作ではおかしくないという事になってます。ので、悪しからず※

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