獅子の騎士が現代日本倫理をインストールしたようです   作:飴玉鉛

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9,大いなるものとの邂逅

 

 

 

 

「……ハァァ。次から、次へと……!」

 

 怯んだ幼姫を背に庇い、折れかけの剣に呪力を充填して黒剣と化させる。

 自身の身に再び呪力の黒甲冑を纏い、臨戦態勢を取った。

 

 ピクトの追撃から逃れた先、洞窟の中に待ち受けていたのは小型の竜だ。

 

 いや、待ち構えていたのではない。元々この洞窟を(ねぐら)にしていた

 

 

 

のだろう。不埒者の侵入を察知したらしい洞窟の主が、闖入者を懲らしめてやろうと奥の方から這い出てきた。

 竜は、()()鱗を具えていた。細い首。鋭い鉤爪を備えた細長い前肢と、反比例して発達した強靭な後肢。畳まれた翼は広げればその身を包み込めるほどに大きく、身の丈に比する長い尾は筋肉の塊だ。

 小型と言っても竜種とは幻想種の頂点である。吹けば飛ぶ脆弱な亜竜(ワイバーン)とは内包する神秘の桁が違い、幻想である故に現実に有する質量(サイズ)の多寡が決定的な戦力の物差しとは成り得ない。大きければ強いのではない、小さければ弱いのではないのだ。口腔より漏れ出た紅蓮の炎は、妖精の子をして戦慄にも似た緊張を覚えさせられる。

 

 ――妖精モルガンをも超える大魔力。存在の格だ。

 

「グッ………!」

 

 強い。気圧されも、怯懦に竦みもしない固定された精神。だが幼姫を護りながらではまるで相手にもならぬ、逃げる事も儘ならぬと肌で感じる。まるで母より伝え聞く『悪竜現象』の最強種。

 何故こんなところにこんな化け物がいるのだ。ユーウェインは己の死を予感した。遭遇してはならない災害に出会ってしまったらしい、せめて呆然とするリリィを逃す時間だけでも稼がねばならない。

 そう思い、強く黒剣を握り締めた。

 だが小さな赤き竜の敵意が、唐突に和らぐ。縦に割れた竜の瞳孔が、柔和に細められて――リリィを見た。まるで親戚の子供が我が家へ入り込んだのに、やれやれと苦笑して受け入れる温和な伯父さんのような雰囲気だ。訝しむユーウェインを一瞥し、赤き竜はのっそりと歩いて洞窟の外に向かっていって、黒太子の傍を通り抜ける。――小型とはいえ、それは竜の尺度。自身の二倍の全長を有した赤竜を油断なく見詰めユーウェインが身構えるのに、赤竜は穏やかな目でブリテン人の青年の肩を尻尾の先で叩いた。

 

 軽く。しかし、巨大な思念が宿った接触だ。

 

数奇な使命を帯びし愛し子ら。宝を旅の一助とし、時来たらば一つを湖へ投げ入れよ

 

「――――」

 

 言語ではない。だが何を言いたいのかは、頭ではなく魂で理解した。

 魂そのものに語り掛けられたのだ。そのまま外に出た赤竜は、翼を広げて羽ばたくと、突風を鳴らしながらいずこかへと飛び立っていった。

 予感した死が遠ざかり呆気に取られるユーウェインは、ぼんやりと悟る。先程の不意のサクソンとの遭遇――シンリックはユーウェインが予想したように領内を巡回していたのではない。恐らくあの赤竜の討伐のために出向いていたのだ。だから護衛としてピクトの戦士たちが付いていた。

 だが赤竜には最初から殺意はなく、人間を殺すつもりもなかったように思える。討伐隊が来たら河岸を変えて姿を晦ませるだけだっただろう。そして、なぜかユーウェイン達には大いに親しげで、途方もなく優しげですらあった。それは何故なのか。原因は分からない。しかし――

 

「今の、竜……なんだかとても、()()()()気がしました」

「………」

 

 夢心地のように呟いたリリィの手には、気丈にも戦う意志を持っていたのか破損した魔術杖が握られている。ユーウェインは無言で彼女の頭を撫で、絶対的死の具現が去った事で安堵した様子のラムレイの首筋も撫でてやると、導かれるようにして洞窟の奥に進んで行った。

 其処にあったのは、竜が溜め込むという金銀財宝――などではない。しかし巨万の富にも優る太古の伝説の残照であった。

 知らず感嘆と、感動の吐息を溢してしまう。無造作に岩壁へ立て掛けられていたのは鞘に納められた三本の剣だ。赤竜の思念によるものか、それぞれの真名がするりと黒太子の口から漏れて出る。

 

「――虹霓の鍛剣(カレドヴールフ)古人の魔剣(ライヴロデズ)神秘殺しの曲剣(モルデュール)――」

 

 誘惑に駆られ、ユーウェインはまず虹霓を手に取る。鞘から抜き放った剣身は、嘗て捻れていたのか螺旋の名残がある。しかし今や古剣の螺旋形状は平らとなり、夥しい神秘を宿した直剣となっていた。

 これと比べれば、己の用いていた騎士剣は枯れ木の棒に等しい。剣に携わる者の一人として魅了されそうな名剣であり、魔剣もまた莫大な呪詛を秘めて原始の呪力を宿す黒太子の手によく馴染む。

 そして歪曲した刀身を有する曲剣。両手で握っても余裕のある長さの柄に、未知なる魔法文字の刻まれた刀身は、今まで振るった叩き切る剣とは違う趣がある。まるで斬り裂く為に斬撃に特化した魔法剣だ。驚嘆すべきはその力、如何なる魔術も魔力を斬るこの曲剣の前には無力だろう。途方もない切れ味はどんな物質をも撫で斬るに相違ない。

 

 どんな剣士でも、喉から手を出しそうなほどに欲しそうな宝剣揃いだ。しかも、それだけではない。三本の剣の他に一つの宝石とカイトシールドが安置されているのだ。竜の囁いた真名は、

 

不朽再生の宝玉(エリネド・ティドグリド)……尽きぬ荷車の盾(グゥイズノ・ガランヒル)――」

 

 拳大の青い宝石に宿った神秘は、所有者の身体能力を高めると共に魔力を与え、あらゆる武器の破損を修復し、武器に秘められた魔力を回復させる物。そして盾は防禦兵装というよりも篭だ。盾の内側へ無尽蔵に物質を保管し、永久に風化させず、どれだけ内容を詰め込もうと重くならない。

 知らず生唾を飲み込んでいた。凄まじい宝具の数々である。あの赤竜は『ブリテンの赤き竜(ア・ズライグ・ゴッホ)』だったのかもしれない。ブリテン島の二つの意志、その片割れたる大いなるもの。

 見初められたのか。自分が? それとも……リリィが? どちらでもよい。ユーウェインはその場に跪き、大いなるものへ感謝の祈りを捧げた。それから立ち上がると魔法盾に三本の宝剣を仕舞い込み盾を背中に負う。宝石は、自分が持っていても仕方がない。立ち尽くして赤き竜に思いを馳せるリリィの下へ戻ると、彼女の手から杖を抜き取った。

 

「あ……! 何をするんですかっ。返してください、それは私のですよ!」

「壊れた触媒を持っていても仕方あるまい。取り替えてやる」

 

 我に返ってピョンピョンと飛び跳ね、ユーウェインの手から杖を取り戻そうとする幼女を尻目に、以前リリィの魔力放出で破損した魔力増幅器である宝石を取り外した。そうして『不朽再生の宝玉』をあてがうと、まるで最初から杖の一部だったかのように融合してしまう。

 その杖で罅割れていた宝石をなぞると、宝石は傷一つない物へと修復されてしまった。目を丸くするリリィにはまず宝石を返して、それから宝具と化した魔術杖を返還した。

 

「母上から弟子にして頂いた証だろう。大切に取っておくと良い。そして、この杖に取り付けたのは、あの竜公が下賜してくださった宝物(ほうもつ)だ。真名は不朽再生の宝玉(エリネド・ティドグリド)。その力はたった今お前が見た通りで、お前の魔力放出にも耐えてみせるだろう」

「わぁ……」

 

 幼女は驚きに目を瞠る。なんだかとても凄い物を貰った事を直感的に理解したのだろう。いそいそと宝石を大切に懐に仕舞ったリリィは、受け取った杖を両手で握り締めてポツリと呟いた。

 

「凄い……さっきのドラゴンさんは誰だったんでしょうか。お礼を言いたいのに、どこかに行ってしまいました。待ってたら戻って来ると思いますか?」

「恐らく戻っては来ないだろう。また会えるかは分からないが……もし再び会えるなら、今日のような無礼な態度ではなく、心からの感謝とともに礼を尽くしたいな」

「はいっ」

 

 疲れているはずなのに、満面の笑みを浮かべてリリィは頷いた。

 外は雨だ。それに夜でもある。服もびしょ濡れで、自分はともかくリリィを放っておいたら冬の風で病を得てしまうだろう。ピクトとの追いかけっこで体が熱を持っていたから、体が冷める前に暖を取る手立てを整えねばならない。

 洞窟の中に転がっていた枯れ木を集めて薪として、発火魔術で火を熾す。まだ羞恥を知らぬリリィに服を脱がせ、火に翳して乾かせつつ、手拭いでリリィの身体を拭いてやる。ユーウェインは自らの速乾性の高いマントを外して地面に敷いた。過保護なモルガンが与えてくれたマントは早くも乾いているし、防寒の魔術が掛けられている。冬に裸で眠っても寝苦しくはあるまい。

 

「先に寝ていろ。明日の朝、雨が上がっていたら移動する」

「はーい。兄さんは寝ないんですか?」

「ああ。ラムレイも労ってやらんとな。それに明日の朝はいいが、夜には食う物がなくなる。そこらを回って良さげな物を調達してくるから、大人しく留守番していてくれよ」

「外……雨ですし、夜だから真っ暗なんですよ? 危ないです」

「心配するな。今ならピクトの連中が来てもなんとかなる。お前は寝るのが仕事だ、変に気を遣わないで休んでいろ。そうしてくれないと俺が困る」

「うー……分かりました……おやすみなさい、兄さん」

「ああ、おやすみ」

 

 横になると、やはり疲れていたからかリリィはすぐに寝入ってしまう。

 パチパチと薪が鳴るのに、手拭いでラムレイの馬体を拭ってやり、声を掛けながら鬣を梳いてやった。気持ち良さそうにする愛馬に、愛情と感謝を込めて首を抱き締める。ありがとう、お前がいなかったら死んでいたかもしれない、と。ラムレイは小さく嘶いて、主人の頬を舐めた。

 

「出掛けるが、後は頼むぞラムレイ。リリィに危険が迫ったらすぐに一緒に逃げてくれ。俺もそんな遠くにはいかないが、心配だからな」

『………』

「……俺の事は心配するな。得難い武具を与えて頂けたからな、早々怪我をする事もない」

 

 心配そうなラムレイの鼻頭を触り、まだ濡れ鼠のままだったユーウェインは雨天の下に進み出る。白髪が顔に張り付くのに、後ろに撫でつけて森の中に歩を進めた。背中には魔法盾。これがあれば携行できる荷物の量も限界がなくなる。とんでもない代物で、ともすると名剣よりも助かった。

 獣を狩る。狼もいれば、飢えて冬眠できずにいる熊もいた。襲い掛かって来る獲物を、盾から引き抜いた曲剣で片っ端から切り裂いていく。その骸をバラバラにして盾に納めていった。

 リリィに心配させない為にさっきは言葉を選んだが、食糧を調達する以外にも目的がある。一つが獣達に寝込みを襲われないように間引いておく事と、万一にもピクトが引き返してきたら迎撃する事だ。

 ユーウェインは眠るつもりはない。少なくとも今夜は。体力にはまだ余裕がある、疲労で判断力や体のキレが悪くなったりはしないだろう。幸いこの森に魔獣は生息していなかったようで、あらかた獣を狩り尽くして洞窟に戻ると、リリィ達が眠っている姿を眺める。それからすぐに洞窟の奥に入って、仕留めた獣の肉を可能な範囲で捌き、不要な部位を削ぎ落としていった。

 

 曲剣の切れ味は天下一の包丁である。幾ら肉を斬っても脂がつかず切れ味が落ちない。非常に便利で大いに助かった。作業効率は最高で、夜が明けるまで作業を続けていると日の出と共に雨も上がった。

 

「……今日中にサクソン人の国……ウェセックスだったか。そこから出ないとだな」

 

 そう思う。強力な武装を得たからと、驕り高ぶるような青年ではなかった。

 謙虚な心構えがある。武器は強くなったが、自分が強くなったわけではないし、まだ完全に使いこなす為の鍛錬もしていない。これで浮足立っていいのは武器を手に入れた直後だけ。

 一夜明けると興奮も醒め、ユーウェインは冷静に判断していた。世界は広いのだ、あれだけ精強なピクトの戦士ンガリズですら雑兵だった……であればあれの隊長格が出てきたら苦戦は必至。

 少なくとも単独で相手にはしたくない。ユーウェインは慎重に方針を固めるも――

 

 

 

 ――そう上手くいかないのが、英雄の星の下に生まれた者の宿命だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




赤い竜さんは今はちっちゃいですが、ブリテン勢力が版図を広めるほどに大きくなる模様。衰退したら縮む。
いったい何者なんだ……(迫真)

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