獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです 作:飴玉鉛
王位継承権第一位、王太子ロオ・モナークは不安を懐いていた。
「……私に、父上の代わりが務まるのでしょうか」
近日中に正式な布告が出される王位禅譲の儀。ブリテン王国初代国王――偉大な騎士王の後釜を託され、今後の国政を取り仕切っていく男がロオだ。彼の不安は、父が大き過ぎる故のものである。
父が古王ウーサーの後継者としての立場を取らず、自らを建国の王に位置づけたのは、自身より以前の国は国としての体を取れていないからだ。父はそう断じて騎士王を号し、イングランドとアイルランドを統一して大陸にも進出した。不安定な政情下にある、飢饉と疫病に悩まされる国土を保ち、治安を最悪の手前で食い止め、飢えこそあれど餓死者を最低限に留める手腕は誰しもが認めるものである。そんな偉大な王に後を託される重みは、王になるべくして育てられたロオをして耐え難いものに思えた。
「甘えたことを抜かすな」
そんな我が子の泣き言を一刀両断したのは、容姿の上では実子よりも若い永遠の青年王。
彼は傍らに妃アルトリアが座すのを尻目に、険しい表情でロオを諭す。
親子水入らずの、三人だけでの会話に、遠慮も呵責もありはしない。
ただ事実を並べ、情実を交えず述べるのみだ。
「俺は『強い王』で在らねばならなかった。故に何一つ瑕疵を作らず、何一つ失敗しない、完全無欠の超越者として君臨してきた。実情はともかく、大衆は俺をそう見ているだろう。だがそうであるが故に新たな試みには中々踏み出せなかった。ロオ、お前は俺の後を継ぎ『弱い王』にならねばならない。致命的な事柄を除き失敗の赦される王に、だ。その為に俺が後見になる」
「……父上に並ぶ、あるいは超える王になるな、と?」
「超えられるものなら超えてもいいさ。だが、
俯くロオに、ユーウェインは容赦を掛けない。
若干物言いたげな顔をするアルトリアを無視して、彼は残酷な現実を突きつける。
「俺が
「……ユーウェイン、その言い様は余りに酷です。もう少し言い方を考えてあげて下さい」
「甘い。アルトリア、お前はいつまでロオを子供扱いしているつもりだ?」
「貴方が厳しすぎるから、私が甘くしているだけです」
「物は言い様だな? だがな、思い返してもみろ。俺は二十歳で王になった。実際には様々な支柱に支えられていたとはいえ、後ろ盾もなく零から国を創り上げてきた。対してロオはどうだ? ロオには俺がいる、アルトリアもいる、既に形になっている国があり、失策を犯しても取り返せる土壌がある。これだけ恵まれていて出来ないとは言わせん。いいか、ロオ。お前は俺を超えられない。だがそれはあくまで外聞的な意味に過ぎない。履き違えるなよ、俺とアルトリアが造った国を安定させ、次代に繋げられるのはお前だけだ。俺を超える必要などない、そんな私情に惑わされるな。お前が成すべきなのは、先代を超えることではなく、連綿と受け継がれていく王権の確立だ。それを以て国家千年の計を固め、民衆の心の拠り所となる王室を築き上げろ。いいな?」
叩きつけられる使命。そこから逃れることなど許されない。ロオは、常人には背負えぬ荷を押し付けられることに反感を懐きはしなかったが。それでも、耐え難い重圧に俯くしかなかった。
ユーウェインは対面の席に座す王子の肩に手を置く。重く、厚い、国の形をした王の手だ。ロオは一気に自身が押し潰される感覚を味わい、跳ね除けたいと思ってしまう。しかし、父は言った。
「ロオ。お前は一人じゃない」
「……一人じゃない?」
「そうだ。お前には円卓に次ぎ、いずれは並ぶだろう騎士のアニルがいる。お転婆が過ぎるグウィネスも、猪だが忠義に疑いのないガレスもいる。円卓から加齢に伴い引退する者が続出するだろうが、頼りになる者はいなくならない。何より俺とアルトリアは寿命でくたばることはないんだ。寄り掛かればいい、支える手に事欠きはしないだろう。俺はアルトリアと二人で王を遂行し、お前は一人で王を果たすことになるが、不安に潰されるな。お前は……俺の子だ。俺とアルトリアの血を引くお前が、たかが王の重責に潰されるはずはない」
「……父上。激励してくださるのなら、もっと優しくしてくれても罰は当たらないのでは?」
「甘えるな、戯け。そういうのはアルトリアの役目だ。俺は知らん」
「ユーウェイン……」
なんとか微笑みを浮かべたロオを見かね、少し咎めるような貌をするアルトリアからユーウェインは目を逸らす。自身より若い容姿の両親に、ロオは苦笑させられた。
解っていたことだ。とっくの昔に理解していた。自分では、この偉大な両親を超えることなど出来ないし、そんなことを求められてもいないと。悔しかった……だがその悔しさを抱えていくのが、自身の人生を掛けた仕事になる。身の丈に合った仕事に専念しよう……。
息子として父を超えられないのは無念だが、王は先代を超える事に固執するものではない。その事を弁え課された使命を果たしていけばいい。ロオはそう思い、ふと思い出した要望を父に伝えた。
「そういえば父上……私の妃はいったい誰になるのですか? そろそろ独身でいるのが辛くなってきたのですが……」
「………」
ユーウェインは、目を逸らした。そんな宛ては今はなかった。
駄目だこの人、自分でなんとかしないと……いや、母上は? 微かな期待を込めてアルトリアの方を見るも、彼女もまた惚けた貌でそっぽを向いていた。
ロオは相変わらずその方面での手腕が駄目駄目な両親に、軽く失望する。
慎重過ぎるのだ。王家に迎える相手の選定に慎重になるのは分かる、しかしいつまでも独身で居続けるわけにもいかない。やはり
嘗てはロオにも婚約者はいたのだ。爵位の高い家の娘で、当主とその奥方の能力、人品、風評のいずれも良好であり、婚約者当人もなんら問題のない、次代の王妃たる器を持っていた。
しかし本当にそうなのか? 本当に王妃たれる女性なのだろうか? 平時で優秀でも、非常事態に見舞われる確率の高い現在、王妃として高い適性を示さねば信用することはできなかった。
そこでユーウェインは試したのだ。秘密裏に試練を課し、その娘が王妃としてやっていけるかを見極めようとした。その娘の家の当主とも結託し、見事に課された試練をクリアできるのかを。
ユーウェインはおろか、アルトリアも、婚約者と良い関係を築いていたロオも、その娘が試練をクリアすることを期待し、信じていた。その娘の能力の高さは、女性文官として働き出してからも証明されており、普段の言動からも容易く試練を突破すると見込まれていたのだから。
――しかし、駄目だった。
試練の内容は単純だ。ロオがささやかな問題を起こして仲違いを演出し、その後に別の女性を見初め――無論この女性は
ロオに直接諫言するか、王であるユーウェインか王妃のアルトリア、もしくは彼女の父に相談して事に当たれば良し。しかる後にロオを掣肘して、彼の過ちを正せたなら合格だ。ロオも良心に苛まれながらも婚約者を信じ、苦渋の思いで王妃の試練を見届けようとした。
だが。
婚約者の女性は、
後の結果は簡単だ。ロオは不貞の相手との仲をより親密にして、宮廷に婚約の破談が噂されるように仕向けると、その娘はロオを言葉で諌めるのみで何もせず、白けた目を向けるだけだった。
建国記念日のパーティー会場で大々的に――その場に集った全員がさくらである――最後のテストでロオが婚約破棄を宣言し、不貞の相手と添い遂げる旨を謳うと……もう駄目だった。
元婚約者は待ってましたとばかりにロオの不貞を示す証拠を暴露し、自身に非が一切ないことを会場に居たユーウェインに示したのである。――何を言っているんだこの小娘は……と、ユーウェインは失望した。アルトリアも、その娘の父も、ロオも。全員が失望した。
確かにその娘は悪くない。悪いのは一方的に試した王家だ。しかし……しかしだ、一国の国母たる王妃になろうという者が、
それを放棄し、自身の保身に走る者に王妃たる資格はない。個々人の信頼関係や、愛情など究極的には無用となるのがこれからの王家であり、王家に求められるのは絶対的に清廉であることだ。必要とあらば必要な方向へ能動的に動く行動力と、進むべき道を見極める眼力が不可欠である。――元婚約者には、そのどちらも無かった。
失敗しても良かったのに。失敗は成功の母なのだから。ロオとの関係修復に失敗しても、不貞の相手を合法的に処理するのに失敗しても、いい。大事なのは未熟でも、行動したという事実。
ユーウェインは、事の真相を説明した。説明責任という奴だ。ロオの元婚約者は顔面を蒼白にしたが、時既に遅し。この事は内々で処理し、婚約の解消を決定。その娘の風評に傷がつかぬようにはしたが、以後ロオとはなんら関係のない赤の他人となった。
以来ロオという次期国王の妃として相応しい女性は現れなかった。能力が足りず、爵位も足りず、そのどちらかを補える何かを備えた者もいない。果たしてロオは妃を決められず独身のままだ。
このままではまずい……しかし下手な者を妃にもできない。悩みどころだ。
「この際、国内で婚姻を結ぶのは諦めた方がいいのでは?」
「……すまんが、俺もそう考えている」
「でしょうね……」
「ウォルフレッド伯の孫娘などどうかとも考えたが……彼は俺との距離が近すぎる。伯は円卓を除いた騎士の長だ、実質的にも評判的にも俺の直臣……彼の血統を引き入れる価値は薄い」
「なのでロオ……申し訳ないですが私達は今、他国と交渉して同盟を結び、その盟約を違えぬ証として、当家へ嫁入りさせる方に舵を切ろうとしています。辛いとは思いますが、今少し耐えて下さい」
「……母上、贅沢は言いません。国益に適うなら誰でもいい、しかしなるべく早くしてください。お二人が退位した後に、他国の女性と婚姻を結んだのでは遅いでしょう。頼みますよ、本当に」
「わ、分かっている。な、なあアルトリア?」
「む、無論です。大船に乗ったつもりでいるように。私達がなんとかしますから……!」
(……大丈夫かなぁ……不安だ……)
弱り果ててしどろもどろになる両親の様に、ロオは頭を抱えたくなった。
どうしてこう、大抵のことでは極めて頼りになるのに、この手の問題に対しては腰が引けてしまうのか……生まれながらにして王たる者として教育されてきたロオには解らなかった。
こんなだから……嫌いになれないのだ。こういう
本当に完璧な人達だったら……憎めていたのに……ロオとしては口惜しい限りだ。
――なんとも言えない空気が漂う。
次男のアニルはガレスと良い仲になりつつある。長女のグウィネスは並み居る婚約の申込者を相手に無双して暴れ姫と呼ばれているが、なんやかんやパーシヴァルと良い仲になりそうらしい。
弟と妹の恋愛事情など聞いても面白くもなんともない。自由恋愛に熱中する妹も、歳の近い叔母との恋愛に現を抜かす弟も、みんな妬ましくってロオは鬱憤を溜めていた。
二十歳も半ばになりつつあるのに童貞な王子とは……同世代で清い身なのは自分とギャラハッドだけ。このまま童貞を拗らせてしまえば、ギャラハッドへ一方的な友情を感じてしまいかねない。
と。
「……団欒はお終いだ。切り替えるぞ」
「っ……?」
「はい。ほらロオ、気を張りなさい」
――唐突にユーウェインが言う。
ひりついた空気を纏った夫へ、即座に応じて反応したのはアルトリアだ。すぐに甘い母親の貌から、女王のものへ切り替わる。ロオも遅れて柔和な王子の仮面を被った。
慣れたもので、彼らは公私の意識を瞬間的に切り替えられる。こうした時、ユーウェインが何者かの気配を探知したというのがすぐに分かるのだ。果たして扉をノックする音がして、ロオが応答する。
「入室を許可します。入りなさい」
「――失礼するよ、王様と王子様。それから親愛なる女王様」
扉を開いて入ってきたのは、宮廷魔術師のマーリンである。ユーウェインの白けた目には気づいていないフリをしながら、不老の夢魔がにこやかな笑みを浮かべつつ歩み寄って来る。
仰々しく一礼するマーリンへ、ユーウェインが端的に問いを投げた。
「何事だ、マーリン」
「おっとご挨拶だね、王様。君に睨まれたら生きた心地がしないから、睨むのはやめてほしいかな。さもないと、ほら、落ち着いて話せやしないだろう? 家族団欒を邪魔したのは謝るから、穏やかな空気で話をしようじゃないか」
「道化の入室を赦した覚えはない。つまらん諧謔を垂れる暇があるならさっさと本題に入れ」
「オーケーだ。前まで顔を合わせる度に脅しつけられていた事を考えたら、少しは私達の仲も前進したと思っておくとしよう。多少は私への態度が軟化した王様に報告だよ――ローマが動いた」
マーリンの言い草に、露骨に苛立たしそうな表情をするユーウェインだったが、彼の挙げてきた報告に眉を動かす。ちらりとロオとアルトリアを見遣り、ユーウェインは席を立った。
「――覇王気取りのティベリウスも、ようやっと痺れを切らしたか」
千里眼の持ち主は本当に便利だ。知りたい状況をすぐに知らせてくれる。
冷酷無尽なる王の笑み――張り巡らせた謀略の結実を知り、待ちに待った時の到来で、彼はようやく一つ時代の終わりを確信したのだ。
ルキウス・ティベリウス。侵略者としてのローマ帝国の歴史を体現する皇帝の名だ。十年で度重なる暗闘を繰り広げ、ローマとの決戦の幕を上げる時が遂に来た。
ユーウェインはマーリンとアルトリアに命じる。個人の好悪など関係ない、使える駒はなんでも使うとばかりに。
「マーリン、大陸にいるベティヴィエールに通達しろ。好きに采配を振るえ、とな。本国からの援軍が到着するまで粘れたなら上等だ。ブリテン島からは私とアルトリアが軍を率いて出る。なんとしてもティベリウスの首をとるぞ」
「了解したよ」
「アルトリア。お前は大陸への遠征軍の編成に移れ。エハングウェンも出す。ロオに王位を譲った後、すぐに
「任せて下さい」
「それから――」
マーリンとアルトリアがすぐさま退室していくのを見もせずに、騎士王は次代の王に向けて微笑んだ。それは父としてではない、先達の王としての微笑である。
ロオはまっすぐ、先達の目を見詰め返した。
「――ロオ。これは俺の勘だが、
「はい」
「遠征の準備と並行して、新たな同盟国から王女を嫁がせよう。その後は、お前の仕事だ。
「……分かりました」
ユーウェインは、時代の終わりを確信している。
そしてその時代とは――己と、母。この因果を指していると思っていた。
母が己のことをよく知るように、己もまた
ロオを下がらせ、ユーウェインは一人になる。
子供達は大人になった。心配は要らない。
国は末期状態だが、待ち望んだ戦争に間に合った。新たな領地を獲得することで国も救えるだろう。
養えない国民が飢えて暴動を起こす前に、移民させる。なんとかローマが仕掛けてくるまで保たせられたのは奇跡だった。神経をすり減らして、産業や国庫を食い潰しながらやってきた甲斐もある。
あとすこし、あとすこしだ。
冷酷で、冷徹な王を完遂する必要はない。濁りのない聖王の仮面の裏で、邪悪な凶行に手を染めずに済んだのは僥倖と言う他になかった。
(後は……負けないことだ)
ローマ帝国との戦争。序盤から中盤は、大陸に残っている司令官ベティヴィエールと円卓だけで対抗してもらう必要がある。
ティベリウスはマーリン曰く
ローマとの戦いに勝てば、後は全て恙無く完遂できるだろう。
(そして……)
王としての計算はそこまで。残った問題は――
(俺が、母上を斬る)
モルガンがしようとしている事を、ユーウェインは正確に予知していた。
彼女は国内の不穏分子を束ね、蜂起するだろう。そんな予兆など少しも察知できていないが、必ずそうなるとユーウェインは信じている。母は自分などに陰謀を悟られるようなヘマはしない。
蜂起して、不穏分子を一掃する口実を造り。
……自らを最悪の魔女として、ユーウェインに斬られる。モルガンはそう企図している。あるいはユーウェインが予知していることも想定しているだろうが、必ずブレずにそうするだろう。
(俺に……母上が斬れるか?)
自問する。
そして、思い返す幼き日々――手に入れた大事な家族――
ユーウェインは揺らがず、鉄壁の魂を以て断じた。
(